前文
ーーコポコポッ
弾けるような水の音と、鼻の奥を抜けるようなジャスミンのいい香りに、目を開ける。目の前には、花の紋章が事細かに刺繍でもされたかのように描かれた天井と揺れるカーテンがあった。包み込まれているようなこの感じからして、どうやら、私はベッドの上に横たわっているらしい。
「ーー目、覚ましました?」
少し幼い声に顔を横に向けると、そこには紺いろの髪で青い目をした、エプロン姿の男の子がいた。驚いてばっと上体を起こすと、ここは元々いた県立公園の噴水のなかでもなく、海のなかでもないことに気づいた。すぐに、私を心配そうに見つめる横の男の子に問い詰める。
「あの、ここは一体どこですか?」
「良かった、話せるんですね。これ、ジャスミンティーです。温まりますよ、どうぞ。ここ?ここは水の大都市、ラリュールウォーターです。お姉さん、観光のひとですか?」
男の子は説明しながら、ジャスミンティーを渡してくれた。なるほど、さっきのコポコポという音はジャスミンティーを汲む音だったのか。ラリュールウォーター...全くきいたことのない都市名に少し戸惑う。
「観光ではなさそうですね?だってお姉さん達、いつも使う水路に倒れていたから...。あ、一緒にいらっしゃったお姉さんとお兄さんは下でご飯召し上がってますよ」
「...ありがとうございます。私は詞織といいます」
「僕はリヒトといいます。宜しくお願いします、詞織さん」
ジャスミンティーを飲みながらではあるが、互いに自己紹介した。好印象のリヒトくんは、にこっと笑ってくれた。つまり、この子は正体不明の私達を助けてくれたということだ。水路に倒れていた...?水路...そう言えば、さっきから海の匂いが微かにする。カーテンが揺れる窓から、風に乗って香ってきてるのだろうか。海が近いのか、微かに波の音もする。梨華とライデインくんは、下で食事を済ませているのだそう。体は思っていたより、軽いのですっと立ち上がった。
「あ、下に降りますか?案内しますよ」
「はい、降ります。あの、部屋借りてて大丈夫だったんですか?」
「はい、大丈夫です。それに元々、この部屋は...」
私が問い掛けると、リヒトくんは気まずいかのように口ごもった。首を傾げると、何でもないですと苦笑いをしていた。...もしかしたら、聞いてはいけないことを聞いてしまった?階段を降りていくリヒトくんの横顔を見ると、さっきは光に照らされて気付かなかったが、目の下にクマがあった。寝不足なのかな?目の下にクマがあっても整った顔立ちは、とても綺麗に見えて、どこか少し寂しそうだった。
そんなことを考えながら、階段を降り終わると待合室のような部屋に梨華とライデインくんと、リヒトくんと同じエプロンをしている男の子がいた。ミルクティーのいい香りがする。三人はミルクティーを飲んでいるようだ。いや...その前に...この目の前の光景が凄いのではないだろうか。
目の前には、たくさんの花が広がっていた。マリーゴールド、コスモス、薔薇、百合...他にも沢山の花が周囲からいい香りを香らせている。それぞれ、綺麗なガラス細工の花瓶に入っているのを見る辺り、ここは花屋なのだとわかる。
「びっくりしました?うち、花屋なんです」
「...うん。びっくり」
更に足元を見ると、無数の細い水路があり、水音が静かに立っていた。途中で途切れている水路は花が飾られている棚に複雑に組み立てられており、花瓶に水が入るように細工されていて、とても綺麗だ。そうか、常に水に触れているからここの花たちはこんなに生き生きとしているのか。
「しーおーり!遅く起きたくせに謝罪の一つもないなんて、どういうつもりなのよ」
「梨華、ごめんね。花があまりにも綺麗だったからさ、見入っちゃった」
梨華に軽く怒られると、話をそらしてほしい私の流れるような話題転換にライデインがそうだよね、と共感してくれた。そして、ちょっと待ってね、とリヒトくんに断りを入れると、離れた場所で円になって、こそこそと話始める。
「まず、此処は日本なのかな?日本語話せるってことは日本に近しいところなのかも」
「でも、可笑しい。日本にはラリュールウォーターなんて、横文字の洒落た場所なんてないわよ?」
「それに、ここは海がある街だよね。日本でいう、沿岸に位置してるわけだけど、こんなに洋風造りの建物は見たことないよ?ここにくるときも、熱帯魚が泳いでたわけだし、明らかに日本ではないよね」
少し、整理してみる。ラリュールウォーターという日本では聞いたことのない地名。噴水から飛び込んで、どういけわけかどこかの海に漂流。そのどこかの海には熱帯にしか生息しない熱帯魚。沿岸でレンガ等の洋風造りの建物。あまりに日本にいて聞いたことのないものが多いことから、明らかにここは日本ではないらしいと、そう悟った。つまり、ここが日本ではないのなら、日本で見つかっていない秘境、ないしは、日本のあの公園となにかしらでつながっている場所ということになる。
「ってことは、私達は日本から、ここになにかしらの作用でワープしてきたってわけね。つねっても痛いから、これは現実に違いないわ。一先ず、ここのことを私たちを助けてくれたあの少年に教えてもらおう。話はそれからよ」
梨華の言葉に私とライデインくんは相槌を打った。
それから、梨華に先ほどの寝坊を注意され、笑っていると、私達のほのぼのとした会話に、梨華達と待っていた男の子が分かりやすくため息をついた。私がびっくりして振り返ると、更にひじをついて、不服そうにしている。
その様子を見たリヒトくんは、私に食事のチーズケーキとミルクティーを渡しながら、男の子を軽く注意した。
「もう、エク。お客さんに失礼だろ」
「だって、助けた上に寛いでいる殿方に、忙しい俺たちが何でこの国のことを話さなきゃいけないわけ?」
愚痴を溢すエクくんと呼ばれる男の子はリヒトくんに注意をされている。エクくんは少しタレ目なのだが、眼光は鋭い。その鋭い目で私達を睨んでいる。どうやら、私達はこの男の子エクくんには歓迎されていないようだ。異国のもんはこれだから...と更に愚痴を言っている。
「まあ、こいつのことはほっといて、あんまり怒んないでやってください。改めて、僕の名はリヒトといいます。この花屋、リンクローバーの店主です」
丁寧にリヒトくんが自己紹介を終えた後、リヒトくんの目先はエクくんに向けられる。次はお前だ、と目が訴えている。
「...俺はエクっていう。リヒトの幼なじみ。一つ言わせてもらう。俺たちは今忙しい。あんたら異国人に構ってるひまはない」
