ダイヤモンド12
「終わったようだな」
腕を組んで一部始終を見ていたヒッシャが静かに呟く。
周辺一帯の木々は折れ、その上に<ダイヤモンド>の巨体が横たわっていた。
竜の頭はちょうど、ヒッシャの方に向いていた。かっと見開かれた両目には、今もなお禍々しい赤が灯っている。まるでまだ生きているかのような生々しさだ。
シオンは竜と共に落ちている間もずっとその頭蓋を貫いた聖剣を握りしめていた。墜落の衝撃が大きかったのだろう。同じ姿勢のままうなだれている。
だがヒッシャの声を聞き付けるやいなや、顔を上げ<ダイヤモンド>から降りた。
「ホタル……っ」
彼女を残してきた場所は<ダイヤモンド>が落ちた場所から少し離れていた。最後に見たときと同じまま、木に寄りかかり眠るように目を閉じている。
彼女の頬にそっと触れると、明らかに温もりが失われてきていた。
「……!」
先程までの戦いによる興奮は消え失せ、死のもたらす冷たさにただただ身体が震える。
「おい、そこをどけろ」
ゆっくりとシオンの後ろを歩いてきたヒッシャが冷たく言った。
「契約は成った。聖剣を修復し、お前は<ダイヤモンド>を倒した。俺は約束通りそいつの魂をいただくんだ」
「頼む、ホタルを助けてくれ」
シオンは振り返って、なりふり構わずヒッシャに懇願した。目には涙を浮かべ、必死で頭を下げる。
「話を聞いていたか?お前にはわからんだろうが、悪魔と魔術師の契約は絶対だ。与えたものは返してもらわなければならん。ホタルだって了承済みだ」
聖剣の使い手たる高潔な人間が、悪魔に慈悲を請う。
その姿があまりにも滑稽で、長い年月をホタルに費やしてきた甲斐があったとヒッシャはこの上なく満足した。
「これですがすがしく契約満了。俺としては随分楽しませてもらったから、良い取引だった。他人がとやかく人の商売に口を挟むんじゃない」
とっとと去れ、とばかりに手のひらをひらひらとさせる。
だがシオンは諦めなかった。
「じゃあ俺と取引しろ」
「は?」
「俺を殺して、ホタルの命を助けてくれ。それなら取引が成り立つだろう」
命には命を。それで等価だろうとシオンは言う。
しかしヒッシャは、
「いいや。成り立たんね」
と即座に否定した。
「いつも言っていただろう。俺はとびきりの悲劇が好きなんだ。お前が死んだ程度の悲劇では、まあホタルはひどく悲しむだろうがありきたりすぎてなあ。人間一人生き返らせるほどの労力の対価にはならん。どうせならもっと面白い趣向を……」
そこまで言って、はたとヒッシャは気がついた。
あるではないか。ここからさらに悲劇を加速させることのできる筋書きが。
「そうだ。お前の『人を愛する心』を寄越せ。それならあの娘を生き返らせてやろう」
「え……」
思わぬ言葉にシオンは目を瞬かせる。
自分が、ホタルを想う心?
つまり……ホタルと話している時、彼女が笑った時に不思議と心に湧いてくる温もりを失うということか。
惜しいとは思う。だが自分がそれを失ったとしても、彼女自身は何も失わない。彼女は無事に助かり、この後の人生を歩んでいく。元に戻るだけ。何も悪いことはないだろう。
「そんなもので良いのか?」
勢い込んで聞き返すシオンに、ヒッシャはにっこり笑う。それは実に悪魔的な笑みであったが、ホタルを助けたいばかりのシオンが気づくことはなかった。
「ああ。むしろそれが良い。そっちの方がきっと……面白い」
「う……」
全身を泥のように覆う痛みに、ホタルの意識はゆっくりと浮上した。わずかに目を開け、周囲をうかがう。まだ頭がはっきりとしない。身体も上手く動かせない。
だが、
「目が覚めたか」
という声に彼女は急速に覚醒した。
「シ、シオン様……っ」
シオンがこちらを見下ろしている。その顔は普通で……、普通だ。
彼女は混乱した。
確か先程までシオン班は伝説の竜、<ダイヤモンド>と死闘を繰り広げていた。その最中で聖剣が折れ、自分はそれを修復するためにヒッシャに魂を売り渡したはずだった。
なのに自分は今も生きている。そしてシオンはいつも通りの笑みを浮かべていた。まるで先程までの出来事が夢みたいに。
「<ダイヤモンド>は……?」
おそるおそるシオンに尋ねる。
「ああ、無事倒した。君もよくやってくれた」
あっさりと彼は答える。
「たった今、ユリから知らせが入った。<ダイヤモンド>討伐成功を確認して、フーシンの市民達が街に戻っていると。アカザも火傷がひどいがなんとか生きている。待機していた竜騎士団の医者が診てくれているそうだ。俺達もフーシンに戻るぞ」
そう言って街に向かって歩き出す。
「わ、わかりました」
ホタルは痛む身体に鞭を打ち、慌ててその背中を追うも、言い知れぬ違和感を拭い去れなかった。
いつも通りの、班長の顔。いつも通り……?彼女は首を傾げる。
最近は二人も打ち解け、上司というより同輩といった距離感ではなかったか。いたずらっぽい少年の顔を見せることも増え、時々その視線にひどい優しさを感じることもあったのではないか。
だけど今の彼は……。
いや、やめよう。ホタルはそこで思考を打ち切った。
まだ自分は覚醒したばかりでぼんやりしている。この状態で何を考えても無駄だ。それに<ダイヤモンド>を倒したからといって全てが終わったわけじゃない。後始末がいろいろあるはずだ。切り替えなければ。
ホタルはシオンの一歩後ろにつく。シオンは特に振り返らなかった。
ホタルが先程まで根元で眠っていた木の上には、カラスの姿に戻ったヒッシャが留まっていた。彼はここまでの二人のやりとりを目を細めて聞いていた。
(まだまだ楽しませてもらうぞ)
そう独りごちると、機嫌良く彼らを追って飛び立ったのだった。




