逃げ道
「うわぁ〜ひろーい」
出来るだけ無表情で、言葉に強弱をつけずに棒読みをする。
あのかたっくるしい部屋から出て、ベッドの下にあった白い毛がフワフワしていて、触った感触も使う感触も気持ち良いスリッパを履いて、廊下を歩いていた。特にあれから会話っぽい会話もしてないし、悠汰が『祐司さーん僕ここにいるよー』なんて、見えていないのに祐司の目の前で手をヒラヒラと振っていたりする。
もちろんのこと、祐司は全く持って反応するどころか、瞳の中にも入っていなくて、逆にホッとした。
もしこれが祐司と悠汰の芝居だとしたら一応入っていてもおかしくない。別に何かを疑っているわけではない。というとうそにはなるが、まだまだ悠汰の事を信用していない事は確かだった。けれど、ここで一番信用しているのは、悔しいけど悠汰。しかいなかった。
いまだって、聞こえているのかいないのかは良くわからないけど、ベラベラ意味のわからないことをしゃべっている。
「今日何曜日?」とか「天気悪くないよね?」とか、「今何時なの?」とか、本当にくだらないことばかりベラベラしゃべっていた。本当にこれが未来の俺なのか。というくらいに。
あんまりそんなにもベラベラ適当なことをしゃべるタイプでは無いとは思うけど、実際未来から来たとか言っている、それが本当なのかどうかもわからないけど、本当に激似だしそれなりに俺のことも知っている様子だったからだから嘘だろなんていえなかった。
周りは夜の病院のように薄暗くて、しかも周りはコンクリート色だし。というか、まさにコンクリートっていうかんじだ。
たまにドアがあるけど、入る予感が感じられない。なんだか本当に一定の場所に行こうとしているように。今ここで踵を返して適当に走り回ったらどうなるのだろうか。
なんとなく。本当になんとなくだけど、入ってきたとは逆の方向にいっていることはわかる。なんていったって運ばれた時に、どう曲がったのかとかこれでもいろいろ観察はしていたから、頑張れば出れるような予感もしないことは無い。
しかも歩いている音が2人分の足音しか聞こえない。
だから余計に不安になる事なんて、誰もがわかっているはずなのに、こんなにもしんみりと返ってくる筈のない悠汰の言葉だけを聞いているのも、凄く悲しくなってくる。
「どうした?」
フッと祐司の声が聞こえてきたとき、うつむいていた顔を上げると、俺と祐司の間にはかなりの距離が合った。
考え込んでいるうちに、足がいつの間にか止まっていたのだろう。
『悠樹?』
悠汰も、ゆっくりとうつむいていた俺の顔を覗きこんでくる。
これですっかりと考えていたことを忘れさせてくれると嬉しいのだが。
「具合が悪いか?」
この開いた距離を、再び戻ってきた祐司が頭をソッと撫でてくる。ゆっくりとその頭を横に振るが、まだ何か心配してくれているようだ。それならそれでいい。
寧ろ、心配して心配してどうにもならなくさせてやりたい。かなり困らせてやりたいという気持ちがある。
余り周りを困らせないタイプだと親から言われ、自分でも結構自覚しているほうだ。自分で言うのもどうかとは思うものの、余りわがままは言わないタイプだったし、周りの言葉で左右されるタイプだったかもしれない。それはそれで結構困り者だとは思うものの、「お前がいたら大変」とか、そんな感じの言葉は聞いたことがなかった。
学校でも、『優秀』という区域に入っていたといっても良いが、勉強面では別に優秀でもなんでもなかった。
けどなんだかこの人の近くだったら、凄く困るようなことを言いたい。
というか、先ほど結構困らせるようなことをしたものの、今は余りそう驚いている要でもないし、それなりにさっきの事をそれなりに理解してくれたり、勝手に解決させてくれているようにも見える。見えるだけで本心は同化なんてわかんない。
「大丈夫……」
撫でてくれている手をつかみ、ソッと頭から離させる。
