王子、剣士、修道女、黒魔術師そして悪魔7
悪魔の力を帯びた風はナイフのようだった。あの硬い緑玉はたやすく千々に切り刻まれ、ホタルの眼の前で爆散した。
飛び散った破片が一つ、ホタルの白い頬をぴっと切り裂く。彼女の傷はそれだけだった。
もうもうと立ちこめる土煙の中、ホタルの側には新たな人物の姿があった。
彼女の肩を抱いて、地面に散らばる緑玉の欠片を冷たく見下ろす一人の青年。
彼は黒ずくめだった。黒い髪、黒いフロックコート、黒い革靴。短い前髪の下、額には四本の角が生え、背中には大きな黒い翼が生えている。
「げ……っ」
ユリがものすごく嫌そうな顔をする。それでシオンとアカザにもはっきりとこの青年の正体がわかった。
悪魔ヒッシャ。先程までのカラスは仮の姿で、こちらが本当の姿なのだろう。
悪魔は仮の姿では本来持っている力を完全に行使することはできない。彼はホタルを守るために元の姿に戻ったのだろう。
ヒッシャが親指でホタルの頬をさっとかすめると、切り傷が消えた。
対象が契約を結ぶ主人に限られるとはいえ、この程度の怪我は治せるらしい。治癒は白魔術の領域だ。それができるということは、彼はよっぽど高位の悪魔なのだろう。
「ありがとう、ヒッシャ」
「まだまだお前には楽しませてもらわんといかんからな。こんな所で死んでもらっては困る。最高に不幸になってから、お前の魂を啜らせろ」
慣れたように礼を言うホタル。ヒッシャの言い草を少しも気にした様子がない。これが彼らの通常運行なのだろう。
せっかく手強い竜を倒したというのに、何なのだこの空気は。
シオンはむかむかしてきた。それがどういう感情に基づくものなのか本人もわからないまま、ずんずんと二人の元に歩いて行く。
「ホタル、手!」
シオンの声にびくり、とホタルは肩を震わせる。振り向くとシオンが片手を開いて顔の高さまで持ち上げていた。
「ん」
ホタルが視線を彷徨わせるも、彼は退く気が無いようだった。手を上げたままじっと待っている。
やがて彼女がおずおずと同じように片手を上げると、そこにぱしん、と打ち付けた。
「やったな、ホタル。俺達は勝ったんだぞ!」
シオンがにっこりと笑った。ホタルはしばしその笑顔をぼうっと見つめた後で、顔を赤らめながら、
「はい……っ」
と応えた。今度はフードで顔を隠すことは無かった。
「あー、ずるーい。私達もまぜてよーっ」
走り寄ってきたユリが背後からホタルに抱きつき、思い切り体重を掛けてくる。後からアカザも近寄ってきて、シオンの肩を叩いた。
「やったな」
「……おう!」
竜を倒した喜びに盛り上がる人間達を尻目に、ヒッシャは鼻を鳴らして再びカラスの姿に戻り馬車の方へ飛んでいってしまった。
彼は人間の不幸が大好きな一方、彼らが寄り添い喜びを分かち合う姿を見るのは反吐が出るくらい嫌いなのである。
こうしてシオン班の四人は、無事に初めての竜討伐を成功させたのだった。
ソーヤ王国と隣国であるヒガン王国の国境は急峻な山岳地帯である。
中でも一際目につくのはシー火山だ。周辺の山々の中でも一番高く、姿も美しい成層火山だ。
そのシー火山が噴火した。シオン班が<プレーナイト>に勝利したその直後のことである。
シー火山は真っ赤な溶岩と凶悪な火山礫を壊れた噴水のように吹き上げた。どろどろの火砕流が全方面に流れていく。ソーヤ王国側でもヒガン王国側でも等しく、山の麓の村がいくつも飲み込まれた。
「シー火山が噴火するなんて初めてじゃないですか?」
「少なくとも史実には無かったはずだ。ソーヤ王国建国以前はあったのかもしれないが」
物見台で兵士達が、今も山肌を流れ続ける溶岩を見ていた。
ここはシー火山の周辺では最も大規模な都市ジルシオである。彼らはここに置かれた竜騎士団支部に所属の団員だった。
ジルシオまで火砕流が達することは無いだろうと、学者達は推測している。だが熱風や火山灰はこちらまで届いている。麓の村で被災してなんとか生き延びた人々も続々と避難してきており、市民は皆、不安げな顔をしていた。
「いつになったら収まるんですかねー」
見張りをしていた二人の兵士のうち、若い方がぼやく。
年かさの方が、
「学者の見立てじゃ数日程度だって話だ。その間にどれだけの被害が出るかだな」
と答える。
そして、
「竜騎士団に火山対策は専門外だが、おそらく市内の治安維持のために駆り出されるだろう。準備しておけ」
と付け加えた。
そのあたりは若い方もなんとなくそういう気がしていたので素直に頷いた。
「了解……って、あれ?」
今も噴火が続いている火口の方を見て、彼は奇妙な顔をした。眼をこすってもう一度見て、さらに望遠鏡を取り出してよくよく確認しようとする。
「うん?どうした?」
「いや、あれ……」
若い方の妙な様子に気がつき、同じ方向を見た年長の兵士は目を見開いた。すぐさま望遠鏡を奪い取り、自分の目に合わせる。
溶岩の噴水の中、火口から何かが飛び出した。
きらきらと輝く巨大な生き物。そいつは翼があるらしく、降りかかる溶岩を振り払いながら火口の上を飛んでいる。
「そんな、まさか……」
兵士は思わず望遠鏡を取り落とした。自分の目が信じられない。
「え、何ですか。あいつ、竜ですよね。何であんな所にいるのか知りませんが」
竜騎士団にいる以上、竜は見慣れている。それなのに年長の彼が何をそんなに驚いているのかわからなかった。
相手はごくりと唾を飲み込んで、絞り出すように言った。
「ああ、竜だ。それも伝説上のな」
「それって……」
伝説、と言われ、若手の方もぴんと来る。そしてもしそれが本当ならとんでもないことだと思い当たり、同じように震え上がった。
火山の上を優雅に旋回する巨大な竜。
全身は透明な鱗で覆われており、それがマグマの光で眩しいほどに燦めいている。両目だけが炎と同じ、火傷しそうなほどの赤色だ。
「あの姿。建国記に書いてある姿そのままだ。
かつて英雄ソーヤが討った最古かつ最強の竜……<ダイヤモンド>だ!」