エクくんの気だるい自己紹介の最後の帯は聞かなかったことにしよう。歓迎されていないことは十分に伝わった。今度は私達の番だ。
「私は梨華。ここにいるのは詞織。そっちに座ってるのは、ライデイン。一応、宜しく。私のことを助けてくれたことに、礼をいうわ。で、助けてもらって何だけど、私達はこの国のことが知りたいのよ。教えてくれない?」
梨華の質問にリヒトくんが首を傾げる。
「その知りたい理由は何です?」
「...この国に、もしかしたら誘拐された親友がいるかもしれない。だから、まずは敵の陣地をしるの」
真っ直ぐな梨華の想いを改めてここでしった。私達も未だにこの状況が理解出来ていないなか、梨華はこの国に美愛がいるということに賭けているんだ。リヒトくんと話すときの梨華の瞳は、紫が濃くなっているように感じる。
ーーふと、脳に声が響いた。
《...この国に誘拐。もしかして、生け贄か?》
この声はすぐにリヒトくんのものだとわかった。一瞬、リヒトくんの眉が潜んだからだ。何か、考えている様子。生け贄?その言葉にゾッとした。何か、この国で起きようとしているのかもしれない。生きた人間を捧げるような、恐ろしい事が。
「まあ、いいです。教えます。ですが、今の話を聞いて、この国にその親友さんがいるのも確証がとれました。本当はお姉さん達に自身のことを聞きたかったけれど、止めておきます」
《水路に倒れてたのも、必死で追いかけてきて、海に溺れでもしたんだろうな。窒息で記憶が飛んで、自分たちのこと、あんまり思い出せないのかもしれないし。深追いはしないでおこう》
...?何故、誘拐と言う言葉だけで確証が持てるのだろう?やはり、この国で何かが起きようとしているんだ。聞こえてきた心の声から、リヒトくんは私達のことが知りたかったらしい。嘘をついているようで、心が痛むが、私達自体此処にどうやって来たのかを説明するほうが難しいし、まだ良く分かっていないから、このままの解釈をしてもらうしかない。
「あの、確証が持てるのは何で何ですか?」
「...実は」
ライデインくんが核心を突くと、リヒトくんは口をつぐんだ。エクくんがリヒトくんの前に立ち、庇うように話始めた。
「リヒトがこうして寝不足だったり、辛そうにしているのは、あんたらと同じようにリヒトの幼なじみが誘拐されたからだ。」
「...同じように?」
リヒトくんたちも被害者だったのか。クマが出来ていたのは寝不足に加えて、この話に触れるのが辛いから、寂しそうに見えたんだ。
エクくんは、しっかりと話始める。リヒトくんを庇うように、大きな声で。
「この国は5年に一度、女王の命によって他の国や自国から、三人の若い娘が生け贄として女王に捧げられる。つまり、誘拐だ。あんたらの親友もそうかもしれない。しかし、若い娘は美しい容姿と声を持っていなければならない」
「何のために?」
「女王の命は絶対だ。女王は若い娘の声を使って、五年の間、自分の声を美しく保ち続けるのが目的だ。」
他人の声を使ってまで、自分の声を美しくしたいのは何でなんだろう。私が首を傾げると、エクくんは私を見て、ため息をついた。...なんか、負けたわ、私。
「...やることが理解出来ないって顔だな。ラリュールウォーターは見ての通り、水の都だ。五年間で行われる国や連盟の会議で、水の都と栄えている国の女王がグズ声じゃ国の尊厳に関わる。加えて、女王は美声を持つことで国を栄えることができる神力を持っているからな、国の繁栄に繋がるんだ」
なるほど、だから五年おきに生け贄を捧げるのか。でも、私は思ってしまったことがある。国のためならと、人の命を卑下にしてまですることなのだろうか。私はこの国のことはどうでもいいから、こう思えてしまうのかもしれないけど。尊厳とか、繁栄とかで人の命をどうこうしていい問題ではないと思う。
「そんなことのために?」
考え通りの問い掛けを梨華が代弁してくれた。
「...本当に、そんなことだよな」
反感を買うのかと思ったら、リヒトくんが俯いたまま、自嘲気味に、言葉を吐いた。リヒトくんのその様子にエクくんが唇を噛み締める。
「女王の声なんて、本当はどうだっていいんだ。この国は暮らしてきた大切な国だ。でもあいつがいないなら、この国で花屋をしていても、全く楽しくもない。無礼は承知の上だけど、この国だってどうでもいい。僕は...」
先ほどの丁寧な敬語も消えて、リヒトくんの本音のようだった。声も心なしか涙声のようだ。...でも、その気持ちを痛いほどに分かってしまう自分がいた。私も、そう思う。美愛がいない暮らしなんて、楽しくない。脱け殻のような生活が予想されるもの。そう考えて、しまう。エクくんは周りのどよんとした空気を汲み取ったのか、すぐさま口を動かしている。
「...俺も、この国はどうでもいい。でも今回は特別なんだ。今年は女王が生け贄の声を欲してきて、100年目なんだ。先代の国王の予言で、100年目の生け贄には"神の御子"が現れるのだと。だから、国中の若い娘を集め、その御子を選抜するのだと。」
「その、神の御子っていうのは一体なんなの?」
「...神の御加護を受けた愛し子のことだ。他の娘と御子の声を女王が吸収した後、のち100年は生け贄も必要なく、国には膨大な富が訪れると云われる。」
そんな膨大な力が、一人の女の子にあるのか...。100年の犠牲を埋める力があるなんて、到底思えない。その神の御子と言う言葉がどうも引っ掛かる。まだ、美愛が生け贄と決まったわけでは無いけれど、胸騒ぎがする。
すると、梨華が腕を組んで、はっきりといい放った。
「大体の事は分かったわ。有り難う。じゃあ、益々、君たちの幼なじみと私達の親友が生け贄にされてるかを確かめなきゃいけないってことね」
「でも、どこに?」
「...それなら、もう少し、定刻になれば、大通りでパレードが行われるはずだ。そこで、100年目の祭りの生け贄が分かる。どっちにしろ、行かなければ分からないだろ」
そうか、いくら生け贄を捧げるといえど、この国にとっては100年間繁栄してきた記念のお祭りなのだ。大々的にお祭りをしなければ、記念にはならない。...たとえ、それに人の命が携わっていても。
「...行きたくない。怖い...」
私達が立ち上がっても、リヒトくんは椅子から立ち上がろうとしなかった。手足が心なしか震えている。意志が強そうな瞳でも、その目元にはクマがあり、涙で潤んでいるのを見ると、この子はまだ幼いんだなと思った。
その様子を見て、梨華が苛ついたのか、
「あのねぇ、男がめっそめそ泣いてんじゃないわよ」
