繭っ子
亡くなった夫、兄嫁の身の振り方と農家跡継ぎに嫁せられた、義弟への心境等に付いて書きました。兄と変らぬ仕草に戸惑いながら、なぜか内とけない自我の性に、悲しくも!もどかしく泣き暮れる真由子。(下着一枚でも夫の思いが残って)
また側に居るだけでも(汗臭さも全く同じである)
どうしても前夫の面影が~~!!全く違う方なら、この様な気持ちには成らないのでないか......?(多分すんなりと受け入れて居たのでは無いか)
大家の嫁....そして儀弟との再婚....ひとつには成れない性....そして....
繭っ子
中国大陸から吹き注がれる寒風は、朝日連峰に突き当たると穂先を変え、山里の村々へ大雪をもたらしていた。その山里は姿さえも見え隠れし、物音ひとつ聞こえない白一色の世界であった。しかし山里にも春の優しい光が射す頃は、雪もしだいに溶け始め田畑へと流れ込み、人々はその満たされた水量で潤いを得ていた。
昭和十六年春、山形市西部の小さな農村で夕方から一つの婚礼が行われた。この頃婚礼は夕方より行われるのが常であり、昼間は農作業に専念するのが当たり前であった。婚礼は村の庄屋、伊村右左ェ門の長男で伊村一郎の婚礼である。
太陽が西の空に傾き始める頃、むかさり(花嫁)の行列がやって来た。一番前は紋付袴姿の男性が二人、提灯を手に持ち大声で口上を述べている。その後、仲人夫婦がやはり提灯を手に持ち、ゆっくりとした足取りで歩いている。花嫁さんは馬の背に乗り揺られ揺られて鈴の音も高く、その姿は夕日に映え村々へ溶け込んでいるように見えた。
花嫁は真由子と言う、伊村一郎とは幼子の頃からの仲である。真由子は二年前伊村右左ェ門のはからいで、隣村の村長宅へ行儀見習を兼ね奉公にあがっていた。親兄弟の無い真由子は、伊村右左ェ門が親替わりでもあり舅でもあった。婚礼は村中がお祭りでもあるような騒ぎである。村の子供たちには菓子や子供の顔ほどもある大きい赤飯のおにぎりが配られ、たいそうな喜びで庭先を離れなかった。祝宴は翌日までも続き二晩行なわれ、宴の切れ目がなく何時までも笑いと祝歌が続いていた。
いつしか時も流れ、一郎と真由子夫婦は一男一女に恵まれる。何不十の無い生活が続いて居るように見えたのだが。昭和十八年始め太平洋戦争もいよいよ激しさを増して、軍名の元で多くの農夫が兵隊として召集され戦に出向く事となった。伊村家としても一郎が皆と同じように、赤紙を受け戦地へと駆り出されたのである。村としても働き手が次々と出征して行き、農作業に大きな痛手を抱え込んで居た。働き手の一郎が出征した伊村家にとっても、真由子と右左ェ門が主になり朝明けと共に仕事に励み、夕方は暗闇と共に帰宅するそんな日々が続いていたのであった。
昭和十九年春さらに戦争が激化して、師範学校へ進んでいた賢治までもが出征しなくては成らなく、伊村家を後にして戦場へ向った。そのような状況から村に残った者は老人と女、子供だけである。農作業に携わる労力不足から田畑の耕作面積が減ってしまい、伊村家とて米の出荷が間々成らぬ日々が続いていた。
そんなおり突然一郎が帰って来て居るとの電報を受け取る。何はともあれ真由子は逗留先の秋田派遣部隊へかけつけたのである。一郎は戦地で腹部に怪我を被い本国へ送還され、秋田市立病院で治療を受けていたのである。病院の中はまるで戦場のようなありまさで、真由子は一郎を探し廻ったが中々探しきれなく途方に暮れていた。
「真由子、真由子か!」その声は一郎さん、真由子は振り向くと薄汚れた壁を背にして一郎が横たわっていた。真由子は一郎の手を取って「ご苦労さん」とひとこと言うと何も言えなく黙って手を握る。「大丈夫だ心配すんな」一郎が力強く手を握り返し「家族は皆元気か」一郎は真由子の顔をのぞき込むように話かける。少し間をおいて「はい、家族も家も皆無事です」と真由子は答えた。戦地での戦いの激しさは一郎の形相までも変え、激しくやせこけ真由子には判別しがたいところでもあった。
