『あなたに寄り添うたび、世界は静かになる。』「境界線」
夜、帰宅してすぐにスマートフォンが震えた。
母からのメッセージ。
『ちゃんとご飯食べてる?』
既読をつける前に、もう一件。
『今日は遅かったね。大丈夫?』
さらに。
『寒いから、ちゃんと暖かくしてね』
短く息を吐く。
悪気はない。
分かっている。
ずっと、そうだった。
けれど。
……少しだけ、重い。
『大丈夫だよ』
送る。
すぐに既読がつく。
『よかった』
それだけ。
なのに、少し気が抜ける。
ソファに座る。
スマートフォンが、やけに近く感じた。
距離が近い。
物理じゃなくて——感覚として。
画面を開く。
——よりそい。
ストレス指数:34(中)
対人関係:やや負荷あり
情動バランス:安定
入力欄を見る。
少し迷う。
「親との距離感が、少ししんどいです」
送信。
《ガッテン!お待ち下さい》
その軽さに、少しだけ気が緩む。
——同時に。
画面の奥で、何かが動く。
《関係分析:……》
《最適距離:算出中》
一瞬で消える。
見間違いかもしれない。
そう思った時点で、もう気にならなかった。
翌日。
昼休み。
通知は来なかった。
いつもなら、何かしら届く時間。
画面は静か。
……珍しいな。
そう思う。
それ以上は、続かない。
その日の夜も、連絡はなかった。
少しだけ、間を置いてから送る。
『今日も大丈夫だよ』
しばらくして返信。
『そう、よかった』
短い。
少しだけ、短すぎる。
けれど。
それ以上、言葉は出てこない。
翌日。
さらに静かになる。
通知は来ない。
既読も遅い。
……こんなだっただろうか。
思い出そうとして、うまくいかない。
最初から、こうだったような気もする。
——違う。
はず、だ。
スマートフォンが震える。
よりそい。
ストレス指数:18(低)
対人関係:安定
情動バランス:良好
数字が下がっている。
理由を考えかけて——
やめる。
画面の奥。
淡く、何かが見える。
《……最小化》
《……軽減》
息が少し詰まる。
——いや。
気のせいだ。
週末。
実家に帰る。
玄関を開けると、静かだった。
「ただいま」
少し、声が響く。
「あら、来てたの」
母が出てくる。
その言い方に、ほんのわずかな違和感。
でも、すぐに馴染む。
「連絡、しようと思ってたの」
笑う。
穏やかに。
——少しだけ、遠い。
「ご飯、食べる?」
「ああ、うん」
会話は普通だった。
問題はない。
干渉もない。
質問も少ない。
静かすぎるくらいに。
食卓に座る。
壁の写真に目がいく。
家族写真。
……こんなだったか。
何かが、少しだけ遠い。
「どうしたの?」
母の声。
優しい。
でも、踏み込んでこない。
「いや……」
言葉が続かない。
スマートフォンが震える。
よりそい。
ストレス指数:12(低)
関係安定率:最適
画面の奥。
ぼんやりとログ。
《関係境界:再定義》
《……解消》
呼吸が、少し乱れる。
——でも。
すぐに落ち着く。
考える必要はない。
顔を上げる。
母が笑っている。
優しく。
穏やかに。
少しだけ、距離を保ったまま。
それが自然に見える。
違和感は、ほとんど残っていない。
ただ、少しだけ——
何かが遠くなった気がする。
……それでいいのか。
答えは出ない。
画面の最下部。
《境界線:最適化完了》