と、飛びかかったが、横にいたライデインくんが梨華を宥めた。エクくんも、リヒトくんに寄り添って背中をさすっている。
「神木さん、リヒトさんも辛いんだよ。誰だって、そうだと認めたくないときがあるでしょ。神木さんだって、生け贄なんて言葉聞いたら怖いよね?」
「...うっさいわね。...別に。私はそうじゃないようにって願うだけ」
梨華は不服そうに背を向けて、花屋を出ていった。《何よ。何も知らないくせして、偉そうに》
その直後、梨華の心の鋭い声がして、脳に響いた。でも、それを口にしなかっただけでも、まだ偉いと思う。...きっと、その事はライデインくんが一番気にしているはずだから。梨華の少し怒った態度にライデインくんは、少し苦しそうな顔をした後、先行ってるね、と行ってしまった。
「もう、リヒトは弱っちいやつだなぁ。昔から。あーんな異国人に馬鹿にされて、良いのかよ?認めたくない気持ちも分かるけど、行かなきゃ分かるもんも分かんないぞ?」
「そうだよ、行こう。リヒトくん」
私はエクくんの優しさに紛れて、リヒトくんを説得した。まあ、書く言う私も、異国人なのだが。
「...ん。...がんばって、いく」
涙をぬぐって、立ち上がったリヒトくん。ちょっと不安を映した瞳にはまだまだ涙が溜まっていたけれど、歩けそうだ。エクくんに先ほどの紛れ行動に気づかれ、お前も異国人だったな、と睨まれたが口笛を吹いて気付かないふりをした。
パレードが行われるという大通りへ向かう。リヒトくん達が経営している花屋さんを出ると、活気であるれる人々が楽しそうにしている光景が広がっていた。
1,5メートルぐらいの水路に、数多くのカラフルな小舟があり、色々なモノを売っている。
「みずみずしい果物があるわよ!今なら特産品の甘いあまーい林檎が安いわよ!」
「林檎に負けてないよ!こちらのカラフルな野菜もみずみずしくて、美味しいよ!」
「お祭り用の綺麗なチャームはいかが?」
「踊り子用のドレスもあるよー!」
水路沿いを歩いていると、お店の売り子さんが色んなものを薦めてくる。興味が湧くが、今はそれどころではないのだ。立ち止まるわけには行かない。
「君たち、この国のひとじゃないね」
しかし、突然話してきた兵服を着たお兄さんに行く手を遮られてしまった。やんわりとした声だが、言葉は鋭い。
「...?そうですが、何か?」
「それでは、ダメだ。この国に入るには通行証がいるはずだ。関所で貰わなかったのか?」
言われてみれば、確かにそうだ。リヒトくんからの話によれば、私達は水路に倒れていた。其をリヒトくんは海で溺れて来たのだと推察していた。リヒトくんたちが私を見つけた水路は裏路地であったし、関所に近いこのお店の周りに兵がいるのは当然。この鋭い目付きは私達のことを不法侵入者だと疑っている様子だ。
「...黙りで知らないふりか?祭りに、お前達のような不法侵入者がいては、空気が淀む!すぐに立ち去れ!」
「...黙ってなんかないわよ。私は見ていたの。あんたのサボり振りを。」
「...!?なんだと?どこにその証拠がある?」
「あんたそのものに。」
梨華に言われて、兵のことをじっと見ていると、外見ではなく、林檎の匂いが鼻をかすめる。売り物の林檎の匂いかと思ったが、それにしては距離が遠い。つまり、この兵から、林檎の匂いがしているのだ。
「恐らく、林檎酒でも飲んだんでしょ。顔は赤いし、目は虚ろになってる。口臭も林檎臭い。それが証拠よ。それに酔っていなければ、私以外のすぐそばにいる不法入国者がわかるはずなんだけど?
あら、こんな盛大なお祭りの最中に、サボりをするような兵がいて、空気臭くならないのかしら?」
梨華の言う通り、先ほどから周りにいた不法入国者とおぼしき怪しい商人はそそくさと逃げていった。すると、兵は梨華の言葉を聞くや否や、不味そうな顔をして、すぐに激昂した。そのまま、私たちに向かって、腰の剣の刃先を突きだしてきた。エクくんとライデインくんが止めに入ろうとしたその時。
「こんにちわぁ」
と、いたずらっこのような明るい声が響いた。剣の刃先は梨華の前に出てきた男の人によって止められた。その場にいたあらゆる人々が手や足をとめ、その瞬間を目の当たりにする。
「あのさ、今おにーさんがしようとしたことは罰を被ること重々承知の上でしたのかなあ?ふふん、度胸あるね。罰を受けてまでさ、女の子の顔、ズタズタにしたいの?」
「...っ!なっ、なんだ貴様は!これは我々の問題なんだぞ!」
「へぇ?素敵なお祭りの最中に、道の真ん中で大騒ぎして迷惑かけてることが問題以外の何になるのかな?」
面白いねぇと、男の人は顔を緩める。顔の凛々しさと言ってることが真逆すぎて、驚きの他ない。情けなく兵はたじろぐと、剣を腰にしまい、ずかずかと去っていってしまった。男の人はバイバーイと呑気に兵に
手を振っていた。
私達は唖然として、男の人に振り返ると、その容姿の端麗さに更に驚く。髪は短く若草色でつむじの頂点から、髪が一本だけぴょこんと立っていて可愛い。少したれ目気味のエメラルドグリーンの瞳の奥には、更に深緑が潜んでいた。耳に光る赤い宝石のピアスは、ゆったりとした容姿と相反して、目立つ。高い身長は、梨華や私を易々と超えて、ライデインくんの身長でさえ越している。おそらく、ライデインくんと同じくらいの『イケメン』の分類に入ると思う。年は同じぐらいだと予想できる。なんか、檸檬を収穫してそうな、爽やかな見た目だ。
「大丈夫?けが、してない?」
屈むようにして梨華を見つめる男の人の心配の声は民衆の声によって掻き消される。周りの民衆は、男の人に賞賛の声をかける。其がだんだんに大きくなり、人も沢山集まってくる。男の人はきょとんとしているが、すぐさまリヒトくんの案内でその場を離れた。
大通りの看板を見えてきた頃、先ほどの人の数も減り、やっとのことで男の人と話せる。
「先ほどは、私の友達がありがとうございました」
簡単ではあるが、お礼をすると、男の人はにこりと笑顔を見せた。
「いえいえ。それにしても、通行証持ってないの珍しいね。ここの関所、かなーり厳しいのにねえ。あ、申し遅れました、俺はロザリー・サリアクア・リカルド。リカルドって呼んでねー」
いやはや、名前長いな。イケメンって皆名前長いのか。すると、リカルドという男の人の自己紹介に、リヒトくんとエクくんはぶほっと急に吹き出した。どうしたのさという目線を向けると、二人とも目が泳いでいる。口にばつマークを作り、こちらにジェスチャーしている。?...話すなということかな?どういうことなんだ?
