【15】
担当者と対象者
私たちが会話に興じる一方で、刺激を与えないように気を使い、腫れ物に触るように対応していた警察官たちは黙り込み、こちらの様子を窺っている。
突然、樋口が独り言を口にしたように見えたのだろう。
担当者は対象者以外の人間に視認されることがないので、樋口が唐突に喋り出したことに、彼らは訝しげな顔を浮かべている。
『頭がおかしくなったのか?』とでも想像しているのかも知れない。
私は意識を樋口に集中し、話を続ける。
「自殺志願者でなければ…樋口、お前はただの愉快犯か?」
騒ぎを起こして注目されることでしか、生きていることを…自分の存在価値を…認知出来ない奇特な人種が人間の中には一定数存在する。それは私たち担当者にとって常識、あるあるである。
「それとも…この騒動の一切合切を動画として録画し、後で動画投稿サイトにアップする。それで閲覧数を稼ぎ、広告収入を得ようとしている…奇特な最下層のユーチューバーか?」
私の問い掛けに、樋口は一言も発することなく、ただ微笑を浮かべている。『このおばさん…よく喋るな~』とでも思っているのかも知れない。
ただし刺激を与えることなく、人間の本心を炙り出すことは不可能、特に樋口みたいな内向的な人種は。
『警察関係者が対象者になったら、そのときは教えてやろう』
だから私は話し続ける。
「カメラはどこだ?」
360度見渡し、片足を持ち上げ…「羽生結弦~」と発し、私はその場で一回転して見せた。
「シングルループ」
フィギュアスケートは中年女性に人気があるようで、それを好む私も中年かも知れない。
人間ではないので中年担当者だ。
「自作自演のユーチューバーとして警察に逮捕されるか? 地上に飛び降りて絶命するか? 結末は私には分からないが…樋口、どうせダイブするならフィギュアスケーターのように芸術的に飛び込めよ…私がジャッジしてやる!」
とは言ったものの…『その決定権は当事者のお前にはない。多くの支持を得た部外者の意見が採用される。申し訳ない』と私は心の中でつけ加える。
「うっ、うるせえな~…なっなにワケ分かんないこと言ってんだよ…クソババア」
樋口の一際大きな声が屋上全体に響き、そこにいる人間、即ち警察官たちはざわめく。
「久しぶりに口を開いたと思ったら…あぁ嫌だ嫌だ。世も末だな。口の利き方も知らない青二才が! まぁ確かに客観的に見れば、私はババアには違いない。しかし、クソとは聞き捨てならないね。ここからダイブしてクソまみれになるのはお前の方だよ若造! 最もクソばかりか、体内の血液や臓器が元気良く飛び出すことになるがな」
樋口は苛立ちで全身を揺すり、足を小刻みに震わせている。
「あ! 樋口、お前に朗報があるぞ。仮にお前がここから地上にダイブして命を落としたとしても…この模様をお前自身が録画していなくても…この一連の騒動は何らかの形で残る。きっとテレビ中継されているからな」
仮にオンエアされなくても、倫理的に問題があったとしても、現物がある限り、常に刺激を求めているイカれたネット中毒者によってアップされる。
削除されても繰り返しアップされ続けることだろう。
これでも私は担当者の端くれ、人間のことはよく理解している。人間とはそういう生き物だ。
「樋口喜べ! 実際に命を落としたとしても、ネット上でお前は生き続けることが出来る。ただし…お前のパーソナリティーは自殺者以上でも以下でもない。年配者から見れば、親から貰った命を粗末にした大馬鹿者。お前と同年代の若者には、現実社会からドロップアウトした逃避者、臆病者、チキン野郎としてしか記憶に残らない。極端な話…自殺するためだけに生まれてきた人間。あぁ可哀想に…」
「だっ…黙れ! 黙れ! 黙れ!僕はユーチューバーなんかじゃない!」
やっと樋口の感情が溢れてきた。
感情的なところが人間の唯一の長所と言っても過言ではない。
担当者は対象者に対して、決して手を緩めたりはしない。
打つ手が見当たらず傍観者と化している警察官を後目に、私は続ける。
「では…なぜこんな所に座っている。友人或いは恋人と呼ばれる人間に、裏切られでもしたか?」
人間が口にする友情、愛情、信頼がいかに脆く、疑わしいものか? 人間が起こす騒動を通して、否が応でも私は気づかされる。認識せざるを得ない。
樋口に本当の友人または恋人がいれば、ビルに上る前に、その人間の力添えによって…この状況は回避されていたはずだ。
仮に知らなかったとしても、この騒動をどこかで耳にしたら、何もかも放り出し、一目散に駆けつけるはずだ。
人間が軽々しく口にする、友情や愛情が本当に存在するのであれば。
嘘ばかりの人間たちは『嘘も方便』などと、自分たちの行いを正当化する言葉まで作り出している。
正直者が、その嘘にまみれた世界で生き続けるのはタフ過ぎる。
若くして自ら命を絶った人間は、自心に誠実だった者ばかりだ。




