(30)よしなに作戦
圧倒的多数の敵に向かっていく者と、寡兵で残される者。
そのどちらが哀れであるか。
マサオ・マスイ元帥は、前者だと考えていた。
戦歴はなくとも軍歴だけは豊富なマスイは、多くの同僚たちの末路を逐一記憶していた。
自分よりの才能のある軍人は、それこそ星の数ほどいた。だが彼らのほとんどは戦地で星屑となった。
基本的な考え方が欠如していたからだと彼は考えていた。
死んでしまえば、すべて終わり。
数少ないこの世の真理である。
中には歴史に名を残せるではないかという軍人もいるが、そのことを自分が見聞きしたり、感じたりすることはできないのだから、意味はない。
つまり、死んで英雄になるよりは、生きたまま長い人生を楽しむ方がよいのである。
とはいえ、マスイはただ漫然と人生を送っているわけではなかった。
人生を謳歌するためには、よい立場になってそれを維持し続ける必要がある。
身長、体格、容姿、IQ――と、人は生まれながらにして不平等である。だが、才能も実力もある者たちが、凡夫たる自分の命令に逆らうことができない。
ああ、何と素晴らしき階級社会!
これこそが、神が与えたもうた真に平等な世界なのだ。
敵を倒すことではない。味方を守ることでもない。自分が出世階段を駈け上がるただそのためだけに、マスイは鋭意努力した。
後方勤務の軍人であっても戦果値を稼ぐことはできる。優秀な部下に稼がせればよいのだ。
交渉や恫喝、あるいは政治的手腕を使って人事権を掌握すると、マスイは優秀な軍人をかき集めた。さらには無能であっても自分に対して忠実な軍人を選定し、派閥を形成した。
部下が成功すれば自分の手柄、失敗すれば部下の責任。
ようは開き直りが大切なのである。
そうやって彼は、ヒューマル軍の最高位――元帥の地位にまで登りつめたのだ。
あとは波風を立たせず、現状を維持するだけ。
……だったというのに。
しかしまあ、考えようによっては、今の状況も最悪ではないとマスイは考えていた。
三倍近くの兵力を誇るデモリア軍の艦隊に立ち向かっていくシラトリ大将たちと、マスラオ内に残って戦況を見定めることができる自分。どちらが不幸であるか。
もちろん前者である。
それにマスラオが陥とされるとしても、それは自分の死と同義ではないし、責任を逃れる術がないわけでもない。
『では元帥閣下。吉報をお待ちください』
「うむ」
涼しげな目で敬礼したシラトリ大将の映像が、作戦司令室のディスプレイから消えた。
マスラオ内のすべての人々の希望を一身に背負った迎撃艦隊が、出撃していく。
さて、優秀な軍人である彼女は、生きて戻ってくることができるだろうか。
責任感の強いからこそ、その確率は低いだろうとマスイは考えていた。
撤退するにしても最後まで殿を務め、軍人としての本懐を遂げるのではないか。
彼女はヒューマル軍の歴史に名を残し、そのことを彼女が知ることはない。
「ワシはいったん自宅に戻る。ハットリ中将、後のことは任せたぞ」
「はっ、了解いたしました」
要塞防衛司令官は、無表情のまま敬礼した。
軍の宿舎に戻ったマスイは、闇ルートで手に入れたとある薬品を確認した。
これを飲めば、一時的に体調不良を装うことができる。もちろん、後遺症の残らない偽りの症状だ。
自分の主治医はこう発言するだろう。
「元帥が発症されたご病気は、マスラオ内の医療施設では対応できません。可及的すみやかに、レンゲ星系までお運びする必要があります!」
そして自分は、苦しそうな声でこう命令する。
「ハ、ハットリ中将。これでは指揮をとることは難しいだろう。ワシの全権を貴官に移譲する。後のことは――」
