(22)スペース・カロリー
大混乱を引き起こした決起式の終了後、マモル・ザイゼンの頭の中は沸騰していた。
「ヤツめ。厳粛なる新艦隊の決起式を、パフォーマンスの場として利用するとは。なんたる不謹慎なことか!」
実直、勤勉、誠実といったものを至上とする堅物のザイゼンにとって、サダムの行為はとても許されるものではなかった。
軍事力というものは、常に暴力へ変貌する危険性を秘めている。だからこそ厳格にコントロールされなくてはならないし、そのことを軍人自らが示し続けなくてはならない。
面白い、面白くないの問題ではないのだ。
「このままでは、ヒューマル軍の威光は、地に落ちるぞ」
決起式後の立食パーティ会場に、主役であるはずのサダム・コウロギの姿はなかった。
噂では、マスラオ駐留艦隊副司令官ゲン・ハラダ中将に、耳をひっぱられながら要塞司令長官室に連れていかれる姿を、総務部の職員が目撃したとかしないとか。
もし仮にパーティ会場でサダムと出会っていれば、憤慨するあまりワインを飲みまくっていたザイゼンは、再び説教をするために詰め寄っていたことだろう。
ともあれ、第九十九艦隊、通称“ツクモ艦隊”は創設された。
まずは艦隊の執行部が発表され、その後、訓練スケジュールが示される。下っ端のザイゼンは待つだけの身分であり、乗艦である戦艦キシワダにて、出発の準備を整えていた。
最初の指令は、奇妙なものだった。
『指定された日時に、VR装置を使って仮想空間にダイブされたし』
宛名は、副艦隊長シロ大佐とあった。
ホールで見事なバトン捌きを見せた、あのアニマ族の少女だという。同期会で酔っ払った自分を蹴り倒した相手らしいのだが、ザイゼンはまったく覚えていなかった。
それにしても大佐とは驚きだ。役職に応じて階級を上げる特例措置なのだろうが、それにしても不自然に過ぎる。しかも彼女はアニマ族だ。ヒューマル軍への入隊が認められることなど、通常ではあり得ないはず。
「サダム・コウロギ。まさか、恣意的に人事権を弄んでいるのではあるまいな?」
彼の疑念は当然のものであったが、これは完全に誤解である。
アニマ族のバイオロイドであるシロを駆逐艦ユウナギ号の乗務員として登録したのは、サダムの最初の副官であるAIロボットのロボフクだった。起動したばかりのバイオロイドであれば問題なしとの判断であった。
この時点でシロに対する審査は完了しており、彼女は二等兵の階級を持つ軍人となっていた。
その後、サダムによって副官兼副艦長に任命されたシロは、バロッサ艦隊やガラム隊との戦闘で戦果値を得て、少佐に昇進した。
副艦長には艦長に次ぐ戦果値が入るし、階級が低ければ低いほど戦果値は跳ね上がる。
こうしてシロは、サダムを上回るスピードで密かに十一階級を駆け上っていたわけだが、サダムを神の如く崇める彼女がそのことを主張することはなかった。
サダムが少将になると、マスラオ駐留艦隊司令官ミヤビ・シラトリ大将のアドバイスを受けて、彼はシロを副艦隊長に任命した。
副艦隊長が艦隊に所属している艦長たちより低い階級であることはない。よってシロは、特例措置により二階級昇進を果たし、大佐となったのである。
つまりは、人事データ上まったく問題のない状態なのだが、そんな事情など神ならぬザイゼンは知るよしもなかった。
同日、GR転送便経由で、各艦艇にVR装置が届けられた。人ひとりが横になれるカプセル型の機械である。
届け主は、サダム・コウロギだった。
VRは様々な分野で活用されている。
軍の訓練でもVR戦術シミュレーションが採用されており、ザイゼンとしてもVRを使うこと自体に異論はなかった。
しかしそれならば、軍の施設を利用すればよい。
自分の副官に確認したところ、送られてきたVR装置は、一台二十万クレジットはする最新型のものらしいことが分かった。
サダムは三千五百余名のすべての艦長に、この装置を買い与えたようだ。
「訓練のためとはいえ、艦隊の貴重な予算を、このようなものに使ってよいものか」
これもまたザイゼンの誤解である。
サダムは“物体X”を売却したクレジットの残金と、ガラム隊との戦闘後に払われた特別報酬を使って、大量のVR装置を購入したのだ。
