ダイヤモンド8
ユリが去り、魔術の霧が晴れてきた。
『さて、作戦会議は終わったようだな……っと』
<ダイヤモンド>が薄れ行く霧の向こうに見たのは、森の中、背中を向けて逃げていくシオン班の姿だった。
『ふん。ここまで待ってやったのに逃げるしかないとは情けない。まあ良い、せいぜい楽しませてもらおうか』
木々の中をちらちらと見える竜騎士団のマントを追って、<ダイヤモンド>は足を踏み出した。
竜の一歩ごとに大地は揺れ、木々が踏み倒された。茂みからは小鳥や小動物が驚いて逃げ出す。
この時、シオンらは<シェル>を使って空を飛ばず、あえて森の中を走らせていた。
なぜならば空中であれば何の隠すものもなくすぐに見つかり、攻撃される可能性が高まるからだ。その点、森の中を走ればこんもり茂った草木が姿を隠してくれる。
また竜の翼は未だホタルの魔術によって封じられているため、地上を走ることしかできない。巨大な木々は<ダイヤモンド>にとって障害物となり、少しでも迫る速度を抑えてくれるのだ。
フーシンから十分に離れたと判断したところで、シオンが<シェル>から飛び降りてくるりと振り返り、剣を構える。
『……む』
不審に思いつつも距離を詰める<ダイヤモンド>が踏み出した足下で、地面が丸い形に発光した。それはホタルが逃げている途中で急いで描き上げた魔法陣だった。
「ヒッシャ!」
ホタルの呼びかけに「はいよ、仕方ねぇな」とぼやきながら、彼女の肩から飛び立ったカラスが魔方陣の放つ光の中に入る。そして翼を何度かはためかせた。
すると強力な風がその場で巻き起こった。無数に作り上げられた空気の塊が弾幕のように一斉に<ダイヤモンド>に繰り出される。
『悪魔の風か……!』
豪速で飛んでくる鋭い風が竜の全身を打った。
この程度で名高い<ダイヤモンド>の鱗が砕かれることはないが、全身を針で刺されるような不快感に竜が苛立たしげに首を振る。
「さすが<ダイヤモンド>。他の竜なら穴だらけなんだがな」
感心したようにヒッシャが言って、ホタルの肩に舞い戻る。第一級の悪魔の魔術が魔法陣によってさらに強化されていたのだが、致命傷には至らない。
代わってシオンが竜の首を狙って刃を振るう。
「……っ」
当然ながら固い鱗に弾き返される。竜は止むことのない風の弾丸に苛まれながら、爪でシオンを迎え撃つ。
凶悪な爪がシオンの右肩をかすった。だが彼はひるまず、竜の胸元に潜り込み第二撃を繰り出す。これも効かない。
どれか一撃でも傷を与えられたなら良いとばかりに、シオンは何度も剣を打ち付けその度に弾かれた。
「ふん、自暴自棄になったか。聖剣でも傷一つつけられなかった我を、そんななまくらで切れるわけがなかろう」
全身に打ち付ける風と、目の前をちょこまかと動き回り時折叩き付けられる切れ味の悪い剣。どちらも鬱陶しく目障りなだけで、<ダイヤモンド>になんの攻撃も与えることはできない。すっかり呆れてしまい、わざわざ殺すために一歩を踏み出す気もしなかった。
せっかくここまで付き合ってのんびり森の中を追いかけてやったというのに、結末がこんな無意味な抵抗ではつまらない。もう相手の魔力切れか、疲れて動けなくなったところを待って一息に殺せば良いだろう。
そう考えて動きを止めたところで、ふと気がついた。
確か当初追いかけていたのは三人のはずだ。ソーヤの子孫と、黒魔術師と、最初に弓を引いた男――転々あの、射手はどこへ行った?
ブゥン、という風を切る音。
それを聞きつけた瞬間、<ダイヤモンド>は片目が熱くなるのを感じた。
『ぐ……っ』
左の視界が赤く染まり、何も見えない。首をぐるりと回し音がした方向に振り向く。そこには<シェル>の上で、弓を構えたアカザがいた。その姿を見てようやく、左目を矢で射られたのだと気がついた。
竜は全身を鱗で覆われ、生半可な武器では傷を付けられない。だが目は別だ。剥き出しになっている柔らかい部分は、竜にとって最大の弱点。聖剣を持たない一般の竜騎士が真っ先に狙う場所だ。
だが的は小さい。そのためアカザは一度、他の二人と逃げている途中で分かれ、確実に竜の目を狙える場所に陣取った。そしてシオンとホタルは無意味と思える攻撃を繰り返して竜の油断を誘い、その場で動かないようにしたのだ。
「やった!」
シオンとホタルが拳を握る。
守備は上々。見事、竜の片目を潰すことに成功した。だが息の根を奪うにはほど遠い。さらに眼窩から強力な攻撃を打ち込んで、竜を内側から破壊する必要がある。
アカザはすぐさまもう一本の矢を矢筒から取り出す。今度はホタルが魔力を込めた矢だ。
ヒッシャの魔術が閉じ込められた矢尻は、竜の目に刺さればそこから体内に嵐を吹き起こし、内臓を切り刻む――――はず、だった。
『ふざけるなよ、人間風情が……っ』
<ダイヤモンド>の顎が大きく開かれる。はっと息をのんだホタルが、「逃げて、アカザ!」と叫んだが、もう遅かった。
竜の喉から強大な火炎が吐き出される。
炎は凄まじい勢いで空中を疾走し、アカザを、彼の乗った<シェル>ごと灼いた。
炎の帯が消えた後、宙に浮いて煙を上げる黒い物体だけが残った。それもすぐに地上へと落ちていく。
遠くでどさり、という乾いた音がしたのを、シオンも、ホタルも呆然として聞いていた。 一拍の恐ろしい静寂。
そして、
「アカザ――――――――!」
シオンの絶叫が森に響き渡った。