名付けて、“よしなに”作戦。
仮にマスラオが陥落したとしても、責任をとらされるのはハットリ中将というわけだ。
この作戦を駆使して、マスイは絶体絶命の窮地を幾度となく乗り越えてきた。
勝てばよし。負けても悪くなし。
責任を取るべき地位にある上司が、合法的に責任を転嫁することができる神の采配である。
マスイは秘書官へ連絡した。
『いかがなされましたか、元帥閣下?』
「少し気分が優れないようだ。主治医を呼んでくれ」
もちろんこれは、作戦へ繋げるための布石である。
後は注意深く戦況を見守るだけ。
すっかり準備を整えると、マスイは鷹揚に構えるようになった。
九日後、シラトリ大将率いる迎撃艦隊から専用WD通信が入った。
それは、公宙領域の近くにあるハナミズキ星系付近で、デモリア軍との戦闘が予想されるというものであった。
ハナミズキは、周囲に光や磁場を撒き散らすやっかいな中性子星だ。通信環境が悪く、大規模艦隊を動かすには不向きな宙域だった。シラトリ大将は囮艦隊を使って、この宙域へ敵艦隊をおびき寄せたのだ。
シラトリ大将率いる迎撃艦隊は十一個艦隊、艦艇数は約七万一千五百。対するデモリア軍は約二十万五千隻――情報統括本部がもたらした報告は、間違ってはいなかった。ただし、正確性を欠いていた。
その三日後。ハナミズキ星系とは別の宙域に、大きな重力波が感知されたのである。
しかも、四ヶ所同時に。
作戦司令室のオペレーターの声は、震えていた。
「だ、大規模艦隊によるワープ行動と推測されます。重力波の大きさから割り出される推定艦艇数は、合計約三万隻」
宙域地図のない敵の領域内で、これほど大規模な別動隊を展開するなど、軍事上の常識では考えられないことだった。
奇襲を受ける可能性が高いし、不安定な宙域――たとえばアステロイド帯やブラックホール、ガス雲や磁気嵐の中にワープアウトしてしまえば、一瞬で全滅することもあり得るからだ。
「シラトリ大将に緊急連絡。迎撃艦隊を呼び戻せ!」
「三日前より、WD通信が途絶えています」
WD通信は、ワープ機構を使った通信方法である。だがそれは、情報を直接宇宙船に届けるものではない。宙域に設置された観測装置にワープ機構で情報を送り込み、そこから近くにいるであろう宇宙船に向かって電波で届けられるのだ。ここがボトルネックとなり、たとえば、中性子星が荒れ狂うハナミズキ星系内などでは、情報伝達をすることができない。
ここにきて、マスイは悟った。
シラトリ大将は、敵をハナミズキ星系におびき寄せたのではない。マスラオから要塞駐留艦隊を引き離し、足留めをするために、通信が不自由なこの宙域におびき寄せられたのだと。
補給基地を兼ねるマスラオを失ってしまえば、中長期的な戦闘を行うことは不可能である。いずれ迎撃艦隊の命運も尽きるだろう。
いや、そんなことよりも――
デモリア軍の別動隊の推定艦艇数は、約三万隻。一方、今現在マスラオに残っている駐留艦隊は、第九十九艦隊の三千五百隻のみ。
要塞が包囲されてからでは、あの作戦は使えなくなる。
さっそくマスイは、仮病薬を飲み込んだ。
「ハットリ中将はどこだ?」
この緊急事態だというのに、先ほどから要塞防衛司令官たるハットリ中将の姿が見えない。代わりに答えたのは、見るからに気が弱そうな感じの青年将校だった。
「貴官は確か、ハットリ中将の……」
「はっ、副官のセキ大尉であります」
「それで、中将は?」
「その……」
頬を引きつらせながら、セキ大尉は報告した。
「中将閣下は、心身不良のため、お倒れになられました!」
「な、なんだと?」
一瞬、部下の身を心配しかけたマスイだったが、ふと思い直した。
