旅は続く11
フェーンのような熱い風。それは雪原をまっすぐに奔り来て、<アレキサンドライト>にぶつかるや、竜巻のように取り囲んだ。熱く、厚い風の壁が<アレキサンドライト>の身動きを封じる。
懐かしい声。緩む冷気。
ホタルが落ちかけた瞼を上げると、空からシオンが降ってくるところだった。
「え?シオン様?」
ここにいるはずのない人物に、唐突に意識が覚醒する。
シオンは竜巻の天辺ど真ん中から聖剣を逆手に落ちてくる。その勢いで竜の背中を突き刺した。
<アレキサンドライト>がぎゃあっと吠える。柄まで深々と刃を押し込めたその場所から血しぶきが激しく飛んだ。
「ちゃんと意識はあるようだな。それなら大丈夫だ。援護してくれ」
痛みに身もだえる竜の上で聖剣を引き抜きながら、指示を出す。
ホタルは先程まで死にかけていたのだが、シオンの観察に拠れば「大丈夫」ということらしい。実際シオンの登場で、彼女自身、自身が瀕死であることが頭から吹っ飛んでいた。
だが、戸惑いは消えない。
「え、わ、わかりました……で、でも」
「何だ。時間がないんだぞ。もう夜明けが近い。こいつを早く殺さないと、城に出たもう一匹も復活してしまう」
言いながら、何度も竜の背中をぐさぐさとやる。竜は振り払おうとするが、シオンは鱗にしっかり捕まって容赦なく攻撃を加えた。
ホタルとしては聞きたいことはいろいろあったのだが、状況が状況だ。一番聞かなければならないことだけを聞こうとして、でも何を一番聞かなければならないのかわからず、とっさに出てきたのは、
「キラクサ様は?」
という問いだった。
「断られた!」
恥ずかしい話だがな、とシオンが大声で答える。
「え……っ?」
ホタルは一瞬、頭が真っ白になった。彼が何を言っているのかわからない。ただ、状況が決定的に変わったことだけはわかった。
「でもこれで良かったと思う。俺はまだまだこうして竜を追いかけていたい!お前と……お前達とな」
猛然と剣を奮いながら、シオンはホタルに笑いかけた。少年のような笑顔。ここのところずっと見ていなかった、ホタルの大好きな笑顔だった。
「さあ、あいつを倒すぞ」
「はいっ」
ホタルは立ち上がった。痛みなんてどうでも良い。今、戦わなければ。今、戦いたいんだ。シオン様と一緒に。
彼女は一人、苦笑した。
竜退治に恋はいらない、なんて嘘だ。だってシオン様が戻ってきた今、私は負けることなんて考えられない。勝てる未来しか想像ができない!
「ヒッシャ!」
「あー、もう仕方ないな……」
ヒッシャがぼやきながら翼をひらめかせる。<アレキサンドライト>を閉じ込めていた竜巻状の風を、無数の鋭い風の刃に切り替える。
打ち出される鋭いかまいたち。容赦なく切りつける風に竜は荒れ狂った。強力な攻撃だったが、その上に乗っていたシオンにまで被害が及んだ。避けようとしてバランスを崩したシオンが<アレキサンドライト>の背から放り出される。
「シオン様!」
ホタルが真っ青になる。彼女としては竜の足を攻撃し動きを止めることができればと考えていたのだが、ヒッシャはその思惑を完全無視してシオンごと竜を全面的に風で切り刻もうとしたのである。
「おい!俺がいるのに無差別な攻撃をしてくるんじゃない。当たったらどうする」
「知らん。当たらなかったから良かっただろう」
地面に転がり落ちながら抗議するシオンに、ヒッシャはしれっと言う。ホタルが何度も謝っていたが、彼らは気にもしなかった。
「あっ、くそ。逃げるぞ!」
そうこうしているうちに、分が悪いと判断したのか<アレキサンドライト>は街の外に向かって走り出した。両翼を開くが、先程シオンとヒッシャで相当痛めつけたので飛ぶ力は残っていないらしく、仕方なく地上を逃走する。
シオンが追いかけようとする後で、ついにホタルが地面にうずくまった。
「ホタル!」
「だ、大丈夫です。まだ……」
さすがに無理をさせすぎたようだ。彼女の目にはまだ闘争心があったが、休ませて怪我を癒やさなければならないのは必至だった。
だがもう空は白み始めている。すぐにでも<アレキサンドライト>を追わなければならない。唇を噛みしめ、逃げる竜の背中を見つめたその時、石畳を車輪が叩く音がした。
「シオン!ホタル!」
一台の馬車が滑り込んでくる。走る荷台からから白い服の女が、
「待たせたわねっ」
と言って飛び降りた。
「ユリ……!」
彼女はすぐさまホタルの側に寄り添い、負傷の程度を確認し治癒の呪文を唱え始めた。ホタルの身体から痛みと冷たさとが少しずつ消えていく。
「全く、先走り過ぎだ、お前は。全員揃っていればこの場で倒せたのに……」
馬車を止めたアカザが御者台の上から呆れたように、シオンに言う。
「仕方ないだろ、俺がいなければホタルが危なかったんだぞ」
「わかった、わかった。さっさと乗れ。森に逃げ込まれたら、夜が終わる前に見つけられない」
シオンは負傷の程度がひどいホタルを抱えるようにして荷台に上げて、
「隣、良いか?」
「え、はい」
そのまま彼女の横を陣取った。荷台の後方、隣り合わせだ。ユリはホタルの治療を終えて、荷台の前方に座った。
アカザが馬に鞭打ち、馬車が走り出す。
「最近話せてなかったしな。俺もここ最近のことでいろいろ考えた。聞いて欲しいんだ、ホタルに」
シオンは今晩で、明らかに様子が変わった。ホタルが期待と不安とで早鐘を打つ心臓を必死でなだめながら頷こうとしたその時、
「フン」
突然二人の間に青年が一人出現した。人型をとったヒッシャである。彼はつんとすまし顔で、ど真ん中に足を組んで陣取った。
「何だ、お前!?」
「俺はホタルの使い魔だからな。ここに座っていてもおかしくないだろう」
「普段そんなことしないくせに、何でわざわざ今……っ」
荷台の上は騒然とする。思わず掴みかかろうとするシオンと、それをひらりと躱すヒッシャ。
「おい、こら。馬車の上で喧嘩するんじゃない。後でやれ!」
あまりに馬車が揺れるので、アカザが後ろに向かって怒鳴る。
山の端は既に白く輝き、<アレキサンドライト>の背中はまだ遙か前方だ。喧嘩している場合ではないのである。
でも全員が思っていた。
ああ、いつも通りだと。
「ふふ。シオン班、復活ね」
ユリが小さく呟いた。
馬車は走り続ける。時折ぐらついたり蛇行したり、笑ったり騒いだりしながら、朝日の中を走って行く。
旅は終わらない。
この世界にはまだまだ、彼らが倒すべき竜がいるのだ。
<了>




