拝啓
聞き込み調査で、ライデインくんは、大活躍だった。思った以上に役に立ち、私は動揺を隠せていない。放課後。あの公園で待ち合わせをすると、軽装の私服でライデインくんは来た。あの梨華との約束通りに、誰がどうみたって、イケメンに違いない姿で。
「ラ、ライデインくん、気合い入ってるね?」
「え?いやいや、いつもの格好で来ただけだけど」
この格好がいつものって、貴方は何処のモデルだ。いや、モデルなのかな?絶賛困惑中の私は、梨華にその理由を問う。
「梨華、何でライデインくんだけ私服なの?」
「まあ、今からその姿の使い道を否が応でも見ることになるわよ。ほら、着いた」
梨華が指さした先には、行方不明事件の二件目である被害者の女の子宅であった。確か、中学三年生の女の子だったはず。最初の被害者である女の子のお宅同様、三件目の被害者のお宅は私達の行ける範囲ではあるが、一番近しいところから調査を開始した。何故だかライデインくんには待機していてもらい、私と梨華だけで、被害者宅の呼び鈴を鳴らした。
すると、中からは美愛の親御さんと同じように、目が腫れていて、寝不足そうな女性が出てきた。鎖ごしではあるが、寝不足そうな上に化粧もせずして、怪訝そうに私達を見ている。
「何...?なんの用?」
「こんにちは、はじめまして。私達は行方不明事件に関わっている者です。行方不明になったお子さんの居なくなる前にした行動について、聞き込みを行っているのですが...」
「...嫌よ。そんな話、したくも聞きたくもないわ」
《貴方達に何が分かるのよ》
前途多難だなあ。話す気もないようだ。しかし、断られた直後、また心の声が聞こえた。さりげなく梨華に耳打ちすると、梨華はにこりと笑い、待機しているライデインくんを呼んだ。
「先程の女の子達と同じく行方不明事件に関わっている者ですが、はじめまして。大刃雷 ライデインと申します。お母様の気持ち、御察しします。娘さんはお気の毒でした...ですが、俺が娘さんを助け出します!...情報提供、宜しいですか?」
「えぇ、勿論よ!ちょっと待ってね、化粧してくるわ!」
...この変わり用。そりゃね、金髪のイケメンに大きな碧眼で上目遣いされたらねぇ。イケメンパワーって凄いな...ライデインくんは台詞が書いてある紙を梨華に返した。
「...これで大丈夫?」
「うん。ばっちりよ、女たらしの割によくやるわね」
梨華の言葉にライデインくんはたらし?と首を傾げていた。まさか、天然だとか言わないよね...?いや、自分のした行動にはてなマークを付けているライデインくんは、天然のほかに何になるんだ...?
ライデインくんのお陰で、十面相のような顔を持つご婦人たちは涙ながらに全てを語って下さった。世の中とは、容姿や性別で態度が変わるものなんだと改めて思いしる。しかし、書いてある台詞を読んだだけで私達より人生を重ねている鋭いご婦人の心を掴めるとは思えない。ライデインくんは相当な演技力持ちなのだろうか?
