(20)ファンタジー
「どうして。どうして、こうなった……」
吹雪が吹き荒れる荒野の中、マモル・ザイゼンは道ならぬ道を突き進んでいた。
これまでの自分は、白色の軍服を身につけ、広大な宇宙空間を映した艦橋の艦長席に座りながら、乗組員たちに指示を出す役割を担っていたはずだ。
それなのに、今の状況は……。
ザイゼンは自分の装備を確認した。
白熊の毛皮のような外套の下には、丸い鉄の輪をつなぎ合わせたリングメイルが、がちゃがちゃと音を立てている。背中に背負っているのは、身の丈ほどもある両刃斧と大楯。
まるで古代の軍人のような姿だ。
不意に大地が消え、風の流れが変わった。
直径五百メートルはあろうかというすり鉢状の窪地に突き当たったのだ。
『ようし、ついたぞ。“氷河盆地”だ』
先頭を行く部隊長が情報を伝えてきた。
グループボイス――同じ部隊に所属する者すべてに聞こえる声である。ちなみに部隊長はザイゼンよりも五、六歳年上のハタナカ少佐だった。
ここが、今回のミッションの目的地、“氷河盆地”である。
窪地の底には、奇妙な形をした氷の彫刻が鎮座していた。
ワニを巨大化し直立させたような姿。しかし首が長く、三本もある。首の先には鋭い牙と角を持つ頭。
それはワニなどではなく、
「“古代の氷竜”」
呼び慣れぬ名前を、ザイゼンは呟いた。
ここが艦橋であれば、対地魚雷ミサイルの発射を命令したいところだ。
窪地の淵には、ザイゼンの部隊以外にも数多くの仲間たちが集まっていた。
その数、三千五百余名。
身につけている防具は、金属鎧や革鎧、そして厚手のローブと様々だ。手にしている武器も、剣、槍、斧、弓、杖と多種多様であり、職種ごとに部隊を構成していた。
ザイゼンが所属しているのは、重騎士隊。
敵の攻撃を真正面から受け止める、タンクと呼ばれる役割らしい。
『こちらはサブマスター、シロである。各隊、配置に着いたか? そろっていない隊は三十秒以内に部隊長用のグループボイスにて申告しなさい。オーバー』
澄んだ鈴の音ような声が、堅苦しい口調で指示を出す。
ギルドボイス――“ツクモ団”という組織に加入しているすべての団員にのみ聞こえる声だ。
正確に三十秒後、
『では、作戦を開始する。重騎士隊、前進』
『よし。みんな、いくぞ!』
部隊長の命令に従い、千五百人もの重騎士隊が雄叫びを上げながら窪地を駆け下りていく。
ある一定の距離に近づくと、ヤツは目覚める。
『盾を構えろ! 三、二、一』
“古代の氷竜”の三対の目が、光り輝く。
『今だっ』
「耐即死咆哮乃破魔盾!」
盾を構えながら、ザイゼンは叫んだ。
十五秒間だけ、“死の咆哮”に耐えることができる光の盾を召喚する、重騎士だけの技能。
視界の先、氷の彫像にヒビが入り、爆発する。
でかい。
ザイゼンの足は震えた。
近づいて初めて感じることができる、圧倒的な存在感。
その大きさ、三十メートルはあるだろうか。
“古代の氷竜”の三つの首が、同時に咆哮を上げた。
冷気を伴う空気の圧力が、重騎士隊を襲う。
『怯むな! 隊列を乱すんじゃない!』
重騎士隊は敵に接近して、“道化師の嘲笑”を使わなくてはならない。敵の注意を引きつけ、攻撃部隊を戦いやすくする技能だ。
しかし、
『“地団駄”、くるぞ!』
竜が足踏みした直後、地割れが発生した。
よく観察すれば、ヒビが入る角度に規則性があるのだが、何人かの隊員たちが足をとられる。
『“尻尾撃”、下がれ!』
間に合わない。
「うぉおおおおっ!」
仲間を助けるために、ザイゼンは大楯を構えながら前進した。
どうして――
巨木のような尻尾が迫ってくる。
ザイゼンは絶叫した。
