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< 六 > 妖刀・村正

風切は村丸の背後から、ふと刀の柄に目を留めた。


黒漆に銀糸の細かな巻き鞘........それだけで普通の刀ではないことは一目瞭然だった。


「お前......その刀は.......」


(次は何だ.....?)


ふいに声を詰まらせ、風切は口元を覆う。


月明かりに照らされた刀身は、夜の闇を切り裂くように鈍く光り、その上に小さく、しかし確かに「村丸」という刻印が浮かんでいるのが見えた。


妖刀・村正。


この世界に迷い込んだ人間から伝わった、いつしか語り草となった伝説の刀。


恐ろしいほどに切れ味が鋭く、抜いた者の意思をも呑み込むという。


生贄を求めるかのように血の記憶を呼び覚まし、刃のうちに宿る怨念が持ち主の精神を蝕むとも言われている。風切はその名を幾度も聞かされていた。


「ま、まさか......お、お前が......!」


風切の声が震える。


村丸はひと言も発しないまま、「どうした」と言わんばかりに首を傾げる。


風切は小さく息を漏らし、肩を震わせながら頷いた。


「知ってるどころじゃねえ!村丸ってのはな、この国に伝わる最強最凶の妖刀なんだ!」


村丸は無言のまま、風切に刀の鍔を向けた。


風切は恐る恐る手を伸ばし、鍔に触れる。


その瞬間、寒気が指先から脳天まで走った。


冷たい鉄の感触の奥に、微かに脈動している怨嗟のような何かを感じる。


「っ......!」


風切は目に涙を浮かべ、しかしその眼差しは怒りと恐怖の混じった狂気じみた色を帯びていた。


「お前、いったい何を考えてんだ!?こんな刀、振り回したら妖世はどうなるかわかってんのか?!」


『恐いのか?』


村丸は冷静に短冊を差し出す。

風切は苦悶の表情を浮かべながら短冊を受け取り、白い紙に視線を落とした。


「恐い......けど、俺は怖がってる場合じゃねえ!だって、この刀の悪名は、現世からの訪問者だけじゃなく、この妖世の連中にも広まってるんだぞ!」


村丸は唇を固く結び、さらに筆を走らせる。


『どんな悪名だ』


風切は目を閉じ、数秒の間を置いた後、重い口を開く。


「この刀を振るったやつはな、『人ならざる刃』と蔑まれる。最初はほんの小さな切り傷でも、持ち主の血を嗅ぎつけるように自身の刃を震わせ、次第に相手の肉体、そして精神を深く抉り取っていくって言われてる。」


風切は歯を食いしばり、膝まで震わせながら続ける。


「それに、この刀の噂は、口伝でこの世界のあちこちに伝播してるんだ。妖商人、妖剣士、果ては深緑の領域に住む樹妖たちまで、耳にしたら逃げ出す。『来るな、来るな』って叫びながら......」


村丸は風切をじっと見据え、わずかに視線を左右に向ける。


確かに、いつもならばこの薄明の境界にも、奇怪な妖が跋扈しているはずだ。


しかし今は、風切と村丸の二人だけが、異様なほどの静寂の中にいた。


「お前......その刀をどうするつもりだ?」


『分からない』


村丸は淡々と短冊を走らせた。


風切は一瞬、言葉を失う。


しかしすぐに羽根を振り上げ、怒り混じりに声を荒げた。


「知らないで旅するのはやめろ!このままヤベえ刀を持ち続ける気か!?」


村丸は無表情のまま、風切を一瞥して短冊へ手を伸ばす。


『お前が言うな』


風切は鋭く息を吐き、木の枝に飛び移ってぐるりと村丸の周りを巡った。


羽根を広げるたびに風切の奥歯がぎりりと鳴る。


「うるせえな!俺はお前が死なない程度には心配してるんだ!この刀を振り回したら、お前だけじゃ済まねえぞ!」


村丸は襟を正し、山桜の古木を背に、短冊にこう記した。


『この刀を捨てるつもりはない。父上から譲り受けたから。』


風切は目を見開き、息が止まりそうになる。


「......お前......」


風切は一瞬、ため息をつき、すぐに勇ましく拳を握った。


「よし、わかった!俺が今まで見てきた妖どもよりは、お前の方が信頼できるかもしれねえ!俺はお前の“家来”だからな、命懸けで守ってやるぜ!」


『余計なお世話だ』


「俺の分も命、大切にな!この刀の呪いに飲まれんなよ、相棒!よーし、そろそろこの神社からお暇するか~。」


その時だった。


月光の玉の光がくすりと揺れ、次第に闇の中から異形の気配が群れを成して浮かび上がる。


風切は何かを察して振り返り、鋭く唸った。


「チッ......来やがったか......!無駄に勘が鋭いな!」


闇を切り裂くように複数の影が飛び出し、次々に人影を形作る。


だが、そのシルエットは人型でありながらも、人間ではなかった。


どれも頭部に角を生やし、背骨のように突き出た棘をもつ者、牙を剥き出しにした獣のような面構え、針状の腕をひらめかせる虫のような体躯.......これが、この世界の「奉行所」の手先、所謂「裁きの妖怪」たちである。


