宇宙人AとB
夜空を見上げる親子二人の目には満天の星空……。宇宙人て、いるんですかねえ?
「ねえねえ、おとうさん、宇宙人っているのかなあ?」
汚れの無い瞳が見つめる先には、満天の夜空が広がっていた。夏の夜空に瞬く無数の星達が、今にも一斉に零れ落ちて来るようであった。
小さな肩にそっと手を置くと、父親は幼い我が子をいとおしく見つめながら答えた。
「そうだねえ、これだけある星の中には宇宙人って呼べるような人達がいてもおかしくは無いねえ。お父さんは宇宙人は居ると思うよ」
「ぼくもいると思うんだぁ、ジョンもそう思うよねえ、だってこんなに宇宙は広いんだもん。宇宙人さん達はいま、何をしているんだろう? ちゃんと、ごはんとか食べているのかなあ? 今、何を思っているんだろう?」
縁側には年老いたゴールデンレトリバーが鎮座しているが、何を言われているのかは分からないようで、ただ首を傾げる仕草をするだけだった。
父親の頬が優しく緩んだ。
「もちろん、ちゃんと御飯だって食べているだろうし、生活だってきっと此処と変わりはないはずさ。こうして手をつないだ親子が同じように夜空を見上げては、こちらの事を話し合っているかも知れないねえ」
息子は小さい頭を振って、大きく頷くと、一段と目を輝かせた。
「そうなんだあ。そしたら教えてあげたいねえ宇宙人さん達に、ここにいますよって……。宇宙人さん達に会ったら僕の大事にしてるカードやおもちゃを教えてあげるんだ。宇宙のあそびも教えてもらって、宇宙人の子にプレゼントをあげて、色んな遊びを一緒にするんだあ。ああ会いたいなあ宇宙人さんに」
おそらくこの可愛い願い事は、この子が大人になる頃には忘れてしまうのだろう。語り合った宇宙への空想も記憶の隅にさえ留まらずに消え去ってしまうのだろうか……。
自分自身の記憶の中でさえも風化して行き、老いと共に擦れた文字の様に、褪せた記憶へ変わってしまうのだろう。
と、勝手な未来を想像した父親は、これもまた勝手な感傷に浸ってしまうのだった。
その気持ちを見透かしたように、夏の終わりから意地悪な風がやって来た。湿り気を帯びた指先で二人の頬をくすぐると、秋の入口へ誘うように去って行ってしまった。
前髪を揺らす小さな顔には、眩しいばかりの未来がある。曇らせたくない。
今日の思い出を記憶に強く焼き付ける方法は何か無い物かと、思案してみた……、あ!
「そうだ、花火が残っていたねえ、一緒にしようか?」
それがどれ程の効果があるのかは今は分からない。
「うん、するする、花火しよう!」
僅かに曇っていた父親の表情には幼い子は気付く事もなく、目の前に現れた小さな催し物に俄かにはしゃぎ出した。
縁側に座っていたジョンも、ワンと吠えては父親を元気付けようとしてるようだ。
自分しか分からない、有りもしない感傷に普通の人間が気付く筈もない。人間よりも動物の方が微妙な心の変化を察してくれる力が優れているのかもしれない。
と、居間に置かれたテレビには惑星探査から30年ぶりに帰って来たというロケットが映し出されていた。大気圏への突入には船体が耐えられないとの事で、探査ロケットの中から様々なデータや地質資料だけを持って帰る為のロケットが宇宙空間でランデブーの体勢に入っていた。
早く花火に火を点けて欲しいと、せがむ息子の手を一度止めて、父親はテレビの中の話題に息子を誘った。意味は分からないまでも、宇宙空間が映し出されている事で、息子の興味は、しばしテレビに移った。
「おとうさん、これは何をしている様子を映しているの?」
「この宇宙船には他の星の色んな情報がギッシリ詰まっているんだよ」
「え、じゃあ宇宙人さんも乗っているかもしれないの?」
ははは、と父親は笑いながら、だったら世界中の人達が驚いてしまうだろうね、と子供の自由な空想に朗らかな返答をしていた。
間も無く二人は花火に興じていた。
奥の台所では、そんな二人のやり取りを見ながら、洗剤に浸けておいた皿や木製の器を洗っている母親がいた。彼女もまた、そんな日常を大切に取って置きたい気持ちでいるのだった。