今までこうやって特別やさしくされた事もないし、それなりにいつも同じようなことばかりが続いていたから、初めて会った人と、こういう風にきちんと向き合ったこともなかった。
恥ずかしい
簡単に言えばそういうことだった。
「そうか?もう少しだから頑張れよ」
何をどう頑張れといっているのだろうか。
踵を返して少し前を歩いている。迷路のようなこの道を迷うことなく、着実に向っていくこの男。祐司を、本当に信じていいものなのだろうかと、だんだん不安にもなっていく心とともに、信じなければならないという無抵抗な心も生まれてくる。
悠汰も結構信じきっているようだし、悪そうにも見えない。けれど、少し視点を変えれば凄く悪い人にも見える。悠汰も。
信じてくれとも言われてないし、信じなくてもいいとも言われていない。
できることならば「俺のことを一生を駆けて信じてくれ」というような、決め台詞並に格好つけている言葉はやめてほしいが。
といっても、このまま不安を抱えて、その目的地に行く気にもならない。
適度に距離をつけながら、見失わないようにゆっくりと付いていった。たまに振り向いては心配そうな顔をしてくる。
悠汰もこっちにいてくれればいいのに、向こうについている。
このまま踵を返して、必死に頭の中に叩き込んでいるこの建物のちょっとした構図。というか、来た道を思いっきり走って逃げることだって、無理じゃない。必死扱いて走れば、この人を撒くことくらいは出来ない気もしないことは無いし。けど、体力が持つかどうかだ。
このまま進めば、確実に走らなければならない距離だって増える。
どうしようかなんて考えているうちに、だんだんと祐司との距離は遠くなっていく。
不安そうに、ゆっくりと悠汰が近づいてきた。反応して俺の足はピタリと止まった。
『本当にどうしたの?悠樹……もしかして……祐司さんこわい?』
<怖くないわけじゃないけど……信じていいのか……>
ボソボソという言葉。
祐司に聞かれてはいけないかもしれない言葉。
『大丈夫だよ』
――そうやって微笑めば俺が信じると思っているのかこいつは……
確かに歩いている音がしないから、死んでいる。とかそういう系でも結構信じられるかもしれないけど、歩く音は聞こえるし、人間だし。ということを考えると、一番裏切りやすいのは祐司だ。
けれど逆を考えると、どこで裏切るか解らない悠汰の方が、すぐに裏切ることが出来るのに。なのになんでこうやって微笑むのだろうか。
音を鳴らさないように注意しながら歩いているのか、見えていないと信じさせているのかはわからないけど、そんなにも祐司と一緒にいたら、祐司と手を組んでいると考えなくもないのに。
ゆっくりと足を一歩下げた。
『……悠樹……?』
考えがなんとなくわかったのか、悠汰がゆっくりと俺に触れてくる。
――信じちゃダメだ
心のどこかの俺がそうやって言ってくれている。
ヤッパリこういうところで信じなきゃいけないのは自分なんだ。
そうとわかったとき。俺はすでに走っていた。
『悠樹!!?』
「悠樹!?待つんだ!!」
必死に追ってくる悠汰と祐司。
どちらかというと、祐司の方が早い。
チョクチョク後ろを振り返りながらも、来た道を必死扱いて走る。息が切れていることにも気付かず、体力が続くかどうかなんてことを考えるよりも、いつどこで曲がればいいのか。もしつかまったらどうすればいいのか。
もしこれが裏切りだったら……
今やってしまったこの行動に後悔をしていたらキリがない。
今までだって、こうやって自分で決めて行動をしてきたことはあるけれど、後悔だってそう多いわけではない。それなりに後悔はして来てるし、それで学んだ事だって何ぼかある。
こうしている今だって、後悔してないということは無いけど。
「悠樹!待つんだ!!」
少しだけ息の切れた祐司の声を聞いて、だんだん鳥肌が立ってくる。
