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天気晴朗ナレドモ水ノ月  作者: 伏見 七尾
壱.銀髪の宿敵
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一.

 今は皇紀二五七一年、六月。

 あの『悪夢』から、三年ばかりが過ぎた。


 シックな音楽がかすかに流れている。

 淡いオレンジ色の明かりが照らす店内に、客の姿は二人だけだった。

 小太りの男が酒を一気に飲み干し、立ち上がった。

「それじゃ、おれはそろそろ帰るよ」

「おや佐藤さん、もう帰るんですか? 水曜はいつも二時過ぎまで飲んでるのに」

 静かにグラスを拭いていたバーテンダーが手を止め、首をかしげた。くりっとしたグレーの瞳が印象的な、茶髪の女性だった。

 佐藤と呼ばれた男は気まずそうに笑いながら、髪の乏しい頭をかいた。

「いやー、女房に大目玉食らっちまってさぁ。どこで油売ってんだ! ってなぁ」

「はは、それは仕方が無いですね」

「たまったもんじゃないよ。こっちは毎日キリキリ腰に弁当ひっかけて働いてんだ。たまにはこうして休憩してもいいじゃないか? なぁ?」

 佐藤がカウンターの隅に目を向ける。

 そこには黒髪の女が一人、静かにグラスを傾けていた。

「サッちゃんもそう思わないかい?」

「え? ……あ、あぁ、はい」

 女はぎこちなく答えた。

 年は二十代前半ほど。艶やかな黒髪を伸ばし、首筋で一つ結びにしている。整った顔立ちで、透き通るように肌が白い。黒い着流しに、紅珊瑚の帯留めが映えていた。

 小太りの男は鼻の下を伸ばし、ずずいと女に近づいた。

「いやぁ、サッちゃんもそう思うか! 自由に酒を飲んだっていいよなぁ!」

「ま、あぁ……佐藤さんは、がんばってますから」

「うれしいこと言ってくれるねぇ! どうだい、これから一緒にもう一軒――!」

「精算終わりましたよ、佐藤さん」

 バーテンダーの静かな声に、佐藤はあからさまに渋い顔になった。

「……なんだか、いつもよりも精算早くないかい?」

「まさか。――それより、いいんですか。奥さんに叱られますよ」

「ちぇ、カタいなぁ」

 佐藤はぶぅぶぅと文句を言いながら精算を済ませた。

 頭に三つ折り帽子を被り、ポケットから銀の懐中時計を取り出す。

「ハァ、こんな時間に帰宅だなんて……」

「いいじゃないですか、家庭的ですよ。浮いたお金で奥さんに何か贈ったらどうです」

「そんなご機嫌取りが通用するかねぇ。――じゃ、サッちゃんまたねぇ!」

「え、えぇ、さよなら……」

 ブンブンと手を振る佐藤に対し、黒髪の女はぎこちなく手をあげた。

 ベルの音を立て、扉が閉まる。後には、バーテンダーと黒髪の女だけが残された。

 バーテンダーがグラスを拭きながら、口を開いた。

「――ねぇ三笠、そのぎこちなさ、どうにかならないのかい?」

「……どうにもならないな。未だに普通の人との話し方がよくわからないんだ」

 黒髪の女――三笠は疲れたように前髪を書き上げ、肩をすくめてみせた。先ほどとは打って変わって、凜々しく張りのある声だった。

 バーテンダーは呆れたようなまなざしで、黒髪の女を見た。

「……工作任務には向かないね。一般人に溶け込めていない」

「構わんよ。どうせ工作任務だの潜入任務だの、そういう仕事は私には回ってこない。――それに私は、軍を抜けた人間だ」

 黒髪の女はあっけらかんとした口調でそう言って、グラスに口をつけた。

 しかし、バーテンダーは首を振る。

「予備役だろ。完全には抜けてないじゃないか」

「それでも絶賛隠居中だ。良いものだな、毎日静かに暮らせるというのは」

「死んだように暮らしているの間違いじゃないか?」

「……ッ」

 バーテンダーの言葉に、三笠は一瞬目を見開いた。

 しかしすぐに表情を消し、一気にグラスの中身を空ける。唇の端から零れた雫をぬぐい、三笠はちらりと壁に掛かった古時計の針を確認した。

「……そろそろ私は帰る」

「そうかい。支払いは……こんなところだよ」

 バーテンダーは特に何も言わず、伝票を差し出した。

 精算を済ませた三笠は窓の外から空の様子をうかがった。どんよりと曇っている。

「月が見えないな」

「今日は曇りだからね。――そうだ、アマツキツネの話を知ってる?」

「ん……たしか、宇宙に住み着いてる妖魔だったかな?」

 三笠は額を押さえ、その特徴を思い出そうとする。

 バーテンダーは首を振った。

「違うよ、霊獣だ」

「妖魔と霊獣の区別なんて、人を食うか食わないかだろう」

「ひどいこと言うなぁ……アマツキツネは霊獣の中でも最も美しいって言われてるのに。霊気を振りまきながら移動するから、地上からは彗星みたいに見えるんだ」

「ふぅん……で、そいつがどうした?」

「どうしたって……六十年ぶりに接近してきてるんだよ。今世紀最大級の天体ショーだってみんなワクワクしてる。うちでも、最接近の日にパーティーやろうかなって」

「そうなのか?」

「え、本当になんにも知らないの? 毎日ニュースや新聞にバンバン出てるじゃないか」

「あまり興味が無いんだ、そういうの」

 かすかに笑う三笠に、バーテンダーはグラスを拭く手を止めた。

 グレーの瞳を細め、探るように三笠を見つめる。

「なんというか――きみ、いまいち生きている感じがしないね」

「……私は幽霊じゃないぞ」

 言いながら三笠は席を立ち、鞄と細長い包みとを荷物置きからとった。なぜだか、バーテンダーと視線を合わせていられなかった。

 バーテンダーのため息が聞こえる。

「そういう意味じゃなくってね――まぁ死に損ないって意味ではそうだけど」

「それはお互い同じだろう……すまないな、いつもノンアルコールばかり頼んで」

「ん、気にする必要は無いよ。常連にも下戸は多いし」

「そう、か。なら良かった――では、今夜はこれで失礼する……っと」

 三笠は一瞬敬礼しかけたが、居心地の悪い思いで手を下ろした。

 バーテンダーが涼しげな顔で、タオルを振る。

「構わない。またいつでも、三笠」

「あぁ。ではまた、出雲」


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