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独りぼっち


 目が覚めました。

 あまりの静けさに、目が覚めました。人形は夢など見ませんが、とてもとても怖いものを見た気がします。

 エトワールは体を起こして、目を凝らしました。窓の外から見える太陽の位置はいつもより高い気がします。

 あれ、アルハサンの声、したかしら……?

 そうです、何時もは彼が起こしにきます。最近は自分で起きることが増えましたが、それでも起きられない日は彼が呼んでくれます。でも今日は、そうされた記憶がありません。

 大きな違和感を覚えながら、エトワールは何時も通りドレスを着てリビングへ向かいました。そこには何も乗っていない机と、誰も座っていない椅子がポツンとありました。

 あれ……?

 台所をちらりと覗くと、何かが料理された形跡はありませんでした。昨日は水が入っていた水桶は空っぽで、脇に置いてあった籠の野菜は切れ端すら残っていません。調味料も無くなっていました。お皿や鍋などは半分が残り、愛用されていた物は跡形もなく消えています。

 え……どうして?

 アルハサン、まだ起きていないのかしら……?

 そんなことはないはずだと思いながら、また、ちょっとした焦燥感にかられ、エトワールは彼の寝室の扉をノックしました。数回叩きましたが、返事はありません。板が軋む音だけが虚しく鳴ります。

 さすがに怪しく思い、エトワールは遠慮しながら扉を開けました。

 ――そこには、やはり誰もいませんでした。

 ベッドはもぬけの殻、いえ、昨晩寝た形跡がありません。棚の中身は綺麗になくなり、掛けられていた彼のコートや帽子、そして大きな鞄も無くなっています。持って行ける物はほとんど持って行ったようで、残っているのは大きな家具が大半でした。

 いない? どうして……いないの? 外、かな。

 その外も、やけに静かです。まるで、誰もいないかのような――。

 そこに考えが至り、そんな訳ないと全力で否定したくて、エトワールは焦って家から飛び出しました。そして、呆然とします。

 いつも賑わっていた通りには、人っ子一人といません。燦々と太陽が熱く照る下には、誰もいません。砂だけが舞っています。

 おかしいです。こんな風景は、おかしいのです。昼が近いというのに、誰一人外にいないというのは、あり得ないことです。

 エトワールは頭を振って、ふと足元に足跡があるのに気が付きました。まだうっすらと残っているそれは、おそらくアルハサンのものです。

 これを辿って行けば彼の元へ行けるかもしれないと思い、エトワールは歩き出しました。

 歩いていく程、多くの家の前を通るほど、足跡は一人二人と増えていきます。どうやら皆で行進したようです。

 広場に着きました。ですがやはり、そこには誰も居ません。

足跡は続きます。それを追ってエトワールも歩きます。広場を抜け、別の街をいくつも通り過ぎました。やはり、それらのどこにも誰もいませんでした。

やがてエトワールは、国と外の砂漠の境界までやって来ました。途中で何百人分もの足跡に増えた踏まれた砂の後は、そこで途切れています。日々移り変わる砂漠の砂に覆い隠され、吹き荒れる風に型崩されのでしょう。

「嘘……」

 立ち竦むエトワールの口から、乾いた言葉が零れました。

 どうして、彼らは出て行ったのでしょうか。何時のことでしょうか。消えかけた足跡からして、朝だろうとは予想がつきます。正確な時刻は分かりませんが、取りあえずエトワールが起きる前でしょう。そして、国民的な脱出、でしょうか。指揮したのは、国長しかいません。恐らく、理由は食べ物と水が尽きたから、だと思います。新天地を求めて、皆で砂漠へ出たのでしょう。

 置いていかれたのかと、エトワールは漠然と感じていました。

 しばらく立っていましたが、まだ誰か残っているかもしれないと僅かな希望を見つけ、エトワールは来た道を戻り出します。彼女が通ってきたのは、アルハサンの家から国境までです。途中で合流してきた足跡の元や、見ていない街もあります。

 誰かいたら、早く見つけて、どうしてこうなったか聞かないと。その思いがエトワールを走らせます。

 炎天下の暑さの中、エトワールは必死で走ります。人形は、暑さも体の辛さも感じません。今だけそれがありがたいです。

 エトワールは幾つもの街を回りました。

 真昼になりました。太陽は高く眩しく、空っぽの国を明るく照らします。

 夕方になりました。太陽は傾いて、目を焼くような美しい橙色で空っぽの国を染め上げます。

 エトワールを追い立てるのは大きな焦りです。夕方になっても誰も見つかりません。国長の住まいも確認しました。他の街も全部回りました。遠慮しつつ目につく家の扉を開けては家人がいないことも確認しました。枯れ果てた地下水路も見ました。

