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村正 ~剣豪Mの英雄義賊剣譚~  作者: I嬢
婚儀ノ章 < 下 >
41/90

< 三十四 > 八つ

式場は春の光に満ちていた。


日差しは柔らかく、庭園の植え込みからは淡い香りが立ちのぼる。


白い布で飾られた回廊、紺と金の縁取りの掛け軸、参列者の礼服がそろって並ぶ様は絵画のように整っていて、誰の目にも今日は特別な日だとわかる。


(アタシは今、とても幸せだわ.......)


稲羽はいつもの勝ち気な表情をほんの少しだけ緩めており、そのおかげか白無垢がより美しく見えた。


(うぅ.....ドキドキするなぁ.......)


隣の白間は"外向き"に見せる賢さと落ち着きをそのままに、注目を受けて胸を少しだけ張っていた。


二人は互いに短く目を合わせ、立会人の前で誓いの言葉を交わす。


来賓は穏やかな笑みを浮かべ、祝詞は神職の低い声で和やかに流れていく。


「これより、二人の契りを結ばん........。」


式典の囁きが通る。


巫女の鈴が低いところで三度鳴り、参列者からは小さな拍手が起こる。


子どものような無邪気な声から、年老いた隣席の御婦人のすすり泣きまで、会場は温かさで包まれていた。


だが、その安定はほんの些細な違和感によって、じわりと崩れ始める事になる。


「ん?」


とある"違和感"に隣の神職が眉を寄せる。


その一瞬に会場の空気が変わるのを誰もが感じた。


鳥のさえずりが一瞬止まり、遠くの常駐楽師が弦を軽く押さえて音を止める。


日差しはまだ変わらないのに、光の中に冷たい影が差したような感覚。


それは理屈では説明のつかない不穏だった。


式場のすぐ横にある巨大庭園の池の水面には木々や徽軫灯籠が映り込んでいる。


普段は光を反射するだけだが、水面が波立ち始めたのだ。


「水が......いや、そんなはずは.......。」


ある女中が震える声を洩らす。


だが言葉はそこで途切れた。


池から、低く唸るような音が聞こえ始めたのだ。


徐々にそれは太くなり、会場へと響き始めた。


それと同時に一本の影が伸びた。


そしてもう一本。


また一本。


またまた一本、また一本。


一本、一本、また一本と重なり、やがて大きくうねる身体の輪郭を成していく。


その時、誰もが目を見張った。


八つの頭がゆっくりと姿を現したのだ。


頭はそれぞれ独立しており、長い首を自在に伸縮させながら。参列者を覗き込む。


目は冷たく、鱗は光り、口元からは淡く蒸気のようなものが立ちこめる。


尾は水面から次々と出て来て地面を濡らしながら、式場に近づいて来た。


出席者の中からは悲鳴があがり、子供は母親の胸に顔をうずめる。


白間は勇敢にも参列者を守ろうと立ちはだかるが、蛇の一頭が身をくねらせて礼服の襟元をぬるりと這う。


「逃げてください!」


神職が声を張るが、出口は既に複数の胴で塞がれかけていた。


蛇の首それぞれが参列者の列を横断し、祭壇をぐるりと取り囲む。


空気が震え、誰かが床に膝をついた。


だが、この怪物は無造作に暴れるだけではなかった。


頭の一つが、稲羽の顔をじっと見下ろしたのだ。


それを目の当たりにした白間の呼吸が浅くなる。