そもそも、イギリスという英才教育の国から、何故昔のよしみである日本に戻って来たのだろう?イギリスでずっといた方が将来的に有利なはずでは?ご婦人たちと親身になって話すライデインくんの横顔は真剣そのもの。其を見ていたら、考えることを止めた。誰にだって、した行動には何かしらの理由があるはずだから。其を無闇に追及するのは相手に対して失礼にあたる。
ライデインくんの行動力により、たった一日で聞き込みが終わった。計画した梨華でさえ、驚きを隠せておらず、愕然としていた。おまけに、公園に腰掛けて休憩をしていると、甘い缶珈琲を買ってきてくれた。
「お疲れ様。有力な情報は手に入った?」
「...お陰様でね。感謝するわ」
「ライデインくんの行動力、凄いよ!ありがとう!」
私たちの反応に照れたのか、ライデインくんはパーカのフードを被って、それは何よりです...と小声で言っていた。男の子の割りに可愛い反応するんだなぁと思いながら、梨華の話に戻った。
「美愛のように単語を残していったっていう少女は居なかった。けど、彼女達が共通して行くところがあったのよ。まだ警察さえも気付いていない、犯行現場かもしれない場所」
「犯行現場...?」
「つまり、誘拐されたかもしれない場所ってこと。そこは昼間の時間帯しか人が来ない。何故なら、街灯が設置されていなくて夕方や朝は危ないからよ。一番、昼間太陽の光がある時が見所っていう県立公園だからね」
「...!県立公園...!清風蘭さんが言っていた単語の一つだね。其に、被害者の女の子達が居なくなったのは夕方の時間帯だ。合致するね...」
梨華が口角を上げて、大きく頷いた。
「その通り。そして、県が設立したってだけあるわ。公園内には六つの噴水が有って、五つの小さな噴水が中心にある大きな噴水に水を集めさせている。だから、園内にはタイル張りの彩りのある水路が沢山あるのよ。六つ目の噴水が、より美しく水を噴き出すようにね」
「噴水も美愛の単語の一つだ!他には?」
「あぁ、そして、名産の木としてポプラの木が公園の柵に沿って埋めてあるわ。あとは...鈴の音と青に飛び込んでっていう単語の謎...ともかく、明日この県立公園に行ってみるか...清水県立公園に」
明日は土曜日だ。距離的にも行くのは簡単なので、一かばちかで三人で行ってみることにした。そして、よくよく考えてみると、被害者の学校と自宅を神隠し順に結んでみると、その垂直線上には清水県立公園があったのだ。誘拐犯のひとはかなりのやり手かもしれない...。警察でさえ気付かない、巧妙なトリック。予め、誘拐する者を大分前から踏んでたのかもしれない。このような遊び心がある犯行は、一番危ないと聞いたことがある...。
今日は此で解散とし、明日の打ち合わせをしてそれぞれに帰宅しよう...と思ったがライデインくんが送ってくれると申し出てくれた。
「無理。あんたみたいな野郎」
ライデインくんの紳士的な行動に対して、男性を毛嫌いする梨華らしい答えだった。それに、と付け加えるように出したのはスマートフォンである。
「家に帰宅するときは必ず祖母と話ながら帰路を行くの。あんたよりも安全だわ。だから、詞織のことお願いね、んじゃ」
「...はは、そっか、気をつけてね」
「バイバイ!梨華!」
梨華はぱっぱと話すと、風のように行ってしまった。ライデインくんは少し苦笑い気味だ。
「それじゃ、花咲さんのこと送るよ。もう暗いし、行こうか」
ライデインくんは、時折私に道を聞きながら、どんどん歩いていく。でも、折角のこの機会。気になっていたことを聞いてしまおう。
「ライデインくんはさ、何で英才教育の国であるイギリスからはるばる日本にこようと思ったの?」
「んー...まあね、ちょっと理由が恥ずかしいんだけどね、昔日本にいた頃に大好きだった女の子がいたんだ。小さい頃、僕の知らないような事をその子は沢山知ってて、一つ一つ、丁寧に教えてくれた。尊敬もしていたし、同時に憧れでもあったんだ」
「...僕?ライデインくんって、俺って言ってたよね?」
「あ、ごめん、昔の話すると、僕に戻ってしまってね。それで、その子に会いたくて折り目を付けて、日本を学びに来たんだ...あはは、馬鹿みたいだよね」
そう言いながら、はにかむライデインくん。その想い一つだけを貫きながら、此れからを決めていくのはきっと難儀なことだと思う。でも、南国の夏の海のいろのようなその瞳は、潤んでいると同時に星のように瞬いていた。...本気だ。きっと、本気で思ってる。揺るぎの無いこの目は本気以外での何でもない。
