(34)伝説の幕開け
「う〜ん」
と、サダムは唸った。
艦橋内でひとり、艦長席に座って頬杖をついている。
「思ってたのと、違ったなぁ」
戦争が、である。
こう言っては何だが、臨場感の欠片もなかった。音声はないし、映像も地味。唯一、敵と味方の艦艇の数や位置を色分けして表した戦況情報は目を楽しませてくれるが、どちらかといえばレトロなゲーム感覚だ。
しかも、あっさり勝ってしまった。
というよりは、敵が勝手に、亀のように縮こまって動かなくなってしまったのである。
「艦長。ただまいま帰還しました」
艦橋の扉が開いて、シロが入ってきた。今回は戦闘服を身につけていたので、返り血は浴びなかったようだ。身体のラインがはっきりと分かる具足は、シロによく似合っていた。
「おう、おかえり」
サダムは手招きした。
「どうだった?」
「確保しました」
「よしよし、よくやった」
手に持ち引きずっているものが気になったが、それよりも褒めることの方が先決である。
ふわふわの頭を撫でると、シロはきりりと口元を引き締めた。
「いえ。艦長の偉業に比べれば、私の実績などとるに足らないもの。頭を撫でていただくほどのことでは……」
尻尾がくるくる回っている。
「デモリア軍は、捕虜となることを潔しとしません。あろうことか、彼らは旗艦の自爆装置を作動させたため、目標のみ持ち帰ってきました」
目標というのは、デモリア族の軍人だった。頭に生えた角の片方を掴んで、シロは無造作に引きずってきたのである。
「おー、これってもしかして」
「はい。ムンフ・ダェン上級魔士です。他の者がそう呼んでいましたし、階級章から判断しました」
「へぇ。初めて見た。本当に角が生えてるんだな」
サダムは艦長席から飛び降りると、ダェンの前にしゃがみ込んだ。
そっと手を伸ばす。
「あ、お待ちください」
どこから取り出したのか、シロは消毒液らしきスプレーを角に吹きかけて、ハンカチで丁寧に拭き取った。
「これで、だいじょうぶです」
完全にバイ菌扱いである。
角は螺旋状にねじ曲がり、複雑な曲線を描いている。
硬い。指で弾くと乾いた音がした。
「なかなかの造形美だな」
「切り取って、談話室に飾りましょうか」
「う〜ん。いいや、邪魔になりそうだし」
角はデモリア族のアイデンティティであり、強さと美の象徴でもあった。相手を褒める時には「素晴らしくうねっているね」とか「今日は一段と艶やかだね」とかいう言葉が飛び交ったりもする。ぎりぎりのところで恥辱を免れたダェンだったが、その意識はいまだ闇の中だ。
ダェン艦隊の旗艦の位置が判明したのは、戦闘の最終盤だった。王族のしかも上級魔士ともなれば、何かの交渉に使えるかもしれない。旗艦ごと拿捕してはどうかというシロの献策を、サダムは採用したのである。
シロは奴隷艦であるトンシ丸に乗り込み、単機で飛び出してきたダェンの艦艇を追撃した。それは元々の船の持ち主である“猟犬”ガラムの得意戦法であった。ブーストを使った超加速と急減速。ドリル型の“鼻”を相手の船腹に突き刺して、内部の通路から突入する。
トンシ丸には機械兵団が積み込まれていた。おもに拠点制圧に使われるロボット兵士である。シロと機械兵団は、ダェンの艦内で容赦なく暴れ回った。できれば電脳制御を乗っ取りたかったのだが、残念ながら自爆されてしまった。
「そうか、お疲れさん。とりあえず、ロープで縛って転がしておこうか」
「了解しました」
やがて戦闘が終わりを告げると、各部隊長から通信が入り、ドーム型ディスプレイにそれぞれのバストアップの映像が表示された。
『し、信じられねぇ! オレたち、勝っちまったよ! こっちの二倍のデモリア軍相手にさ!』
くぅっと、顔をくしゃくしゃにして興奮しているのは、ダイキ・キタザワ少佐。駆逐艦隊を率いる部隊長である。
『しかし、敵の抵抗が予想外に小さかったな。どういうことだ?』
あくまでも冷静な、シュウ・サオトメ少佐。砲撃艦部隊を率いる部隊長だ。
『それは、わたくしも気になりました。最初は何かの罠かと思ったのですが、何もないまま終わってしまって……』
そう言って優美な眉をひそめたのは、カスミ・ヤナセ少佐である。こちらも砲撃艦部隊を率いている。
『はぁ、はぁ、はぁ』
何故か目の下にクマをつけて息を荒げているのは、戦艦部隊を束ねるマモル・ザイゼン少佐だった。