今行っているこの俺の行動に、どれだけの人が困るんだろう。誰かが困ってくれるんだろうか。
俺が困ったように。
心臓がどうのこうのといわれるくらいだったら、今すぐにでも心臓を切られて必要のないものにしてしまった方が、姫倉家は楽だし親だって楽かもしれない。
狙われるものが居ないのならば、追う必要もない。助ける必要もない。
「悠樹!!」
一人で寝ているだろう俺の部屋に来たことを、祐司に後悔させてやる。一人じゃなかったら、こんなにも必死扱かなくてもいい。
寧ろこんな迷路だったら二手に分かれるなりすれば、違う道でも向っているところにいけるかもしれないのだ。
なのに。
――待ちたくないし……
覚えている限り曲がる。感覚的にはもうそろそろ外に出てもいいくらいだ。と思ったとき、視界の向こう側で少し光が見えた。
――あそこだ
わかった瞬間後ろから勢いのついたものに抱きしめられ、思いっきり後ろに引き寄せられて、足が地についていないことに気付いたとき。俺は反射的におなかに回されている腕を、思いっきり引き剥がそうと必死になった。
「落ちつけ悠樹!どうした」
「やだ……離して……!!」
必死に暴れるが、なかなか放れる感じはしなかった。
『悠樹!!どうしたの?』
全く息の切れていない悠汰が目の前に来る。
元凶はこいつかもしれないのに。
「なんなんだよぉ〜……俺をどうする気だよ……」
「助けたいんだお前を!!」
息の切れた声。
どうしてここまで必死になって俺を追ってきたのか。本当は信じ切らせた時に心臓を狙う予定だったら?だったら姫倉家だって危ないかもしれない。悠汰はその事を知らないかもしれないのに、信じれなんていうのだろうか。
助けたいといわれたって、姫倉家が助ける必要なんてあるのだろうか。
ただ必要以上に体力を使って、必要以上に考えているだけなのかもしれないのに。
「何の力も無いもん!!ないのにこんなやつ助ける必要なんかないじゃないか!!何を信じれって言うんだよ!!日本はどこの国よりも平和なはずじゃないか!狙われたこともないし、平和で争いのない生活をしてたんだ!そんなときに急に何が心臓だ!………俺は普通の心臓しか持ってない」
半分は悠汰に言いつけてやった。
「お前は人を素直に信じすぎている」と言いたいかのように。なんも信じられない。
「あるんだ。お前にはちゃんとした力が備わっているんだ」
「何が力だよ!どれが力だよ!俺には何のとりえもないって言ってんだろ!力がないんだ力が……」
「じゃあドアはどうやって閉めた?無理矢理抜く事のできないあの縄からどうやって抜けた?」
「あれは力じゃない!!」
「どうして?どうしてそういえる!」
「解るんだそれは!」
「じゃあ教えろあれはなんだったんだ!!」
身体を離され、力強く向きを変えさせられ、向かい合うようにされる。肩を力強く掴まれて、真剣な瞳で見つめられる。
絶対に悠汰の存在はばれてはいけない。
「けど……あれは違う」
両手で顔を覆い隠し、言ってしまいそうになるその言葉を必死に止めた。止めたとともに、涙が流れ出てきてしまう。
不可抗力にも流れる涙。
『悠樹……』
「あなたたちを信じられるものなんて……何一つないんだよ……」
酷いことを言っているのは承知の上だ。だからこそそういうしかなかった。
無理に何かを決め付けて、必死扱いて何かを訴えても、今の自分には何の力もないことくらい解っているから。
「大丈夫だから……」
真剣な瞳の奥に見える優しい瞳。その奥に見える俺の泣き顔。
悔しい。
こんな奴にこんなにいいように自分が振りまわらなければ鳴らない羽目になっているという事が凄く悔しい。
確かに周りに流されるタイプではあったけど、それなりに自分で決めれることは決めてきていたのに。なのになんだか、一つの選択肢を選ぶ以外にない気がしてくる。
いやだったのに




