(2)不良分子
ワープとは、三次元空間内における連続した移動ではない。
やや乱暴に表現するならば、A地点とB地点の空間を二次元に分解し、中間点を折りたたんで結合させる行為だ。人の身ではただの光としか知覚できない超常現象であった。
ワープを実行するためには、厳密な演算とエネルギー制御が必要となる。
そして危険も大きい。
たとえば、出口となる地点にデブリや高濃度のガス、超重力などが存在した場合、艦は致命的なダメージを受けてしまう。
また、あまりにも遠い地点を指定した場合は、両地点がうまくつながらず、弾き飛ばされる。
ゆえにワープを実行する際には、現在の座標を正確に把握し、跳躍先の座標を慎重に設定する必要があるわけだが、座標を指定しないランダム・ワープを実行すると、これはもうどこへ飛ばされるか分からない。
仮に銀河系外へ跳躍してしまったら、戻ることはできない。
永遠なる流浪の船になってしまうのだ。
ヒューマル軍の統計によると、ランダム・ワープを実行した場合の生還率は、〇.八五パーセントだという。
幸か不幸か、その事実をサダム・コウロギは知らなかった。
◇
「……助かったのか?」
艦長席で、サダムはぼう然と呟いた。
一瞬、視界が真っ白に染まったかと思ったら、次の瞬間、別の宇宙空間にいた。
初体験のワープは実にあっさりとしたものだった。
周囲のディスプレイを見る限り、岩石群は存在しないようだ。
『とりあえずの生存という意味でしたら、その通りです』
ロボフクが答える。
いつの間にか、両眼レンズの色は元に戻っていた。
「それで、ここはどこなんだ?」
『では、座標点確認のチュートリアルを……』
「それはもういいから。結果だけ教えてくれ」
『了解しました』
現在位置が判明したのは、約十分後である。
『銀河系内、アニマ族支配宙域。僥倖です』
「アニマ族?」
『敵対種族です。非常に好戦的な性格であり、恐れを知りません。単独行動だけでなく、群れとしての艦隊行動も得意としています』
「ひょっとして、見つかったら攻撃されるのか?」
『准尉』
ロボフクの声が、心なしか低くなった。
両眼レンズがウィンと音を立てる。
『何も、ご存知ないのですか?』
「……」
サダムはついと視線を外した。
「知らないとまずいのか?」
『“揺り籠システム”は破壊されたため、あなたの成長に関するデータは残っていません。たとえば、教育シークエンスが中断されており、あなたが、祖国への忠誠心、軍人としての倫理や規律、本艦を運用するに当たっての十分な知識などを有していないことが判明した場合には、不良分子候補として認定されます』
「不良分子、候補?」
『はい』
「もし認定されると、どうなるんだ?」
『私が、当局に報告します』
「報告するとどうなる?」
てっきりクビにでもなるのかと思いきや、そうではなかった。
『当局の判断しだいですが、まず間違いなく、サダム・コウロギ准尉は、粛清されます』
「ほほう」
軍帽を目深に被って、サダムは表情を隠した。背もたれに身体を預けたまま、両腕を頭の後ろで組む。
一見、悠然とした態度であったが、内心彼はだらだらと冷や汗をかいていた。
――なんか、ヤバイ。
カプセルの中で目覚めた時に覚えていたのは、自分の名前だけだった。
黒髪黒目で、肉体年齢は十五歳くらい。
自分の顔にすら見覚えがなかった。
一たす一は二。計算はできる。
ある程度の一般常識も知っている。
だが、専門的な知識――たとえば、宇宙船の操縦方法や機能についてはさっぱりだ。
目覚めてから得た情報としては、自分はヒューマル族の軍人で、階級は准尉だという。
そして、駆逐艦ユウナギ号の艦長らしい。
七種族間協定という言葉があることから、この銀河は七つの種族がいるようだ。
軍人である自分の仕事としては、自国を守り、敵対種族を倒すことなのだろう。
だが、それを行うための動機や知識がない。
想像するに、岩石群の衝突によって“揺り籠システム”とやらが故障し、本来得られるべきものが得られず、中途半端な状態で放り出されたのではないか。
ロボフクの両眼のレンズが、再びウィンと音を立てた。
『そういえば、准尉。身体の生育が十分でないように見受けられます。本来であれば、二十歳前後の肉体年齢になるはずなのですが。服のサイズは合っていますか?』
「ぴったりだよ」
サダムは続けて言った。
「教育シークエンス? も、まったく問題ないね」
『では、簡単なテストを実施しましょう。現在、銀河系内で覇権を競っている七種族について、すべての種族名とその生物的特徴を答えよ』
サダムはいびきをかいた。
『サダム・コウロギ准尉を、不良分子候補として認定しました』
「はえーよ!」
たまらずサダムは飛び起きた。
「おいロボフク! あんまり勝手なことばっか言ってると、ぶっ壊すぞ!」
『副官に対する第二級暴言を確認しました。通信機器の修理が完了しだい、当局に報告します』
「くっ」
先にやらなくてはやられると、サダムは思った。やや虚勢を張りながらロボフクを睨みつける。
「オ、オレはなぁ。艦長権限をもって、お前をクビにしようと思う」
『副官を罷免および任命する権限は、佐官以上の階級にしか付与されていません。それに私を罷免した場合、艦の電脳制御にアクセスができなくなり、この船は動かなくなります』
サダムには宇宙船や航行に関する知識がない。この状態でロボフクを排除することは、自滅と同義であった。
「オレは、何も悪いことしてないだろ?」
『不良分子候補の発見および報告は、副官の最重要任務のひとつです。そして准尉は黒に限りなく近い灰色――いえ、黒です』
「断言すんな!」
『もし恨むのであれば、育成中にアステロイド帯に突っ込んだ、あなた自身の不幸を恨むべきです』
とりつく島もないとはこのことである。
サダムはがっくりと肩を落とした。
「……はあ、もういいよ」
疲れたように背もたれに体重をかけ、両足を組む。
ロボットAIには、人情や説得は通じないようだ。となれば、何か別の方法を考えなくてはならない。
「そういえば、艦内気圧が低下してるとか言ってたよな? 船に穴が開いているなら、ちゃんと塞いでおけよ」
『了解しました』
「あと、通信機器の修理はあと回しな。乗務員の生存が最優先だ」
『了解しました』
これで少しは時間がかせげるだろうか。
さて、どうやってこの堅物を排除しようかと悩んでいると、ロボフクから報告が入った。
『本艦の進行方向に、巨大な質量を感知しました。距離、一.五スペースマイル』