(47)包囲殲滅
殿として残った第七艦隊を除く十二個艦隊、約六万隻のヒューマル軍は、身を寄せ合うようにして撤退を開始した。
二時間後、側面からデモリア軍の二個艦隊が現れ、襲いかかってきた。
方向転換して撃ち合えば、艦隊の脚が止まる。ミヤビ・シラトリがそうしたように、ここで自ら囮役となったのは、モリヤ中将率いる第十八艦隊であった。
その意図を、他の艦隊長たちは正確に読み取った。
軍では同じ階級であったとしても、先任者の方が序列は上となる。軍服の襟元につけられた階級章に授与年月日が彫り込まれているのはそのためだ。ちなみに在任期間も同じ場合は、その前の階級での先任者が上位となるのだが、こればかりは人事データベースを参照しなくては分からない。
軍に在籍している者ならば――階級などに無頓着なサダムやオガミなどを除けば――自分の所属している部署の序列を正確に把握している。
シラトリに続き、中将の先任者であるモリヤが囮役となったことで、他の提督たちの中でも、自分が犠牲となる順序と覚悟が定まった。
第十八艦隊を置き去りにして、他の艦隊は逃走を続けた。
この先に、さらなる敵が待ち伏せしていることを、漠然と予測しながら。
戦場に残った第十八艦隊は、約六千隻。対するデモリア軍は約一万四千隻。まともに戦っては勝ち目はない。しかも第十八艦隊は、今回の戦いにおいて、艦隊としてのまとまりや部隊間の連携を欠いていた。
これは機動力に特化したマサムネ・キサラギ大佐の部隊を、守備的なポリシーを持つモリヤ中将の艦隊が取り込んだことによる弊害だった。
「敵艦隊の識別成功。デモリア軍、フン艦隊、オス艦隊です」
「三時方向に回頭しつつ、後退せよ。敵の攻撃を受け流すのだ!」
残念ながら、モリヤ中将の指示は報われなかった。
デモリア軍は時間差をつけて“魔の矢”を放ってきたのである。最初のフン艦隊の突撃を掠らせながら、どうにかかわした第十八艦隊だったが、次に来たオス艦隊による“魔の矢”を、まともに受けてしまった。
この一撃で、第十八艦隊は瓦解した。
レーザー砲の直撃を受けたモリヤ中将の旗艦カスカベから、ごく短い光信号が発せられた。それは、マサムネ・キサラギ大佐に後事を託すというものであった。
第十八艦隊の生き残りには、他にも大佐の階級を持つ先任者はいた。それなのに、モリヤ中将が若干二十三歳のキサラギ大佐を指名した理由は誰にも分からない。光通信が発せられた直後に、戦艦カスカベが大爆発を起こし、当人が戦死してしまったからだ。
その後、新たに旗艦となった巡行艦ルモイより、最初の命令が発せられた。
『全艦艇、天底方向――ガス雲内に移動せよ。移動距離は七・五スペースマイルとする。移動後は各艦との相対距離を保ちつつ、バリアーを解除すること。以降、通信を持って指示を出す。以上』
ガス雲の中には細かなチリや氷の粒が紛れており、光が乱反射する。光通信は使えないし、自分の位置と方角を確認する唯一の手段であるハナミズキの光すら視認することはできない。
しかも、ガス雲は高速でハナミズキ側に引き寄せられている。
通常であれば自殺行為のはずであったが、マサムネ・キサラギはこの濁流の中、短距離電波通信を使って細かな指示を出し、艦隊を立て直すことに成功した。
五時間後、キサラギ大佐は次なる命令を発した。
「これより、第七艦隊を援護する」
第十八艦隊に所属する部隊長や艦長たちは、意味が分からず混乱した。
後退しつつ四万隻ものデモリア軍の艦隊と戦っていたミヤビ・シラトリ率いる第七艦隊が、この宙域に移動してきたのだと理解できたのは、ガス雲から飛び出した直後であった。
視界も悪く、レーダーすら役に立たない宙域で、どうやって戦況を把握することができたのか。
あるいは敵以上に動揺しながらも、軍人としての本能が働き、部隊長や艦長は動き出した。
新たなる艦隊長を迎えた第十八艦隊は、今まさに第七艦隊の側面に突撃しようとしていたデモリア軍、ボロー艦隊に対し、天底方向から襲いかかったのである。
◇
九死に一生を得た第七艦隊は、第十八艦隊とともに、先行している他の艦隊の後を追った。
ミヤビ・シラトリには、とある予感があった。
もし自分がデモリア軍を指揮する立場にあり、戦場全体を俯瞰して見られるならば――もちろんそのようなことは誰にもできないが、ムンフ・アルトゥの頭脳であれば、それに近いことを成し遂げられると仮定して――どのようにヒューマル軍を追い詰めるだろうか。
一直線にハナミズキ星系を脱出するヒューマル軍を見逃すはずがない。退路の先には間違いなく罠を仕掛けているだろう。
シラトリの予想は、残念ながら現実のものとなった。
二日後、艦隊のセンサーは進行方向から流れてくるエネルギーの残滓を感知した。そしてその先には、機能どころか形さえ失った艦艇の残骸が、広範囲に渡って漂っていたのである。
圧倒的にヒューマル軍の艦艇のものが多い。
その数は数百か、あるいは数千か。