 でも見つからないのです、誰も。本当に、誰もいなくなってしまいました。

 一つ街を回る度に、一本人影のない道を通る度に、エトワールの足は速くなっていきました。目はせわしなく左右に動き、喉にもどかしさが溜まります。不安で胸が張り裂けそうです。

 夜がやって来ます。薄闇が誰もいない国を包もうとしています。

「どうしてッ!!」

 そのうっすらと紫がかってきた空を、人形の高く澄んだ絶叫がつんざきます。

 叫んだ途端にバランスを崩し、エトワールは小石に躓いてこけました。パリン、と、軽く、ですがエトワールにとっては致命的な音がしました。自分の足からです。

 恐る恐る振り返ると、割れていました、右足首と、左のふくらはぎが。エトワールは陶器でできています。陶器の皿を落としたら割れるように、エトワールの肌も一定以上の衝撃を与えたら割れるのです。

 足が壊れてしまっては、もう歩けません。誰も探せません。

 どうしようどうしよう。

 そんな焦りと、不安と、寂しさと、絶望がごちゃまぜになってエトワールの心を襲ってきます。

 ずっと地面に倒れている訳にもいかず、エトワールは手を使い、砂道を這って、家へ帰ります。

 本当は全部夢で、私がいない間にアルハサンはこっそり戻ってきていて……。

 そんな淡い望みは、家の扉を開けた途端に消し飛びました。何時も温かい空間でエトワールを迎え入れてくれた二人の家は、残酷なまでに無人という事実を突き付けてきます。

「あぁ……」

 そんな声が口から洩れます。涙がこぼれてきそうでした。でも実際は、エトワールには涙を流す能力がないので、ただ悲しむだけでしたが。

 彼がいない寂しい家で、茫然と時が無為に過ぎ、

 ――そうして、その日は暮れました。


 それからは、やることもなくエトワールは自室のベッドに座って、毎日毎日窓から変わらない風景を眺めました。ただぼんやりと、眺めました。カンカン照りの日も、滅多に降らない雨の湿った日も、厳しい砂嵐の日も。

何日、いえ、何十日経ったことでしょう。そんな時の流れは、途中で数えるのをやめてしまいました。日が経つごとに、皆が戻ってくるという望みが薄れて悲しくなるからです。

 誰もいないわ。アルも、子供たちも、皆、みんな。それで、私だけ……私だけが、置いていかれたんだわ。

 どうして……?

 何故アルハサンは、私に出ていくことを教えてくれなかったの……? どうして置いていったの……?

 その間、考えていたことは似たり寄ったりなものでした。

 絶望と寂しさ、それから虚無感は、日増しに大きくなっていきます。

 アル……皆……、お願いだから、戻ってきて……。

 願いは届きません。


 更に何十日か経ちました。

 季節は半分廻ろうとしています。

 段々と頭がぼんやりしてきました。暇つぶしに一人で歌ってみましたが、悲しくなったのですぐにやめました。

 一人で歌う虚しさを初めて知りました。エトワールの存在意義は、歌を人に聞かせ、舞を踊ることであって、それは他人がいないと成り立たないものです。誰も必要としてくれないという悲しさを初めて知りました。

 誰でも……誰でもいいから、聞いて欲しい。そうでないと、私は……私は何者でもなくなるから……。

 その無言の叫びを聞き届けてくれる人もいません。


 更に何十日、また過ぎました。

 エトワールが生まれて、アルハサンに造られてから三年が経ちました。

 人形は、自分が動かなくなりつつあるのを感じていました。ぜんまいが切れかけているのでしょうか。今は誰も巻いてくれる人がいないので、自分で巻くしかありません。

 久しぶりにベッドから降りて、ほとんど言うことを聞かなくなった腕で這い、隣のアルハサンの部屋へ向かいます。大好きな彼が一番綺麗だと言った、赤いドレスが砂と埃に汚れました。

 本当に久しぶりに、彼の部屋へ入りました。もう生活感は感じられません。

 ぜんまいは、確か……引き出しの中に……。

 記憶を掘り返して、エトワールは机に這い上り、それに付けられていた引き出しを引っ張りました。元はいろんな物が詰まっていた段でしたが、今はすすけたぜんまいだけが残されていました。

 それを掴んで、自分の背中にある穴へ差し込もうとしますが、腕は上がりません。

 あぁ……最期、というものが来たのね。

 エトワールは薄く笑おうとしましたが、強張ってうまくできませんでした。


 誰か。

 お願い寂しいの。

 私に気づいて。聞いて、私の歌を。

 私は人形なの。唄を聞いてもらわないとだめなの、それが私だから。

 お願い歌わせて!


「アルハサン!!」

 愛しの彼を、生みの親であり、家族であり、大好きな人だった彼の名を叫び、人形は動かなくなりました。


 カラン……。


 乾いた音を立てて、ぜんまいが机に落下しました。


 結局最後まで誰も戻ってこず、最期までエトワールの心を占めていたのは言い表せない悲しみでした。……。


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