【28】
診療時間外なのだから仕方のないことだが、私の前に人間は一向に現れない。
掛け時計の針が、今現在どこを指し示しているのか、判別出来ない薄暗い待合ホールに誰も現れない。
何よりも労働が優先され、テレビに割く時間が限られる担当者である私は、待合ホールの主であるテレビに見切りをつけ、立ち上がった。
『定食屋はまだ…商い中かも知れないな…』
未だ、自分の使命に気がついていない定食屋の二代目店主の仏頂面を思い浮かべる。
『樋口の命運は…この病院の医療力と、自身の生命力によって決定されることだろう』
ストレッチャーからだらりと落ちた樋口の右手を思い起こし、樋口がいるであろう救急処置室に一瞥をくれ、私は病院を後にする。
何時間か前に滞在していた[行きつけ]に向け、私は足を前に運ぶ。
私たち担当者は一度通行したことがある道ならば、地図を読むことなく、再びその地へ行くことが出来る。
同じ道ならば、出発地点に戻ることも可能である。
救急車が通った道を、私は逆向きに歩みを進め、樋口からどんどん遠ざかる。
往路が車で、復路が徒歩でも特に問題はない。
移動手段は問われないのだ。
私は一定のリズムで足を前に動かす。
程なくして私は、樋口の落下地点に辿り着いた。
騒動の現場は黄色いバリケードテープが張られ、関係者以外立ち入り禁止となっていた。
仕事としてその境界線の外側に佇む警察官と、私と“同類”に映るらしい中年女性が、何やら言い争いを展開している。
「だから…この道は私のウォーキング・ルートなのよ!」
「ですから…ここは今、関係者以外立ち入り禁止なんですよ!」
「だから言ってるの! 私はこの道の関係者よ! 雨の日も雪の日も365日、1日も欠かすことなく…私はこの道を歩いてるんだから」
街灯の光が不十分な暗闇の中でも、直ぐに発見されそうなショッキング・ピンクのウェアで身を包む中年女性は、一般的には受け入れられないであろう[独自]の見解を主張した。
「そういうことじゃなくて…このビルの関係者以外、一般の方を通す訳にはいかないんですよ」
警察学校を卒業し、着任したばかりに映る若い若い警察官は、手のひらを中年女性に向け、必死になだめている。
『また手だ・・・手だ・・・手だ・・・』
警察コントの掛け合いに興じる売れない芸人のような二人を横目に、私はバリケードテープを通り抜ける。
『手か・・・?』
クイズ番組司会者の藤堂の口から発せられた最終問題の答えを、定食屋に向かう道すがら、私は再び考える。
今までの出来事を逆再生しながら、ヒントが隠れていないか考察する。
エピソードを巻き戻していると、ある地点で私は引っ掛かりを覚える。
それは定食屋にて、プロ野球中継を視聴していたときの兼子の台詞。
自分本意のプレーをした選手に対して…「チームプレーって言葉知らないのかねぇ~こいつアホ過ぎる。辞書を引け! 辞書を!」と兼子は声を荒らげた。
『辞書か・・・?』
更なるヒントを探し、私は巻き戻す。
第二ヒント…それは他でもない私自身が吐いた言葉の中にあった。
問題が出される以前に、既に過去の私が正解を口にしていた。
対象者だった元プロ野球選手の尾崎 千央と、これまたプロ野球中継を視聴していたときの…私の言葉である。
コースぎりぎりを狙う余り、ストライクが入らず、全ての塁を埋めてしまった投手に対して、端っこを狙うよりも…「ど真ん中に投げても…絶対にバットを振らせない手を考えた方がいい」と話し、過去の私は尾崎に同意を求めた。
『バットを振らせない手』だ。
そして『辞書を引け! 辞書を!』だ。
過去の私は無意識に正解を口にしていた。
・・・解答は自らの中にあった。