その先頭に立つ妖怪が低く唸る。


「貴様は......風切!生還を許すわけにはいかぬ!そしてそこの人間!貴様まさか風切の封印を解いたな.....?!二人共捕まえろ!」


その声に合わせ、左右に分かれた十余りの妖怪が一斉に飛びかかってきた。


地を蹴る脚が、湿った苔を蹴散らし、木漏れ日の残像を走らせる。


風切は素早く飛び上がり、空中から攻撃を受け流すが、数の多さに押されつつも、地上を転がりながら叫ぶ。


「おい村丸、覚悟しろ!こいつら、奉行所直々の手練れだぜ!」


村丸は無言のまま重心を低く構え、短冊を懐に押し込むと、静かに抜刀の構えを取る。


(やむを得ないが.......)


水面のように揺れる影をまとい、村丸を狙う鎌状の手が何度も伸びる。


「そこまでだ!」


妖怪の一人が大声を張り上げ、巨鎌を振り下ろす。


地をえぐるほどの鋭さで土塊が飛び散る。


村丸はかろうじて身を翻し、刃の尖りを外すが、袖が裂けた。


そして、村丸は少し裂けた袖を見て覚悟を決めて抜刀をした。


 ◇ ◇ ◇ 


村丸の無言は消え、低く唸る「村正」の意識が前面に立つ。


風切はその変化に気づき、慌てて駆け寄る。


「お、おい!村丸?!何をす.......」


しかし、その言葉は届かない。


村正の意識は既に刀身を赤く染めることだけを望んでいた。


抜刀と同時に、荒々しい勢いで鋭い斬撃を放つ。


「なんだ......コイツ.....なんで......」


邪気を帯びた黒漆の刀身が、最初に手を伸ばした蜘蛛鬼の首根っこをすっぱりと裂いた。


断末魔の声はあっという間に喉奥で引き千切られ、巨大な肉塊が地に落ちる。


ゆっくりと振り返る村正の目には、快楽に歪む狂気が宿っていた。


「よく目立つ餌が揃ったな。次はどいつを飾りにしてやろうか!」


村正の声は低く、だが鮮烈に響く。


奉行所の妖怪たちは一瞬凍りつき、怯む。


「村丸......お前まさか刀に乗っ取られたのかよ!?」


風切が独り言を呟いた次の瞬間、捕縛の憎悪が炸裂し、一斉に刃を浴びせかけた。


だが、村正の腕前はただ物ではない。


斬撃はまるで獰猛な舞踊のように連続し、振り下ろされるたびに鎌や槍は切断された。


骸の山が見る見るうちに積み上がる。


その惨状は、この世界の不条理さをあざ笑うかのようだった。


周囲は血塗れになり、近くにあった祠は倒れてボロボロになっていた。


一方、村正自身は妖怪特有の黒い血は恐ろしい程に全くついていなかった。


 ◇ ◇ ◇ 


月明かりのわずかに差し込む一本の太い木の上。


そこに寝そべる女は、猫のように枝に背を預け、片足をぶらりと垂らして、右手で額の上で日除けのようにしていた。


「.......ん、うるさぁ~......」


そして音の正体となる、木の下を見つめた。


ふむ、と鼻を鳴らし、眠たげな目をこする。


「ったく、寝酒の時間に........剣呑なこった。」


彼女は体をぐいと伸ばし、ひときわ太い枝に腰をかけ直すと、木の下の様子を見つめていた。


「んふふ.......鴉天狗と人間に......その他大勢か。なかなかレアな組み合わせやねぇ。」


彼女は一口含み、喉を潤すと、満足げに小さくため息をついた。


「さて、もうちょい見せてもらおか。」


 ◇ ◇ ◇ 


「こいつらの数を見ろ!全員倒すだなんて生易しいことじゃねえ!一人で無茶しやがって!」


だが村正は気にも留めず、凶悪な笑みを浮かべながら斬り続ける。


斬撃の度に、松明の炎がゆらめき、こぼれた血が苔の緑を赤黒く染めた。


「てやんでい!!そんな事言われても知るかよ!!」


祭壇のように積み上がった骸の山を背に、村正は最後の一閃を放つ。


骨が砕ける音とともに妖怪の身体が舞い上がり、黒い血しぶきが夜闇に星屑のように散った。


その凄惨さは妖怪たちに深い恐怖を刻み込む。


その声に、風切は思わず身を伏せる。


村正は再び刀を振り下ろし、最後の一体となった小柄な鬼蝉を血しぶきとともに地面に押しつけた。


鬼蝉は呻き声すら上げられず、苔にまみれて絶命する。


獰猛な舞いが終わると、闇がまた静寂を取り戻した。


恐ろしいほどの死の匂いだけが、森の奥にこだましている。


村正は深く息を吸い込み、荒い呼吸を整えた。


「さて、次はお前だ。」


村正が宿った村丸は、燃えるような瞳で風切を睨み据える。


その瞳はもはや村丸のものではなかった。


そこに宿るのは、人妖を呪い、人妖を斬り、人妖を壊すためだけに生まれた刀の狂気。


血に染まり、恨みに濁った、刀身その物だ。


問答無用の断罪。


それは風すら逃げる凶刃だった。


だが........


