< 二十六 > 狂愛者(ヤンデレ)
廃屋の囲炉裏にくべた火が、まだ音を立てて燃えていた。
火の温もりはあるが、山の夜気はすでに重い。
風切は扇子を広げて火の熱を軽く遮り、何の前触れもなく呟いた。
「まあ、でもなあ......」
風馬と村丸が、同時に顔を向ける。
風切は続けた。
「正直言って.......村丸がこの任務に参加してるって時点で、色んな意味で綱渡り状態だよな。」
(......どういう意味だ?)
村丸が首を傾げて見せる。
風切はそれを見て、気怠そうに笑った。
「何って......お前忘れたのか?お前、今"お尋ね者"だぞ?しかも、ただの人間じゃねえ。"妖刀・村正"を携えた、外道丸に追われてる奴。」
風馬がその言葉を聞いた瞬間、動きを止めた。
(あー、そうだったな。忘れていた。さっきまで追われていたし......)
まるで時間が凍ったような静寂が部屋に染み付いた。
囲炉裏の火花だけが静かに跳ねていた。
「......兄者?」
「ん?なに?」
風馬の口調が、明らかに硬化する。
「いま......"村正"って、言いましたか?」
「言ったよ?」
「え......ええええええええええっっっ!?!?!?」
風馬はその場で跳ね上がった。
背中の羽がバッと広がり、思わず身構えるほどの反応だった。
「待って待って待って!?"村正"って、あの!?妖刀中の妖刀!?数百年に渡って妖世に災いをもたらし、最終的には"人の器"に取り憑いて現世に逃げた、あの......あの"村正"っスか!!?」
「うん。そう」
「そうってなにが"そう"なんスか!?」
「いやだって、事実だし。むしろ持っている本人は目の前にいるし」
風切は扇子で火を仰ぎながら、当の本人(村丸)を親指で示した。
「う、うわあああああ!?こ、こいつが!?この寡黙そうな、地味で気だるげな青年が!?妖刀を持ってる!?正気ですか兄者!!」
(この鴉天狗共五月蠅いな。)
そして村丸は苦笑いを浮かべながら二人を見つめる。
「落ち着け風馬。村正は暫く暴れねえだろうから。少なくとも、数十分前よりはマシになった。」
風切は涼しい顔であくびをかみ殺す。
「数十分前になんかあったんですか!?」
「家を半壊させられたな。」
「暴れてるじゃないですかァァァァ!!」
風馬は地面に手をついて、羽を縮めた。
顔色が若干青白くなっている。
無理もない。
若い鴉天狗にとって、"村正"は絵巻の中にある伝説級の呪物だ。
(本当に五月蠅いな......)
村丸は溜息をつきながら二人を見つめていた。
「いやいや......待って......村正って.......確か......取り憑かれたら"人格消失"の可能性があるんですよね?それが今、普通に人間の顔してるって、どんな状況なんスか!?」
風切は扇子をパチンと閉じた。
「そこの所は、まあ......一言で言えば、"共存中"。魂の部屋を共有してる感じ?かな?」
『......言い方悪すぎる。』
村丸が札で突っ込むが、風馬はそれどころではない。
「共存って、そんな簡単に言えます!?妖刀って、そもそも単なる武器じゃなくて、"意志そのもの"じゃないんスか!?」
「おお、説明できるじゃん風馬。さすが真面目な書物読んで育った鴉天狗。」
「褒めてる場合じゃないです兄者!!」
風馬は村丸のほうにおそるおそる向き直った。
「......す、すみません。失礼ですが........ど、どれくらい"乗っ取られてる"んスか?」
村丸はしばらく黙っていた。やがて、静かに札を取り出す。
『正直、たまに境目が曖昧になる。』
。
「それ、こえぇっスよ......」
震えたような風馬の言葉に風切が腕を組み、やや真面目な声で口を開いた。
「風馬。お前の驚きはわかる。だがな、こいつは"ただの災厄"じゃない。今は"災厄と向き合おうとしている者"だ。」
「向き合う......?」
「村正の力は本物だ。だが.....その力を"否定せず、飲まれず、背負おうとしてる"奴なんだよ、村丸は。俺が見てきた中でも、かなり芯がある。」
風馬は口を閉じたまま、村丸を見つめる。
その目にはまだ警戒が残っていたが、徐々に理性が戻ってくる。
風切が、じっと見据えるように言った。
「お前が今この場で"任務を一緒にやれるかどうか"を決める必要はねえ。だが、村正を理由に距離を取るなら........今ここで言え。」
そして数十秒くらい沈黙が続いただろうか。
やがて、風馬は静かに口を開いた。
「......兄者が信じるなら........俺も信じてみます。」
村丸が少しだけ目を見開いた。
風馬は顔を伏せ、手を組みながら続ける。
「ただし......もしも、ほんの一瞬でも"村正の刃"が俺たちに向いたら、その瞬間に俺は全力で止めに入るっス。」
村丸は頷いた。
『それでいい。......そのくらいの覚悟が、ちょうどいい』
その筆談の言葉と同時に火花がまた一つ飛んだ。
その時だった。
玄関の戸が、勢いよく開いた。
「兄者、誰かが.......」
風馬が身を起こしかけたその瞬間、外から駆け込んでくる一つの少女の影。
床を乱暴に踏み鳴らしながら、小柄な身体が滑り込んでくる。
容姿は巫女服のような衣装は泥にまみれ、二つ結びの髪は少し乱れていた。
けれど目は大きく、ぎらつくように光っていた。
彼女は人間だ。
