願いボックス
もし もしも何でも買えるものがあったらどうだろう?
望むものなら全て。
それ相応の料金を支払えれば……の話だが。
-8月。
夏休みが始まり1週間が経った。
グラウンドにはコンクールに向けて練習する合唱部の綺麗な歌声とともに汗臭い男たちの声が漂っていた。
「あっち~! 」
俺は地面に座り込んでペットボトルの水を一気に飲む友人を見た。
「地獄だよな……夏休みだからってこんなに練習させんなよ」
俺の所属するサッカー部は弱小チームだ。だが練習だけはバカみたいにきつかった。
鬼監督の集合との声がかかり俺たちは重い腰を上げた。
部室に行くと男のにおいと汗のにおいでむせ返るようだった。
「くっせっぇ! 」
男でもそう叫んで思わず鼻をつままずにはいられないほどだった。
俺はいつも通り誰よりも早く、無駄話をしたりすることなく着替えて帰路についた。
もう夕方だというのに外は焼けるように暑かった。
自転車に乗っている俺の喉はカラカラだった。部活の時のために用意しておいた水はこの炎天下の練習の最中に無くなってしまった。もう一滴も残っていない。
「暑いな……」
俺は目の前の急な上り坂を見つめた。
この坂こそ俺が部活帰りに最も嫌う場所だった
-心臓破りの坂。
俺はそう呼んでいた。
「あー 喉乾いたな……このあたりに自販機でもありゃ便利なんだが」
俺は叶いもしない小さな欲望を口にしてみた。
この坂を上りきればおいしい水が置いてある。そう思うだけで一気に登れるような気がした。
「水じゃなくて炭酸とかねーかな。はは」
俺は息を切らして坂を上りながらまた叶いもしない欲望を口にした。
坂を上りきった時俺は信じられないものを見た。
自販機がある。
今朝までこんなところに自販機なんてなかった。
俺は不思議に思いながらも自販機の前で自転車を止めた。
自販機を改めてよく見た俺はまた信じられないものを見たように思った。
炭酸飲料しかない!!
4段になっている自販機は上から順番にそれぞれ違う炭酸飲料が売ってあった。
「変わった自販機だな。ちょうど炭酸飲みたかったし」
俺は制服のポケットからボロボロの財布を出した。迷うことなくコーラのボタンを押す。すぐにカランカランと音がして缶のコーラが出てきた。
俺はなにも疑うことなく蓋を開けて一気に飲み干した。
次の日。
いつもなら遅刻ギリギリで学校に行く俺も今日は少し早めに家を出ていた。
だから信号で止まった時昼食で飲むお茶を忘れたことにも気が付いた。
取りに戻るには時間が足りない。遅刻してでも取りに帰ろうかと思ったが予鈴前にきっちり席についておいて先生やクラスの人を驚かせたかったので諦めて飲み物なしで弁当を食べることにした。
そんなことを考えている内にまたあの坂の近くまで来た。
登りとは違って遅刻寸前の高校生にとってスピードのつく心臓破りのこの坂はありがたいものであった。
俺の目に赤い直方体が飛び込んできた。
昨日の自販機である。
「あぁ そうか。昨日出来たんだっけな。でも残念ながら今日は炭酸はいらねぇよ」
そういいつつも前を通るときにちらっと自販機を見た。
俺は自分の目を疑った。
何度も瞬きをして確かめた。
―お茶しかない。上から順によくある種類のお茶がずらり。
「え……。全部入れ替えたのか……」
そんなはずはない。昨日見たときどのジュースも売り切れにはなっていなかった。それに人通りも少ない道だから昨日の夜の内に売り切れたなんてこともないだろうし俺がジュースを買った時間はかなり遅かったからそこから業者の人がきたとも考えにくかった。
「ラ ラッキー……」
自分の驚きの気持ちを隠すかのようにわざとそう呟いてお茶を買った。
買ったお茶は何の変哲もない。ペットボトルだ。
「缶ではないよな……ははは」
俺は自販機の釣銭のあたりを見た。自販機にはふつうここに番号が書いてあるはずだ。
昨日とは違うものってこともあり得るだろうから明日も確認してみようと思った。
「19940829……」
俺は忘れてしまわないようにそれを左手に書いた。
その時腕時計が目に入ってまたいつものように遅刻してしまいそうになっていたので急いで自転車にまたがった。
「今日は早いな」
前の席のやつが予鈴と同時に席に着いた俺を珍しそうな目で見ていた。
「俺は今日から生まれ変わるんだよ」
そういった俺を鼻で笑ってみていたがやがて声を出して笑い始めた。
「ははは! お前自分の誕生日も覚えられねぇのかよ!」
「えっ」
俺は友人の視線の先を見つめた。そいつは俺の左手の甲を見ていた。
「それお前の誕生日だろ! 1994年8月29日! お前なんで誕生日なんか手に書い