病院は秋田市の土浦港の近くで。米軍の艦載機が毎日みたい飛来しその爆撃は激しく、病院の屋根をすれすれに飛んでは土浦港へ爆撃を繰り返していた。このような状況下では安心して静養など出来ない。真由子は一郎を連れて山形の実家へ帰ろうと決意し、担当の軍医へ相談を掛けて見る。その後、退院許可は状況を理解したのか即日交付された。
早速一郎と真由子は夜行列車に乗り込むと、山形へと向ったのである。真由子は一郎を担ぎ込み列車に乗せると、手厚く看護しながら市郎の手を離さなかった。一郎の帰郷は、家人はもとより村人も皆喜んで迎え、伊村家では見舞い客が絶えなくしばしのやすらぎを覚えた。市郎は村人の信頼が厚く、伊村家の後継者として見られていたのである。
昭和二十年年八月十五日その日は朝から暑く、お昼頃には最高気温と成っていた。陛下のお言葉がラジオから流れると家人も村人も泣き、それは戦いに敗れた悔しさもあったが、長く大変な戦争が終わった安堵感でもあった。その頃の一郎は、田んぼに出ては野良仕事を行なって、真由子と大喧嘩をしていた。「一郎さん!」真由子は大声で叫んだ。「ごめんごめん、ちょっとだけ良いかなと思って」一郎は、はにかみながら鍬を持つ手を休める。村人達の多くも復員して農作業に弾みが出て来ると、田畑は緑を取り戻し以前のような山里へと変貌して行った。
昭和二十一年春、伊村家へ大きな変化がもたらされ農地解放令が施行された。今まで小作人としていた村人が、預かり田畑を手に入れることが出来、庄屋制度が廃止されたのである。伊村家では五十軒にものぼった小作人家が無くなり、残った田畑は伊村家が生活して行くために残されたもので、田畑はいささかな数量であった。それでも真由子と義父の右左ェ門だけでは手が足らず、一郎も農作業を手伝わなくては成らなかった。
戦争が終わって三年目、やっと賢治が復員して来た。その賢治は以前から教員になるのが自分の考えでもあり熱望していた。賢治は教員の資格を得ると近くの町の中学校教諭と成ったのである。そのことに付いては右左ェ門も一郎も喜んで賛同し、賢治の行末を見守る気持ちでいっぱいであった。しかし世の中はこちらの都合通りに廻らなく、運命を変える出来事が起こったのである。
昭和二十三年秋一郎が突然倒れた。その日は一郎と真由子ふたりで農作業を励んで居たのだが、突然一郎が苦しみ出しその場に倒れたのである。すぐ駆けつけた村人に運ばれ病院に向ったのであるが、戦時中に受けた腹部の傷が悪化し、腸閉塞が起こったのであった。すぐに手術が行われたのだが腹部の損傷が激しく、真由子の献身的な介護のかいもなく2日後に息を引き取ったのである。「一郎さん、何故一郎さんが」ふたりの子供を抱いて真由子が泣いた。真由子と一郎とは幼子の時から何時も一緒に暮らし、何でも一郎に頼って来た訳で、別れ離れに成ってしまう事は、真由子にとって考えても見なかったことであった。
一郎のいない田畑は、右左ェ門と真由子のふたりでは中々手に負える物ではなく、次男の賢治も学校の休日を利用して農作業の手伝いを駈っていた。伊村家には農地解放後とは言え、まだ二丁分程の田畑がいまだに残っており、とても廻りきれる物ではなかった。それに不幸は続くもので、義母の君江も一郎の後を追うように亡くなってしまったのである。二人も亡くなった伊村家は何かに取り着かれた様に悲しみが覆い、真由子にとって辛くせつない暗闇のトンネルから抜け出すことが出来なかった。
その後、義父の右左ェ門までも体調が思わしくなく田畑に出られない日々が続き、真由子ひとりが耕作に携わっていた。その結果伊村家での田畑の収穫量はかぎられ休田を出すことに成ってしまったのである。そのことに付いて右左ェ門と親戚との間で話し合いがもたれ、賢治に伊村家を継いでもらう話が持ち上がったのである。
