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【23】


 様々な医療機器を取りつけられ、横たわる樋口は一言も発せず、規則的に腹を上下に動かしている。

 

 『エアークッションも端っこか…。定食屋の客といい、プロ野球の投手といい、樋口の動向を注視していた傍観者といい、この国の多数派の人間は…本当に端ばかりを狙うな。端に執着し過ぎる』



 ビルの屋上に座っていた樋口の思惑は、そこに至った経緯は、樋口が口を閉ざしている以上、真実は分からない。が、私は推察してみることにした。


 先ず、樋口がビルに上ったのは自発的な行動…それは間違いないだろう。誰かに強制された訳ではない。

 あと自社製品を宣伝するために、エアークッション上に落下する計画だったのも、きっと事実だ。


 落下現場として、港区にあるニュービルディング芝が選ばれた理由は…第一に、テレビ局が集中する立地で、比較的容易にカメラを担いだテレビ局員が駆けつけることが出来る点。

 第二に、万が一、ミッションが失敗に終わって重傷を負ったとしても、生き長らえる可能性が高い、高度救命救急センターが近隣にある。

 ・・・その二つが主な理由だろう。


 だから樋口にニュービルディング芝は選ばれた。  

 

 しかし、そもそもこの騒動の出発点は、樋口の持つ独特な性質にある…と私は考えている。

 樋口は人一倍感受性が強いが故に…[包み隠された人間の本心]を望まなくとも理解してしまうのだ。

 人間が口にする建前と、内に秘める本音との差に落胆しながらも、人の役に立つことが自分の存在意義だと認識していた樋口が、人の気持ちを過度に忖度したことで、この騒動が起こった…と私は推量する。

 樋口の性質を理解している上司と呼ばれる人間に、そのように仕向けられたとも言えるが…。

 

 余談だが…人間とは異なり、我々担当者は裏の顔を持ち合わせていない。人間以外の生物と同じように。

 『角が立たないように!』といった“気遣い”や”配慮”の概念もない。

 我々の言葉は、それ以外の意味を持たない。

 対象者に向け、担当者の口から発声された言葉は…[私たちそのもの]と言っても言い過ぎではない。

 もしも樋口が、人間のみならず、担当者の心も読めてしまうのだとしたら、ビルの屋上で私と初めて対面した彼は…『さぞや…驚いたことだろう』

 

 ニュービルディング芝で起こった出来事を、時計の針を巻き戻すように…私は再び脳内に描く。

 

 ビルで起きていた騒動の概要を、間接的ではあるが、私に説明してくれたサラリーマン風の男。もしかすると彼は、樋口が勤める会社…(株)エフォートレス・フォートレス・ジャパンの同僚なのかも知れない。

 

 (けが)れた業務命令

 

 樋口が本当にエアークッション目掛けてダイブするか否かを確認するために、男は騒動の現場に赴いたのかも知れない。

 

 『お前のことを、私は貴重な存在だと思うが…人間としては厄介な性質を持って生まれたものだな…これまで生きづらかっただろう? なぁ樋口』

 私は同情心を一ミリも込めず語り掛ける。

 しかし、一貫して樋口が口を開くことはない。

 

 生きていることを証明するかのように動く、意識のない樋口の腹部を、私は漫然と眺めている。

 『つまらん…樋口…私の話し相手になってくれ』

 

 私の思いを察知したかのように、携帯電話が鳴った。

 労働後の担当者にとっては珍しい出来事である。

 『次の労働要請かも知れない…』

 そう思うと、私は少しげんなりする。

 労働第一、それに異論反論は一切ないが、何事にもリフレッシュ・タイムは必要なのだ。

 『今の私はテレビを欲している!』

 

 サービス残業中の私は、仕方なく携帯電話を開く。

 『ん? 珍しいな…普段は素っ気ないメールしか寄越さないのに…』

 メールには、樋口の続報が記されていた。

 通常ではあり得ない、細やかな対応に、私は少し樋口が羨ましくなる。

 『至れり尽くせりだな…これは破格の扱い…VIP待遇だぞ! 樋口』

 私の元に届いたメールには…以前樋口の母親が、ある人物に向け(したた)めた手紙が添付されていた。

 時間を持て余している私は、樋口の母親に成り代わって、それを読むことにする。


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