「どうして、こうなったぁあああっ!」
◇
今年の銀河英雄名簿の登録者の中に、ヒューマル軍の軍人がいると聞いて、マモル・ザイゼンの胸は高鳴った。
昨年、マサムネ・キサラギ大佐の名前が掲載されるまで、ヒューマル軍の登録者はゼロだったのである。
これは軍人として不名誉極まりない状態だと、ザイゼンはつくづく感じていたものだ。
だが我らがヒューマル軍も、捨てたものではない。
それで登録者の名前は? ふむ、サダム・コウロギというのか、どこかで聞いたような名前だな。年齢は二十歳か、若いな。俺と同じ歳だ。所属は? 軍事要塞マスラオ総務部人材開発課? 新任艦長が仮に所属する部署ではないか。俺もつい二、三ヶ月前まではそこにいたぞ、はっはっは……。
「なんだとぉおおお!」
サダム・コウロギ。
間違いない。
つい先日、第二千三百四十七期ヒューマル軍事大学宇宙学部艦船指揮学科、卒業生一同による同期会で、再会したばかりの男だった。
わずかに残る記憶では、へらへらととぼけた笑いを見せるサダムに詰め寄って、説教をしようとしたところで――
それから、どうなったのだろうか。
気づいた時には廊下で大の字になって寝ており、痛む頬には獣の足の形に似た青あざができていた。
サダム・コウロギとは、学生時代から反りが合わなかった。
祖国愛を抱き、勉学に励み、仲間との親交を深める。ヒューマル族を守り、銀河の平和と繁栄を勝ち取るために、ザイゼンは軍人になることを目指していた。
だが、サダムは自分とは間逆の男だった。
不真面目なくせに要領がよく、妙に人望がある。
教官からの評価や成績、席次といった、誰もが恐れ憧れるものに対して、完全にそっぽを向いていた。
先輩からの後輩へと受け継がれてきた秘密のノートや情報交換会を駆使して、効率よく点数をかせぐ。空いた時間でゲームをしたり、飲み歩いたり、ザイゼンをからかって遊んだり。
本当に、ろくでもないやつだった。
特に、ダイキ・キタザワやシュウ・サオトメといった悪友とつるんでいる時は最悪だ。不良軍人であるリン・タチバナも同類である。
しかしそれも、わがままが許される学生までのこと。
正式に軍属になり、誰の力も頼れない孤独な宇宙空間に飛び立てば、地道な努力で培った知恵と判断力のみが意味をなす。
案の定、サダム・コウロギは、通常一週間から十日ほどで完了する新任艦長のチュートリアル任務でトラブルを起こし、三ヶ月もの無駄な時間をかけた。
出世競争の厳しい軍人としては、致命的な失態である。
ひとりで落ちぶれていくのは勝手だが、同期生の首席としては看過することはできない。
だから積年の恨みを晴らすついでに、同期会で説教をしてやろうと思ったのだ。
しかし軍人として致命的な失態を犯したのは、むしろ自分の方だったのかもしれない。
数日後、ザイゼンが所属していた第六十七艦隊が解体されるとともに、第九十九艦隊が新設、その艦隊長にサダム・コウロギ少将が就任するという報告を受けて、ザイゼンは青くなった。
同期会での記憶はほとんどないが、気絶していたことからも、自分がやらかしたのは間違いない。
知り合いに連絡をとって確認すると、サダムに言いがかりをつけようとしたところ、彼の副官であるアニマ族の少女に蹴り倒されたらしい。
にわかには信じがたい事実である。
しかしまあ、あくまでの酒の席の話。無礼講ではないかと、ザイゼンは気楽に考えることにした。
艦隊長であるサダム・コウロギと接する機会はないかもしれないが、もしあったとしても毅然とした態度をとればよい。
だめならば、その時だ。
こうして精神を立て直したマモル・ザイゼンは、第九十九艦隊の決起式を迎えることになる。