「...馬鹿みたいじゃないよ、きっと。その子に会わなくちゃいけないとライデインくんが思ったなら、きっとそれは間違いじゃない。好きなんだ?そのこのこと」
「...ありがとう。でっ、でも好きかどうかはまだ分からないよ、ただ会いたくて...」
其が好きだという恋愛感情と認知するまで、此れからどれくらいの時間が懸かるかな。まだ自分の感情を何と呼ぶかまでにも至ってないとは...重症と診てとれる。今日、ライデインくんの机に群がっていたクラスや学年の女子を思いやると、気の毒で仕方ない...。
「じゃ、俺もいっこ聞いていい?」
「?どうぞ?」
「花咲さんや神木さんが夢中になって探す、清風蘭さんってどんなひと何だろうなぁって思ってね」
「ん...とね、とっても優しくて、動物達や植物、ひとから沢山愛されているとっても綺麗な女の子だよ。私と梨華とは幼少期からの幼なじみかな。明るくって少しばかり人見知り...かな」
ひとならまだしも、動物と植物という言葉にライデインくんは首を傾げた。
「えーとね、例えば野生の猫や犬、野鳥とかが寄ってくるの、勝手にね。餌をあげているわけでは無いんだけど、好かれる体質なのかもね。植物に好かれてるっていうのはね、美愛が撒いた種とかの繁殖率が高かったり、珍しい花とか貴重な花を見つけやすいから、そう思っているんだ」
朝の登校や夕方の下校のときも、私達が美愛を待っていると鳥はさえずらないのに、美愛がやってくると歩幅を合わせるように、木から木へ。鳥達は嬉しそうに、美愛と登校する道をいく。その幸せそうな美愛の表情が私はとっても好きだ。花を眺めて、大きくなーれと優しく微笑む表情も。温かい紅茶を飲んだあとみたいな、ほんのり、しっとりしている幸せを感じている、瞬間みたいな、温かくなれる表情。
「そうなんだ!凄いね、その子!...優しい子なんだろうなぁ。早く話してみたい」
美愛を優しいというライデインくんの目もすっと細くなって、優しそうに笑っていた。談笑しているうちに私の家の前まで来た。ライデインくんに礼をいうと、いいから、いいから、気をつけて、と恥ずかしそうにしていた。私もライデインくんの去り行く背中にずっと手をふっていた。...生まれて始めて、こんなに男の子と話した気がする...。男なんて、皆同じだと思っていたが、イケメンは例外であるという結論にいきついた。
ふと、オレンジ色が消えかかっていた夜空を見上げた。今度は一番星だけでなく、周りに小さな星も凝集している。
こんばんは。夜空。星たち。
...怖くなんてない。犯人がどんなひとであろうと、罪を被害者に下したことは明らかだ。何度目になるかも分からない誓いは、明日の決戦を急き立てるように、耳に反響する...。
おやすみなさい。夜空。星たち。
この声が遠吠えのように、美愛に届け。
...警告をするように、罪深き犯人に届け。
----開けた視界には白い白い世界があった。
何の音だろうか...?
吹奏楽部の発表会で最後に流れてくる、あの流れ星のような綺麗な音。
しゃららん、しゃらん
鈴の音だ。先程の音とはまた変化して、今度は神社の御参りのときのような、大きな空洞がある鈴の音。
しゃかん、しゃかん
それらは全て、物として目に映らない。身体を起き上がらせると、白いベッドの上にいた。シングルやダブルの広さではなく、それ以上の大きさであり、広さがあるベッド。白いシーツからは薔薇に似た香りがする。ふと、自分の服装を見てみると、服装は制服のままだった。何処なんだろう?ここは?
「清風蘭美愛様。起こしして申し訳ありません。あの失礼ですが、この鈴の音で眠気に襲われませんか?」
零れてきた人の声を捜してみるが、周りは白いシーツに包囲網を張られていて、分からない。中世的な声からするに男性かな?
「いえ。なりません。あの、私その音で起きたのですが...?」
「...左様ですか。申し訳ありません。突然ですが、服装をその服から、左脇にあります、そのドレスにお着替えください」
「...え、あのその前に此処って一体?」
「私は鈴の音についてしか聞いておりません。私語は慎み下さい」
聞こうと思っても、すぐに遮られてしまった。取り敢えず、指示に従っておこう...。何をされるかわからないから、保身の道を選ぶ。左脇に目を向けると、さっきあったと思えない白とエメラルド色の薄いドレスがあった。制服から着替えると、声は愚か、指示も何も降ってこない...。そもそも、私はどういった経緯で、此処に来たのかな?
