【21】
落下物と化した樋口のお陰で騒然としている地上に、私も下りることにする。階段を使い。
人間の中には来た道を戻る際、時間が短縮されたような感覚を抱く者がいるようだが、私にとっては変わらない…常に一定である。
私は急ぐことなく、かといって寄り道もせずに落下地点へ向かう。
階段を下りている最中に、ポケットの携帯電話が鳴った。
騒動が無事に結末を迎えた折りには、担当者の元にその詳細がメールで送られてくる。
我々の業界で、それは慣習となっている。
ただし、私は[歩き携帯電話]は好まない。
その行為は非効率この上ない。
物事は一つ一つ片づけていった方が効率的である。
忙しぶっている人間は効率的に動けていないだけで、勝手に自分で忙しくなっている場合が殆どなのだ。
ビルを上ったときと同じように、あっという間に地上に舞い降りた私の目の前には、意外な光景が広がっていた。
地上の状況は、私の想像していたものとは異なっている。
担当者としての経験から、私が導き出した未来予想図とは、異なる景色が目の前に描かれていた。
落下によるダメージは大きいものの…
対象者である樋口は辛うじて…生きていた。
「うぅ・・・うぅ・・・」
今現在、樋口が出来る唯一のことだと思われるが、確かに樋口は呻き声を上げている。
『いったい…これはどういうことだ?』
私は疑問に思わずにはいられない。
全身の痛みにより、低い声を漏らす樋口の傍らには、空気が抜け、萎れた巨大なエアークッションがある。
この結末を大多数の人間が支持したとは私には思えない。
しかし、確かに樋口はエアークッション上に落下したようである。そう推測出来る。
バーーーーーン
屋上まで響いたあの衝撃的な音は、樋口が地上に叩きつけられた衝突音ではなく、樋口の落下によって引き起こされた、エアークッション内の空気が外部に飛び散った破裂音だと思われる。
パンパンに膨らまされた大きな風船が割れたときのような破裂音。
バーーーーーン
現在、ビルから転落した樋口はアスファルトに横たわっている。しかし樋口の落下音が、何度も何度もリフレインされ、私の耳にまとわりついて離れない。
バーーーーーン
骨折なども考えられるが、大量出血などの目立った外傷は見受けられない実際の樋口は、私の二、三メートル先で複数の救急隊員によって、ストレッチャーに乗せられようとしている。
・・・にも関わらず、音が止むことはない。
バーーーーーン
この騒動の結末を当てられなかった担当者の私に対する当てつけのように…クイズ番組の不正解者に対する罰ゲームのように…人が一人ギリギリ入るアクリルケースに閉じ込められた私は、そこに放り込まれ膨らみ続ける風船によって逃げ場をなくす。そして間もなく…それは破裂し、白い粉が舞い上がる。
バーーーーーン
クイズ番組の観覧者ではなく、現実の騒動の野次馬はブレることなく…“物言わね物体”に、なり掛けている樋口に対して執拗にレンズを向け続けている。
『何だ…その安いジャーナリズム精神は?』
人間の性質に精通している自負はあるが、人間は期待を裏切ることなく、毎度毎度私を呆れさせる。
『良い趣味をお持ちだ。痛みに顔を歪める負傷者の姿を、記録に残そうと躍起になっている。重傷を負っている樋口に代わって、お前たち人間を見ている私の方がゲボを吐き出しそうだ。まぁ私たち担当者に内容物は存在しないがな』
長年人間を見続けきた私には、[現在生きている人間]に対して疑問が一つある。
どうして昨今の人間は、日常の風景や取るに足らない景色を、画像や動画として残そうとするのか。
そしてなぜ、より多くの者にそれらを見せたがるのか。
『自己顕示欲を満たすためか?』
『それとも承認欲求か?』
『そんなに誰かに認められたいか?』
取り憑かれたかのように、樋口にスマートフォンを向ける彼らの心に、届かないことと知りながら、私は問い掛けずにはいられない。
『まぁ薄々気がついているかも知れないが、念のため教えておいてやる! お前たち人間がどこへ行こうが…そこで何をしようが…何を食べようが…一部を除き、殆どの人間に関心は持たれていない。残念ながら。周囲の人間は関係性を壊したくない一心で、興味のある振りをしているに過ぎない。[いいね]なもんか…彼らの本心は[どうでもいいね]なのだよ』
相も変わらず樋口は、野次馬たちに奇異の眼差しを向けられ、撮影され続けている。
そして頭部が動くことがないように樋口はストレッチャーに固定され、大きく開けた恐竜の口のような救急車の後部ドアに、飲み込まれようとしていた。
まるで恐竜の腹を満たすために用意された餌のごとく。
『捕食される瞬間を目撃している気分だな! 本当に樋口は病院に運ばれるんだよな? 火葬場ではなく…』
私の労働は無事終了していて、これはサービス残業のようなものだが…私も救急車に乗り込むことにする。
『病院の待合ホールには、きっとテレビがあるに違いない!』
私は小躍りしそうになる。




