マネーの虎
「先生は先ほどのような若者にも、ご指導しているのですね。」
「ええ。若いということはすばらしいことです。
私ももう一度若いときに戻れたならといつも思います。
彼等は何処からか私の噂を聞きつけ、私に弁論術を教えてほしい
とやってきたのです。
何でも大学の弁論大会に出場するとかで・・。」
「なるほど、それで途中で議論を止めさせた理由がわかりました。」
あの時点では議論になっていないし、
お互いの主張を相手に納得させることはできないと判断したのだろう。
「どうも、今日はお互いに資料不足だったようです。」
先生は恥ずかしそうに言った。
その仕草は子供のようで、妙に人懐っこい。
「でも、弁論術を教えるなんて、まるでソフィストですね。」
「ははは。そうですね。
もっとも、私の場合は金銭を頂いておりませんから、
職業教師ではないですが・・・。
それにソフィストには詭弁を弄ぶ者といったようなネガティブな
意味合いもありますから、その点は私にあっているかもしれません。」
私は自分の軽率な発言を悔やんだ。
「そういう意味合いが、あるとは知りませんでした。
大変失礼いたしました。」
「いやいや、そんなにあやまることはありませんよ。」
先生と本音で話をしていると、
その人柄の良さが伝わってくる。
先生の下にたくさん人が集まるのも理解できる気がした。
私は考えていたことをぶつけてみることにした。
「話は変わりますが、先生はインターネットの掲示板をご存知ですか?」
「いや、恥ずかしながら私はそっちの方には疎くて、
テレビなどで名前は知っているのですが、実際に見たことはありません。」
「そうですか。実は私もそこで、先生のことを知った訳ですが。」
「そうですか。」
「ええ。その掲示板ではたくさんのニュースや社会問題などの議論が行われ
ています。」
「はあ。時代も便利になったものですね。」
「はい。ただ、問題点も多数あります。」
「どのような?」
「無記名で顔が見えないものですから、{荒らし}と呼ばれる無責任な
発言をする者や、差別的な発言、過激な言葉を言う者が多数いるのです。」
「そういう事実があるのは、私もテレビなどの情報で知っています。」
「だから、純粋に議論したい者にとってはやりにくいと思うのです。」
「そうですね、・・私にはまだあなたの言いたいことが読めませんが・・・。」
「はい、ですから世の中には議論をしたい人間がたくさんいるということです。」
「それで?」
「ですからそのような人を集めてビジネスをしてみてはいかがかと?」
「ビジネス?」
「ええ。先生の名前はもう一部では有名になっていますし、
議論のニーズは高まっています。しかも顔の見える議論の。」
「面白いかもしれませんが、
先ほども申し上げましたとおり、私は商売という柄ではない
ものですから・・。」
「その点は私がフォローします。
まずはお話だけでも聞いていただけないでしょうか?」
「具体的なビジネスモデルがあるのですか?」
「はい、思いついて昨日考えてきました。」
「それでは聞かせていただきましょう。」
「まず、商店街の一角に碁会所のような場所を確保します。
そこが、いわゆるアゴラ(集会所)です。」
「はあ。」
「そこに退職者の人々が自由に集まって議論をするというわけです。」
「なんとなくイメージはできますが・・・。」
「ずばり今回のターゲットは団塊の世代。
今年から退職する人たちなのです。」
「確かに団塊を見込んだビジネスは最近注目ですな。」
「ええ。彼等は日本の高度成長期を支えてきた、いわば一番
勤勉な世代です。人口も多い。ある程度お金に余裕もある。」
「なるほど。」
「これは私が仕事上で感じたことなので、正確なマーケティングは
できていませんが、彼等の多くは仕事一筋で生きてきた人が多い
様に感じます。その彼等が退職したら趣味のある人はいいが、
趣味のない人はどうするでしょうか?」
「私もそうでしたが、趣味がなく、退職してしまうと実に
味気ないものです。」
「そうでしょう。ですから私は彼等に生きる希望を与えたいのです。
定年してから新しいことをはじめる方もいるでしょうが、
実際にはなかなか厳しいものだと思います。
そこで、最近希薄になっている地域のコミュニティに参加し、
多くのことについて議論するのは最大の仕事であり、楽しみ
だと思うのです。」
「確かに目の付け所は良いでしょう。
しかし、ただ単に集まって議論するだけなのにお金を払う人がいるでしょうか?」
「そう。そこが味噌なのです。老人会や地域の集まりはいくらでもありますが、
そこでは難しい議論をすることはありません。
お金を取ることによって、人々は緊張感が増し、
議論する場を与えると真剣に議論すると思うのです。
今までの有料・無料にかかわらず地域の集まりは、あくまでも集まりであって、
議論をする場ではありません。せいぜい井戸端会議レベルです。
議論となると社会の時事にも関心がでて、
事前に勉強したりするので、脳の活性化にも一役かえると思います。
先生のようにご自身で、色々考えて生きる方も中にはいるでしょうか、
多くの人は目的を与えてやることで、努力することに慣れています。
その過程が楽しいのです。」
「さすが営業をやっているだけあって、なかなか話方が上手ですね。」
僕は少し得意になった。
「どうです。面白いとは思いませんか?」
「確かに、面白いと思います。退職者のような人は、インターネットの
掲示板など利用できる人もそんなに多くないと思いますし、
何かしら意見を持っていると思います。