確か...紙飛行機を飛ばして...とびこんで。水に濡れて...明暗が目の前を交錯して...気づいて起きたら、此処にいた...。思いだそうとすると、目の前に何かチカチカしたものがよぎり、頭痛に襲われる。
「...詞織と梨華...大丈夫かな」
ふっと二人を思い返して、泣きそうになった。段々と涙で視界が歪み、頭痛が更に痛みを増すかのように促進された。
二人に会いたい。
だが、こんな願いさえ、きっと無意味なことなのかもしれない。此処が何処かもわからない。置き手紙をしてきたが、その意味に二人が気づいてくれるかどうか...何かに導かれるように私は此処に来た。その私を導いた存在が何なのか。...いや?違う、導かれるのではなくて、私は拐われたのかな?操られてきたのなら、これは誘拐の枠に入る。...誘拐か。それをしたひとは、私をどうしたいのか...。まだまだ、謎ばかり。
ふと、私を包囲しているシーツが揺れたかと思ったその時、
「ようこそ、我が国へ」
瞬きをする間もなく、目の前へ、人が降り立った。
髪は白く白銀で、アメジストのような輝きがある瞳は片方が隠れている。そして、色々な装飾品を身につけている、女の人。しゃらしゃらと装飾品が揺れて、擦れる音がした。ゆらりと動いた長い髪の軌跡が光に反射して、神々しいと思った。しかし、その容姿に反して、声は地底からのうめき声のような、低くて濁った声だった。その女性の喉あたりを見ても、特に目立った外傷等は見られない。先天性の、病気なのかな...?
「そなたで六人目だ。よく来てくれたなぁ。」
「?...あの、私、連れてこられたんですよね?」
私がおずおずときくと、その女性は甲高い笑い声をあげた。そして、嘲笑するようにも笑った。
「そなたに来るように催促したのは妾だか...しかし、そなたは自らの足で来たのだろう?では、連れて来てはないなぁ。責任転嫁など、良くないことをするな、見かけによらず」
難しい事を並べて、私を混乱させる気なのか、複雑なことを言っている。私が自らの足で来たのは確かだが、記憶が曖昧な故に、考えると頭痛が酷くなる。
「私が六人目なら、他に何人いるのですか...?」
「其をそなたが知る必要はない。集まってから分かることだ。...そうだな。噛み砕いて言ってしまえば、もしかしたら、そなたが妾の声になるかもしれない...と言うことだ。楽しみにしているぞ、そなたのような美しい声が...妾のものに...。」
私がこのひとの...声になる?声を聞く限り、病気なのかと思っていた。でも、治療を施す方法が見つからないから、他の声帯を移植する...ってことなのかな?
「さあ、長く話すぎた。そろそろ、眠りにつきなさい...。」
悶々と考えていると、女のひとは私の顔へと手をかざした。わずかに光る、煌々とした装飾品の宝石が目を掠めた。その光と同様に光る女のひとの瞳と目が合った瞬間、白い世界は黒く傾いていった。
私はどうなってしまうのだろう...。すると、黒い世界は意図も簡単にその不安を否定した。
《死んじゃうかもね》なんて。
未来なんて、来なければいいのに。明日も明後日も、その先も、ずっと寝ていれたらどんなに幸せか。ずっと、この微睡みの中にいたい。二人に会いたい。そんな願いも、惨めに黒々として塗り潰されていった。
まだ、日が上らない、朝焼けの黒い空の下。
こんな朝から早々に、母さんに叩き起こされた。
「詞織、おはよう」
「何でこんな早くに起こすの...ふわぁあ」
私が大きく欠伸をしながら、二階から降りていくと、キッチンからいい臭いしてきた。どうしたんだろうと、駆け出していくと、母さんはテーブルに肘をつき、にこっと首を傾げて待っていた。
「...え!?なん、何!?この品数!?今日、私の誕生日じゃないよ!?」
「違うわよ。今日、待ち合わせしてるんでしょう?梨華ちゃんと。昨日の詞織を見ていたら、分かるわよ、何か大切なことがあるんだって。だから、景気つけよ。上手くいくようにって。」