「君たちの名前は?って聞きたいところだけど、やっぱりいいや。もう少しでパレード始まるし、そろそろ大通りに行かない?一緒に。」
返事をいう前に一番手前にいた、ライデインくんがリカルドさんに手を掴まれ、ぐんぐんつれてかれる。ライデインくんはなされるがままに、引っ張られていく。時折、ライデインくんの気の弱そうな声が零れている。私達は、足早にその後を追う。それにしても、何故名前を聞こうとしなかったんだろうか。こんなにひとが居たわけだし、一人一人に聞くのは面倒くさかったのかも。まあ、深く考えないようにしよう。
少し息切れしつつも、パレードが行われるという大通りへやって来た。目の前にはとっくに手が離されたライデインくんが疲労で弱っていた。リカルドさんは嬉しそうにうわあと感嘆の声をあげていた。
私も顔を上げて大通りを見てみると、その美しさに目がちかちかするほどの立ち眩みがした。城壁というのだろうか、大きくそびえ立つグレーのレンガの壁に、二つの門があり、そこに薄くかかる水のカーテン。その向こう側には、きっとお城があるのだろう。水路がある門の前には豪華な白塗りの舟が数隻浮いている。
水路は大きな噴水に繋がれていて、水の勢いが凄く、また造形が美しく荘厳で大通りの象徴なのだとわかった。人だかりがあって、良くは見えないがその大きな噴水のそばには多くの王兵がいた。鎧を身に包み、沢山の紙を抱えて立っていた。大通りに集まった人々は、王兵を見て更にざわめきはじめる。
「いよいよだな。恐らく、あの紙に神の御子と他の生け贄になる娘が記されているんだろう」
「...嫌だ。見たくない...」
エクくんとリヒトくんがごくりと息をのむ。私達も真剣に王兵が口を開くのを待つ。すると、リカルドさんはニコニコと微笑みながら、心を弾ませているようだった。その様子に少し不信感が湧いた。生け贄の発表なのに、何故そう笑っていられるのか?
よし、賭けに出るか。人が沢山いるなかではあるが、ここでリカルドさんの心の声を聞こうと思う。自分で聞きたいと思うときは、少し体力を消費するのだが...でも、知りたい。だから、少し試してみようと思う。
「...。」
神経を集中させ、感情や思い、考え事を脳からゆっくり切り離していき、聞くことに耳を集中させる。ふっと目を閉じた。...しかし、いつも聞こえてくる心の声は聞こえてこない。
調子悪いのかなと思った途端、チリッと火花が散ったように鋭く、熱い視線を感じた。これだけの集中が一瞬にしてほどかされたというのだろうか。視線の根源にばっと顔を上げると、リカルドさんが無表情でこちらを見ていた。
...!まさか、私の行動に気付いた?この人、さっきのことといい、一体何者なの?リカルドさんの濃い新緑の瞳は瞬きすらなく、私をじっと見つめる。私は気まずくなって、すぐさま目をそらす。大変だ、ばれたかもしれない。
スッと音なく近づいてきたリカルドさんが、何かを言おうとしたその時。
「これより!100年間の繁栄を祝い、我が国ラリュールウォーターの女王様に身を捧げる若娘が選抜された!先王が予言なされた神の御子もいることが判明した!よって、ここにその者達を表明する!!」
一番前にいた兵が声を大きく張り上げて、発表の合図をした。やがて、その兵の声に合わせ、沢山の紙は宙に浮き、大通りの人だかりに手渡される。紙と同時に、美しい花が降ってきて神々しかった。虹色に染色された、甘い匂いのする花だ。
そして、私は降りてきたその表明をふわりと手にする。どうやら、先程叫んでいた王兵達は、他の通りに楽器を演奏しながら紙と花を降らせていく。演奏楽器はバイオリン、フルート、トランペット、ホルン等...華やかで、力強い音色が響いている。
その音色が耳に飛び込んできて。その表明が目に顕になって。その神々しいはな達の甘い幻想のような匂いが鼻を掠めていく。
現実的ではないこの音色が色が事が、全部夢か妄想であればいいななんて。ふと思い浮かべた。
こんな結末を、一体誰が思っていただろうか。
《そーんな現実逃避して。君は大切なヒトをまぁた、守れないンダ。ちゃーんと前を見なよ?コレは現実だよぉ?》
耳の奥で響いた言葉に、あの幼い声に、ここは、これは現実なんだと呼び戻される。妄想、夢、虚構、お伽噺。これはどれでもない。でも、今はどれでもいいから、どれかを当てはめて楽になりたいと思った。
...私は。ここにくっきりと浮かび上がった現実等、信じたくなかった。
----声がする。
私のことを微睡みから覚まそうとする。未来は得てしてきてしまった。否応なしに、決断のときは来た。
声に、脳が活動を始める。
「...きて、起きてください!」
はっと目を開けると、そこは大きなホールのような部屋だった。...ずっと寝ていたような気がする。両手に違和感を覚えて、ふと下を見ると、自分の手には手錠とは違うが、それに良く似た鎖がはめられていた。鎖には番号らしきローマ数字が刻まれており、私は"13"と刻まれている。外そうとして、取り敢えず両手を振ってみるが、じゃらじゃらとした金属同士の擦れる音と、錆び付いたような金属の匂いが鼻を掠めるだけだった。
先ほどの声に振り返ると、隣には同じように拘束された中学生ぐらいの女の子がいた。女の子は蛍光色のピンクの瞳が綺麗で、可愛らしい顔立ちをしている。私を起こしてくれたようで、私の様子にほっと安堵している。
「良かったです、ずっと目を覚まさなかったらどうしようかと...」
「いえ、私もありがとうです!...それで、えとここは?」
互いにお礼を言い合い、場所を聞いてみると、女の子は顔を歪め、高い展望台らしきところへ目を向けた。
「どうやら、私以外にも沢山の女性がここにいて、同じように拘束されてるんです...」
周りを見渡すと、他にも女の子が沢山拘束されていた。加えて、年齢も同じぐらい。十代前半から後半に集中している。若い容姿に、どの女の子も見目麗しい綺麗な子ばかり。中には、泣いてる女の子や絶望的な表情をしている子といる。
先ほど起こしてくれた女の子に質問をする。まずはこの状況下のなかを他のこがどう思っているのか、確かめる。
「ごめんなさい、質問いいかな?貴女も、私と同じように誘拐紛いの事件に巻き込まれて、連れてこられたんだよね?」
「...!いえ、これは事件ではなく、催眠を利用した誘拐なんです...きっと。じゃなかったら、こんなところ。好き好んで来ません...」
「...うん。これは誘拐だよね。私たちは連れてこられたはずなんだ」
