< 四十五 > 極卒の旧友
蓬はにっと笑って、地獄の真ん中で手を広げた。
温く、赤い風が髪をはらい、鈴の音がかすかに鳴る。
周囲の喧騒が一瞬だけ薄くなり、彼女の声がはっきりと通った。
「ねぇねぇ、村丸ー。ここ、地獄って言ってもいろいろあるんだよー?八大地獄って聞いたことある?本当に規模がでかいっていうか、区分分けがされててさー、簡単に言うとヤバさの格が違うの。今日は、ちょっとその説明をしてあげるね!」
蓬の説明はいつも通りに軽やかだが、話の内容は鋭く、聞く者を引き込む力があった。
「えっとね、八大地獄ってのはざっくり言うと、八つの主要な区分があって、それぞれ役割とか雰囲気が違うの。んで、ざっくり説明するとこんな感じー。」
蓬は指を両手を使って八本立てて、簡単に区分を示した。
「一つ目は『無間地獄』。阿鼻地獄とも言うんだけど......ここは連続する苦しみの場所でさ、時間の感覚が歪むんだって。苦しみが終わったと思ったらまた始まる、みたいな。二つ目は『衆合地獄』、様々な罰を受けるところだよー。小地獄って所もあるんだ!!三つ目は『叫喚地獄』、文字通り叫び声が止まらない系。四つ目は『焦熱地獄』。とにかく熱いのが特徴ね。五つ目は『大叫喚地獄』とか呼ばれてるところで、もう規模がやばいの。六つ目は『等活地獄』。生き物を殺したりした罪でここに来る者が多いらしいね。特に人間とかが多い地獄なんだってさ。七つ目は『黒縄地獄』。等活地獄の更に下層部に存在している所。噂では等活地獄の苦しみの十倍とか。そんで最後は
情報のひとつひとつはこの場に必要な知識であり、彼女がどれほど地獄に精通しているかを示していた。
(……8つもあるんだな)
八つの名はどれもが彼の胸に小さな重石を置いた。
どの地獄もただ恐ろしいというだけではない。
構造があり、秩序がある。
つまり、ここにいる者たちには「規則」があるのだ。
それを理解すれば足場はできる。
だが理解することと、踏み入れることは別問題だ。
蓬は続けた。
彼女の口調はよく向日葵のように明るいが、説明の核心部になると不思議と声が落ちる。
「でね、その八大地獄のうち、あたしの旧友がいるのは……えーっと、確か三つ目の『叫喚地獄』!でもあの子、叫喚っつってもただ叫んでるだけの人じゃなくて、極卒っていう立場でさ、要はめっちゃ仕事できる鬼なの。性格と仕事柄のせいで、ちょっとキツめの場所にいるけど、本人はむしろ楽しんでるっぽいと思うよ!」
蓬はにやりと笑い、村丸の袖を引っ張った。
「めっちゃ勝気でさー、葬姉さん肌って感じの鬼!でもさ、見た目が超かっこよくてさ!性格は.....まあ、姉さん!って呼びたくなるくらいに頼れるよ。でも、気に入らないことあると本気で殴られるから注意ね?って冗談だけど!」
『……極卒。つまり現地の秩序に精通している者だな。護衛や交渉に有用かもしれない。』
蓬は得意げに頷く。
「でしょー?だから今回、ウチはその葬姉さんにちょっと挨拶して、村丸の件の手配とかを頼めないか相談しようと思ってるの。あの人、地獄の中でかなり顔が効くからね。閻魔様の所へ直行もいいけど、段取りは大事でしょ?いきなり行くと(あの秘書が)面倒だから、まずは葬姉さんに会いに行きたいなって!」
村丸は蓬の提案をじっと見つめ、その意図を受け取る。
旧友が極卒であるならば、彼女の助力は計り知れない。
だが「旧友」とは一体どんな人なのか。
村丸は蓬の表情を観察し、言葉にならない情報を拾い上げる。
蓬の目が少しだけ鋭くなる。
彼女は何処からか小さな写真のようなものを取り出し、それを村丸に見せた。
写真には短めの鬼の女性が写っている。
髪は短く、顎にかかる程度。
角にいくつかの装飾があり、目つきは強く鋭い。
「これが葬姉さんー。正塚葬だから、私は葬姉さんって呼んでる!葬姉さんは元々ね、三途の川の方で仕事していたんだけど......死者が増えるにあたって.。だけど面倒見はめっちゃいいんだよ?若い新入り達にはめっちゃ優しいの。興味津々って感じ?あと......葬姉さんは鬼の中では見た目とは逆にかなりの年を取ってるから......婆さんとか言ったらぶん殴られるよ......」
(その言い用は......ぶん殴られた事があるという事か......)
