(13)生きる意味
会談用のスポットライトが消えると、艦橋の中は薄暗がりと奇妙な静けさで満たされた。
ドーム型ディスプレイには、宇宙空間と星々のみが映し出されている。
先ほどまでの爆煙と閃光が飛び交う戦場の姿はない。
バロッサ艦隊がどこかへワープした直後、駆逐艦ユウナギ号もワープ機構を稼動させて、別の宇宙へと跳躍した。
今のところアニマ軍による追跡はないようだ。
「か、艦長」
やや上ずった声で、シロが報告した。
「現時点における、認識球情報です。アニマ軍バロッサ艦隊所属、戦艦ナラバ、戦艦ビルギナ撃沈、空母カルラ撃沈、巡航艦イェーギ、巡航艦クラウト、巡航艦ローザン、巡航艦デリバン撃沈、駆逐艦バグリッド、駆逐艦ガーヤ……」
戦艦二、空母一、巡航艦四、駆逐艦十七。
撃沈数、二十四隻。
「大戦果、です」
艦長席のサダムはぴくりとも動かなかった。
「ただの人殺しだろ?」
「え?」
興奮冷めやらぬままに、シロは訝しく思った。
今日のサダムは全般的にバイオリズムが低下しているようだ。艦橋でも談話室でも元気がなかったし、敵艦隊司令官との交渉の時は、もっと変だった。
稼働したばかりのバイオロイドであるシロには、人の機微というものがうまく理解できない。
副官としての立場を超えているのではないかと危惧したものの、勇気を出して聞いてみることにした。
「艦長、どうされたのですか?」
数秒間の沈黙の後、サダムは答えた。
「オレには、何もない」
予想外の言葉にシロは瞠目する。
「この一週間、考えてみたんだ」
ぼんやりと宇宙空間を眺めながら、サダムは独白した。
サダム・コウロギは、中途半端な状態のまま目覚めた。
新任艦長の教育係だったロボフクの話によれば、“ゆりかごシステム”なるものが搭載されたカプセルの中で育成されたらしい。
シロも確認したが、艦橋の隣にある小部屋に、確かにその装置はあった。
電脳制御の備品リストにはコールド・スリープ装置として登録されているようだ。
だが、シロがカプセル内部をスキャンしたところ、他の機能を有していることが判明した。
「いきなり軍人だの艦長だの言われて、とりあえずのってはみたけどさ」
残念ながら、生き残る以上の意味を見出すことができなかったと、サダムは言った。
記憶が欠如しているため、ヒューマル族という自覚もなければ、軍人としての矜持もない。
戦う理由が、ない。
自分を小馬鹿にするように、サダムは鼻を鳴らした。
「でもまあ。せっかくシロがこの船に来てくれたから、いろいろやってみようと思った」
ゲーム、スポーツ、食事、そして膝枕講義。この一週間、シロはサダムに振り回されていたような気がする。
「でも、全部しっくりこない。大切なこと、面白いことのはずなんだけど。結局、オレのわがままでシロを困らせただけだったな」
「そ、そんなことは……」
ありませんと、シロは小さな声で否定した。
困ったのは事実だが、でも。
「シロは軍事専用のバイオロイドだろ? 本当なら、バロッサとかいうアニマ軍の偉いおっさんに仕えるはずだったんだ。そのほうがシロも力を発揮できただろう。オレみたいな軍人の自覚もないヤツについたところで、ストレスが溜まるだけさ。オレじゃあ――」
サダムは力なく呟く。
「シロを使いこなせない」
“猟犬”と呼ばれているガラム部隊が現れた時、さすがに厳しいだろうとサダムは考えた。
敵の領域内で自分よりも足の早い部隊に追われて、逃げ切れる可能性は低い。
しかし、何者にもなれず、何も残さずに終わるというのは、どうなのだろうか。
「だからせめて、シロをアニマ軍に返そうと思った」
「……っ!」