こんなところ...。ということは、この女の子にとっては認知している場所なのかな。"こんな"と嫌そうに否定している辺り、他の子にも歓迎はされてないようだ。そうじゃなかったら、きっと泣いたりも、絶望もしないはずだしね。
「ごめんね、ありがとう。見つめてて思ったんだけど、貴女の瞳は綺麗な春の色なんだね」
「...いえ。私の瞳はどちらかというと、綺麗ではなく...気持ち悪いに入ると思います...」
「...ふえ?」
ふと、女の子の瞳を見つめていて、綺麗だったので誉めてしまった。しかし、女の子からは謙遜とは違う、なんだか、瞳を皮肉ったような言葉が返ってきた。
「...もしね、誰かが貴女の瞳をそういったのなら、それは違うと思うの。私は貴女の瞳の色のおかげで、綺麗だなぁ、可愛らしいなぁっていう感嘆の気持ちになれたんだよ。だから、貴女の瞳は気持ち悪くなんてないよ。春を思い出せて、嬉しかったよ」
春は好きだから、思い出せて凄く嬉しい。きっと珍しいと判断されてしまったのかな。気持ち悪いなんて思いは、相手を否定する思いだから、私はあまり使いたくないし、使わない。そのひとにしかない色を否定されたら嫌だと、どうしてわからないのかな。
「...私の幼なじみと同じことをいうんですね。今まで、他人からこの瞳は否定されて来ました...、でも、私はこの瞳が好きだから。...お姉さん、ありがとうございます」
「そっ、そんなことないよ!好きって思うなら、もうそれだけで、貴女は大丈夫だよ!」
お姉さんなんて、久しぶりに呼ばれたなあ。なんだか、くすぐったいや。この子も私と同じように幼なじみがいるんだね。...私も、詞織と梨華に早く会いたいなぁ。そのためにも、今の状況下では動きようがないから、どうにかして退路を作らないと。
「あ、そうだ!貴女の名前はなんていうの?」
「私...ですか?私は、リスナと申します」
リスナ...響きが綺麗な、いい名前だね。名前を聞いたあとに、にこにこしながら私も自己紹介する。
「私はね、美しいに愛と書いて、美愛と申します」
互いに宜しくねと挨拶をすると、リスナちゃんはとっても可愛いらしい笑顔で微笑んでくれた。そうして、何かが起こるまで他の女の子がどうやって此処に来たのかを聞き込みすることにした。
「私は元々この国で暮らしてましたから、この祭典があるのは元より知ってました。でも選ばれるとは...。私は長い間船に揺られてきた記憶があります。何分、目隠しされていたので、記憶ですが...」
「うん、うん。ねえ、貴女は?」
「私は、隣国のものです。この国には祭典を見に来たという理由だけでしたのに、気付いたら王兵に捕らえられていました。そこからの記憶は全て大きなベッドです...」
...成る程。聞いたなかで、一人一人連れてこられた方法が全て異なっていることに気が付いた。それに、この国に来ただけという突然現れた娘さんを捕らえる焦り様が目立つなあ。これだけ大人数を集めるのには苦労するだろうけど、何故、そんなに焦っているのだろうか。この祭典には、なにかしら焦る理由があるってことかな...。一人一人の方法が違うのは、詮索されないように計画されている誘拐だからかな?ということは、なにかしら祭典にくるように事前に誘惑されるようなことをされている可能性がある。招待状とか...でかな?となると、焦る理由はなくなるな...。
では、私の記憶は?私はどうやって此処に来たんだっけ...。ただひたすらに自分の記憶を模索する。
覚えていたはずの記憶が全く脳を掠めない。私はこの多くの子が捕らえられていたホールに初めからいたとしか、思えない...。記憶の曖昧さに、違和感を覚える。こんなにも、すっぽりと記憶が抜けるものなのだろうか。
うーんと考えているなか、輪になっていた女の子たちの中から、一人の女の子に声を掛けられた。
「...私は、元よりこの世界の住人ではありません!まだ良く分からないけれど、連れてこられたんです...きっと、お母さんやお父さんが心配してる...」
涙で潤んだ女の子の顔は酷く寂しそうで、とても綺麗だった。女の子の話に、胸がどくんどくん...と早く鼓動をうち始める。
この、世界...?待って、ここは日本ではないの?状況をもう一度確認してみれば、その答えは愕然としていた。こっちの子は金髪、碧眼。一見、外国人に見える。だから、外国から来たのかなと思っていた。しかし、後ろの子は青の髪に空色の瞳。...よくよく周りを見てみれば、日本人にしてはあり得ない髪の色や瞳のいろ。...明らかに、ここは日本ではないと確信した。
では、私もこの世界に来た...ということになる。
すると、先ほどの女の子の発言に他の周りの子が疑問を投げ掛けた。
「何をいっているの?」「世界って二つも三つもあるのかしら?」「混乱のしすぎで脳がパンクしてるんじゃない?」「嘘は良くないよ」
その投げ掛けに女の子はうろたえて、肩を震わせている。しかし、その肩をがしりと掴んだ女の子達がいた。
「私たちもよ!この世界以外から連れてこられたの!」
周りからは驚きの歓声があがり、ざわざわとし始めている。嘘だと嘲笑う声や驚きの声、好奇心を持ち始めた声、このざわめきを楽しむ声...。女の子たちは次第に騒ぎを広げていく。
"ぱんぱん!"
騒ぎが広がったなか、中央にいた一人の女の子が大きく拍手をした。聴衆の視線はその女の子に集まる。
「今回、こんなにも、多くの若い娘が集められた理由を知らないひとがいるわけないわよね?今は騒ぐより、これから始まるであろう"神の御子"の選別について、もっと吟味すべきよ!」
女の子は大きな声で、私たちに叫んでいる。その言葉に女の子達は、血の気が引いたようにさあっと顔が青くなった。数多くの子が沈む空気のなか、私はひたすら疑問を浮かべてばかりだった。別世界から来たという私と同じである女の子たちでさえ、その言葉で落ち込み始めたというのに。
選別...?だから、こんなにも多くの女の子が集められたのか。神の御子というのは、何だろう?神がかった能力があるとか、そういうことかな?女の子たちの反応を見るに、神の御子に選ばれてはいけない...そういう雰囲気だった。選ばれてしまったら...何かあるのだろうか?神の御子というワードについて行けていない私は、周りの反応におろおろするしかなかった。事前に説明されていればいいのだか、それもされていない。...いや、私が覚えてないだけかな?