てるんだよ! 女子からの誕プレでも期待してるわけ! 」
俺は言われて始めて気が付いた。覚えやすい数字だなとは思ったもののまさか自分の誕生日だとは思いもしなかった。友人の笑い声にクラスの女子も男子も集まってきたのでシャツの袖口で急いでこすった。
放課後は部活もなにもなかったから俺は掃除もさぼって校門を出た。
きつい練習が休みなため鼻歌を歌うほど上機嫌な俺だったが心臓破りの坂の前で真顔に戻った。坂が嫌だからではない。―ま、もちろんそれもあるが。問題なのは自販機だ。
「まさか俺の望む物が出てくるとかねぇよな……」
考えてみてまさか、と思ってまた鼻歌を歌い始めたが試しに心の奥で牛乳が飲みたいと思ってみた。
自販機を見た俺は度胆を抜かれた。
牛乳がある。紙パックに入った牛乳が。
「まさか……ね」
すこし気味悪くなって俺はすぐにそこを後にした。
次の日から俺はチャレンジャーになる事にした。
毎回自販機の前を通るたびにほしいものを思い浮かべるのだ。その都度やはり自販機は願いどおりのものを出してきた。
次にメーカーまで指定してみた。それもやはり願いどおりのものが出てきた。
俺は確信した。
―これは願いを叶える自販機だ、と。
しかし俺は違うことにも確信をしていた。望みを限定すればするほど料金が高くなる。
初めはどこでもある自販機と同じ値段設定だったがメーカーまで細かく指定すればするほど値段は高くなっていった。
―そうか、これはなんでも望みを叶えてくれる代わりにそれ相応の値段を支払わなければならない。
その時俺の心の中に一つに考えが浮かんだ。
「例えば……明日は雨がいい。警報が出て学校が休みになるくらいの」
自販機には傘のマークがずらっとあった。その下に“ジカン”と書いてある。俺は迷うことなく購入ボタンを押した。
目が覚めると雨の音だけが響いていた。
屋根にはねる水がすさまじい音となって俺の耳まで響いていた。
「あれ……。俺なんで寝てたんだ? 確か昨日は」
俺はハッとした。
―時間だ。
今日大雨で学校が休みになる代わりに俺が支払ったもの。それは俺の時間だった。あの時から今までの何時間かの時間。
支払うものはお金だけではない。
俺が望む物。その代わりに自販機に俺の何かを渡す。
これが俺だけの、俺のためだけの自販機だった。
自販機はさまざまな場面で大いに役だった。
例えば試合でゴールを入れたいとかテストでいい点を取りたいとか。その代り俺もさまざまなものを支払った。時間はもちろんのこと時には運まで。
運なんてあるかないのかなんて分からない事なのだから俺にとってなんでもないものだった。おかげで俺は試合でもここ一番というところでゴールを決めたりして女子からも男子からも一目置かれる存在になっていた。
俺に寄ってくる女子はたくさんいた。
そんな中俺が想いを寄せたのは物静かでいつも本を読んでいるようなひとりの女の子だった。俺は知らず知らずの内にその高山さんのことを目で追うようになっていた。
高山さんはたまに目が合うとにこっと微笑んでくれて嫌な顔一つしなかった。
あまりによく目が合うし俺が熱い視線を送っていたのできっと向こうも俺の気持ちに気が付いているだろう。
それでも俺はずっと高山さんを目で追っていた。
俺が彼女を好きになった理由はほんの些細なことだった。
2学期の期末テストの際、テストで使うコンパスを忘れてテスト中冷や汗をかいていた俺に先生にばれないようにこっそりコンパスを貸してくれた、ただそれだけのことだった。
たったそれだけのことなのにその時の高山さんの白く細い指が頭から離れなかった。
冬休みに入る直前、俺は高山さんに声をかけた。
「あのさ……。冬休み中に本でも読んでみようかと思うんだけど……。その、俺さ本とかあまり読んだことないし……ほら高山さんってよく本読んでるじゃん? だから、だな。あれだ。その、よかったらというかもし時間があったら、おすすめの本とか、図書館にでもいってだな、一緒に探してくれないかな? とか思ってみたりだな……」
俺は目をきょろきょろさせていた。汗はだらだらだし舌は回らないし最悪だった。
「いいよ」
やった。俺は一人家に帰ってベッドの上でばたばた喜んだ。
高山さんは制服できた。俺は部活終わりだったこともあって制服だったが高山さんが制服なのには驚きだった。―もちろん俺は嫌というほどシャワーも何回も浴びてきたが。
「制服の方がいいかなって。ほら、図書館だし制服だったら勉強してるのかなって思われるしいっぱいうろうろしてても特になにも思われないでしょ? 」
天使のようだった。高山さんがしゃべるたびにまっすぐ黒く長い髪が優しく揺れた。
