(45)方針
ハナミズキ星系内で戦闘が開始されてから、十日が経過した。シラトリの狙い通り戦況は硬直していたが、すべてが順調というわけではなかった。
「第十八艦隊、モリヤ中将に連絡。一度後退して、陣形を立て直しなさい」
どうにも、モリヤ中将の調子がおかしい。自分の艦隊を御しきれていない様子である。専用チャンネルで呼び出されたモリヤ中将は、困り果てたような顔をしていた。
『実は、キサラギ大佐より、何度か進言がありまして』
二十三歳のマサムネ・キサラギは、すでに大佐の地位にあり、銀河英雄名簿に名を連ねる英雄だった。一部隊の隊長とはいえ、無視できる人物ではない。
『全兵力を結集して短期決戦を挑まねば、負けると』
「……」
ハラダ中将率いる遠征軍の帰還を待つために時間を稼ぐという、この戦いにおける基本方針を理解した上での発言なのだろう。
慎重に、シラトリは問いかけた。
「どういった理由で、かしら?」
『いえ、それが』
モリヤ中将は言い直した。
『正確には、負ける気がする、というのです』
ようするに、理由は説明できないらしい。
艦隊を預かる者として、そのようなあやふやな意見を取り入れるわけにはいかない。モリヤ中将は若き英雄を諭し、自分の命令に従うよう促したのだが、
『キサラギ大佐の指揮する部隊が、どうにも』
指令を無視して攻勢に出ようとするのだという。
手足が言うことをきかないのであれば、いくら熟練の提督といえども、精彩を欠くのは道理であった。
「状況は理解しました。陣形を再編後、速やかに戦列に復帰してください」
『はっ』
これは想定外の事態だった。英雄マサムネ・キサラギを不慮の事故などで失いたくはない。それゆえにシラトリは、老練なモリヤ中将に彼女を預けたというのに。
「どう思う?」
シラトリが問いかけたのは、すぐ隣の席に座っている主任バイオ・オペレーターのナナ・サエキ曹長だった。端末を打ち込む手を止めると、サエキ軍曹はくるりと振り返った。
「いくら英雄といえども、全体の作戦行動を乱す行為は、慎むべきだと考えます。しかも、理由すら説明できないとあっては話になりません」
バイザーで覆われているので表情は窺えないが、口元に上品な笑みを浮かべている。
「ですが、そもそも英雄とは、私たちの常識でははかれない存在。論理的ではなくても、そのことを加味すべきでしょう」
「そうね」
シラトリ自身、この戦闘が始まってからずっと、違和感に捉われていた。
デモリア族は野心的な種族である。今回の軍事行動の最終目的は、軍事要塞マスラオの攻略のはず。敵領域内で長期間滞在することは、物質的にも精神的にも負担が大きい。一刻も早くこちらの艦隊を排除し、要塞攻略に本腰を入れたいところだろう。
それなのに、敵は戦力の逐次投入を繰り返している。
まるで、こちらの呼吸に合わせるかのように。
デモリア軍の英雄、ムンフ・アルトゥともあろう者が、そのような愚策を用いるものだろうか。
このまま事態が推移して欲しいという期待と、漠然とした不安。事態が判明したのは、それから五日後のことだった。マスラオとの連絡用として星系外に残していた連絡艇が、通常航行にて知らせに来たのである。
専用チャンネルによる極秘情報を受信したサエキは、一瞬息を飲んだものの、努めて冷静な口調でシラトリに報告した。
「デモリア軍の別働隊、四個艦隊が、我々の領域内――それぞれ別の宙域にワープアウトしました。この別働隊はワビスケ星系にて合流し、マスラオに向かうものと推測されます」
予期せぬ敵の動きに、シラトリは驚かされた。
敵領域内における艦隊行動には、著しい制限がかかる。それは軍事上の常識だった。
宇宙空間に存在する物質は、星も、軍事要塞も、そして観測装置も絶えずその座標を変える。過去に作成した宙域地図など役には立たない。
ゆえに、侵攻軍は慎重に行動する必要がある。