その発表の場としては良いと思います。」
「では、乗っていただけるのですか?」
「うーん。ちょっと今の説明ではアバウトすぎます。
どうでしょう。折角ですから、弁論とまでは言いませんが、
これからあなたのプレゼンで私の質問に明確に答え、
私を納得させることができれば協力するというのは。」
「先生らしい注文です。
今日は資料を作成していませんが、
私の頭の中には具体的にプランが出来上がっています。
その提案に乗りたいと思います。」
話は思わぬ方向へ転がった。
正直先生が興味を持ってくれるとは思っていなかったが、
話の流れからして、脈がありそうだ。
まさか最初に先生と戦うことになるとは思わなかった。
「では早速ですが、質問させていただきたい。
まず初期投資の費用はいくらで考えているのですか?」
「はい。約300万で考えています。」
「その内訳を教えて下さい。」
「はい、一店舗あたり賃貸不動産取得に100万
内装・備品等雑費費用に50万
従業員給料に50万
運転資金100万です。」
まさか自分が先生相手にマネーの虎をやるとは思わなかった。
「月の売上はどれくらいで考えていますか?」
「はい1店舗あたり、80から90で考えています。」
「その収入はどのように考えているのですか?」
「はい。月謝制で、一人1万円と広告収入を考えています。」
「広告収入ですか。」
「ええ。それだけ団塊の人が集まるのですから、旅行会社や
食品関係、飲食店などのスポンサーをつけたいと思っています。
もちろんインターネットのホームページでのアフェリエイト的な収入も
含めてです。」
先生は頭の中で数字の計算をしているようだ。
「一店舗あたりの、生徒と言っていいのでしょうか?
顧客の人数はどれくらいですか?」
「40人ぐらいで考えています。」
「40人一緒に入るのですか?」
「いいえ。人それぞれ興味を持っている講座が
違うと思いますので、時間を分けて使いたいと思います。」
「なるほど、大人の学習塾というわけですな。」
「そうともいえます。」
「通信講座のユーキャンなど確かに業績はいいようですが、
それによって何かメリットがあるのですか?」
「はい。その点については国家資格はありませんが、意見をまとめて
HP上で発表したいと思います。いずれは世間を動かせる力にしたいと
思いますが。」
「うーん。メリットが弱いように感じられますが・・。」
「そうですね。確かにそこは弱いと思います。
マスコミや議会を巻き込めれば良いのですが・・。」
「正直そのプランでは、採算は取れないと思います。
飲食店にして酒類や料理で採算を取るというのはいかがでしょう?」
「そこは、私も悩みました。
確かに酒を飲んで、議論することほど楽しいことはありません。
ですが、そこは真面目にいきたいのです。
あくまでも学校というスタンスで価値を高めたいのです。
まだ話したい人は学校が終わった後、外でやっていただければ。」
「言いたいことはなんとなく分かります。
ただ私にはこのビジネスの成功が浮びません。」
「そうですか。ただ単にやったのでは儲からないでしょう。
しかし先生のネームバリューがあれば何とかいけそうな感じがする
のですが・・・。」
「この試算では出資者はいないでしょう。」
「そうでしょうか。」
先生に言われて私は自分の考えが甘いような気がした。
「確かにここ(先生の家)に来る人たちだけでも30人ぐらいだったら
一万円出して参加したいという人もあるでしょう。
しかし、今現在無料でやっているのに、突然お金を取るというのは
やはり抵抗があります。」
「そうでしょうね。」
「ただ、世間を動かす力という言葉には惹かれます。
初期費用の償却期間を長くして、
月謝を1万円ではなく5千円にしてはいかがでしょうか?」
「難しいところです。月謝を5千円にしてしまうとスタッフの給料
すらまかなえるかどうか疑問です。
やるからにはきちんとしたサービスを提供したい。
例えばテキストのようなものでも、ちゃんとしたものを作りたいのです。」
「実際に試算を出してみてアルバイトなどで、人件費を抑えることは
できないでしょうか?
非営利目的としてNPO法人にするとか、方法はあると思います。
テキストやその他のものはオプション的に販売してはいかがでしょうか?」
さすが先生。
私よりも細かく考えられる。
「しかし、単なるアルバイトだと、全体をまとめられるか疑問です。
私の考えるところ、田原総一郎のような進行役がいないと、
ディベートは成り立ちません。」
「実際に募集してみて、来る人を見て判断してはいかがでしょうか?
私はそのようなことに自ら参加したいという人は、
お金目的ではなく趣味の一環として、それこそ退職者が応募してくるように
思います。」
「分かりました。その条件はのめるので、そうします。」
「ははは、まだ、やるとは言っていませんよ。」
「そうでしたね。」
先生は和やかに笑った。
表情は楽しそうだ。
「まあ、でもここまでお話して、あなたの熱意は伝わりました。
300万出すことにします。
ビジネスとしてというよりは、私の趣味のようなものです。」
「本当ですか?」
私は嬉々として、喜んだ。
「ただし条件があります。これ以降の追加金はしないと言うことと、
経営に関しては、私に相談することです。
決定権は吉田さんで構いません。
私の話を聞いていただくだけでいいのです。」
「もちろんその条件はお約束します。
ありがとうございます。」
こうして私はソフィスト村を立ち上げることになった。