(10)嵐の前
“物体X”のある宙域を離脱して一週間。
シロはめまぐるしく働いていた。
駆逐艦ユウナギ号の修理およびカスタマイズについては、シロが電脳制御を通じて、蜘蛛の形を模したロボットたち――“スパイダーズ”に指令を出している。
艦の進路や周囲への監視はもちろんのこと、不意の事態に備えて、現在地の確認とワープ先の仮座標の設定を行う。
またGRDCに依頼して、ユウナギ号の座標情報を定期的にヒューマル軍に報告していた。
奇跡的に公宙領域までたどり着くことができたならば、あるいは味方の援軍が来てくれるかもしれない。
これだけならば、優秀なAI副官であればシロでなくても問題なくこなしただろう。
大変だったのは、サダムの相手だった。
「シロぉ、ピンポンやろうぜ」
娯楽室に誘われて、身体を動かす。体調管理の面においては有益な行為といえた。
しかしサダムは、シロにあまり機能的でないフリルのいっぱいついた服を着せるのだ。
もちろん下はスカートである。
「あのぅ、艦長。この格好では動きにくいのですが」
「ハンデだよ。ハンデ」
スポーツの他にも、談話室でボードゲームで対戦したり、VRゲームを協力プレイをしたりと、遊び放題である。
「艦長。新しく設置した探査装置の説明を行いたいのですが」
「う~ん。艦橋で聞くと、眠くなるんだよなぁ」
悩んだ挙句、サダムは談話室のソファーにシロを座らせた。それからシロの膝に頭をのせて、ごろりと寝転がった。
いわゆる膝枕である。
「分からなかったら質問するから、このまま教えて」
「……」
感情領域の触れ幅が増大し、シロは動揺してしまう。
「あ、あの。こちらの方が、眠くなりませんか?」
「気にしない、気にしない」
最大の難関は、食事だった。
凝らない料理という条件を満たすためにシロが無理やり考え出したのは、料理のAIスキルを使わずに自分の基本能力のみで料理を作るというやり方だった。
レシピ通りに作るとはいえ、やはり出来栄えは少し劣ってしまう。
つまりは完璧ではなく、手を抜くということだ。
軍事専門のバイオロイドであるシロにとっては、かなり非効率で、無駄なリソースを使う仕事になってしまったが、やりがいはある。
「お、うまっ」
コタツに入りながら食事をとるサダムは、幸せそうだ。
ちなみに彼は軍服姿ではなく、ゆったりとしたトレーナーの上下に半纏を羽織っている。
一方のシロはというと、衛生を鑑みて、白い割烹着を身に着けることにしていた。
この一週間でシロが分析した結果、サダムはパンよりも米を主食とする食事が好みであることが判明した。
肉や魚、野菜など、シロが栄養価を考えて作った料理は、とても納得のいく出来とはいい難かったが、サダムは喜んで食べてくれる。
その姿を見ているだけで、シロは重要な任務を達成したかのような、得もいわれぬ充足感で満たされるのだ。
またサダムの要望により、シロもコタツでいっしょに食事をとることになった。
今後のために、料理の出来栄えや好みを聞き出そうとしたのだが、サダムはよく分からないらしい。
となれば、主が食事を口に入れた時の表情の変化や仕草、顔色、体温、発汗などの情報を収集し、分析していくしかない。
「シロ、おかわり」
「はい、艦長」
警戒態勢一並みの集中力を持続しながら、シロはにこやかにご飯をよそう。
相変わらず何を考えているのかよく分からない主との関係は、シロにとって緊張の連続だった。
しかし、決して嫌いではなかった。
自分が必要とされていると思えたし、そして今が限りある時間のひとコマであることを、シロは理解していたからである。
◇
その日のサダムは、何やら考え事をしているようだった。
艦橋の艦長席では、頬杖をつきながらぼんやりと、宇宙空間を映したディスプレイを眺めている。
心配になったシロは何度か声をかけたのだが、生返事しか帰ってこなかった。
談話室ではコタツに入り、台の上に顎を乗せ、面白くもない宙販番組を見ている。
シロがキッチンから調理器具と食材を運んでくると、ようやく反応した。
「今日は、肉?」
「はい。スキヤキという料理です。お酒にお醤油とお砂糖を入れて、割り下にします。お肉やお野菜は、新鮮な生卵にからめて食べるようですね」
「へぇ、そりゃ楽しみ」
サダムはワゴンに乗せられていた酒瓶をちらりと見た。
「はい、艦長。お茶です」
湯呑にお茶が注がれる。
シロが茶葉から作った本物のお茶だ。
「ん……」
メプル星から取り寄せたルビー牛は、赤身と霜降りのコントラストが美しい。
一枚一枚シロが丁寧に焼いて、サダムの取り皿に入れる。
「はい、艦長」
「ん……」
サダムが卵をからめた肉を口に運ぶ。
その瞬間、シロの尻尾がピンと立ち、毛並みが逆立った。
「? どうした、シロ」
「艦長、敵です」
談話室のモニターに映像を映し出す。
「ユウナギ号の後方、約二十五スペースマイルの位置に、十二隻の艦影を確認しました。アニマ軍の巡航艦だと思われます」
相対速度差は約七スペースノット。四時間足らずで通常兵器の射程距離に入る。
「後方ってことは、“物体X”から追いかけてきたのか」
「おそらくは。ユウナギ号の“残り香”――推進剤や熱エネルギーの残滓をたどってきたのでしょう」
つまりは、自力でそれだけの速度差があるということだ。
サダムは肉を口の中に放り込んだ。
「うまっ」
「識別信号を確認しました。アニマ軍所属、巡航艦ザーバル。艦長はガラム千獣将です」
「噂の“猟犬”か。こりゃまいったね」
お茶に口をつけてから、サダムは投げやりな口調で聞いてきた。
「どうしたらいいと思う?」
シロは気合を入れた。
この状況は、彼女が予想していた戦局のひとつであり、彼女は戦術スキルを駆使して、もっとも生存確率が高いであろう行動パターンを読み解いていたのだ。
「百八十度回頭後、敵部隊と軽く交戦し、戦況が不利になった時点でワープすべきだと考えます」
跳躍先の座標はすでに設定済み。とある星系内のアステロイド帯である。
「また岩だらけのところか」
サダムはげんなりとしたようだ。
「部隊単位で航行するには不利な場所です。敵の状況次第ですが、運がよければ追跡を諦めてくれるかもしれません」
「助かる確率は?」
「……」
シロは一瞬口ごもってから、正直に話した。
「状況から鑑みて、一パーセント以下、です」
「だよなぁ」
特に、恒星系内空間は観測網が充実しており、ワープ後の位置が簡単に探知されてしまう。
それに、追ってきているのは“猟犬”の異名を持つガラム隊だ。
目的はおそらく万獣将バロッサの敵討ちだろう。こちらの喉元を食い破るまでは、決して諦めることはない。
「ランダム・ワープの方が、確率高くない?」
「敵領域内において敵部隊に捕捉されている時点で、ユウナギ号の状況は戦闘中と判断されます。七種族間協定により、戦闘中のランダム・ワープは使用不可能です」
たとえ副官のシロが指示を出したとしても、艦の電脳制御が許さない。
サダムは疲れたようにため息をついた。
「このままでいい」
「はい?」
面倒くさそうに頭をかく。
「猟犬ってのは、獲物を追い立てるのが仕事だろう? どうせ飼い主が現れるさ」
それからサダムは、ワゴンに乗せられている酒瓶に目をやった。