しかし賢治に嫁を貰うのは良いとしても、兄嫁の真由子と二人の子供が居る家に嫁など来るであろうか?実家へ帰えそうにも実家も姉妹も無く子供を背負って生活しょうにも真由子には、生活を満たすだけの備えも家も無い。また一郎の嫁としての村人からの信頼も厚く、家を出て行って貰う事などとうてい出来ない。やがて出て来た結論は真由子にとってはとてつもない事で、賢治と真由子が一緒になって貰う話である。
右左ェ門は賢治と真由子のふたりを前にして、伊村家の行末を考え一緒に成って貰うことを云い含めた。ビックリしたのは真由子で、返す言葉もおぼつか無い程であった。真由子は賢治さんがお嫁さんを貰う時点で、子供を連れて伊村家を出るつもりで居たのである。「待ってください、義父さん、私は子供と家を出ます」と真由子は言い出した。右左ェ門はビックリして「真由子さん、そこの所は子供の事も考え我慢して貰いたい」と話し、膝を真由子の方に向け一歩も引かない覚悟であった。
真由子は「賢治さんはまだ先のある方です、私なんかと一緒にさせるなんて」と言うと、その後は言葉が出て来なかった。なおも右左ェ門は孫の雄一を見て「雄一が大きく成って家を継ぐまでは」と話した後その場をはずした右左ェ門は仏壇の前に立ち、一郎の慰霊に向かって話をかけていた。
その話は数日後にも蒸し返した。右左ェ門は「今のままでは田畑を耕す事が出来ない、どうしても賢治が必要だ」言い含めるように真由子へ迫った。少しして真由子は「賢治さんにお嫁さんを貰って下さい。私では賢治さんが可愛そうです」と言い下を向いたまま何も言えなかった。「賢治、お前の返事を聞いてない、伊村家を継いでくれるのか?」右左ェ門が賢治に尋ねた。賢治は真由子を伺いながら「はい、私はそのつもりで居るのですが」と答えたのである。そこで右左ェ門が「真由子とふたりで夫婦に成ってくれるな」言い返すように賢治に確かめた。真由子としては何も言えなく、また言えるような雰囲気でもなかった。
何とか田植えも済んで一段落した頃、賢治と真由子の婚礼が行なわれた。その婚礼は以前のような華やかさが無く、親戚の代表を含めて二十人位のひっそりとした婚礼であった。
賢治と真由子のふたりは、その日の内に一泊旅行に出る事に成り、飯坂温泉まで出かけて行った。飯坂に着く頃には日もとっぷりと更けて、夜になって宿屋の灯りだけがまぶしく輝いていた。
部屋に通され着替えを済ませると、賢治は大風呂へと足を運んだ。しばらくして風呂から上がったのか賢治が戻って来る。真由子は風呂から上がって髪を解かしていたのだが、賢治の顔を見て「お腹が空いたでしょう、ご飯になさいます」賢治に促した。「はい、飯にしてください」返事が返って来たのだが、何となくぎこちなく互いにけん制しあっての事かと思えた。その日の夕飯はとっても旨く最近では一番のご馳走であった。食事の後は何する訳でもなくただ遠くから聞こえて来る笑い声や、三味線の音に耳を傾けて温泉の余韻に慕って居たのである。また農作業の話や子供の話をしても、この場ではしらけてしまうと思い部屋の裸電球を見つめてはふたりとも黙っていた。
夜も更けて賢治は布団の中へ入った。しばらくして真由子も裸電球を消すと自分の布団へ入る。遠くから聞えていた笑い声や三味線の音も、宴会が終わったらしく静かになって静けさだけが漂って居るように思えた。真由子はふたりの子供のことを考えては、中々眠りに入ることが出来ず何回か寝返りを打った。