まずは拠点を作り、偵察部隊をワープで送り込んでから、安全を確認し、次の拠点となる宙域と侵攻経路を定めてゆくのだ。
しかも、ワープアウトの座標はすぐに把握されてしまうため、戦力を分散することはできない。
大規模な別働隊を使った本拠地強襲など、博打でしかないはず。
「まさか――」
不意に浮かんだ考えに、シラトリは悪寒を覚えた。
彼女、ムンフ・アルトゥであれば、あるいは……。
「それで、マスラオの対応は?」
「それが……」
珍しく、サエキは言い淀んだ。
「要塞司令長官と要塞防衛指令は、ともに体調不良で病気療養中とのことです」
こちらも予想外の味方の動きに、シラトリは愕然とした。嵐が来ると雲隠れをするというマスイ元帥の噂をシラトリは知っていた。子飼の部下であるハットリ中将も、それに倣ったのだろう。
「あの、クソどもが」
この不適切な呟きを聞いた者は、艦長席の近くにいるサエキだけだった。もっとも彼女は、長年に渡りシラトリの仕事上のパートナーを努めており、またプライベートにおいても親交があったので、驚くこともない。
「要塞司令長官代理、サダム・コウロギ中将率いる第九十九艦隊が、迎撃に向かったとのこと。通信は以上です」
シラトリは歯噛みした。
一刻も早く救援に向かうべきだったが、座標が把握できないハナミズキ星系内では、ワープを使うことができない。
星系外へ出るのに、通常航行で七日。さらにマスラオまでは四回のワープが必要となる。ワープ機構の調整時間に九日かかるので、合計十六日。
しかも目の前には、二十万隻ものデモリア軍の艦隊がいる。
シラトリは絶望的な展開を予想した。
デモリア軍の四個艦隊といえば、三万隻弱。三千五百隻ほどの第九十九艦隊ではひとたまりもないだろう。
もし仮に、マスラオが墜ちることがあれば、ヒューマル軍は。
ヒューマル族は……。
シラトリは頭を振った。
未来を想定することは大切だが、絶望に打ちひしがれるのは無意味である。自分には責任があり、最悪の状況の中でも最善と思われる方針を打ち出す義務があるのだから。
シラトリはサエキに命じた。
「諸提督に連絡を。緊急艦隊長会議を招集します」
◇
ディスプレイ内に映し出された諸提督たちは絶句し、次いでざわざわと騒ぎ出した。彼らの表情は、誤報であることを疑っているようだった。
『……別働隊の動きが早すぎます。敵領域内で、艦隊単位で連続ワープなど、常識的には考えられませんな』
皆の心情を代表するかのように、モリヤ中将が感想を述べた。
「彼女――ムンフ・アルトゥは、天才軍略家です」
シラトリはサエキに指示を出し、マスラオ周辺の宙域マップを表示させた。さらに、過去十年間に渡るデモリア軍の侵攻ルートを重ねる。
諸提督たちは怪訝そうな顔になった。
「特に規則性があるとは思えませんわね」
疑問を呈したのは、第六十艦隊のエツコ・ワカサ少将である。
「この場合は、規則性がないことが問題です」
議論を進めるために、あえてシラトリは解説をした。
ここ十年間に渡って、デモリア軍はヒューマル族の領域内に何度も侵攻してきた。ヒューマル軍は被害を出しつつもかろうじて撃退してきたが、デモリア軍の侵攻ルートはばらばらで、規則性がなかった。本気でマスラオの攻略を目指すならば、少しでも実績のある航路を使うべきだというのに。
「おそらく、今回の大規模軍事行動のための、下見だったのでしょう」
デモリア軍はヒューマル族の領域を侵すたびに、観測装置をばら撒き、完全とは言えないまでも、この宙域における生きた宙域地図を手に入れたのではないか。
「じゅ、十年の歳月と、これまでの戦闘のすべてが、戦略の一環だったと?」
愕然としたように問いかけたのは、第八十八艦隊のナオキ・サイジョウ少将である。
「そう考えれば、現状の説明もつきます」