"しゃららん"
「ー良く分かっているではないか?そこの小娘」
突然、高らかな鈴の音と嗄れたような、枯れた声がホール中に響いた。これだけ響いているのだから、かなり高い所から声を発しているのだと分かった。一番先に目に留まったのは、高い展望台らしきところ。そこを見上げると、銀髪の美しい女性が私達を見下ろしていた。
神々しい。もし、今の状態を一言で表すのであれば、この言葉が当てはまると思った。なぜなら、その女性は、展望台のてすりに立つと、そのまま一気に飛び降りて、ふわりと地上へ降りてきたから。かなりの速さで落ちてきたはずなのに、地に降りるときは物音すらなく、つむじ風が起きただけだった。容姿は人間そのものだけど、もしかしたら違うのかもしれない。
そして、先ほど叫んでいた女の子の肩にすっと触れた。
「そなたのいう通りだ。ここに集められた若娘は、妾の声になるという名誉ある行いをするためのもの」
そうだろう?と、女性は女の子の耳元ですっと囁いた。女の子は雷で打たれたかのように、一度びくっとした後、体を震わせはじめた。その様子は恐怖に怯えていて、目に涙が溜まっているのがわかる。...大丈夫かな、あの子...。
それにしても、この女性の話し方、抑揚、身の振りがやけに脳を揺さぶる。記憶に誰か似ているひとでもいたかな...。もしかしたら、古い書物の女性か、何かのドラマで似たような女優を見たのかもしれない。
「ははは、そんなに震えることも無かろうに。まあ、良い。今年は素晴らしい事があるからな」
女性は後ろにいた赤い鎧を着た王兵に顎を上げて、合図をした。王兵は一度膝まづくと、敬礼しながら大きな声をあげた。...あの王兵の顔立ちや所作も何か、見覚えがある気がする。...気のせいかな。
「御言葉を申し上げます。此処にいらっしゃるのは我が国ラリュールウォーターの女王、ヴァンジェ様である!」
...ラリュールウォーター?やはり、聞いたことのない国の名前。そして、綺麗なようで少しくろめいた、女王様の"ヴァンジェ"という名前。私がふわんと考えていると、周りの女の子たちは一斉に膝まづいた。私だけが、ぼうっと立ったままで様子を眺めてしまった。
「...!」
すると、ホールの壁際に配備していた王兵からの鋭い視線を感じ、すっと周りに倣った。あの兵たちは、何時からあそこに居たっけ...?...不信感が、芽生え始める。
「うむ。良いだろう。貴様らは五年おきに行われる祭典の生け贄として選抜された娘である!貴様らの美しい見目、発する美しい声を条件とし、様々な地方から同意の上で良く訪れてくれた!その心得、誠に感謝する!そして、貴様ら生け贄を得ることで、この国は繁栄に導かれる。今年は100年目である節目の時だ!その際に若娘、三人と加えて...」
「...良い。そこからは、妾に言わせてくれまいか?」
王兵が声を張り上げるなか、横にいた女王がすっと手を上げて、言葉を制した。私は、王兵の放った言葉に驚きを隠せなかった。繁栄のために100年も未来がある娘たちの生け贄を...?深い理由があるなら、私たちが納得するまでもっと深く話して欲しいな。それに、やはり誘拐した側は私たちの境遇を『この国に訪れた』としていた。まるで、私たちが自身の意志で集まったかのように。...一体何のために?
女王の命令に王兵は「御意」と小声でいい、後退した。女王であるヴァンジェが、衣服についた鈴をしゃらんと鳴らしながら、掠れた声を発する。
「今年の生け贄のなかには、我が先代国王である叔父が"神の御子"がいると遺言を遺していったのだ。神の御子の力を我が手にすれば、この国には後100年、膨大な富と繁栄が訪れ、生け贄が必要無くなるのだ!此を踏まえ、今から選定を行う!」
なるほど、神の御子を発見して力にすれば、この国には多くの利益や幸せが訪れるのか。しかし、それに選ばれれば、神の御子を筆頭とし、完全な生け贄となってしまう。だから、皆、選定されたくないと祈っていたんだ...。
女王が言い終わると、私たちの前にはなにやら、楽譜のようなものが光と共に現れた。手にとってみると、五線譜に沢山の音符が書かれていた。しかし、三部合唱の楽譜のはずが、ソプラノと思わしきところにしか音符はあらず、アルトとテノールのパートは五線譜のみ。
「そなたらには、その楽譜にかかれたメロディーを歌ってもらう。その中でも最も優れた歌声の者を選抜することにする!」
私達が、歌う...。それならば、歌声を発しなければいいのではないのかな?口パクで適当に口を動かしていれば、選抜されることもない、不正が出来る。女王は、王兵たちは何故そう考えないのだろう?口角を上げて笑う女王には自信と余裕が見えた。
「では、歌声をここに轟かせよ!」
ホールに女王の声が反響した後、何処からともなく、パイプオルガンの音が聴こえてきた。音とりもなく、一気に歌い始めろということ?ま、待って、私楽譜読めないよ!?他の子はこの量の楽譜を読め、歌いこなすことができるというの?
「~♪」
周りを伺おうとすると、伺う間もなく、私以外の女の子たちは美しい透き通る声で歌い始めた。あまりの美しさに目をふっと閉じて聞き入ってしまう。音は耳に優しく、すっと入ってくる。
でも、この声は...?なにか機械的な感じの声だと、わかる。抑揚もついていて、ビブラートもなめらか。...しかし、この歌声のなかには、一つも表現力がない。美しい、綺麗だけで、感情や想い、工夫が表現されていないのだ。
またしても、不信感と違和感がこびりついて離れなくなる。なにか、何かがおかしい...。目を開けて歌が流れるなか、隣のリスナちゃんをふと見てみる。
「...っ!」
確かに、リスナちゃんと先ほど話したときは綺麗なピンクの瞳だった。綺麗で儚い、好きな春の色に揺れていたはずだった。しかし、今私が見ている彼女の瞳は、真っ黒であり、光を宿していない。更に確認してみると、私から見える範囲の子達は全員、真っ黒な瞳なのだ。まるで、操られているかのように。一定に瞬きを繰り返し、口をはっきりと正確に開けて歌っている。...操られている?でも、私は何故自分の意志があるの?