だが、その瞳の"光"はあまりに濁っていた。
それが、れとろの姿だった。
「やっと......見つけた......」
息を荒げながら、れとろは戸口に立ち尽くす。
その顔は安堵と興奮と、どこか壊れたような喜びに満ちていた。
「ずっと......ずぅぅっと......探してたんだよ、風切君、でしょ?あなたがそう、風切......ね?」
目が定まらない。
だが、声は確かに風切を呼んでいる。
それは確認というより"確信を押し付けている"ような声音だった。
風切が眉を寄せる。
「......誰だ、お前は。」
その瞬間、れとろが一気に駆け出した。
空気が裂けるような勢いで、一直線に風切の元へ向かう。
だが敵意はない。
むしろ......好いていると言えるだろう。
「私!れとろって言います!人間で、普通で、全然大したことないけど、貴方達の事、私は全部知ってるからね!」
喋りながら、その顔は異様に笑っていた。
頬が赤く、目は爛々と輝き、動きが滑らかすぎて逆に不気味だった。
風馬がさっと風切の前に立ち、肩でれとろを止める。
「離れてください。そもそも貴方、何者なんスか。いきなり家に兄者の突撃してきて。どうやって特定したんスか.......?」
「だ、か、ら!れ、と、ろ!れとろってば!」
「ちょっと!問いに答えてくださいっス!」
れとろは腕を広げ、両手を振る。
二つ結びの髪が両方とも揺れ、そこに一瞬だけ金属の鈍い匂いが混ざる。
風切は目を細めた。
殺気はない。
だが、決して"普通"ではない。
「で、何の用だ。俺たちに用があるって顔だな」
「あ、そうそう!私は味方だよ!だってさ、妖世を守らなきゃいけないんでしょ?知ってる知ってる!稲羽さんと白真さんが結婚するって話も、全部聞いてるもん!」
図星だった。
(地獄耳だ.....この女......)
「それは......何処で聞いた?」
風切は重々しく口を開く。
「ねえ、君って.......風馬君から兄者って呼ばれてるよね?かっこいいよねぇ......背中の羽根が素敵......」
「話を聞け!!」
れとろのゾクリとするような笑み。
それを間近で見た風馬は小さく喉を鳴らす。
「兄者。コイツ、普通じゃありません。なにかがおかしい」
村丸はまだ何も言っていなかった。
れとろは、ふいにそちらに視線を向ける。
それまで風切と風馬を一心に見ていた彼女の目が......すぐに変わり、れとろの顔から笑顔が消えた。
風切と風馬が無言のまま見守る中、れとろは村丸の前にゆっくりと歩み寄る。
一歩、また一歩。
まるで重力を無視するような動き。
やがて、村丸のすぐ前で止まった。
そして。
「......貴方が、殺したのね。」
ぽつりと、言った。
村丸の眉がわずかに動く。
(まさか......あの神社での惨劇を......?)
『なにを、だ』
そして綴無帳を差し出す。
れとろはそれを見るなり、笑った。
「寝子さんを......私の寝子さんを......殺したのは......貴方。」
その言葉に、空気が震えた。
(へ?)
「私、見たんだよ。あの夜。寝子さんが貴方に殺される夢を。いや......夢じゃなかった。絶対、本当のことだった。」
(ああ、そっちか。でも.......何処から見ていた......?殺したのは本当だが、あの後再生したはず......)
『寝子は生きてる。』
「ううん.......、違う........。今生きてるように........見せかけてるだけで......本当はあの日........貴方に首を切り裂かれて、ぐちゃぐちゃにされたの。私、知ってる。」
れとろの目が、燃えるような妄信に染まっていた。
「貴方は.......村正なんでしょ?妖刀でしょ?だったら......"斬った"のよ。私の、大切な、大切な......!」
風馬が身構える。
「兄者、こいつ危険です。色々と精神が逸脱してる。」
「......だな。妖怪への執着が極まってる人間、か。確か新聞記者の奴にそんな奴が居ると聞いた事がある気も......しなくもない。」
村丸は何も言わなかった。
ただ静かに筆を動かす。
『........寝子には何もしていない。』
れとろの頬がぴくりと動いた。
隙が出来た。
次の瞬間。
風切の扇子が、れとろの手首を軽く打った。
「はいはい待て待て。ここは"復讐劇場"じゃねえ。暴れるなら外でやれ。妖怪狂愛者。」
れとろは一瞬、瞳を見開いたまま止まった。
だが、次の瞬間、地面に膝をついて笑った。
その笑いは、壊れかけた機械のように、少しずつ高く、狂った音を立てていた。
「......うふふふ......ふふふふふふふふふ......ねぇ、風切君.......私って仲間だよね?」
風切は真顔でため息をついた。
「......いや、お前まだ、仲間入りしてねえだろ」
<村正逸話#30>
れとろはその名の通り、世の移ろいに逆らうように古き良き時代の品々を愛でる事が好きです。
特に古い蓄音機から奏でられる雅やかな音色や、木製の撮影機に映るぼんやりとした写りに心惹かれるらしく、何時も持っている撮影機は新聞記者としては欠かせない宝物の一つです。
(職業病(?)故に、妖怪の盗撮未遂をして数週間前に職質を受けた。)
生前はもっと現代的な物が好きだったらしく、死んで寝子に出会ってから趣味や嗜好が変化したと思われます。




