(18)辞令
実のところ、サダム・コウロギが処女航海報告書を提出してからというもの、軍事要塞マスラオ内の上層部は、大混乱に陥っていた。
これは軍という縦割り社会の弊害でもあった。
すべての宇宙船に搭載が義務づけされている認識球は、電脳制御が停止した時に初めて起動する。その後、自分の艦を撃墜した相手の情報を収集し、GRネットワークに発信する。
ヒューマル軍では、この情報を使って自動的に戦果値と特別報酬を決定、効率よく査定を行う仕組みを採用していた。
中央の人事局が運用している、自動査定システムである。
これは敵対種族と直接交戦することのない事務職員には、まったく関係のないシステムだった。
当初、新任艦長は総務部人材開発課に所属することになっている。通常であればチュートリアル任務が終了するまでの、二、三週間ほど所属する仮の部署だ。
公宙領域にて敵軍と遭遇する可能性が極めて低いこともあり、人材開発課の担当職員が自動査定システムをチェックすることはない。
担当が気づかなければ上司も気づかず、したがって新任艦長が准将になって帰還する異常事態に、誰も気づくことができなかったのだ。
当然のことながら、担当職員は課長に叱責された。課長は部長に叱責され、部長から報告を受けた要塞司令長官は脱力した。
サダム・コウロギが提出した処女航海報告書を確認したが、その内容はとても信じられるようなものではなかった。
ランダム・ワープからの生還だけでも、マスコミがこぞって飛びつくほどの奇跡だったが、その後の戦果がおかしい。
アニマ軍の英雄、万獣将バロッサの乗艦である戦艦ゲルニカを撃沈。その後、一万隻にも及ぶバロッサ艦隊にたった一隻の駆逐艦で立ち向かい、少なからぬ損害を与えた。さらにはガラム千獣将が指揮する十二隻の巡航艦部隊“猟犬”を撃破。巡航艦ザーバルを拿捕した。
軍宙港を確認すると、確かにその艦は存在した。
ちなみに駆逐艦ユウナギ号はというと、船首に巨大な粒子波動砲、側面に最新型のRCレーザー砲、位相変異レーザー砲を搭載し、九つものオプション・システムをくっつけているという、わけのわからないカスタマイズになっていた。
船体の評価額は約四十七億クレジットで、これは巨大戦艦や空母に匹敵する金額であった。
「とにかく、話し合いをすべきだな」
要塞司令長官マサオ・マスイ元帥は、主だった関係者を集めて緊急会議を行った。
国の役人や軍人などといった組織は、前例のない事態に対して保守的である。
会議の中で出てきた意見は、疑念であった。
自動査定システムが誤った判断を下したのではないか。サダム・コウロギが不正を働いた可能性もある。まずは本人を審問し、真実を確かめるのが先決だろう。もし仮に矛盾や問題があった場合、処罰も含めて、再度検討するというのはいかがだろうか。
辞令交付式は審問会に様変わりし、懲罰委員会に連なるメンバーの出席まで決定した。
こうしてサダム・コウロギを迎える準備が整ったところで、出鼻をくじかれる事態が発生する。
銀河七種族英傑委員会が発表した今年の銀河英雄名簿への登録者の中に、ヒューマル軍サダム・コウロギ准将の名前があったのだ。
「これは、困ったことになったのではないか?」
マスイ元帥は、再び緊急会議を招集した。
銀河七種族英傑委員会は、独自の調査能力を有しており、十分な期間をかけて推薦者の実績を調査し、満を持して発表する。
つまりは、サダム・コウロギへの疑念が、意味をなさなくなってしまったわけだ。
意味がないどころか、悪影響すら出てくる可能性もあった。
仮にサダム・コウロギが軍上層部の対応に不満を抱き、そのことがマスコミに漏れでもしたら、このところ連敗続きである軍上層部への批判は致命的なものになるだろう。
サダム・コウロギはまだ二十歳の青年であり、自尊心を傷つけられたと感じたなら、軍人らしからぬ行動を起こさないとも限らないのだ。
幸いなことに、マスコミへの対応についてはマサムネ・キサラギ大佐の前例があった。
「サダム・コウロギ准将の活躍については、まことに目を見張るものがある。彼のような若き英雄が、我々ヒューマル軍から生まれ、権威ある銀河七種族英傑委員会に認められたことに対して、無上の喜びを感じているところである。我々は、ヒューマル族の未来と恒久なる銀河平和のために戦っており、その目的は必ずや達成されることであろう。ヒューマル族に栄光あれ、万歳。なお、サダム・コウロギ准将への個人的な取材については、軍務上の機密の問題があるため差し控えていただきたい。質疑については広報部にてとりまとめ……」
まさかサダム・コウロギの活躍を知らないとは、発表できるはずもなかった。
こうしてサダムは、本人のあずかり知らないところで軍上層部からの審問という事態を回避したのである。
辞令交付式は、軍事司令塔の最上階にある貴賓室にて行われた。
サダムを出迎えたのは、要塞司令長官マサオ・マスイ元帥、要塞駐留艦隊司令官ミヤビ・シラトリ大将、同副司令官ゲン・ハラダ中将、要塞防衛司令官シゲル・ハットリ中将、そして総務部長の五名だった。
「サダム・コウロギ、参上しました!」
笑顔で敬礼する将官など、まずいない。
現れた英雄が十代半ばくらいの少年のような姿だったので、全員が呆気にとられた。
だが、辞令交付式などという畏まった場で、お前は本当に二十歳なのか、などと聞けるはずもなかった。
