旅は続く10
あたりは雪原のようだった。
ホタルは白い息を吐く。
サンスソ地区の広場は雪と氷に覆われ、その真ん中で<アレキサンドライト>が皎々と青緑色の目を光らせていた。
部下は皆、撤退させた。等級8.5の竜だ。聖剣もなく、急ごしらえの班で、しかもその中で一番強いのが後方支援を得意とする魔術師のホタルというのでは、敵うわけがなかった。
ホタルはここに残り、竜を食い止める。部下にはサンスソ地区の住民達を可能な限り助け出すよう伝えている。彼女は今や自分の役目を、竜を倒すことではなく少しでも竜の被害を抑えることだと認識していた。
かじかんだ手で杖を握りしめ、小さく溜め息を吐く。
ヒッシャを置いてきたのは失敗だった。使役するには気の抜けない相手とはいえ、ホタルの手持ちの悪魔の中では最強だったのだ。
それでも聖剣があれば。シオンがいれば、戦況はいくらでもひっくり返せたのに。
駄目だ。弱気になるな。ホタルは小さくかぶりを振った。
シオンは今、大切な局面にいるのだ。邪魔するわけにはいかない。ここでホタルが竜を抑えて、彼が滞りなくあの隣国の美しい姫君と結婚できるようにしなければならないのだ。
ホタルは杖を<アレキサンドライト>に向ける。
「ボウ・モウ!」
杖の先から無数の黒い糸が飛び出す。悪魔の糸は竜を取り囲むように周囲に張り巡らされた。黒い糸が月光と雪明かりに反射してつやつやと光るのを、竜は興味深そうに見ていた。
ホタルが張り巡らした蜘蛛の糸に飛び乗る。彼女は竜を翻弄するように縦横無尽に蜘蛛の巣を駆け回った。これならば竜の想定外の方向から攻撃を仕掛けることができる。
「マトー!」
無数に打ち出される炎をまとったトカゲ。一つ一つは小さいが、火山弾の威力だ。狙うは竜の目。火の玉は凄まじい勢いで飛んでいく。
<アレキサンドライト>もこれを驚異と感じたのだろう。すぐさま氷の息を吹く。それは圧縮された冷気だった。これまでが大まかに相手のいる方向に冷気を振りまいていたのに対し、迫り来る火球を狙い撃つ氷のレーザービームだ。
(相殺するか!?)
衝突。だが氷は炎を圧倒し、火トカゲは凍り付いてバラバラに砕けて地に落ちた。完全に力負けだった。
ホタルの手持ちの中で唯一の火属性だった悪魔は失われた。この竜に対し有効な手段が、今の彼女には一つも無い。
竜の目がぎょろりとホタルを向く。こちらの攻撃が防がれた以上、まずは離れて体勢を立て直さなければならない。
彼女はその場を逃れようと蜘蛛の糸を蹴る。だがその太く強力な糸がばきばきと音を立てて砕けた。
「!」
<アレキサンドライト>とホタルを取り囲んでいた蜘蛛の巣が自壊する。彼女は真っ逆さまに落ち、石畳に叩き付けられた。
「……っ」
あまりの痛みに声も出ない。意識が飛びそうになりながら目の前の竜を観察すれば、その鱗に霜が降り、つららすら垂れ下がっていることに気がついた。
(そうか。<アレキサンドライト>は氷の息を吐くだけだと思っていたけど、全身から冷気を発していたんだ。だから周辺一帯が氷原のようになるんだ)
攻撃した対象だけを凍らせるわけではない。竜の存在する場所そのものを凍り付かせ、自分にとって優位で居心地の良い環境に作り替える。戦闘に時間をかければかけるほどこちらが不利になる相手だったのだ。
ホタルはもう指の一本すら動かせそうになかった。墜落の痛みだけではない、彼女の身体も少しずつ冷気に蝕まれていたのだ。
(ここまでか……)
瞼が重い。抗うことに疲れ、氷の眠りに身を任せようとしたその時――――
「無事か、ホタル!?」
力強い風が、吹いた。