『い、一度もミスを、犯しませんでした。副艦隊長閣下。じ、自分は――ヒューマル軍の名誉ある軍人として、合格でありましょうか?』
「一度の戦闘で何が分かる。おあずけ、です」
『ぐはっ』
シロのひと言でザイゼンの姿が消えた。艦長席からずり落ちたようだ。
その他にも十名近くの部隊長がいた。平均年齢は若く、新任艦長までいる。彼らはVRゲーム、“七種族幻想物語”でも、戦士、騎士、魔法使いなどの部隊長を務めていた。
現実世界では少佐の階級が必要なため、特別昇進している。
ほとんどの者が初陣だった。
ヒューマル族の領域内であり、情報という点においては有利に働くが、戦力が違いすぎる。
なかば全滅を覚悟していただけに、この勝利は拍子抜けですらあった。
サダムがもっともらしく言った。
「たぶん、相手が弱かったんだろう」
「……っ!」
艦橋の隅に転がっていたダェンが、身じろぎした。いつの間にか意識を取り戻したらしい。だが、蓑虫のようにロープでぐるぐる巻きにされて、猿轡までされているので、くぐもった声しか出せない。
「ダェン君は、猪ぼんぼんだし」
『確かに猪だったな』
『あんな罠に引っかかるか、普通?』
シュウが頷き、ダイキが疑問を呈した。
“七種族幻想物語”の花形、大規模集団戦闘。その中に“古代の大猪”という古代魔物がいる。岩山のように巨大な猪だ。
この大猪の必殺技は、突進である。
凶悪な攻撃力を誇るが、動作が単純だけに隙も多い。定石としては、地雷魔法を設置して、ぎりぎりのタイミングを見切り全員で回避するというもの。地雷に引っかかり猪が目を回せば、集中攻撃。起き上がってきたら、ちくちくとヒットアンドアウェイを繰り返す。
その戦術を、サダムはそのまま艦隊戦に持ち込んだのだ。
「次はちゃんとした奴が出てくるだろうから、要注意だな」
「さすがは艦長です。これだけの大勝利をおさめながら、油断なき御心。このシロ、感服いたしました」
サダムが手の平を差し出すと、シロはうやうやしくお手をした。
二人の様子を、部隊長たちは微妙な表情で見守っている。
『……ま、そうだわな。いくら何でも、楽勝すぎだぜ』
『件の指揮官は、おそらく蝶よ花よと育てられたのだろう。下についた者たちも可哀想なことだ』
『今回の勝利は、忘れましょう』
『おう、次だ次。どうせなら、手応えのあるやつと戦いたいぜ』
『同感だ。このオレに、熱いレーザービームを叩き込んでこい!』
「……っ」
じたばたと暴れていたダェンは、急に静かになった。
『あれ、そういえば』
ダイキが聞いてきた。
『タチバナのやつは? まさか、戦死したのか?』
「うんにゃ」
補給部隊の隊長であるリン・タチバナ少佐は、戦闘の勝敗が決したと思われる時点で、戦場を離脱していた。近くの宙域には軍事要塞マスラオからWD転送で補給物資が届けられており、それらの回収作業を行なっているのだ。
次なる戦いも差し迫ってはいたが、とりあえず。
サダムは命令を下した。
「シロ、あれ」
「――はっ」
シロは旗艦である駆逐艦ユウナギの電脳制御から、特殊な指令を送った。すると、すべての艦艇の魚雷の発射口に特殊な弾が装填され、自動的に発射された。わずかな距離を経て爆発する。
それは、ど派手な宇宙花火だった。
サダムが考えた仕掛けである。魚雷ミサイル一発分の空間が無駄になったが、それでも強行したのだ。
色鮮やかな美しい光の渦に将校や下士官たちが目を奪われている中、通信回線が開いた。
『こちらは、副艦隊長のシロ准将である。諸君、おめでとう。我らが第九十九艦隊における初陣の結果は、圧倒的大勝利であった。偉大なる英雄、サダム・コウロギ閣下も、ひとまずお喜びになられているところである。だが今回の敵は、いわゆるザコであった。各々、油断なきよう心を引き締め、次なる戦いに備えて欲しい。さて、現時刻より四十分ほど前、本艦隊から約四百五十スペースマイルの距離に、デモリア軍の新たなる艦隊がワープアウトした。これを、撃滅する。目標地点までは、約六時間ほどの行程になるだろう。警戒態勢は二に引き下げる。各自、交代で休憩をとり……』
今回の戦いに参加した艦艇数は、ヒューマル軍第九十九艦隊三千五百七十五隻に対し、デモリア軍ダェン艦隊七千二百隻。認識球によって報告された撃沈数は、第九十九艦隊二十七隻に対し、ダェン艦隊七千二百隻。
それは、伝説の幕開けだった。