表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/9

人形の家

 自分を呼ぶ声がします。

 どうやらそろそろ起きないといけない時間らしいです。

 少女は、いえ、人形は目を開けました。眩しい太陽光が目を焼きます。普通の人なら反射で瞼を閉じるようですが、嬉しいことに人間ではなく人形なので、眩しくとも眩しいとは感じません。

 人形は身を起こし、簡易なベッドから降りました。薄く白い寝間着の袖から、つるりとした球体関節が顔を覗かせます。

 箪笥の中から青いドレスを出して着替えます。人形は青が好きです。何故なら彼が綺麗だと言った、自分の目と同じ色だからです。

 ドレスに腕を通し、人形は部屋を出ました。リビングにはもう既に彼が居て、朝食を食べていました。

「やあ。おはよう、エトワール」

 そういえば自分には名前があったと、人形は思い出しました。いつもその名前で呼ばれているのですが、自分のことなのによく忘れてしまいます。覚えているのは彼の名前くらいでしょうか。

「おはようございます、マスター」

 エトワールが丁寧にお辞儀をすると、彼は少し照れたような、そして困ったような顔をしました。

 最近ようやく人の表情に見分けがついてきて、相手が何を思っているのかだいたい分かるようになりました。

「マスターは止してくれよ、マスターは。普通に名前でいいから」

 彼はひらひらと手を振ります。どうやらそれはやめてくれというジェスチャーらしいです。また一つ賢くなったと、エトワールは少し嬉しいけれど複雑な気持ちです。

「では、アルハサン。様でも付けた方がよろしいですか?」

「何で自分の名前覚えないくせに僕の名前を覚える訳? いや、アルだけでいいよ、アルだけで。様とかさんとか付けられても変な気しかしないし」

 彼が溜息を吐きました。溜息を吐くのは疲れたときや呆れたときだということは、早めに気が付きました。この場合のアルハサンの溜息は、おそらく呆れを表しているのでしょう。これを見分けるのは、エトワールには少々難しいことです。

「それはアル……が、私に最初に言った名前だからです」

 そうエトワールが答えると、アルハサンはまた溜息を吐きました。これも呆れからきているようです。

「そうかい……。あとね、エトワール。何で外にいるときには敬語使わなくて、僕には敬語使うの」

「それは、一昨日も答えました」

「知ってるよ! 僕が君を造った人だからでしょ」

「分かっているならわざわざ聞かなくてもいいと思います」

 アルハサンは机に手をついて、それを額に当てました。これは初めて見ますが、多分呆れているのでしょう、流れからして。

「君が敬語を外してくれないから言ってるんだよ」

「アルには敬語を使ってはいけないのですか?」

 エトワールが真顔で問いかけると、アルは困った表情を浮かべました。

「いや……、できればそうして欲しいなと」

「分かりました。なら、善処します。いえ、する」

 言い直すと、何故かアルは笑いました。何が面白かったのかエトワールには分かりません。分かりませんが、彼の笑みを見れたので気にしないことにします。

「そうか、それは良かった。さてと、じゃあ髪を梳かそうか」

 アルハサンが食事の手を止めて、エトワールを手招きしました。素直にそれに従い、彼の隣に腰かけます。背は彼より幾分か低いので、彼にとってやりやすい位置に頭がきます。

 彼に艶やかな黒髪を梳かされながら、エトワールは歌を口ずさびます。何ていう歌かは知りません。エトワールは二度も同じ歌を歌いません。いつも体の内からこぼれてくる音をそのまま歌っているだけなのですから。

 髪を梳くのが終わると、エトワールは立ち上がりました。

「では、……じゃあ、と言うのですか?」

 アルハサンは笑って答えてくれません。

「……じゃあ、行ってくる」

 声を上げて笑い出したアルハサンに、呆れとも怒りとも見えるように練習した目つきを向けて、エトワールは家から出ました。


 エトワール。

 アルハサンはそう呼びます。他の人々もそう呼びます。それが人形の名前です。

 エトワールは、人形です。アルハサンが二年程かけて作り上げた人形です。

 からくり人形ですが、奇跡的に生きている人間とそうそう変わらない思考や、ちょっとした感情も持ち合わせていました。それが何故なのかは、生みの親であるアルハサンにも分かりません。

 エトワールは、人形です。歌を歌い、時には踊る人形です。アルハサンを含む多くの人々を喜ばせるために作られた人形です。快楽人形、とでも言うのでしょうか。

 だからエトワールは、毎日毎日外に出ては、小さな国中を周り、歌を歌うのです。


 今日はすぐ近くの広場へ向かいました。

 日光か燦々と降り注いでいます。道行く人は暑そうにしています。ですがエトワールにはやはり、暑い、といのがとういう状態なのかは分かりません。いくら人間に似ているとはいっても、しょせん人形でしかないのですから。

 広場にはいつも通り多くの人がいました。影で休んでいたり、立ち話をしていたり、物々交換をしていたりと、にぎやかです。

 と、エトワールに気が付いた幼い少年少女が駆け寄ってきました。

「あ、エトワールだあ!」

 彼らは嬉しそうにエトワールの周りを囲み、歌をせがんできます。彼らに柔らかな微笑みを返し、エトワールは広場の真ん中へ進みました。

 真ん中に立つと、エトワールは一礼して、手を自分の胸に当てました。そして口を開き、――とてもとても綺麗な声で歌いだした。

 人形の割れることのない高音は澄みきり、青空に響きます。また低音は荘厳に、聞く人々の心を揺さぶります。ときにはクルリと周りながら、エトワールは名のない歌を歌い続けます。

 人々はそんなエトワールの声に聴き入っています。作業を止め、声も出さず、彼女の美しい限りの声だけを聴いています。

 やがてエトワールが歌い終わると、割れんばかりの拍手が鳴り響きました。途中から聞いていた人も、エトワールがいることを知ってやってきた人も、老若男女関係なく、全員が手を精一杯叩いています。

 満足感に包まれ、エトワールはお辞儀を三回程しました。

 人形は、歌っているときが好きです。何故ならみんなが喜んでくれるから。

 人形の存在意義は、歌い、そして踊ることです。それを嬉しがってくれる人がいるのは、とても満足のいくことです。

 歌い終わった後、しばらく子供たちや若者とおしゃべりをし、エトワールは広場から出ていきました。

 次はどこに行って、誰に歌を聞かせようと考えながら。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