シラトリとしては、相手の戦略を看破したと誇れる気持ちなどなかった。この考察は、ムンフ・アルトゥが戦略の天才であるという前提をもとに、逆算して導き出された結果に過ぎない。
「デモリア軍の意図は、我々をハナミズキ星域内に足止めして、その間に別働隊にてマスラオを強襲することにあったのでしょう。ゆえに、我々に対して積極的に攻撃をしてこなかった。この星域内は通信もきかないため、マスラオからの連絡も遅れる。さらにはワープもできない。我々は――」
自分の非才を噛みしめるように、シラトリは口にした。
「ムンフ・アルトゥに、のせられたのです」
つまりは、ハラダ中将率いる遠征軍の帰還を待つために時間を稼ぐという、この戦いにおける基本方針が、完全に誤っていたということである。
諸提督の一部は憤慨した。
今回の戦いにおいては、艦隊戦における細かな行動計画が示されており、厳密な艦隊行動を求められた。また、勝つことよりも負けない戦いをすることを強いられた。
特に、攻撃や速度重視のポリシーを持つ艦隊は、慣れない戦い方で戦力を消耗し、一方的に撃ちまくられて反撃もできずに退却を命じられることも多かった。
それでも文句を言わずに従っていたのは、耐え忍んだ後にデモリア軍を撃退することができるという可能性を、シラトリが示していたからである。
『デモリア軍の戦い方は、ありえないほどに消極的でしたな。諸提督の中にも不審に思われた方は多いはず。敵の戦略構想に気づけなくても、何らかの行動を起こすことはできたのではないですかな?』
第七十一艦隊のジョージ・アイバ中将が、気だるそうに文句を言った。かつては“剃刀”ジョージと呼ばれていたが、ここ数年その刃は錆びついているようだ。
『我らの領域内に、デモリア軍が観測装置を設置していたことは明白でした。マスラオの守備を軽視するような作戦は、危険が大きかったはずです』
したり顔で、第八十八艦隊のナオキ・サイジョウ少将が口にする。二つ名は“節約術”のナオキ。長期戦に備えて魚雷ミサイルを温存し、そのまま使わずに戦闘が終わることも多い。
『そもそも、迎撃戦において奇策など用いるべきではないのよ。しょせんは、苦し紛れの作戦に過ぎないのだから』
第六十艦隊のエツコ・ワカサ少将が、嘲笑するように言った。“エキセントリック”エツコ。時おり、敵も味方も予測不能な艦隊運動を見せることがある。
ミヤビ・シラトリは反論しなかった。
結果論などに意味はない。戦いが始まる前の艦隊長会議で出すべき意見だった。今は内輪揉めをしている場合ではないはず。責任追及よりも、今後の方針を決めることが肝要だ――相手の口を封じることは簡単だが、それでは彼らとの間に、決定的な亀裂を生じさせてしまうだろう。
『今回の事態を招いた責任については、いずれとっていただく必要があるでしょうな。ですが、それはこの戦いが終わり、生き残ってからの話です』
モリヤ中将が、疲れたように発言した。
『シラトリ大将。今後の方針案を』
あえて厳しい発言をすることで、議論を進めてくれたのだ。視線で感謝の意を伝えつつ、シラトリは今後の方針案を提示した。
とはいえ、選択肢はそれほど多くはない。
一、このまま当初の作戦を継続する。
二、目の前のデモリア軍本隊との決戦に臨む。
三、すぐさまマスラオの救援に向かう。
四、公宙領域へと向かい、ハラダ中将率いる遠征軍との合流を目指す。
五、方針決定は艦隊司令に委任する。
第一の案は提督たちの心情的にもありえない。それにハラダ中将が帰還するであろう時期を、ムンフ・アルトゥは承知しているはず。その前に彼女の作戦が完遂されることは明らかであった。
第二の案は、現実味が薄い。十七日間に渡る戦闘で、補給物資は心もとなくなってきており、全軍の二割近い損害を被っていた。総艦艇数はすでに六万隻を割り込んでいる。しかも座標の把握が難しいこの宙域では、奇襲を行うことはできない。戦力の差を覆すことは至難の技だろう。