深い悩みの淵に立っていたサダムだったが、一万隻という大艦隊の出現という報告を聞いて直感した。
これは戦いなどではない。
いわゆる、儀式だと。
シロの膝枕講義によると、軍事行動には莫大な金がかかるらしい。たかが駆逐艦一隻にこれほどの大金を注ぎ込もうというのだから、それにふさわしい結末が求められるはず。
幸いなことに、ユウナギ号の外装はぼろぼろのまま。
そして、大艦隊を前にただ一隻、悠然と進んでいく。
演出効果という意味では、こちらも負けてはいない。
「知ってるか? シロは宇宙にふたつとない最高品質のバイオロイドらしいぞ」
「……」
そして、バロッサ万獣将の置き土産でもある。
サダムはライオカンプ獣王帥と交渉して、シロを引き取ってもらうつもりだった。
その後は、野となれ山となれだ。
しかし、シロを見たライオカンプがあまりにも激しい反応を見せたため、サダムは方針を変更することにした。
ライオカンプ獣王帥にとって、シロはただのバイオロイドではないようだ。
もし仮に、こちらを攻撃できない理由になるとすれば、チャンスを逃す手はない。
即断即決。サダムは通信を打ち切って、自ら戦端を開いた。
結局のところ、この考察はサダムの勘違いであったが、結果的に駆逐艦ユウナギ号は多くの敵艦を沈め、生きながらえることができたのである。
「ひょっとして、シロはアニマ族のお姫様、とか?」
冗談めかしたように笑いながらシロを見たサダムは、うっと言葉を詰まらせた。
シロが歯を食いしばるようにして、涙を堪えていたからである。
それも限界だったようで、少女の両目からぼろぼろと大粒の涙が零れ落ちた。
「……嫌、ですっ」
上司には忠義を尽くして、決して逆らわない。
そうプログラムされているはずのシロが、大切なものを引きちぎるかのような表情で叫んだ。
「確かに私は、軍事用に造られたバイオロイドかもしれません。ですが、それ以外の用途で使われたとしても、たとえ力を十分に発揮できなかったとしても、私はきっと、お役に立ってみせます」
涙で濡れた琥色の瞳は鮮烈な怒りの炎を宿し、サダムを睨みつけている。
「私は――」
泣きながら、シロは宣言した。
「サダム・コウロギ艦長の副官です!」
「シロ……」
「たとえ敵軍に引き渡されたとしても、立場が変わることなど、決してありません。死がふたりを別つまで、私と――私は……」
言葉が続かず、バイオロイドの少女は両肩を震わせながら俯いてしまう。
艦長席に座っていたサダムは、軍帽をとって驚きの眼差しを向けた。
今さらながらに、この少女のことを何も見ていなかったことに気づく。情けないことに、自分のことに精一杯で、そんな余裕すらなかった。
軍事用という自分の存在意義すら曲げてまで、尽くそうとするシロ。どんなにみっともなくても、たとえ泣き喚いたとしても、何かに抗い続ける行為こそが生きる証なのだと、目の前に突きつけられたような気がした。
「あ、シロ。その、悪かった」
サダムは座席から立ち上がると、恐る恐るといった感じでシロの頭を撫でた。
ここまで忠誠心が飛び抜けているともう無理だ。
このアニマ族のバイオロイド少女は、手遅れだ。
いっそのこと、とことん利己的になって心中したほうがましである。
「もう二度と、シロを手放そうとしない。約束する。だからさ――」
頼むから、お願いだから今回だけは許してくださいお願いしますシロ様と、サダムは平謝りした。
「う、ううっ」
声を殺しながら、シロが寄りかかってくる。
おそらくは脳髄の生体部位が反応した本能的な行為だろう。シロはサダムの腕に噛みついた。
この痛みは、自分にとって生きる意味のひとつになるのだろうか。
そんなことをサダムは考えた。