ご飯から香る暖かい湯気と匂いが、母さんの優しい顔を包んで、私まであったかい気持ちになった。母さんはお見通しだったのだ。昨日、緊張感のためか、私には不安が抜けなかった。それを母さんはちゃんとみてくれていた。
「さあ、食べましょう!」と母さんはお米をよそってくれた。私も少々ニヤケながら、席につくとご飯を食べ始める。
ふわふわの厚焼き卵。少し薄めの味付けのお味噌汁。しゃきしゃきの野菜炒めも、どれも。下味がきちんと付いていて、後味まで美味しいと思うほどだった。どれも私の好きなもので、私の好きな味付けで、嬉しいなとばかり呟きながら、無我夢中で食べ進めていった。
「ご馳走さまでした!」
「はい、どうも、お粗末さまでした」
感謝の声がリビングに響いた時、母さんの顔がいつになく増して輝いていた。そして、温かいお茶を飲みながら、ふふふと笑った。
「...私、そんなに分かりやすいのかな?」
「そーねぇ、お風呂に入っているときでも、ずっとブツブツ何か言ってるし、ごはん食べてるときは上の空だしね...凄く分かりやすいわよ?」
そんなに顔に出ていたとは...。流石、我が母である...。加えて、母の話を聞くと、私の帰りが遅くなっていることや、梨華のお母さんとの連絡で全てが合致したらしい。
「ふふ、母は嬉しいわよ、あれだけ男の子との音沙汰もなかった詞織が、男の子に送られてきたときはそりゃ飛び上がったのなんの...」
「ぶほっ!?...その子は何もないよ!?なにいってんの!?ただ、紳士的なだけ!分かった!?」
私は驚き過ぎて、お茶を吹き出してしまった。必死で弁解すると、ふふっという微笑みではなく、楽しんで見物するようなニヤニヤに笑みが変化した。
「まあ、何がともあれ、頑張って来なさい」
「...っ、ありがとう!行ってきます!」
そのニヤニヤに耐えきれず、私は直ぐに家を出ていった。お腹いっぱいに溢れる幸せの気持ち。ありがとう、お母さん。母に感謝しながら、ドアを開けて、清水県立公園に向かった。
朝の街を歩くのは、なんだかむず痒い感じがして、ほんの少しの優越感がある。誰よりも早起きしている気分がする。まだ太陽が上がりきってないから、それぞれの住宅の窓に反射する光がまぶしい。
もうすぐで、清水県立公園だ。
...早めに来てみれば。
早速怪しいやつ発見した。上下黒の喪服。体つきからみるに、恐らく成人している男性。所持品は大きなアタッシュケース。髪の毛の色が尋常ではない、赤。
私は神木梨華。早めに来たわけだが、朝方の清水県立公園には、一つの人影があった。私一人で乗り込んでいいものかと思うが、相手は成人男性。力は無駄にあると思う。ねじ伏せられるのが、オチだ。
観察を続けていると、後ろから声がした。
「...神木さん?」
「!?」
びっくりして、思わず胸ぐらを掴んでしまったが、
後ろから話かけてきたのは、転校生だった。転校生もびっくりして、身構えている。チッと舌打ちして、手を離すと、おはようと苦笑いされた。
「こんな所にいるけど、誰かでもいるの?」
「あいつ。怪しい。こんな朝方からいるの、可笑しいでしょ、しかもあんな成人男性が」
転校生はキョロキョロと辺りを見回すと、やっとあいつに気づいた。身を屈めて警戒している様子。
「あのアタッシュケース...なんか、怪しいね、あれさ大分前に何処かで見たことあるような...んーと...あ、交番だよ!案内されたとき、落とし物コーナー的な所で、鍵付きのアタッシュケースがあるって珍しいですねって警察のひとと話した記憶があるんだ、多分それ...」
「...はよ、いえや。交番ね...はは、全部繋がったわ」