第三の案は比較的妥当なものであった。マスラオが持ちこたえているならば、是が非でも救援に向かうべきだ。問題は、デモリア軍の追撃をどう振り切るかである。
第四の案は、やや諸提督たちの意表を突くものだった。仮にマスラオが陥落、もしくは破壊されているのだとするならば、次なる戦いに備えなくてはならない。そのためには残存兵力を結集する必要がある。だが、ハラダ中将が帰還する時期は確定しておらず、合流に手間取れば、無為に時を過ごすことになるだろう。
「投票にて方針を決定します。棄権は認められません」
ヒューマル軍の慣例では、多数決で方針を決める。
シラトリとしては、ずっと馬鹿馬鹿しいと思っていた意思決定方法だが、必ず結果が決まるという点においては、有益なのかもしれない。
投票の結果は、
第二の案……三票
第三の案……八票
第四の案……一票
棄権……一票(*)
* ヒョウエ・オガミ少将
多数決により、第三の案、マスラオの救援に向かうことが決まった。
「オガミ少将?」
ディスプレイの中で腕組みをしている強面の提督の名を、シラトリは呼んだ。
このような重要な投票で棄権など認められない。口頭でも忠告したはず。意見がない場合には、第五の案、艦隊司令への委任を選ぶべきなのだ。
『……お前ら、何か忘れてないか?』
ぎょろりとした目には、陰鬱な光があった。
『オレは、サダムのやつを助けに行く』
デモリア軍の別働隊四個艦隊、約三万を迎え撃つために、わずか三千五百隻余りで出撃した第九十九艦隊。
『オレたちはせいぜい三倍の敵と、せこい戦いを続けてきた。おまけにこのザマだ。でもな、あいつはたったひとりで、十倍の敵に立ち向かっていったんだ』
『計算すると、八倍くらいですが』
『うるせえ。お前はいちいち細かいんだよ』
ちゃちゃを入れたニシキオリが、にやりと笑う。
『いや、オガミ少将が、そこまでコウロギ君に目をかけているとは思いませんでした』
『そんなんじゃねぇよ。あいつは、便利なんだ』
ぼそぼそと、オガミは説明した。
オガミ少将が甘党であることは、提督たちの間では有名である。しかし強面ゆえに、ひとりで甘味屋に入ると誤解を受けやすい。店員たちもぎょっとしたように見つめ、恐る恐るメニューを差し出してくる。だが、子供のなりをしたサダムを同行させれば、さまになる。
『それだけだ』
艦隊長会議は微妙な沈黙で満たされた。
その沈黙は、やや気の抜けたような、何やら微笑ましいものを含んでいた。
『まあ、コウロギ君は、僕が唯一先輩風を吹かせられる将校ですからね。簡単に失うわけにはいきません』
そういう表現で、ニシキオリは賛同の意を示した。
『どうせ帰り道です。コウロギ少将を拾ってから、マスラオを助けにいきませんか?』
第九十九艦隊が出撃してから、すでに十日近くが経過している。彼らの生存は絶望的だが、あの妙に愛嬌のある少年であれば、こそこそと逃げ延びているのではないか。そんな予感めいた考えが、諸提督の脳裏によぎった。
やれやれ仕方がないという感じで、提督たちが賛同していく。彼らのほとんどは、第九十九艦隊が創立する前にサダム・コウロギとキャプテン・トレードを行っていた。正直なところ、第九十九艦隊から優秀なベテラン艦長を引き抜き、新任艦長を押しつけた負い目もあったのだろう。
「決まりね。ハナミズキ星系を抜けて、ワープ航行が可能になり次第、ワビスケ星系経由にて、マスラオに向かいます」
シラトリは笑った。
さすがに実力で将官の地位にまで登りつめた猛者たちだった。ヒューマル軍どころかヒューマル族存亡の危機にも関わらず、塞ぎ込んだり自暴自棄になったりはしない。
「今は一刻も早く、そして一隻でも多く、マスラオに帰還しなくてはなりません。決して、判断を誤ることのないように」
苦境に陥った味方を見捨てても罪には問わないと、暗にシラトリは伝えたのだ。