「で、では。定刻になりましたので、ただいまより辞令交付式を開催します」
進行役の総務部長が戸惑いがちに宣言する。
「サダム・コウロギ准将、前に」
要塞司令長官マサオ・マスイ元帥は恰幅のよい老人である。性格は温和だが、決断力がなく、日和見主義との評判が強かった。
ひとつ大きく咳払いをしてから、もごもごと辞令を読み上げる。
「これまでの功績を鑑み、貴官を少将に任ずる。また同日をもって、ヒューマル軍第九十九艦隊長に任命するものとする」
これが上層部の決断であった。
というよりも、他に方法がなかった。
慣例により、銀河英雄名簿に登録された軍人は、一階級昇進させることになっていた。
そして少将とは、最大五千隻もの艦隊を指揮することができる階級である。また、先月エルフィン軍の強襲を受けた第六十七艦隊が半壊、艦隊長が名誉の戦死を遂げていることもあって、新たなる艦隊の再編が急がれている事情もあった。
辞令式が終了すると、ミヤビ・シラトリ大将とゲン・ハラダ中将だけが残り、そのまま別室で打ち合わせを行うことになった。
ミヤビ・シラトリ大将は四十台後半の女性将官である。公平性を重んじる性格であり、また冷静な判断力を持つ現実主義者であった。
が、さすがに今は頭痛を堪えるような表情をしている。
ゲン・ハラダ中将は露骨に顔をしかめていた。こちらは五十台半ばの将官で、頭がはげ上がっている。
「マサムネ・キサラギ大佐が出てきた時は、大いに驚いたものだけれど」
シラトリはやや砕けた口調で言った。
「あなたの場合は、寝耳に水ね。二十歳で少将だなんて、前代未聞だわ。軍の人事記録を参照する気にもなれない」
息子くらいの年齢の少将を、じっと見つめる。
「処女航海報告書には目を通したわ。分かりやすく、簡潔にまとめられていると思います」
もちろん、シロが作成したものだ。
「自分の戦果について、あなたはどう考えているのかしら?」
慎重に、シラトリは問いかけた。
面と向かって疑念をぶつけることなく、本人から話を聞きだそうとしたのである。
大変失礼なことに、サダムは上官の前で「う~ん」と唸った。
「いやぁ、運がよかったですね」
部屋の中がしんと静まり返った。
謙遜すればそれを指摘され、当然だと報告すれば増長するなと眉を顰められたに違いない。
だがサダムにしてみれば、身に降りかかる火の粉を大騒ぎしながら払っていたという認識であり、運命の悪戯としかいいようのない結果なのである。
「ふ、ふざけるなっ!」
ハラダ中将が激昂して立ち上がった。
「運がよかっただけで、二十歳の若造が少将だと? ワシがどれだけの辛酸をなめながら、この地位までたどりついたと思っているんだ! 納得がいかん。貴様、よもや不正を――」
「ハラダ中将」
シラトリの声が、ハラダに冷静さを取り戻させた。九割がた本音が漏れ出てしまったようだが、一応咳払いをして空気を取り繕う。
「ごめんなさいね、コウロギ少将」
サダムとしては、はぁとしか答えようがない。
「年齢は関係ありません。あなたは他の誰にも成し得ない実績を上げたのですから、それに相応しい地位を得るべきです。ですが、決して忘れてはいけませんよ。あなたはヒューマル族を守り、銀河の平和と繁栄を勝ち取るために、軍人を志したということを。地位には、責任が伴います。ましてやあなたは英雄名簿にその名を連ねる身。今後のあなたの言動は、自身すら予想し得ないほどの影響力を持つことでしょう。よくよく考えて、慎重に行動なさい」
忘れてはいけないもなにも、サダムには記憶がない。
だが、ひとのよさそうなおばさんだったので、サダムは素直に「分かりました」と答えた。
いや、少しくらいリップサービスをすべきだろうかと、ガラにもないことまで考えた。
「がんばります! え~と、シラトリ大将、閣下?」
微力を尽くしますでも、鋭意努力しますでもない。
まったく軍人らしくない言葉遣いに、シラトリは思わず口元を綻ばせた。
最近の若い者はと文句を言うのは簡単だが、それだけではない吹き抜けるような清廉な風を感じたからである。
「そんなに畏まらなくてもいいのよ」
「じゃあ、ミヤビさんで」
砕けすぎである。
隣のハラダは歯軋りしたが、先ほどの件もあって口を出せないでいる。
「関係者がいないところでなら、許しましょう」
微笑を浮かべながら、シラトリは居ずまいを正した。
「さて。あなたが指揮する第九十九艦隊ですが、解体される第六十七艦隊に予備兵力を追加して再編されます。艦艇数は約三千五百。慣例では“ツクモ艦隊”と呼ばれているようね。近日中に艦隊執行部の候補者をまとめなさい」
艦隊を運用するためには、副艦隊長、参謀、各部隊長、人事、庶務、財政担当など、多くの人員が必要となる。
「とはいえ、膨大な人物評価リストから候補者を選び出すのは骨が折れるでしょう。慣れるまではあなたの副官を副艦隊長に任命してもかまいません。適切な助言が得られるはずです。カスタマイズについては、運用システム部のAI調整課に相談するといいわ」
サダムにロボット副官がいることを前提にして、シラトリ大将はアドバイスを送った。
初期設定は教育支援型であり、これをカスタマイズすることによって、様々な役職に適用させることができる。
ただし、若い頃に堅物のロボット副官に嫌気がさしてしまい、純粋な人手を好む将官も多い。
全部シロに任せようと、サダムは決めた。