「そ、そうだよな! 今日はどうぞよろしくお願いします」
「任せとけっ」
そういって高山さんは体の前で小さくガッツポーズをした。
俺はちゃんと見ることが出来なくて高山さんの白い息をただぼーっと見つめていた。
「これはどう? 」
高山さんが持ってきてくれた本は少し薄めな本だった。俺は席に座って少しだけ読み始めた。が、ほんの内容が頭に入ることはなく俺のために簡単ではあるが高校生が読んでいるような内容の本を探して持ってきてくれる高山さんの動きばかりが気になっていた。
「あ この本」
不意に俺が手に取っていた本を見て高山さんが手元を覗き込んだ。
女の子らしいいい香りがした。そして予想以上に高山さんと俺の顔の距離は近かった。
「なに? 」
「これ 私が初めて大人が読むような本を自分のお小遣いで買って読んだ本なの。すごくおもしろいよ。王道的なストーリーだけど共感できるところがたくさんあって」
高山さんの表情はすごく楽しそうだった。きらきらしている。
俺はその本を開いて読み始めた。そのうちどんどん本に没頭していった。
ふと気が付くと隣で高山さんが違う本を読んでいた。
「あ ごめん。つい」
本の表紙をちらっと見せると高山さんは嬉しそうに微笑んだ。
「いいの。それすごく面白い本だから読んでもらえて私も嬉しい」
高山さんはまた自分の読んでいる本に目を戻した。
その横顔があまりにきれいだった。
気が付いたときには俺は高山さんに声をかけていた。
「あ、あのさ! よかったらクリスマスにでもどこか行かない? 今日のお礼を込めて、あ、俺おすすめのお店とか知ってるから! 」
自分の声は思ったより大きくて一瞬周りの人に見られたがほとんどの人はすぐに自分の読んでいるものに目を戻した。
「えっ ほんとに? 嬉しい! ぜひお願いします」
おすすめのお店なんて知らなかったがそんなことはどうでもいい。今はただ高山さんとまた出かけられることが嬉しかった。
その日からクリスマスまで俺の頭の中は勝手に思い込みデートの計画でいっぱいだった。
知り合いの女の子や彼女がいる友達とかにお店のことなどいろいろ聞きまわって何種類もの計画を立てたが、結局決めることが出来ないまま当日が来てしまった。
高山さんの私服は控えめな感じではあったが女の子らしさもあった。
「似合ってる。高山さんらしくてすごく似合ってるよ 」
そういうと高山さんは恥ずかしそうに微笑んだ。
俺たちは取り留めのない話をしながらいろいろなところに行った。あるときは本屋に入って真面目に本を見たりゲームセンターに行ったり。
「私普段ゲームセンターとか行かないからすごく緊張したけど楽しいところだね! 」
高山さんは本当に楽しそうだった。
途中ふと高山さんが立ち止った。
「どうしたの? 」
高山さんの目線の先には赤いマフラーがあった。お店のショーケースに入っている赤いマフラーは一際輝いていた。
「ほしいの? 」
高山さんはしばらく黙ってそれを見ていたがやがて歩き出した。
「ううん。いいの。ちょっと高いし」
俺が買ってあげられたらと値札をちらっと見たが自分の手持ちでは買えるような値段ではなかった。
しばらく歩いていた途中高山さんが後ろを向いて元来た道を戻り始めた。
「やっぱりあのマフラー気になるから見てくる。ここで待ってて」
高山さんはそういって駆けだした。
一時間たっても高山さんが戻ってこないので俺は不安になった。後を追いかけようとしばらく行ったところで人だかりができているのを見つけた。
なんだろう。俺は人ごみをかき分けるようにして輪の中に入っていった。
―俺は信じられないものを見た。
そこに居たのは血だらけで倒れている高山さんだった。
「た 高山さん! 」
俺は駆け寄って高山さんを抱きかかえた。
「運悪く自動車とぶつかったのね……」
後ろで誰かの声が聞こえた。
「高山さん! 」
何度も問いかけたが返事はない。
救急車はすぐに来た。あわただしく隊員の人が高山さんの脇にしゃがみ込んだ。
「危ないな……」
俺は隊員の一人のその声を聴いた瞬間高山さんを置いてひとり走り出した
何を考えて走ったか分からない。
口を開けたままはしったので喉がいがいがする。そんなことどうでもよかった。
―俺は自販機の前に居る。何でも叶えてくれる自販機の前に。
「助けてくれ! 高山さんを! 」
自販機にはハートのマークがあった。きっとこれは高山さんが助かるということを意味しているのだろう。
俺は迷うことなくボタンを押した、だろう。
それを見るまでは。
”カノジョノキミトノオモイデ、ソシテキミヘノオモイ”
俺は自分が袋を握りしめていることに気が付いた。