「これは......!」


叫ぶ。


彼の手は震え、しかし目には必死の覚悟があった。


怪物の首は冷たく長く、短時間で剣や腕を無効化するほどの遠さを保つ。


怪物の狙いはもう明白だ。


「退けっ!」


それに気づいた一人の人型の姿をした妖怪の武士が抜刀し、怪物の首の一つを狙って斬りかかる。


刃は鱗をかすめるが、鱗は刃をはじいて火花のような飛沫が散るだけだった。


刃は歯に当たり、音だけが虚しく響く。


「ひっ.......」


その音に対して武士はひるみ、膝をつく。


ここでは力が通じないと、誰もが知る。


式場が戦場へと変わる時が来たのだ。


しかし、その場の誰もが諦めたわけではない。


白間は必死に稲羽の前に立ち、彼女を庇うように腕を広げる。


目の奥には燃えるような決意が宿り、「令嬢は渡さない」という静かな誓いが光る。


だが怪物の一頭がその誓いを嘲るかのように首を伸ばし、白間の邪魔をする。


その瞬間、式場の中心にいた人々の時間が止まったように感じた。


稲羽の瞳は怒りで赤く光り、白間の顔は蒼白だが揺るがない。


これはただの怪異ではない。


妖怪が祝福の場を飲み込もうとしている。


参列者は息を殺し、誰かが祈るように目を閉じた。


八つの頭がようやく全て現れた。


そう、それは......まさに八岐大蛇だったのだ。


 ◇ ◇ ◇ 


それは、ほんの些細な違和感から思い出した事だった。


まさか。


いや、そんなはずはない。


あの話はただの昔話、子供を脅かすための作り話のはずだ。


八つの頭を持つ大蛇が、人の娘を喰らう。


それは昔の絵巻や語り草の中の伝説であり、今は現れるものではない。


そう思いたかった。


けれども、どうしても脳裏から離れないのだ。


七人。


数が合いすぎている。


だって、大蛇に喰われたのも、確か七人の姉妹だったはずだから。


でも.......


アタシは首を振る。


認めたくなかった。


ただの偶然だと、自分に言い聞かせた。


だが、その瞬間.....背中を悪寒が這い上がる。


偶然だと片づけるには、あまりにも生々しすぎたのだ。


「まさか......」


脳裏に浮かんだ答えを否定したいのに、理屈が追いつかない。


恐怖が全てを上書きしていく。


気づいてしまった。


いや、気づきたくなかった。


七人の娘は、八岐大蛇に喰われた。


八つの頭。


七人を喰らって、満足するはずがない。


まだ一つ、足りない。


八つ目を満たすための、最後の娘。


次はアタシだ。


「っ......!」


喉が締め付けられるように痛んだ。


息が吸えない。


肺が酸素を拒む。


その時、アタシの名前が呼ばれた気がした。


家族か、あるいは......あの大蛇そのものか。


アタシは咄嗟に耳を塞いだ。


けれど、聞こえてしまう。


脳裏で反響する声。


『稲羽。お前だ。最後の一人はお前。』


「嫌......嫌ぁっ......!」


思わずアタシは小さく声に出してしまうくらいに恐怖を感じた。


目の前がぐらぐらと揺れて、視界がにじむ。


涙だ。


流したくなくても、勝手に溢れ始めてくる。


なんで......どうして......私が......!