「......あっぶな......速すぎるぜ......!大天狗よりも速いんじゃねぇの!?」


風切はそれをあたかも知っていたかのように、ほんの肩一つ、重心をずらしただけで回避した。


「ねぇ、それ本気で斬るやつ?本気で殺すつもりだった?怖っ、冗談でも笑えないやつじゃん!」


辺りに響く、飄々とした風切の声。


斬りかかってきた相手を、敵としてすら見ていないような態度。


だが、目だけはしっかりと動いていた。


「ふむふむ、なるほど......なるほどね......うん、納得。」


彼は村正の真横を静かに素通りした。


その速さは吹き抜ける一陣の風のようだった。


そして舞台の大道具を、演者に気付かれぬようすり替える舞台裏の職人の手。


速さと静けさが同居する、美しい手業だった。


「......おやおや?あれれ?えーっと、あったあった......うん、これだこれだ」


背後から聞こえた声に、村正の意識が跳ね上がる。


その声は、明らかに何かを見つけて嬉しがってる奴の声だった。


「あはは、ちゃんとお手入れしてるじゃん?えらいね!"村正"!」


村正はその声と同時に手元を見る。


___ない。

___刀がない。


握っていたはずのあの殺意の塊が、忽然と、まるで幻のように失われていた。


「......なッ......!!?」


背後を振り返る。


片手に鞘、もう片手に"村正の本体"をぶら下げた風切が、満面の笑みを浮かべて立っていた。


「見て見て、刀取った。今夜の戦利品だわー。......いやいや、冗談、冗談。返す返す。いつかね。でもさぁ、ちょっと重くない?これ。中身に何か入ってんの?恨みとか、呪いとか、前科とか、そういうのだったりする?」


「返しやがれ!!!」


村正が吼える。


だが声は焦りと怒りに満ち、どこかに恐れすら混じっていた。


風切はその言葉すらスルーするようにひとつ肩をすくめ、背中の翼をパタリと広げて一歩退いた。


「うわー出た出た!呪い系男子、めんどくさ〜い!いや.......男子、だよな......?」


村正の手が伸びる。


だが、風切はもうその間合いにいない。


既に村正の背後を陣取っている。


「貴様、何者だ......!」


「え~?俺か?俺は......鴉天狗だよ。普通の、ね?」


その軽口と同時に、風切は動いた。


鞘を正面に構え、刀を真っ直ぐに持ち直し.....月光の下で、その黒銀の刃が最後の煌めきを放つ。



そして__



__すとん。


音にすれば、豆を落としたような微かな響きだった。


だがそれは、刀を知る者なら誰しもが理解する音。


魂を封じる音。


それは、何かの終わりを告げる音だった。


重力に従い、刃が鞘の奥底に沈み込んでいく。


鞘口が刃の根本に触れた瞬間、空気がぴたりと凍りつく。


その場にいたすべての存在が、一拍だけ時を止められた。


刃と鞘が、完璧に重なり合うと同時に風切の目が細められる。


口元に浮かぶ笑みは変わらないが、その目だけは真剣だ。


まるで、儀式を終えた神官のように、最後の所作に神経を集中させている。


数秒、時が凍る。


そしてようやく、風が吹いた。


ざぁ、と木々が揺れ、小枝が擦れ合う音が耳を撫でた。


鞘と刃が完璧に一体となった、その所作には、神事にも似た厳粛さが宿っていた。


それはただ納めたのではない。


封じたのだ。


村正は......黙した。


 ◇ ◇ ◇ 


風切はその刀を胸元に軽く抱き直し、納得したように頷く。


「よし。これにて一件落着........ってことでいいよな?」


その声は軽いが、風切の手のひらにはわずかな汗がにじんでいた。


誰よりも軽やかに振る舞っていて、誰よりも緊張していたのは風切だったのかもしれない。

<村正逸話#7>


一部の妖怪は妖世に来た人間を食ったりします。

(大体全体の2割くらい。殆どが人間に友好的。)


下手したら妖世に迷い込んだ時点で死が確定します。


妖怪達は"妖術"を持っており(なろう系中世ヨーロッパ異世界風に言えばスキル)、生身の人間に負けることはまずありません。


そう考えると村丸が最初に出会った妖怪が風切だったのはある意味幸運でしたね。


これが主人公補正というやつですかね......

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