突然賢治が「そっちの布団へ行く」と言いながら真由子の布団中へ入り込んで来た。「あっ、ちょっと待って」と言いながら真由子は布団から抜け出すと、その場に座り込んだ。「どうして」賢治が聞くと「まだ心の準備が出来てないの」泣きながら賢治に謝った。泣かれてはどうする事もで出来ず賢治は「義姉さんごめんなさい」と言いながら自分の布団へ戻って行った。「賢治さん、本当にごめんなさいね、私にもう少し時間を下さい」と言い含めると、自分の気持ちの切り替える時間を求めた。賢治もすこし淋しい素振りをしていたが、真由子の顔を覗き込みながら「義姉さんが、こだわって居るなら仕方有りません」と言いながら布団を頭からかぶった。
しかし教員までも辞めて、家のためとは言い七歳も年上の女と一緒に成るなんて賢治は可愛そうである。真由子はその様な事を考えると、このままで良いのか不安であった。真由子とて一郎の温もりがさめない今では、とても賢治と過ごす気分にはなれなく、また亡くなった一郎のためにも貞節を通したかった。
その年、賢治は農作業に精を出し、田畑は以前のような豊かで豊富な農作物に見舞われた。村人たちも農作業に余裕が出て来のか、時々集まって集会を開き酒盛りを交わし気勢をあげていた。賢治はその仲でも皆から信頼され、若い衆頭に選ばれると皆の先に立ち、何かにと世話をやいては皆に慕われる存在となって行った。
そんなおり、早苗振りの集まりで意気投合した若者たちは、町へと繰り出したのである。山形市の霞城大手門マーケット街(飲み屋街)まで出向くと、飲み屋を片端から飲み歩き盛場女と飲む酒は格別に美味しく、若い衆も酒が進み大変な盛り上がりであった。「あーら良い男ね」店の女将が賢治に寄りかかる。賢治は肩を引き身体を反らすと「どうも有難う御座います」と答えた。なおも「ねー今度はひとりで来て」耳元で囁かれると、賢治も悪い気はしなかった。
賢治とて生身の男子である。真由子との間でしっくりと行かない今、妬けにはしってしまうのは仕方の無い事でもあった。その後、賢治は毎晩のように町へ出かけては酒を飲み、夜遅く帰宅するのである。その事については父親の右左ェ門も気にかけて、真由子に何回か尋ねては賢治の事を心配していた。真由子とて夜遊びの原因は自分自身にあると知っては居るのだが,一郎の面影が重なって見えている今、とても賢治に身体を預けひとつになる事など出来ないのであった。
季節が変わって冬支度を始める頃、夜遊びするにはいささか季節外れであり、賢治は小屋にこもって藁仕事に精を出していた。(この時代は、脱穀の済んだ藁を利用して冬仕事を行なう)その様なことが当たり前で、賢治とて仕事の重要性を知っての事である。その同じ小屋中で、真由子は繭玉の取り込みを行なって一日中忙しく働いていた。互いに顔を見合わせるのだが話しは無い、そんな子供じみた素振りに真由子は我慢出来なく、賢治を許せないひとつの原因でもあった。
「賢治さん、昼ごはんここに置きますよ」真由子は何時ものように昼食を準備して賢治の作業場の前に立って言った。「・・・・」何事も返ってこないのである。真由子は家人と食事をしなくては成らず、お膳を置いて母屋へ戻った。賢治は朝夕の食事は家人と行なうが必要以上の会話はなく、そそくさに食事を済ませてはその場を離れるのである。ヤンチャ坊主がふくれて居る様な仕草で、何とも歯がゆい状態であった。右左ェ門はふたりの仲がうまく行ってない事は知っていたが、これほど険悪な情況とは思っても居なかったのである。
やがてふたりは右左ェ門の部屋へ呼ばれた。距離を得て座って居る賢治と真由子へ「何をしている、ふたりは夫婦なんだぞ」と言うと、賢治の顔を見て「夫婦が同じ部屋で寝て居ないなんて」言い含めるように話した。何て不甲斐ない事だと右左ェ門はいささかあきれ返っていた。真由子を見て「真由子さんあんたも悪い、亭主の操縦は女房の仕事」と言うと右左ェ門は何も無かった様に居間へ戻った。賢治と真由子も顔を見合わせていたが、言葉も無く部屋を出て仕事場へと向かった。