自分の乗艦をカスタマイズするためのクレジットを、艦隊に所属するすべての艦艇のために使ったわけだから、褒められこそすれ非難される筋合いではない。
「いつか、やつの企みを暴いてやるぞ!」
疑念が冷めやらぬ中、ザイゼンは指定された日時にVR装置に入って、仮想空間にダイブした。
眠るように意識を失い気づいた先は、やけにオーガニックな個室だった。
木目の浮かぶ床と壁、むき出しになった梁、家具も木製で、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
部屋の中には姿鏡があり、自分の姿を確認することができた。
太い眉に長いもみ上げ。服装は簡易なシャツとズボン。それは現実のマモル・ザイゼンそっくりな化身だった。
部屋を出ると、そこは集合住宅のような場所だった。巨大な筒状の建物で、内側の壁にびっしりと、数千もの扉が貼り付いている。ザイゼンが出てきたのもこの扉からだ。
そして円形の巨大な中庭は、数多くの化身たちで溢れかえっていた。
『ダイブした者は、中央広場へ集合せよ』
どこからともなく、鈴を転がしたような少女の声が聞こえてきた。
ふと頭上を見上げると、そこには青い天井があった。
いや、天井などはない。
「空、か?」
この仮想空間は地上のようだ。VR戦術シミュレーションを使った訓練だと思っていたのだが、違うのだろうか。
理解が追いつかず、ぼう然と立ち尽くしていると、
『マモル・ザイゼン中尉、何をしている? 早く集合せよ』
またもや少女の声が聞こえた。
ただし先ほどとは違って、冷たく尖った口調である。
再び広場を見下ろすと、中心部にいる白っぽい人物が、確かにこちらを見上げていた。
「はっ。了解しました!」
理由は分からないが、背筋がひやりとする。ザイゼンはすぐさま駆け足で中央広場へと向かった。
中央広場には一段高い石畳があり、そこにはサダム・コウロギ、シロ、ダイキ・キタザワ、シュウ・サオトメの四人がいた。この四人だけはまともな服を着ている。
説明を行なったのはシロだった。
『ヒューマル軍第九十九艦隊、副艦隊長のシロ大佐である』
ザイゼンは遠く離れた位置に集合していたが、その声は不思議なほど鮮明に届いた。
『我々第九十九艦隊は、新たなる訓練方法を取り入れることとした。それはこの仮想世界において、諸君の力を結集し、強大な魔物を倒すことである。魔物とは、文字通りの存在である。それは炎を吐く竜であり、悪しき妖精を従えた老木であり、街をも飲み込むほど巨大な亀である。いずれも強敵ではあるが、秀でた能力と忠誠心を兼ね備えた諸君であれば、必ずや成し遂げられるはずだと、私は確信している』
後ろにいるサダムが、うむうむと頷いている。
『なお、訓練の効果については、諸君らが推し量るべきものではない。何故ならば、真なる答えとはヒューマル軍最高の英雄であらせられるサダム・コウロギ閣下の御心の内にあるからだ。結果は必ずや現れるであろう。努々、疑うことなかれ!』
「――え?」
少し動揺したように、サダムが身じろぎした。
『さあ諸君、まずは職種の選択だ。それから装備を整え、レベル上げに取りかかる。差し当たっては、レベルをカンストすることを目標とする。期間は十日以内で――』
その後は、多少混乱した。
シロに代わりダイキ・キタザワ少尉が職種についての説明を行ったのだが、騎士や戦士、神官、魔法使いといった、現代の軍人には聞きなれない言葉が飛び交ったからである。
『まあぶっちゃけ、職種はいつでも変えられます。なので、最初はフィーリングで決めちゃってください』
三千五百余名が職種ごとのグループを作り、それぞれのリーダーが選出された。
『それでは“始まりの街”へと移動します。まずは魔法使いグループから。右手を前に出して、こう発声してください。ステータス・オープン!』
すると、ダイキの右手に汎用端末のような半透明の板が出現した。
ゲーム内用語でテータスプレートという。これを操作することによって、様々な機能を利用することができるのだ。
説明しながらいくつかのボタンをタップすると、ダイキとの身体が光に包まれて、消えた。同様に魔法使いグループもいなくなる。
『次は、神官グループ』
今度はシュウ・サオトメ少尉が手を上げて、引き継ぐ。
ダイキとシュウは代わる代わる消えては現れ、各グループを“始まりの街”の、それぞれの“就職の館”へと案内した。