心の中で必死に否定する。


七人の姉妹はもういない。


ならば、残された最後の一人.......アタシ自身が狙われるのは必然なのだ。


助けを求める声は、言葉は喉の方まで来ているのにそれ以上は上に上がらない。


声にならない。


その時、完全に運命がアタシを見捨てたように思えた。


 ◇ ◇ ◇ 


白間は自分の手の中の弱さを知りながらも、稲羽を守るために刃向かう決意を固めるが、白間は震えていた。


堂々とした姿勢を保とうとするその小さな体の奥で、臆病さがありありと見て取れた。


彼は式場の中央で、稲羽の隣に立ち、必死に周囲を睨みつける。


その睨みは、強さよりもむしろ必死さに近いが。


白間はその不器用な勇気を振り絞り、参列者を守ろうと必死だった。


「ここから、離れてください!下がってください!」


彼の声はか細くも、鋭さがある。


しかし、その言葉の後に黒い鱗に覆われた首が稲羽へと迫る。


稲羽の顔色がわずかに変わったのが、白間の目に入る。


彼は反射的に前に出て、稲羽の前に立ちはだかった。


「ボクが........ボクが守る!」


その言葉は震えに満ちていたが、真実だった。


だが、八つに分かれた頭のうちの一つが同時に白間と稲羽を狙い定める。


その威力は人妖の一人や二人すらもすぐに吹き飛ばすだろう。


その時、場の空気が音を失った。


刃物が引き抜かれるときのような静けさが訪れ、時間は一瞬だけゆっくりと流れた。


石畳を踏む足音が、屋敷の端から静かに、しかし確実に近づいてくる。


足音は重くも軽やかでもなく、むしろ「意思」を伴っていた。


妖怪の気配とは異なる種類の決意が、その歩みと共に迫る。


そう。


村丸が加勢に現れたのだ。


村丸は刀で首を斬りつけたが、斬れない。


しかし、狙いを二人から村丸に八岐大蛇が変えることは出来た。


(よし......!斬れなかったのは想定外だが......被害者が出る前に間に合った!!)


彼は簡素な装束に、ただ一本の刀を携えて立っていた。


「あの妖刀の持ち主の......?」


白間の声は震える。


稲羽の唇が、驚きと僅かな期待で震えた。


村丸はいつも通り何も言わなかった。


ただ、彼は短く息を整えて刀を改めて構えた。


持っているのはただ一本の刀。


妖刀・村正ではない、ごく普通の刀だ。


実は村丸はこの日を迎えるまでに、幾晩も刀を振った。


村丸は彼らを一歩下げさせ、自分をその盾にするように立つ。


(ふぅ......まだだ。慢心するのはまだ早い。)


村丸の視線は八岐大蛇の首に固定されていた。


八つの首が同時に襲いかかる。


村丸は全て間一髪で八つの首の同時の攻撃を避けたのだが、少しでも集中を途切れさせれば当たる可能性は倍以上に跳ね上がる。


そこから一人では到底勝てない相手だと村丸はすぐに察した。


稲羽と白間は、その背後で震える。


白間は今にも膝をつきそうな顔色だが、それでも必死に稲羽の前に腕を広げていた。


その姿を横目に村丸はとある"援軍"の影を確認すると、わずかに口角を上げた。


(......間に合ったか。)


その瞬間、上空から羽音と共に影が降り立った。


「おっと、一人でカッコつけすぎじゃないかー?」


先に声を上げたのは、黒い外套を翻す風切だった。


すぐ後ろからは、翼を広げて降り立つ風馬の姿。


「にしても.....やっぱり犯人はお前だったっスか.......。迷惑をかけやがって.......」


そして......人混みをかき分けて駆け込んできたのは、れとろ。


首から提げた撮影機が、戦場のような空気の中ではやけに異質だ。


しかし、彼女の眼は鋭く、記者というよりも狩人のようだった。


「証拠はしっかり残さないとね。」


その時、参列者の中からどよめきが広がった。


人々は後ずさりし、しかし好奇心と恐怖が入り混じった視線で四人を見つめた。


白間と稲羽を背に、村丸、風切、風馬、れとろ......四人が八岐大蛇の前に並び立つ。


その四人を見た八岐大蛇の八つの首が、それぞれ異なる方向から唸り声を上げた。


その唸り声の重さに、地面が少しひび割れた。


「......此奴、さっきよりも怒ってるな。だが、俺らは勝つぞ。」


風切が低く呟く。


「当然っスよ。兄者。何としてでも........。」


その言葉達を聞いた村丸は無言で頷く。


「よーし頑張ろー!!」


れとろは元気よく桶を上に持ち上げる。


(絶対に勝つ。)


次の瞬間、八岐大蛇の一つの首が地を薙ぐように迫る。


四人は一斉に動いた。


れとろを先頭にして。

<村正逸話>


前回の最後に村丸、風切、地雲、れとろ、風馬が集まった後、各々が集めてきた情報を持ち寄って犯人の特定を進めていました。


そしてその結論となる犯人は.......伝承に名高き八岐大蛇。


更に、八岐大蛇が狙っているのは令嬢だと思うと同時に"婚儀の日に襲撃してくる"と推測した五人(+寝子)は迫る婚儀の日を前にそれぞれの備えに入ったのです。

(そのうち、村丸と風切は来るべき日に向けて修行をしたのですが......その様子は次回の幕間にて。)

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