ダイヤモンド10
「ホタル!」
予想だにしない展開にシオンが目を剥く。
心臓のある場所に穴を開けた彼女は、一度体を大きく震わせた後、声もなく地面に崩れ落ちた。
シオンは肩の痛みも忘れて立ち上がり、ホタルの元に駆け寄った。ひざまずき彼女の上半身を膝の上に抱え上げるも、腕が力なく地面に落ちる。シオンの袖にじわじわと彼女の血が滲み、広がっていった。腕の中にある濃厚な死の気配に、がたがたと震える。
「おい、お前はそんなことをしている場合じゃないぞ」
ヒッシャの呆れた声が降ってくる。
「そんなことって……」
顔を上げて思い切り睨み付けると、ヒッシャは両手に聖剣を持っていた。
右手に剣の柄を、ホタルの血に塗れた左手に剣先を。
「な、にを……」
悪魔の両手に禍々しい光が灯った。ホタルの血を燃料としたかのようなその光は赤黒く燃えている。
右手と左手、二つの光がヒッシャの胸の前で合わせられた。すると化学反応のように光は一層強く激しく燃え上がり、聖剣は炎に包まれた。全身に炎をまとった聖剣はヒッシャの手を離れ、空中でしばらく燃え続けた。
やがて炎の勢いが収まったとき、聖剣は柄と刀身とが再びつながっていた。
だが元通りというわけではない。一度折れた部分から先が凄まじい速度で回転している。その勢いは指一本でも触れようものなら、すぐさまその指が削り飛ばされそうだった。
一目見てわかる。凶悪な武器だ。
「さあ、受け取れ。ホタルの置き土産だ」
ヒッシャが腕を組み、顎で聖剣を指し示す。
「……」
シオンは逡巡した。
聖剣はホタルの命でもって修復され、さらには強化された。この剣を受け取れば、今腕の中にいる彼女の死を決定づけてしまうように感じられたからだ。
「どうした?<ダイヤモンド>はすぐ側に迫っている。お前がこの剣を受け取り、奴を倒さなければホタルは本当に無駄死にだぞ?」
ヒッシャは実に楽しそうだ。シオンの迷いを面白がっている。これこそが悪魔が望む悲劇であり喜劇なのだ。
「……くそっ」
どんどん近づいてくる<ダイヤモンド>の足音に、ついにシオンは決心した。ホタルの身体を先程まで自分が寄り掛かっていた木の根元に横たえる。
それから手を伸ばすと、生まれ変わった聖剣は当然のように持ち主の手元に戻ってきた。 前より幾分重く感じる。それはきっと彼女の命の重さだ。
『随分と手間を掛けさせおったな、ソーヤの血を引くものよ』
声は随分と近くで聞こえた。ついに<ダイヤモンド>がシオンに追いついたのだ。
『逃げるのはやめたのか?そういえばお前の先祖も逃げることしかできない男だったな』
シオンが振り返ると、地獄のように美しい<ダイヤモンド>の眼が彼を見下ろしていた。弱い人間の最後のあがきをせせら笑う眼だ。
『逃げて、逃げて、火山の噴火口まで逃げて、卑怯にも我を溶岩の海へと落としおった。一度も自分の力で戦おうともしなかった。情けない男だ。お前も同じか?』
「いや、同じじゃない。俺の方がソーヤより情けない」
ソーヤは初めから自身の力を見極め、作戦として逃げた。最後には火山の力でもって竜を征伐した。
それに比べ自分は、<ダイヤモンド>の力を侮っていた。聖剣さえあれば必ず勝てると。
だがそうではないと気がついたとき、ただ逃げることしかできなかった。生まれて初めて竜に負けるかもしれないという恐れに心を支配され、勝つための戦いをしようとしなかった。
「でも、もう逃げない」
ユリは市民を逃すために去り、アカザは果敢に戦い敗れ、ホタルは聖剣のために我が身を捧げた。結果がどうなろうとも、ただ一人残された自分は彼らに託された想いを全うしなければならない。
この決意は嘘じゃない。
だが、たった一人残って、竜と相対してはっきりと自覚する。
自分はきっとこの瞬間のために生まれてきた。聖剣に選ばれた勇者とはそういうことなのだ。
たった一人にしか握れぬ聖剣で、たった一人にしか倒せない相手を倒しに行く。
シオンの存在意義は竜と戦い、勝利することだけだ。そこから逃げていたのでは、たとえもし生き残ったとしても自分の人生は既に死んだも同然だ――――!
「俺の名はシオン。ソーヤ王国第三王子にして、竜殺しの英雄ソーヤの末裔。聖剣の使い手。そしてこれから本当の意味でお前を殺す男だ」
<ダイヤモンド>殺しの英雄。
シオンは自らをそう名乗る。
『ほう、大きく出たな。では我も竜の本分でもってお前のその尊大な発言に応えてやらねばならんだろう』
<ダイヤモンド>が閉じられていた両翼を広げる。ホタルがかけた蜘蛛の悪魔の戒めが解けたのだ。
もう竜を抑えるものは何もない。透き通った鱗の一片一片が輝き、顎からは体内で燃える炎の煙が漏れ出ている。
たった一人の英雄を殺すために、研ぎ澄まされた竜の形がそこにあった。
『来い。全身を切り刻んだ上で、その肉片の一つも残らぬほどに燃やし尽くしてやる』




