【3】
「いらっしゃい」
障害物のない更地を歩くように暖簾とドアを通り抜け、定食屋に足を踏み入れた私は、歓迎の言葉を耳にし、店主の顔をまじまじと見てしまった。
『私が見えるのか?』
もてなしの言葉とは裏腹の、口をへの字に結ぶ無愛想な顔が目の前にある。
この定食屋の二代目店主は対象者なのか?
間をあけることなく店の引き戸が乱暴に開けられ、赤黒く日焼けした作業服姿の中年男が、私の後を追うようにして入ってきた。
『なるほど…まさかな…』
私は誰の耳にも届かぬ声を上げる。
『偶然!勘違いの極み!』
頭髪を全て失っているその中年男は、謙虚さも無くしてしまったのだろうか、当然のように店内中央に位置する四人掛けのテーブル席にドカッと腰を下ろした。
最も、書き入れ時のランチタイムのため、カウンター席や他のテーブル席は既に客で埋まっていたのだが。
『お前常連か?見たことのない顔だな…』
人間の行動は繰り返されると習慣と呼ばれるようになる。
習慣によって、中央のテーブル席は中年男の指定席と化し、他の客にとっては[憚られる聖域]になってしまったのかも知れない。
そう考えてしまうくらい違和感を覚える景色に映る。
「日替わり 大盛り あと水」
男はすげなく単語を並べた。
文字が読めないのか…或いは意味が理解出来ないのか…
『水セルフサービス!』と壁に張られた注意書を大声で発しても、私の言葉は届かない。
対象者ではない中年男はスポーツ新聞をパラリパラリとめくり、自己に集中している。
『なんだ…お前、字読めるじゃないか?』
「兼子さんさぁ…何回言えば分かるのよ~?」
配膳係の女はぶつくさ不平の言葉を並べ…「水…セルフ~セルフ~セルフ~」と節をつけて歌い、水と共に苛立ちも注がれたコップを、テーブルにぶつけ粗暴な音を立てる。
ゴンッ
『やはり…常連客か…』
スポーツ新聞を凝視する兼子と呼ばれている男は、片眉を僅かに動かしただけで返事もしない。
『それとも夫婦なのか?』
二人のやり取りは、この国の冷め切った熟年夫婦を思わせる。
コップを傾け、喉を潤している兼子の隣に私は座ることにする。
無論、テレビを見るためにはベストなポジションだからだ。
私は顎を持ち上げる。
この店のテレビは、天井近くにある棚の上に備えつけられている。
訪れた客は、俯きながらスマートフォンを操作するか、顔を見上げてテレビを眺めるかのどちらかだ。
私は労働に支障を来すため、テレビが視聴出来るスマートフォンは所持していない。
よって断然見上げる派だ。
崇めるように?
嘗て、この国では高い場所に貴重品は置かれていた。
この店のテレビの扱いは、小さな座布団の上に鎮座させられ、高所に置かれた、当時貴重だったマスクメロンを思い起こさせる。
勿論、テレビを貴重品とするこの店の主張を私は100%支持する。異論はない。