【1】
人間はシチュエーションによって様々な“顔”を使い分けている。
それと同じように、同一人物により生み出された読み物も色々、バラエティに富んでいるものです。
時には…ほのぼのとした話。
または…その対極に位置する物語。
作り手としては、どのようなジャンルであっても表現することに変わりはないので、同じように書いているのですが…
今作は、普通に愛情を注がれ育った人が、異性に求める条件の第一位であろう…『優しさ』からはかけ離れた、ほのぼの感ゼロのお話です。
まぁ客観的に見て、世に言う…『優しさ』は余り持ち合わせていないだろうなぁ~と思う人間が書いているので…仕方ありませんね♪
ただ…人の上っ面を撫でるような社交辞令的な物語よりも、生きとし生けるものとして自身に正直である…今作のような話が私の好みでもあります。
『正直でありたい』
未来の自分自身に対しても、私はそう願っています。
虚栄心。
生きていると、必要以上に自分を装っている人に出くわすことが多いですね…自戒を込めて。
因みに『15歳未満…』はあくまでも保険です。
大丈夫だと…大したことはないと…思います。
シリアスで、少しダークなお話ですが…よろしければ♪
『暗がりだからこそ、微かな光を見つけることが出来る』と考えられる素敵な思考の持ち主のあなたに・・・
そんな蛍的なあなたに・・・
薬であれ…
酒であれ…
・・・・・
何であれ
人間界にあるモノには決められた量、つまり適量というものが存在するらしい。
しかしながら街を歩けば、重厚な鎧を纏っているかのように、のっしのっしと歩く、明らかに栄養過多な肥満体型の人間と当たり前に遭遇する。
適量を自分たちで定めておきながら、それを守ることが出来ず、その結果日常生活に差し障りがあるくらいに脂肪を蓄えるホモサピエンス。
戦いに挑むために、意図的に身体を大きくしている力士などは該当しない。
怠惰な食生活が原因で、無駄に肥大化してしまった者…彼らを目にする度に、人間とはつくづく哀れな生き物だなと思う。
だが、ことテレビに関して私は、人間のことをとやかく言える立場にはない。
どの程度テレビを視聴し続けたら健康を害するのか、適量はいか程か、人間に訊ねたことがないので判然としないが、一度目を向けてしまったら最後、人間によりスイッチを消されない限り、私は永久にテレビを見続けることになる。
最も人間とは異なり、体調の良し悪しのない私がテレビを視聴し続けたところで何ら影響はないのだが…人間の時間は有限、限られており、それでは本来の職務に悪影響を及ぼしてしまう。
胸を張って言う程のことでもないのだが、労働に従事するために私は存在しているのである。
余暇であるところのテレビが原因で、労働に支障を来すようでは私の価値が損なわれる。
本末転倒
メイン・ディッシュ無きコース料理が存在しないのと同様、労働が無ければ私がこの世界にいる理由は見当たらない、ということだ。
つまりテレビとは、別腹に蓄えられる言わばデザート。
それに費やす時間は至福で、そこは魅力的な空間なのだが、あくまでもメイン・ディッシュは労働である。
労働の合間を見つけては、テレビを見るために私はその場所まで赴く。
病院の待合ホール
家電量販店
一日の行動がルーティン化している規則正しい生活を送る人間が住む家
・・・・・・・
人間が作る、低俗極まりない突っ込みどころ満載のテレビ番組を視聴するために、私はそれらの場所に足を運ぶ。
毎度毎度私は釘づけになり、視聴しながら独り言を言う羽目になる。
愚かな人間が中毒、依存症になる姿を数多く目にしてきたが、ご多分に漏れず私も立派なテレビ依存症である。
とりわけ営業中にスイッチが消されることのない家電量販店は…私にとってはパラダイス。
が、幸か不幸か必然的に閉店まで居続けることになってしまう。
それを理解している私は、良い頃合いで切り上げることが出来る場所を、いくつか[行きつけ]として持ち合わせている。
まぁそこの主に断りもなく足を運び、ズカズカと上がり込み、入り浸っているだけだが。
何せ私の姿は、[対象者]以外の人間の目に触れることがないので…勝手に、という表現が的を射てるだろう。