王子、剣士、修道女、黒魔術師そして悪魔6
<プレーナイト>は変わらず村長の家で微睡んでいた。
自分の体がうまく収まる人家は巣として寝心地が良い。餌はまだ食料庫にたっぷり残っており、全ての人間が去った後はとても静かで穏やかだ。しばらくはここで快適に暮らせるだろう。
だが彼の至福の時間は再び破られた。
うっすらと冷たい空気が流れてきたのを感じて、<プレーナイト>は片目を開けた。
なんだか薄暗い。まだ昼間のはずだが、と考えているうちに、それが霧だと気がついた。
黒い霧が村の入口から流れてきている。霧はどんどん濃くなっていき、やがて周囲が黒く濁ってすぐ近くすら見通せなくなった。
ここにきて竜は「おかしい」と感じて、四つ足を付けて立ち上がった。うなり声を漏らし、周囲を警戒する。
四方八方が霧の中。ある一方向がきらり、と光った。
<プレーナイト>が目を覚ます五分前。
「ムゲン」
村の入口でホタルが空中に魔方陣を描く。そこから現れたのは大きな蛾だ。否、蛾の姿をした悪魔だった。
それはひらひらと村の中に向かって飛んでいく。羽をはためかせる度に鱗粉が大量に落ちて、それが黒い霧となる。
蛾の悪魔は<プレーナイト>の周りを円を描くようにぐるぐると飛び回った。周回するごとに霧は濃くなり、やがて<プレーナイト>を黒い壁が取り囲んだ。村の中央に霧の筒がそびえ立つ。
「幻惑の霧です。この中にいる者は方向感覚や平衡感覚が曖昧になり、抵抗力が弱ければ幻を見ます」
等級の高い竜なのでそこまで効くかはわかりませんが、目眩ましにはなるでしょう、とホタル。
彼らは霧の輪が完成したのを確認して、その外側に立った。
「よくやった、ホタル。じゃあシオン、ユリ、後は手筈通りに行くぞ」
アカザの言葉に二人は緊張の面持ちで頷いた。
霧の向こうから竜の唸り声が聞こえる。どうやら異変に気がつき目を覚ましたらしい。
シオンがその声を聞きつけ、霧の中に身を投じた。
一方、残されたアカザが弓を引く。つがえているのは聖書の一節を彫り込まれた矢だった。ユリのお手製のものだ。
矢は弓から離れると同時に強力な光を放つ。黒い霧の中でそれは流れ星のように強く輝く。竜の注意を引くにはもってこいだ。
またアカザが矢を放つのに合わせて、ユリの詠唱が始まった。
「我はかよわき花。雨に濡れ風に吹かれて散り行くもの。その光でもて照らし給え。厚き大気でもて打ち払い給え……」
ユリの唇が一音一音を紡ぐごとに、地面から透明な物質が湧き上がってくる。それは三人の目の前で、上へ上へと成長していく。
アカザが射た矢は<プレーナイト>を直接攻撃しようとしたものではない。それは放物線を描いて竜から数十メートル離れた地面に落ちた。黒い霧の中、そこだけが強く輝いている。
「やはりこれだけではこちらに攻撃してこないか」
「ええ。でも興味を抱いたのは確かです」
緊張の面持ちで確認するアカザに、ホタルが肯定する。
「ならばあと一息というところか」
そう言って再び弓に矢をつがえた。先程と同じ聖なる光を灯した矢。今度は霧に隠される前に見た竜の位置に向かって射る。明確な殺意を込めて一本、さらに一本。矢筒に入った全ての矢を放つ。
ついに<プレーナイト>がこちらの敵意を認めた。
霧の向こうに無数の緑の光がちかちかっと瞬く。攻撃の予兆だ。
「……出でよ、神風の盾。悪しき者を抑え、僕たる我々を守り給え!」
同時にユリの詠唱が終わった。透明な物質はユリの頭上を越え、一枚の壁を構築する。神の手によって築かれた、聖なる城壁だ。
「アカザ!」
ホタルの鋭い声が飛ぶ。その声が発せられるより前に、アカザはユリの作り上げた壁の後ろへと滑り込んでいた。
間一髪のタイミングで緑玉が凄まじい勢いでこちらに向かって飛んでくる。それらはダン、ダン、ダン、ダン!!と透明な分厚い壁にぶち当たった。
玉は壁を突き抜けるぎりぎりの所でどうにか留められていた。直撃していれば命はなかっただろう。
緑玉が飛んできたときに起こされた風で、部分的に霧が吹き払われた。
薄まった霧の合間から、こちらを睨んで唸り声を上げる<プレーナイト>が見える。
その胴体は全ての玉を打ち出した後で一回り小さくなっていた。今が絶好の攻撃のチャンスだった。
竜の注意は完全にこちらに向かっている。だから霧の中に潜む伏兵に気づいていない。
先程、アカザが矢を射るのに先んじて霧の中から竜に近づいていたシオンだ。
彼は残っている黒い霧に隠れながら竜の脇に忍び寄り、
「はあっ!」
聖剣を竜の首に振り下ろした。
<プレーナイト>の目が見開かれる。大きく開かれた顎がそのまま動かなくなる。
真っ赤な血が噴水のように吹き上がる。
竜の頭がどさり、と地面に落ちた。
シオンが竜の首を切り落としたのだ。しばらく地の噴水が吹き上げられた後、胴体もぐらり、と傾ぎ地面に倒れた。
「ふぅ……、危なかった」
シオンが倒した竜を見下ろしながら、顔を拭う。彼は間近で血を浴びたため全身が真っ赤だった。
地面に倒れた竜の背中には、既にいくつか緑玉が顔を出していた。首を落とすのが一秒でも遅れたら、至近距離で攻撃を受けていただろう。
「シオン!よくやった」
囮役をやった他の三人がシオンに駆け寄ってくる。
「大丈夫か、怪我はないか?」
「ああ。これは全部、竜の血だ」
真っ先に駆けつけたアカザがシオンの両肩を掴んで、上から下まで検分する。その様子にシオンは心配性だな、と苦笑した。
「じゃあ私の手は必要ないわね」
ユリは満足そうだ。治癒魔術はそれなりに疲れる。できれば三日に一回に止めてほしいところなのだ。
「大丈夫だ。だけど洗濯は手伝ってくれると助かる。血は落とすのが大変なんだ」
「りょーかい。ホタルがやるわ」
「えっ」
ユリの安請け合いに、シオンが思わずホタルの方を見る。先程の態度からして、とてもじゃないがシオンの衣服の洗濯など手伝ってくれそうになかったはずだ。
だが当のホタルは、
「……シオン様っ」
焦った顔でシオンの胸元に飛び込み、そしてその体を思い切り突き飛ばした。
「え」
突き飛ばされたのには驚いた。そんなに嫌われているのかと。
だが彼らの背後で倒れていた<プレーナイト>の胴体から、たった一粒、緑玉がこちらに向かってくるのが眼に入った。
それから落とされた竜の首が今もなお、シオンをぎらぎらと睨みつけているのも。
竜は最後の力を振り絞って、シオンを道連れにしようとたった一つの緑玉を撃ち出したのだ。
ホタルが先に気がつき、シオンを庇おうとした。当然、ホタルの方は避けられない。
「ホタ……」
緑玉が彼女の目と鼻の先に迫ったその時。
突如として凄まじい強風がその場に巻き起こった。