はたしてこれは、偶然だろうか。
「ハットリ中将はどこにいる。総合医療施設か?」
「い、いえ」
おそるおそる大尉が差し出してきたのは、主治医の意見書であった。
ひったくるようにして確認する。
『ハットリ中将が発症されたご病気は、残念ながらマスラオ内の医療施設では治療ができません。可及的すみやかに、レンゲ星系に移送する必要があります』
マスイはだぶついた顎を震わせた。
「ま、まさか」
「その、中将閣下は……」
意を決したかのように、セキ大尉は吐き捨てた。
「つい先ほど、マスラオをご出立なさいました! その時に、元帥閣下に口頭でお伝えするようにと伝言を承っております。療養休暇の決裁は回したので、後のことは――」
“逆・よしなに”作戦。
しかも、事後報告というおまけつき。
マスイはよろめいた。
くらくらとめまいがする。これは精神的なショックのためか、はたまた仮病薬のせいか。
ハットリ中将はマスイの子飼いの部下だ。無口で大人しく、こちらの命令に異を唱えたり不満を見せたりすることはない。
だが忠誠心とは、あくまでも自己の利益と引き換えに相手に捧げる、仮初めの服従に過ぎない。
ハットリ中将はマスイの腹心だった。だから今回、責任を負わされる贖罪の山羊は自分であることを、彼は理解していたのだ。
「あ、あやつめ。やりおった……」
軍事司令塔中層にある作戦司令室内で、マスイは倒れた。
次に目を覚ましたのは、二時間後、やはり軍事司令塔内にある医務室だった。
すぐ近くには主治医がいて、慈悲深い笑みでこくりと頷いた。「準備はOKですよ、元帥閣下」という意味だ。
苦しげに息を吐きながら、マスイ元帥は命令した。
「サ、サダム・コウロギ少将を、呼び出せ……」
医務室には通信設備が整っていない。マスイはストレッチャーに乗り込み、作戦司令室へと移動した。
室内の巨大ディスプレイには、サダム・コウロギ少将の姿が映し出されていた。駆逐艦ユウナギ号の艦長席に座っているらしく、頬杖をつきながら欠伸している。
「コウロギ少将……」
『あ、元帥閣下。お元気そうで何よりです』
ふざけるなっ!
と、どなり散らしたい気持ちを抑えて、マスイは言った。
「見ての通り、激務がたたったのか、このざまだ」
『いえ、まだまだできますよ。お仕事』
「ふざけるなっ!」
『へ?』
「い、いや。何でもない。気にしないでくれたまえ。気分が優れなくてな」
ハットリ中将が去った今、マスラオ内でマスイ元帥に次ぐ最も階級が高い将官は、サダム・コウロギ少将であった。
「無念ではあるが、療養するために、ワシは要塞を離れねばならん。緊急事態だ。君を、要塞司令長官代理に任命する」
『オレを、ですか?』
「そう、君をだ」
映像の中で、サダムがアニマ族とおぼしき白い毛並みの少女に囁かれたようだ。
『え? 人事規定? 要塞司令長官代理になれるのは、中将以上? へーそうなんだ』
「ぐっ」
知っておったか。
上官が戦死したり意識不明の重体となった時は別だが、厳密にいえば、現状は緊急事態ではない。
「ワシの権限で君を中将とする。特別昇進だ。文句はあるまい?」
自分が人生のすべてをかけて一歩一歩登ってきた出世階段。
それを、こんな鼻垂れ小僧があっさりと、まるでスキップでも踏むかのように登ってくる。
『元帥?』
恩着せがましい顔が、どアップになる。
『期待してるんですね? オレに』
「ぐむっ」
作戦司令室内にいるすべての職員が見守る中、マスイは言わされる羽目になった。
「そ、そうだ。君の手腕に、き――期待してい、る」
悔しさのあまり歯噛みしながら、マスイは気絶した。