【7】
そもそも試合途中から見始めたにも関わらず、なぜ私は比較的容易に、野球の試合状況を把握出来るのか?…それはその昔、プロ野球界のスターだった元投手の男を担当したことがあったからだ。
勿論…“騒動”の対象者として。
スポーツに、とりわけ野球に明るくなかった私は、対象者だったその男と野球中継を視聴する機会があった。
男に基本的なルールを教わり、彼の生解説のお陰で、様々な客と会話に興じるタクシーの運転手と、雑談程度だが野球談義を交わせるようになった。
無論、タクシー運転手が対象者ならば、だが。
ここで遅ればせながら、私が携わっている[労働]の概要について言及する。
先ず騒動を起こした対象者に接触を試みる。
そしてコミュニケーションを図り、最終的に対象者がどのような結末を迎えたかを確認して、私の労働は完了する。
その騒動の結末は、当事者である対象者の意向は反映されない。
どのような物事にも例外は存在するが…概ね、何ら関係のない部外者の期待に応えるべく、好奇心に満ちた多くの意見の中から、[世の中に充満する空気]即ち[大衆の声]が選択される。
よって当然、決定権は担当者である私にもない。
私は顔を見上げ、引き続き定食屋のテレビを眺めている。
同時に、テレビの前で横並びに腰を掛け、野球のイロハを教えてくれた元対象者の男のことを思い出していた。
その男の名前は尾崎 千央。
現役を退いた影響か、私と出会ったときの尾崎は太鼓腹を抱えていた。身長は190㎝近くあり、肩幅も広く、浅黒く日焼けした容貌から、教室にある黒板を連想させた。
私は特段何も感じなかったが、対峙した人間は、その図体に威圧されたことだろう。
そんな尾崎 千央はプロ野球選手として…とても優秀な投手だったらしい。
数々のタイトルを獲得し、球界内外の人々から尊敬の眼差しを向けられていたそうだ。
だが、必ずしも能力と人間性が比例するとは限らない。
いやむしろ、しない場合が多い。
能力が高いからといって、その人物が人間味溢れる人格者とは言い切れない。
得てしてそのような人物は、持てはやされると慢心し、自分に向けられる好意を当然と考え、自らを特別な人間だと錯覚する。
特別待遇は永続的だと思い込み、疑いもしない。
おそらく傍若無人な振る舞いが見受けられたとしても、突出した成績を残すことで、それらは許容されてきたのであろう。
十何年もの間、毎日車のハンドルを握り、自己中心的な運転を続けていたにも関わらず、大きな力により数々の違反が揉み消されてきた警察官僚のように、エリート野球選手だった尾崎の悪事も見逃されてきたのだろう。
偽りのゴールド免許
しかしどんなに才能豊かな人間であっても、平等に時は刻まれる。老いて行くのである。
引退を契機に、利害関係のあった後援者の後ろ楯を失い、意図を持って隠蔽されてきた尾崎の愚かな行為が、白日の下に晒された、というのが真相だ。
それが騒動と認定され、私が担当することになった。
坂道コロコロ
現役時代より繋がりのあった…つまりズブズブの関係にある反社会勢力から提供された非合法の薬物に手を出し、尾崎は警察に逮捕された。
それが坂道を転げ落ちるようにして堕落していった、元プロ野球選手の起こした騒動の結末だ。
他人の不幸は蜜の味
一度頂点を極めた人間が落ちて行く…それを痛快に思う無関係の大衆が、その結末を支持したのだ。