その日の夜遅く賢治が部屋へやって来た。布団には入って居たのだがまだ眠りに付いてない真由子は、子供の眠ったのを確かめると、「賢治さん、話しがあるの」賢治の手を引いて部屋の外へ出た。気候からして廊下の立ち話では寒い、そこで賢治の部屋へ入って話の続きをする事にしたのだが、賢治の目的が違っていた。真由子を強く抱きしめると「姉さん、俺はもうだめだ!」真由子を自分の布団の上に押し倒した。「賢治さんよして!」真由子は必至で身体をねじってこらえ賢治の手を押さえた。「賢治さんやめて、話しがあるの」賢治をたしなめるように話した。「私ね子供と三人で暮らそうと思うの」と言い出したのである。真由子は何時も賢治のこと考えては、良いお嫁さんを貰って幸せにと思って居たのである。
真由子は賢治の顔を見て「だからお嫁さんもらって、若くて好い人」と話し出したのである。それに対し賢治は「私は義姉さんが良い」何か意固地になって居る様でもあった。真由子は賢治の顔を覗き見るように「女ってすぐに歳をとってしまうの、4~5年もすると賢治さんに似合わなく成ってしまいます」と話した。次の瞬間、賢治が真由子へ飛び着くと「姉さん」と言いながら自分の腕の中へ引き込んだ。しかし真由子は身体を開こうとしなかった。「義姉さん!どうして受け入れてくれない」と言うと賢治はどうにも成らない気持がいっぱいで部屋を飛び出して行った。
その日から幾日かして賢治がまた夜遊び始める。帰りは何時も午前様で昼頃まで寝ては夕方から遊びに出向いて行った。さすがの右左ェ門も怒り出し「賢治どうしたんだ!」賢治の肩に手を置き「真由子さんも困っている、すこしは家の事も考えろ」と言い聞かせるように話したのだが、聞く耳を持たない素振りで、忠告を無視して出かけて行った。その日を境に賢治の帰宅しない日が続き、2~3日は我慢もしたのだが、一週間も続いては真由子とて心配になった。
村の若い衆達と行っていたマーケット街の飲み屋へ出向いて見ようと思った。さすがに十二月、外気温は低く外套無しで出歩く事も出来ない、賢治の外套を手に真由子は霞屋へと向った。霞屋は昼間店を閉めている様である。裏口に回り「ご免ください」と真由子は恐々声をかけた。二階の奥から「はーい」と言う声がして女将が降りてきた。「どちらさん」と言いかけて「賢治さんの奥さん?」真由子を見て、言葉を切出した。「ちょっとあんた降りてきてよ」女将は二階に向けて大声を発した。
二階から女物のじゅばんを着た賢治が降り来る。「賢治さん迎えに来ました」真由子は言うと、じゅばんをその場で脱がせ自分の持って来た外套へ着せ替えた。それを見ていた女将は「ちょっとあんた帰ってしまうの」と賢治に迫る。「帰るならお金を払って下さい!」と賢治の脱ぎ捨てたじゅばんを拾い、女将は言い寄った。真由子はあらかじめ用意して来た金を支払うと、一礼してそのまま歩き出した。その日は昼から気温が下がり今年初めての雪が降っていた。賢治はすこし離れて真由子の後を黙々と歩き出す。(その身の強さはやはり兄嫁である)ふたりの間には言葉も無く、ただ降りしきる雪が音も立てずに舞い降りていた。
そんな事が忘れ去られる頃、真由子は一つの決心をしていた。賢治のもとへ往こう。賢治と一つに成る事が一番良いんだ、自分に言い聞かせるように真由子は賢治の部屋へと向かった。夜も更け賢治は熟睡して居る様であった。真由子は布団の端を持ち静かに布団の中へ入る。突然賢治が起き「義姉さん、どうしたの」と真由子の顔を見た。真由子は賢治の胸に顔を着けると「いいの」と言いながら、賢治の腕の中に飛びこんで静かに眼を閉じた。おりから振り出した雪は村里をすっかり冬景色に染め、何処までも静かな夜であった。こうして真由子と賢治は床を共にしたのであった。
提出者 太宰身分
初めての作品で上手く書けなかった!
(誤字、脱字、文章の違いなど)