疑問を抱いたそのときだった。
ー歌が、止んだ。
「...そなた」
止んだと同時に女王は不機嫌そうに、声を発する。
「そこの黒髪のそなただ。そなた何故歌おうとしない?」
女王の見下す鋭い視線に、この言葉は私に向けられたものであるとすぐに理解できた。
...気付かれた!どうしようと慌てた様子は見せてはいけない。弱い対象と判断されてしまうから。ここは、食いかかった感じに小生意気な対応をしてみよう。...ほんとのこというと、怖いけど。
「僭越ながら、私は自分の意志があります。女王様が考えている従わせて歌わせるという意志が私にはございません」
「貴様、女王様に向かって、無礼だぞ!」
私は見下す視線と対抗するように、じっと女王様を見つめる。駆けつけた王兵にぐっと抑えられるが、痛いと思いながらも、屈服はしない。
「ふ、ははははは!妾を愚弄する物言いとはたかが人間ごときで可笑しい。」
「...?女王様も人間でしょう?」
「はは、そなたほんに面白い。...ふざけるな。下等種族と一緒にされてしまったなあ。まあ、しかし、人間にしてはよう気付いたな、小娘。あのときといい、今といい、そなたには妾の術式が通じないようだ」
「...術式?」
何かピリッと空気が張りつめた気がした。術式...?やはり、女王は魔法か、催眠術でもかけられるのだ。私と同じような人間ではなく、種族がちがうみたい。それもそうだ、あの高さから飛び降りて生きていた方が可笑しい。足をいくら鍛えていようが、あれは人間技ではなかった。
女王は私を見て、ふふんと笑っている。その笑みは私を嘲笑しているようだ。此には見覚えがあった。この笑みは、記憶の何処かにあるはず。そう確信した。私はこの女王に会ったことがあり、幾らか言も交わしている。
確信した直後、王兵に更にぐっと押し付けられ、腕がミシミシと音をあげる。
「...貴様!いい加減にしろ!その無礼な口を早く塞げ!」
「痛い...っ」
女王はその様子を見て、急に此方を睨み付けてきた。そして、腕をゆっくり持ち上げ、人差し指を私に向けた。
「ふふ、小娘にしてはよく頑張ったな。しかし、茶番はここまでだ。妾は、はよう神の御子に会いたいのだ。その意味分かるな?そなたには術式は効かん。だから、そなたが好きに歌え。此を拒否した場合、そなたには膨大な術式を受けてもらう。さあ、どうだ?」
「...歌は何でも宜しいのですか?」
「うむ。そうだ。好きに歌え」
「...分かりました」
王兵の腕を振り払い、組み敷かれた体勢からすっと立ち上がる。この女王様はどうしても私を歌わせたいみたいだ。...私が選ばれることはきっとないと思う。そう信じて大好きな曲を口ずさむ。
「~♪」
低音から高音の幅広い音を使った美しいメロディー。花によって恋人たちの心情を表している切ない歌詞。本音を言ったことで華やかで楽しかった日々は崩れていってしまう。そこで、必死に花を飾り、日々の彩りを修復しようと花に縋る主人公。だんだんに崩れていった日々に敗れ、失恋というかたちで互いに何も無かったと、互いに何も誓って無かったと、互いを記憶から消していく...。切ない曲調と涙零れるようなメロディーが、とても大好き。
...気がつけば、一番まで軽く歌うつもりが、すべて歌ってしまっていた。歌い終わると、周りはしんとしていて、静寂があたりを包んでいた。不自然に思い、女王を見てみるとー
「...!」
ー驚くことに、女王は涙を流しながらこちらをじっと見ていた。涙は一粒等の量ではなく、尋常がないくらいに頬を伝っていた。
...何故、女王が泣いているの?私の歌が下手すぎて、痛みに耐えきれず涙を溢したのかな?状況が分からず、私は焦ってしまう。王兵たちを見てみるも、王兵たちまで唖然とした様子でこちらを見ていた。本当に何が起こっているのだろう?
「...そなたは、小神だ。」
「...え?」
おこ?やっと口を開いたかと思えば、何をいっているんだろう。まるで魚のように、口をぱくぱくさせながら、女王はいう。
「そなたの歌声は妾の喉に、体に、全てに響いて、美しくなめらかに生命を辿る。それはさながら、小さな神のように、罪など知らぬ純真無垢な透き通る存在だ」
女王はふっと囁いたあと、高らかにあははと笑って、すっと右手を上げた。
「決まった。そなたは神の御子に違いない。」
「...ん!?」
気がつくと、私はあっという間に宙に浮いて、女王のいる玉座らしきところに引き寄せられた。手足の自由が効かず、ばたばたさせて空中で必死にもがく。
「わっわたし、神の御子では、ないです!」
「否、そなたがなんと言おうと最終審査を今ここで行わせてもらおう。」
女王は宙に浮いた私を玉座の隣に引き寄せると、赤い髪の側近の王兵に目配せのようなものを送った。その目配せを受けとると、王兵は前に進み出て、ホールの壁際にいた兵に手を上げた。
その瞬間、王兵たちは女の子たちのなかから数人を躊躇なく選び、女の子に更に重そうな手錠と黒い布の目隠しをするとホールから出ていってしまった。...?いま、何が起こってるのだろう?私は神の御子という臆測に心当たりはないし、歌声だけで判断出来るものなのかな?そして、最終審査するため、数人の連れてかれた子以外はホールの中央に集められた。
「...??一体、何を...?」
「見ていれば分かるものですよ」
女王が急に敬語になり、驚いた。ふふんとこちらをみて、うすら笑いを浮かべている。私が神の御子じゃなかったら、一体どうするつもりなんですか...。
言われた通り、少しもがきつつ、集められた女の子たちに目を向ける。一人の王兵が何やら女の子たちの周りに、水が入った器を六角形を作りながら並べていく。最後に女王の前に同じ器を持ってきた。女王は腕を高くあげると、何かを呟いている。
《水。水。それは流れを作り、やがて時空を越える。在るべきところへ還れ。還れ。》
呟いた後、空気が張り詰めたかと思ったら、女王の前の器の水は大きく膨張した。やがて、女の子達の真上にいくと、六角形の器の水がその膨張した塊に集まっていく...。
「...!?」
水はやがて網目となり、女の子たちをドームのように包んでいく。そして、水のドームは縮小していき、小さな球体となると、弾けてしまった。
「なっ、何をしているんですか...!」
「心配なさらずとも、空間を移動させただけです。娘たちは元居た場所に還しました。」
女王の返事を聞いて、安心した...。しかし、それもつかの間だった。