最後はザイゼンの選んだ重騎士グループだった。
「ステータス・オープン」
言われた通りに操作したはずなのに、ザイゼンだけは瞬間移動ができなかった。
他の者は全員消え、広大な中央広場にひとり取り残されてしまう。
「ど、どういうことだ?」
動揺するザイゼンに、シロが近づいてきた。
「マモル・ザイゼン中尉」
「は、はっ」
シロはザイゼンの正面にくると、おもむろに問いかけた。
「貴官は、先日の同期会において、偉大なる英雄サダム・コウロギ閣下に対し、暴力行為に及んだ件を覚えていますか?」
まるで相手を威嚇するヘビのように、尻尾がぐねぐねと揺れている。
「ぼ、暴力行為、でありますか?」
まずいと、ザイゼンは思った。
琥珀色の瞳と、口元にわずかに覗く牙。まったく覚えていないはずなのに、心と身体が恐怖を思い起こしていた。
背筋が、凍りつく。
「中尉」
「はっ」
冷たい口調で、アニマ族の少女は言い放った。
「大宇宙のように広く寛大な心をお持ちの閣下は、些細なこととお許しになるかもしれませんが、副官である私には、貴官の行為を看過することはできません」
「……」
「できれば、第九十九艦隊より放逐したいと考えています」
一瞬、これは渡りに船ではないかと、ザイゼンは考えた。上司に睨まれた軍生活ほど、悲しく息苦しいものはないからだ。
しかし、
「異動先は、スペースカロリー製造工場です」
その無慈悲な宣言に、ザイゼンの思考は停止した。
スペースカロリーは、ヒューマル軍が正式採用している宇宙食である。ブロック状の固形物で、プレーン味を始め、イチゴ味、バナナ味、チョコ味と多くの種類があるが、毎日食べていてはさすがに飽きてしまう。ゆえに、貧乏な新任艦長たちの評判はよろしくない。
「な、何故でありますか? 別の艦隊でも」
「疑念の残る者に、戦場で背中を見せるわけにはいきません」
つまりは、完全に隔離するということだ。
シロはゆっくりと目を見開いた。
まるで満月のような琥珀色の瞳が、ザイゼンの震える心を鷲づかみにした。
「貴官は退役するまでずっと、辺境惑星にあるスペースカロリー製造工場で、ベルトコンベアーを見守り続けるのです」
ザイゼンは白目をむいた。
一瞬意識が飛んだようだが、その間に彼は、とてつもなく長い灰色の夢を見た。
夢に出てきたのは、退役間際の老いた軍人だった。
かつては英雄になることを夢見ていたはずの彼は、スペースカロリー製造工場の管理人だった。
ある日、血気盛んな若い軍人が工場勤務となる。上司と反りが合わず、無理やり異動させられたらしい。
「なあに、気落ちすることはないぞ」
老人は深みのある表情と口調で、若者を慰めた。
「工場だって、そんなに悪いところじゃない。それに、ワシらが作るスペースカロリーが、戦う軍人たちの栄養となり、勝利を呼び込むんだ。まったく貢献がないわけではないだろう?」
可愛い孫でも見守るかのように、老人はベルトコンベアーを眺めた。
「ワシくらいになるとな、同じように見えるスペースカロリーの出来のよさも、分かるようになってくる。気温や湿度の違いで、表面の艶や角の丸みが微妙に変わるのさ」
得意げに笑った老人の名は、マモル・ザイゼン中尉。
退役直前に、温情昇進で大尉になる予定である。
「――がはっ」
悪夢から覚めたザイゼンは、心の中で絶叫した。
冗談ではない!
決してスペースカロリー製造工場勤務を馬鹿にするわけではないが、自分はヒューマル族を守り、敵対種族と戦うために軍人を志したのだ。そしてその夢を、現在進行形で叶え続けている。
死を恐れなどしない。敵艦の砲撃により宇宙の花と散るならば本望だ。最後の瞬間には笑いながら万歳と叫んでみせる。
だがしかし。
何者とも戦わず朽ちてゆくのだけは、耐えられない。
絶対に嫌だ!
「う、ううっ」
真っ青になって冷や汗を流しているザイゼンに、シロは言った。
「通常の貢献度では、とても許されることではありません。この訓練を、全力で、死ぬ気でやりとげなさい。誰もが認めざるを得ない成果を上げることができたならば、あるいは、私の気持ちも変わるかもしれません」
何かが開放されたかのように、ザイゼンの身体を光が包み、次の瞬間、彼は“始まりの街”へと移動していた。