もし、仮にあいつが警察官なら、それを落とし物コーナーに置いた理由が分かる。交番というのは、上司もいる、後輩もいる。警察官というのは、皆勘の鋭い人間がほとんどであり、周りに自分が誘拐犯だと気づかれないためには、きっと落とし物なんて手を使って、誘拐した道具を隠すはず。ましてや、アタッシュケースは鍵付きであり、中身をこじ開けるのも一苦労のはずなんだ。今、この街で行方不明事件が起こったことにより、忙しさと疲労で警察官はそんなものに目がくれるはずがないから。そして、今アタッシュケースの持ち手に光っているのは、その鍵だ。
「何が入ってるのかは知らないけど、いや知りたくないけど。あの男が行方不明事件の容疑者ってわけね」
「...どうする?取り押さえようか?」
「いや、此処からどうやって被害者がいる場所にいるか、尾行するほうが手っ取り早いわ。あ、詞織きた」
詞織は、はあはあと肩で呼吸しながら公園に入ってきた。私たちが隠れているのを見て、そろりそろりと近寄ってくる。
「お早う...あの怪しい人がもしかして...容疑者?」
詞織の小声の質問に、頷きで答えを返した。そういえば、つい最近、分かったことなのだけど、詞織には"心の声"が聴こえるらしいのだ。それを聞かされた私は特に驚くことはなかった。デジャウとでもいうのか、不思議なことに以前聞いたことがあった気がする。今更?と顔をしかめそうになった自分の記憶の曖昧さ。幼なじみ故に、昔聞かされたからかもしれないし。このことは詞織に黙っておこう。あのときの詞織の決心を、踏みにじりたくはないから。
「詞織、心の声は聴こえる?」
「んー...試してみる...」
調査に役立つことだと思い、心の声を汲み取ってもらう。転校生はなんのこと?と疑問を浮かべているが、気にしない。言っても、信じないだろうし。詞織は自信なさげに頷き、両方の耳を手で隠し、集中している。その時みた詞織の虚ろな目は、何かこの世ではない何処に飛んでいるような、少し闇を重ねた瞳が揺れていて、私は不覚にもゾワッときた。
《ーーもう少しだ。》
あの男から、そう聞こえたと詞織は言った。もう少し?それはどういう意味なんだ...?詞織は少し、苦しそうに笑っている。どうやら、詞織の心の声を聴く力というのは、聞きたいときに聞こうとすると、大量の体力と精神力を消耗してしまうらしい。突然聴こえてくる心の声のほうが幾分かは、ましだと言っている。此れから、少し使い方を考えていこうと思う。
さて、もう少しというのは、どういうことなのか。仲間の増援か。それとも、目的とする時が訪れるのを待っているのか...。あるいは、別のことを指すのかもしれない。
ーー夜が明ける。
太陽の光が、住宅の窓に、脈々と流れる噴水の水に眩しく反射している。はねる滴一つ一つが耀きだしたとき。ーーその瞬間。
噴水の前にいた、怪しい男は6つの小さな噴水の中心地、真ん中の大きな噴水のなかへ...飛び込んだ。
「!?...っ、追うわよ!」
突然の行動には驚いたが、男の姿が水へ埋もれたのを見計らって、私たちも噴水へ飛び込む。
ーーおかしい。噴水なら、下にタイルが見えてくるはずだった。そうなるはずが、タイルは一切見えてくる様子はない。つまり、奥底が見えてこないということは、その先に何かがあるということだ。しかし、水のなかでもがいたことによって、弾ける泡しか周りにはない。そして、微かに耳にちりりんと鈴の音が触れている。遠くから聞こえるようで、だんだんに近寄ってきているような、ぐらぐらとゆれる音。成る程、これが美愛の言っていた『鈴の音』だったのか。どんどん近づいてくるようだ。
ふと、海の匂いがした。目の前を黄色い熱帯魚が泳ぐのを見て、ここは日本ではないと悟った。
ぐらりと揺れる脳の淡い意識のなか、美愛の手紙を思いだした。『青に飛び込んで』というのは、こういうことか。青というのは、水のことか。新たに疑問が解決され、少し口角が上がるのが分かった。
ーー遠退く意識のなかに、一筋に光る大切な、大切な親友の笑顔。泡に包まれていく全身が微かに震えているような錯覚があった。
暗くなる視界に嫌悪感を覚えながら、海と思われるこの空間の奥底に、ゆっくりと沈んでいった。
ーー今、いくよ。