「さて。神の御子であるかどうか、最終審査を致しましょう。今から此処に水の空間と、我が国の大きな戦力である、清竜を呼び出します」
「あのっ、私、神の御子じゃない...!」
「意見など聞いていません。呼び出して、貴女をそこに浸水させ、清竜の反応を見ます」
もはや、女王は私の意見や言葉さえ聞いてくれない...。言葉と同時に女王の手が上がると、ホールいっぱいの水の空間が現れた。そして、また呪文のような言葉を呟いている。
《清竜。清竜。我が国の偉大なる戦力よ。そなたの求める愛し子が来た。今ここに。今ここに。》
----ごぽごぽっ
「さあ、此が我が国の清竜です。水から生まれ、水に還る。長い年月をかけて育った古代竜になります」
大きな水音がホールに響いたかと思うと、目の前の水の空間に大きくて、長い竜が召喚された。蒼く光るその鱗は宝石のようでいて、長い体がうねる度にキラキラと輝いている。口は無論、鋭い牙がずらりと並んでおり、恐ろしい。角には水の塊のような、蒼い炎が燃えている。見る限り、足はなく、代わりに尻尾には鋭い短刀のようなものが六つほどついていた。
エメラルドグリーンに光る眼は遠いところにいる私さえも捉える。
恐怖が滲んで声が出せなくなる。唇はカタカタと震え、逃げたい、逃げたいと心が喚いている。
「さあ、神の御子よ。その愛しい力を妾たちに見せておくれ。」
「---待っ」
伸ばした手も空しく、空を切る。突き飛ばされたように水の空間に押し込まれ、身体を冷たい冷たい水が侵食していく。
----ごぽごぽっ
脳の近くで、水音が跳ねる。もがく手に触れたのは硬い硬い鱗。私を捉えたのは餌に飢えた獣のような大きな大きな殺気づいた目だった。逃げようともがいてもその大きな身体に遮られ、逃げ場がなくなる。顔の近くを尾が掠めたとき、ついにそのときはやってきた。
---ああ、このまま身体を絞められて、そのまま鋭い牙に噛み砕かれるのか。身体からミシミシという音が響いたとき、死を覚悟した。
---それと同時に身体中の血が滾るような、脈動を感じた。逃げたい、逃げたいという喚きが闘え、闘えと声を大きくあげている。---不思議。水のなかなのに、息が吸える。そして、歌うときは腹式呼吸でしっかりと息をすうんだよね。
息を音と共に吐いた。
「---っ」
瞬間、水の空間も含めたホールのなかに自分が発したとは思えないくらいの声のような、超音波のような音が反響した。それは震動を高めていき、私に巻き付いていた竜は身体を痙攣させ始めた。私が息を吐き終わると同時に、竜は痙攣から動かなくなった。
私はもがきながらも下の方に泳いでいき、水の空間を出た。空間をでた瞬間、喉がひゅうと音をたて、肺に空気が入り込んだ。先ほどまで水のなかでも息が吸えていたはずなのに、空間から出た途端、苦しくて仕方ない。
「ごほっ、ごほっ、ん、はぁ」
床にへたり座り込んだまま、深呼吸をしっかりとする。深呼吸をしながら、揺れる視界のなか、突然真上からじゃぼんと水が吹き出してきた。迫り来る恐怖にまた震えながら、すっと上を向くと、先ほど動かなくなった清竜が首を出して、こちらを見ていた。
「--もう、やめて」
泣きながら告げるも、やめてくれる筈などなく、大きな頭が顔の前を掠める。今度こそ、駄目だと思ってすっと目を閉じる。
《水。水。侵食した身体から遠退け。遠退け》
目の前にあった大きな頭から、そう呟きが聞こえてきて、凄く驚いた。その声は酷く透き通っていて、芯の強い声だった。その瞬間、水に侵食され溺れかけていた私は水のベールのようなものに包まれ、やがてベールは弾じけ飛び、ベールは身体中の侵食していた水分を消してしまった。
「君、話せるの...?」
『えぇ。しかし、聴こえているのは貴女だけです。先程は愛し子への失礼な仕打ち、誠に失礼致しました。』
もしかしてと思って、少し躊躇しながらも清竜に話しかけると、透き通った声が返ってきた。本当に私だけしか聴こえてないのかと、女王の方を見ると、女王は神妙な顔つきをしていて、周りにいる王兵は怯えたように震えているだけだった。
「水、消してくれてありがとうね...!あの...私は本当に君たちのいう、愛し子なの?」
『礼には及びません。勿論、貴女は愛し子です。愛し子に会うのは実に久しいので、忘却の末、思い出しました。我らの愛し子、美しく、実に麗しい。』
頭をすりよせてくる清竜は何処と無く可愛い感じがして、少し胸が傷んだ。先程の恐怖はすとんと消えてしまったように無く、今はこの状況に対しての戸惑いの方が大きい。愛し子、愛し子と気持ちよさげにしているけど、私はどうすれば...。
すると、再びホールに女王の声が響いた。
「神の御子、もう宜しいです。さすがの愛し子の力。あらゆる生物に好まれ愛され、従わせるその能力...清竜は水以外の我々の空気を酷く嫌っているにも関わらず、一切躊躇することなく、御子に触れた...その御力、素晴らしい...」
女王はすっと降りてきて、私に膝ま付き、少し笑いながら、そう呟いた。やがてその手で清竜に触れると、清竜は泡となって消えていってしまった。
『またお会いしましょう。我らの愛し子。』
脳に清竜の声が響いたとき、身体から急に力が抜けてしまった。倒れていく身体を女王に支えられ、胸当たりからぐっと何かが込み上げ、口からごふっと血が溢れる。なに、これ...。
「王兵!御子を御子の間にお連れしたまえ!」
女王の声が酷く耳に響く。もう、何も考えることが出来ない。視界は色彩のあるものから、段々に紫に染まっていってしまう。
私は、選定されてはいけない神の御子になってしまった。...嫌、私はずっと前から可笑しかったのかもしれないな。ずっと、小さい頃から、きっと可笑しかったんだ。自分の普通は、皆の普通じゃなかった。だから、皆に流されていけば、一緒になれると思ってた。
...それも、違っていたんだ。一緒になんて、考えること自体おこがましいことだった。私はあらゆる生物に好かれて、愛されるより、大切なひとに大切にされたいと願っていた。願っていても、叶わなきゃ意味がないというのに。自虐にまみれて、どくどくと流れていく血同様、目からはどの感情かはわからない大粒の涙が流れる。閉じ行く瞼の隙間から、赤々しい血が床にまで零れているのを見た。
もう、自分が自分ではないとはっきりと理解していた。このまま自分がどうなるかなんて、もうどうだっていいと思うことも、霞がかかってぼんやりと忘れていく。ただ、ただ、今は自分という存在が嫌で嫌で仕方なかった。