あの時、高山さんのそばから駆け出したとき無意識に掴んだようだ。
中には赤いマフラーが入っていた。2個。ペアのマフラーだった。
俺はそのときようやく料金の重さに気が付いた。
―高山さんは俺のことをよく思ってくれている。
もしこのボタンを押せば高山さんの中から俺との思い出も俺に抱いてくれている気持ちも消えてしまう。
俺は高山さんが好きだ。高山さんも俺のことを好いてくれている。
でもこのボタンを押せばその気持ちはなかったことになって高山さんは確実に助かる。
押さなければ高山さんからその気持ちは消えない。でも高山さんが助かるという保証はない。俺がこのボタンを押さなくても高山さんは助かるかもしれない。助からないかもしれない。
―それでもいい。
もし、もしも高山さんの中から俺に対する気持ちが消えてしまってもそれでもいい。
それでもいいから高山さんを助けたい。こんなことになったのは俺のせいだ。
「高山さんを、夕子さんを助けてください」
俺はボタンを押した。
「高山さんは交通事故にあってしったのでしばらくの間入院しています。しかしそれほど重症ではなく来月あたりに……は」
朝のホームルームでの担任の声が聞こえる。
高山さんは助かった。出血はしていたものの傷もそれほど深くなくこれから生きていくのにもなんの影響も無かった。担任の話によれば来月あたりから学校にも来られるようだ。
高山さんはクリスマスに本屋に行く途中で事故にあったことになっている。
高山さんの記憶の中に俺といた時間はない。
もしかしたらこれからまた高山さんと話せば俺への気持ちを取り戻してくれるかもしれない。
それでも俺は関わらない。
軽傷とはいえ高山さんの体に傷をつけてしまったのには変わりはないしまたどんな目にあわせてしまうかも分からない。
マフラーは自販機の横に置いた。
そしてあの坂のあたりは工事中で立ち入ることはできない。なぜかは知らない。
坂がきつすぎるからなのかただ単に舗装工事なのかも知らない。そんなことは少なくとも俺には関係ないどうでもいいことなのだ。
高山さんは……学校へ復帰した後も以前となにも変わらない。俺が高山さんと仲良く会話することもなければ一緒に図書館に行くこともない。
それでいい。俺が支払ったものだから。いや、もしかしたら高山さんの中に俺への気持ちはあるかもしれない。それでもその気持ちが互いに通ずることも無ければ伝えることも無い。
そう、それでいい。問題は……どこにもない。
三学期が始まってしばらくたちみんなの中にも落ち着きが戻ってきた頃。
俺は生徒玄関の屋根の下で真っ白な世界をただじっと見ていた。
「寒いな~ なんでこんなに降るんだよ……」
グラウンドは雪で埋もれ部活などできる状況ではない。
ひどくなる前にとっとと帰って家で寝るつもりだったのに休み明けにあった課題考査の点数が悪いとか何とかで補習を受ける羽目になってしまった。
気づけば雪は更に降り積もり日も沈みかけてこの寒さ。
凍えて赤くなった手を上着のポケットに入れた。吐く息は白く消える前に凍ってしまいそうなほど寒かった。
この雪の中帰る気にもならず俺はこうしてここにひとり立っている。
ふと首のあたりが暖かくなった。視界の中で赤いものが揺れた。
「マフラー……? あっ」
驚いて振り返ると高山さんが赤いマフラーをして立っていた。
「こんな時間まで何してたの? 」
高山さんは隣に来て俺の首にぶら下がっている同じ赤いマフラーをきれいに俺の首に巻きつけた。
「あっ……補習で。それより このマフラー……」
俺が自分の首元を見ると高山さんはくすっと笑った。
「不思議なこともあるんだね。たまたま通りかかったところに赤いマフラーと自販機があって。そのマフラーがどうしても気になって思い出したくてうずうずしてたら自販機に売ってあったの。私の記憶が」
あぁ そうか。高山さんは自分の何かを支払って記憶を取り戻したということか。
俺はポケットから手を出してマフラーをそっと触った。
「その下に“ワスレナイ、キミノキモチ。カレノキモチ”ってあって。迷わなかった。なぜかは分からないけど気が付いたときにはマフラーを鞄に入れてそこからあなたを見ていた 」
高山さんは後ろを振り向いて靴箱の前を見た。
「何がしたかったんだろうね? あの自販機」
「分からないけど。でもそんなのなんだっていいよ」
俺はマフラーで暖かくなった手をそっと高山さんの手に重ねた。
高山さんの手は今まで俺が感じたことのないほど優しく暖かかった
2回目の投稿です
中学生ですので駄文ですが楽しく読んでいただけると嬉しいです
感想やアドバイスなどございましたらよろしくお願いします