「でもそこは大丈夫!!ウチ、葬姉さんと仲いいからー!でも葬姉さんは『面白がる』の基準が緩いから、村丸、多少は覚悟してね?気を引き締めて!まずウチが葬姉さんに顔見せして『村丸は無害』って話しとくね!」
蓬の言葉には綿密な計画性が含まれていた。
見た目は軽口だが、彼女の中では順序立てた手続きを踏むことが重要だと考えている。
村丸はそれを評価する目で見た。
その後すぐに動き出す。
叫喚地獄の方向は、遠くからも声が聞こえる方角だ。
高く響く叫び、悲嘆のような声。
道中、蓬と村丸は地元の鬼達に軽く会釈をし、短いやり取りを交わす。
彼女が顔馴染であることはすぐに分かり、道が開ける。
村丸はその様子を横で見て、蓬の外向的な力に安心感を覚えると同時に、彼女がただの明るいだけの人物ではないことを再確認した。
「ねぇねぇ、あの建物が入り口っぽいよ。ウチ、あの辺の責任者とも少し顔合わせあるから、そこでちょっと挨拶入れるね。村丸は後ろで落ち着いてて。で、葬姉さんに会ったら、ウチから一気に話を畳みかける。いいね?」
無言で頷く村丸の瞳は真剣そのものだ。
蓬の一歩一歩には迷いがない。
村丸はその背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
(旧友が葬姉さんか。頼れる存在であることを祈る。)
「任せてーーー!葬姉さん、ぶっちゃけウチのこと嫌いじゃない(多分)し、葬姉さんが『面白い』って言う人間や妖怪は、基本的に守ってくれるから!さぁ、行こ行こ、叫喚地獄で世間話でもしてもらおー!」
そして、赤い空の下、二人は叫喚地獄の入り口へと足を踏み入れた。
叫喚地獄の入り口を抜けると、そこはまるで常時続く阿鼻叫喚の合唱のようだった。
熱気と悲鳴が混ざり、赤黒い霧のようなものが空を覆い隠している。
村丸は眉をひそめながら筆を走らせる。
(……耳を塞いでも声が響く。頭に直接ぶつかってくるようだ。)
蓬はけろっとした顔で、耳にかかる髪をかきあげて笑う。
「そうそう!ここは"叫喚地獄”だからね!亡者たちが延々と喚き散らしてんの。見てごらんよ、あそことかさ!」
蓬が指差した先には、巨大な火柱のような檻の中で、亡者たちが喉を裂く勢いで叫び続けていた。
誰かが苦しみを訴えると、すぐ隣の者がそれに重ねるように嘆き叫ぶ。
(なんだこれ......虐待か......?)
それらはまるで連鎖する炎のように声が広がり、やがて天地を埋め尽くす。
しかし、その混沌の只中に、一際目を引く一つの鬼の姿があった。
「あ、あの管理人に会わなくても済んだね。すぐ会えたよ。」
(あれが......)
「おらァッ!勝手に列を乱すなッ!並べッ!」
怒号と共に亡者たちが一斉に静まる。
その声の主は背筋を真っ直ぐに伸ばした一人の鬼の女だった。
短く刈られた髪、鋭く燃えるような瞳、頭には黒鉄のような硬い角。
(鬼に会うのは.....外道丸や茨鬼丸ぶりか......)
その角には銀色の輪がいくつもついていて、光を反射するたびにぎらりと輝く。
肩幅は広く、鎧のような装束を纏っている。
筋肉質で、まさに鬼教官と呼ぶにふさわしい風貌だった。
「泣き叫ぶのは勝手だが、列を乱すのは許さんッ!こっちは地獄だッ!お前らに人権なんざない!!!規則に従えッ!」
彼女......葬の声は地鳴りのように響き渡る。
亡者たちは恐怖で震え、思わず叫ぶのを忘れて黙り込む者までいた。
その静寂を確認すると葬は腕を組み、鼻で笑った。
<村正逸話>
葬はいまや立派な叫喚地獄の地獄の獄卒です。
(大叫喚地獄ではない理由は正式に獄卒になって年月が浅いから(百年未満くらいだと思われる)です。)
だが、彼女の前職を知る者は少なかったりします。
そう、彼女は元々三途の川のほとりで働く奪衣婆だったのです。
死者を川辺で睨みつけては、文字通り着ぐるみを剥がすのが本来の仕事です。
しかも噂では、無駄に辛辣な発言をしては亡者を泣かせまくっていたらしい。
それが原因で「地獄側苦情数順位表(堂々の)第一位」という輝かしい(?)記録を持つに至った。
しかし現代では死因の数が増えて死者の数は激増。
(地獄全体の法律の改定に合わせて出来た亡者への虐待未遂の疑いがあったのも理由の一つ)
それによって彼女は獄卒として地獄で働く現場主任に大昇進したわけです。
だが、本人はこの過去を徹底的に隠している様子であり、川辺で叫んでいた頃の自分の姿を「黒歴史」だと思っているからです。
(今も叫んでるだろと思ったそこの貴方。本人に言ったら冗談抜きでぶん殴られます.....)
そのせいで、獄卒仲間からは「元・三途の川の服装審査員」とか陰でこっそり呼ばれています。
本人にバレると拳骨が飛んでくるので、皆死ぬ気で隠しているが。