父親は何かを子供に話しているようだが、息子は花火に夢中と見えて、頷いてはいるものの、赤や青、黄色の光に心を奪われていた。
家事が一段落付いたところで、母親は冷たい飲み物を用意し出した。
「バケツに水を入れて置くから、花火が終わったらそこに入れるんですよ」
はあい、と返事が返って来たが、当然父親が花火の後始末をするのだろうと、母親は、さほど気にもしなかったのだが……。
母親の視線は、ある一点に釘付けになった。
テレビの音や水道の蛇口から落ちる水滴の音も一瞬にして止み、周囲の空気が動きを止め、張り詰めた気持ちが一気に破裂した。
「あなた、あなた、そこ、わわあああ、きゃああああ!」
慌てた父親は、たたきに靴を脱がずに居間に飛び上がって来た。と、同時にジョンもそこから跳ね除けた。
「どうしたんだい、そんな大きな声を上げて」
「そこ、そこよ、ゴキブリが……、それに二匹も、早く何とかして!」
声にならない悲鳴の様な訴えが、父親に浴びせられた。
ああ分かった、と言いながら、父親は何か叩き殺す物を探したが、手頃な物が見当たらない。咄嗟に自分の脱ぎ忘れていた靴の片方を脱ぐと、片一方のゴキブリに狙いを定めて打ち下ろした。吠え立てるジョン。
慌てているせいなのか、敵の動きが俊敏か、なかなか当たらず、もう一方のゴキブリは素早く縁側の向こうへ逃げて行った。
何か居間の中が騒がしい為に、息子は何気なくたたきの上に立って中を覗いた。
あらぬ方向に向かって吠えている犬と、片方の靴を脱いだ父親が部屋の中でグルグル回りながら、母親の指差す方向へ行っては自分の靴を床に叩きつけている。
「どうしたの?」言葉を発した子供に、父親、母親、犬、ゴキブリが一斉に振り返った。
「そっちにもう一匹行ったから、上がって来るんじゃないぞ!」
滑稽な、その動作とは打って変わって、口調は痛い程の険しさを帯びている。
犬も、何だか吠え立てているのは、こちらを遠ざけようとしての事なのか。
それ以上声を掛ける事が憚られた為、わなわなと息子は後退りをして、庭の真ん中までやって来た。そこでじっと両親の様子を窺った。
ああああ、もおお、等の苛立つ声や、舌打ちの様な破裂音も聞こえていたが。
最期に、あ、ああああ、と言う二人の落胆でこの寸劇の幕は下ろされたようだ。
「逃げられちゃったなあ、明日殺虫剤を床下に撒いて置くよ」
また出て来るのではないか。と、母親は容易に緊張を解かない様子だ。
もういいよ、と言いながら父親がこちらに振り向いた。
息子はその場から動けずに居た。
「どうしたんだい? ごめんね怖がらせちゃって、もう大丈夫だよ、こっちにおいで」
ゴキブリが怖いからこの場から動けない訳ではない。
もう一度、息子は自分の網膜に映った映像を反芻してみた。
父親に話すべきか、話して信じてもらえるのか?
ゴキブリの目はグリーンに光りながら、時折点滅していたのだ。
※
「隊長、御無事でしたか!すいません、自分も相手の前に立ちはだかって応戦したかったのですが……、すいません、御無事で、本当に良かった」
コードネームBは薄っすらと涙を浮かべた。
「ばかもん!そんな事を気にするな。緊急事態では一人でも生きて帰還する事が、我々の使命なのだ。お前の取った行動は間違いではない。いざとなったらお前だけでもこの星の資料を持って帰るのだ、いいな、B!」
ハ!と言って、Bは敬礼をすると、触角の先からホログラムを映し出して、今まで採取したデータを振り返りながらAに話した。
「それにしてもこの星の二足歩行型生物は凶暴ですねえ、ただ一方的に攻撃して来るのでは、意志の疎通も取れませんよ。我々の持っているデータが古いせいなのか、この星の自転速度から計算して一億年前まで遡ってみましたが、あれ迄の危険性は無かったとデータベースには記載されていました。我々のような理知的な進化は出来なかったようです……。猿だったのになあ。」
Aは渋面なまま、六本ある足の内、上四本を腕組みして思案しているようだ。
Bの触角から映し出された映像には、一億年前から変わらないゴキブリの姿と、すっかり猿から進化した人間の姿が映し出されていた。