シラトリは吐息をついた。
「これは、大きく迂回しなくてはならないわね」
後方から追ってくる四万隻の敵を気にした発言だったが、その時、第十八艦隊のマサムネ・キサラギ大佐から光通信が発せられた。
『本艦隊が進路を確保する。第七艦隊におかれては、後に続かれたし』
第十八艦隊はデブリの中に入り込むと、数回の砲撃と魚雷ミサイルの爆発で、艦隊の通路を確保することに成功した。
「見事なものね。まるで、この宙域の三次元マップを把握しているかのようだわ」
さらに幾つかの戦いの残骸を越えて三日ほど進むと、新たな戦場にたどり着いた。
ガス雲の上で輝く細かな線と丸い光。レーザー砲と爆発する艦艇だろうか。その光景は、まさに稲光を伴う雷雲のようであった。
マサムネ・キサラギから電波通信が入った。
ディスプレイに映ったのは、癖のない長い黒髪を持つ女性だった。前髪を眉のところで一直線に揃えている。切れ長の目に、筋の通った鼻、そして引き締まった口元。白い軍服姿と相まって、凛とした佇まいを見せているが、この時の彼女は、まるで熱でもあるかのように頬を上気させていた。
『味方の艦隊は、包囲されているようです』
到着したばかりで、全体の戦況を把握するのは困難なはずなのに、まるで見てきたかのように言う。
『進行方向にいる敵艦隊は、船尾を向けています。おそらく、こちらの存在に気づいていないのでしょう。突撃して、これを撃破します。司令は味方の残存艦隊を統合してください』
「あなたはどうするの?」
『むろん』
さらりと、大佐は答えた。
『敵の総司令を、打ち倒します』
◇
ミヤビ・シラトリ大将が推測した通り、魔軍司令ムンフ・アルトゥは、四万隻の艦隊を使ってヒューマル軍を一定方向の退路へと誘導する一方で、その先に伏兵を潜ませた。
ヒューマル軍の艦隊が通りかかるたびに、側面方向から攻撃を加え、一撃離脱を図る。少しずつヒューマル軍の戦力を削っていき、消耗し尽くしたところで、退路を完全に断つ。さらには伏兵らを合流させて、包囲殲滅するという作戦であった。
「逃げる敵ほど弱いものはない」
艦橋内の、まるで玉座を思わせるような豪奢な座席で、ムンフ・アルトゥは悠然と戦況を見守っていた。
窮鼠猫を噛むという表現は、デモリア族にも存在する。追い詰められ、逆上してくる敵ほどやっかいなものはない。だが、逃げ道を示された鼠は、ただの臆病な鼠。捕食者である猫は安心して狩りを行うことができるのだ。
「マツァグらが遅れているのは、気になるがな」
最初に四万隻の艦隊で攻撃を仕掛けた上級魔士たちのことだ。報告によれば、敵の要塞駐留艦隊司令、第七艦隊を率いるミヤビ・シラトリ大将が単独の艦隊、約一万隻で立ち向かったとのこと。
マツァグらがいまだに最終戦場に現れないのは、あるいはシラトリが、その身を挺して時間稼ぎに成功したということか。
「まあ、よい」
戦況は優位に進んでいた。
度重なる伏兵の攻撃により、ヒューマル軍は数個艦隊が行方知れずとなり、その残数は四万隻を切っている。しかも四方からの攻撃を受け、逃げることもままならぬ状況にある。
一方、デモリア軍の損害は一万隻に満たないだろう。
これもまた、彼女が想定していた結末のひとつではあった。別働隊のダェンらがマスラオを降伏させるよりも前に、こちらの戦いにケリがつくかもしれない。
そうなれば、完勝である。
「アルトゥさま。味方の艦隊に、乱れがございます」
報告したのは、副官のホルホェである。子供の頃に事故で頭のツノを失った彼は、ホルモンバランスの関係で、中性的な容姿と体躯を持つ青年に成長していた。
艦橋の巨大ディプレイには、敵味方の艦影が帯状に映し出されている。手負いの獣を囲う檻のように、約十万隻もの大艦隊が、約四万隻の敵艦隊を包囲している。その一角、檻の外に小さな敵影が現れた。
「艦艇数、約七千隻。艦隊の識別に成功しました。ヒューマル軍の第七艦隊と第十八艦隊です」
「第十八艦隊、だと?」
ムンフ・アルトゥが口にしたのは、シラトリ率いる第七艦隊ではなかった。
十八艦隊にはマサムネ・キサラギ大佐が所属しているはず。
戦闘開始前に、アルトゥが警戒していた人物が二人いた。
そのひとりがマサムネ・キサラギ大佐である。もうひとりは第九十九艦隊のサダム・コウロギであったが、彼と彼の艦隊はこの星系内にいないことが確認されていた。おそらくは守備要員としてマスラオ内に残ったのだろう。
巨大ディスプレイの映像の中で、デモリア軍の一部――本体から一番遠い位置にいたフン艦隊が切り裂かれた。
無防備な背後から攻撃されたのではやむを得ない。
「オス艦隊にカバーさせろ」
「はっ」
包囲殲滅の危機にあった敵の歓呼の声が聞こえるかのようだった。救援艦隊と合流したヒューマル軍は士気を盛り返し、崩れかけた艦列を再編し始める。
「エレグテー艦隊を、五スペースマイル後退させよ」
アルトゥは冷静に指示を出した。




