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村正 ~剣豪Mの英雄義賊剣譚~  作者: I嬢
婚儀ノ章 < 上 >
31/90

< 幕間 > 人間令息と妖怪令嬢

 ◇ ◇ ◇


妖怪新聞の連中が屋敷の門前に押し寄せてきたのは、つい先日の"式場付近の河川の氾濫"の影響がようやく収まりかけた、ある静かな朝のことだった。


「おや、あれが令息殿かね?」


「髪で目を隠しているのは、隠者としての美徳か、それとも......」


わらわらと押し寄せてくるのは、「夜行新報」「百鬼瓦版」など、妖怪社会で名の知れた新聞社ばかりだった。


いずれも事実よりも"話題"を優先する、いわゆる"妖怪的報道機関"である。


最新撮影機の音が鳴るたびに、妖怪記者たちの爪の先のような視線が、ボクの顔へと集中する。


先日起きた"式場付近の河川の氾濫"。


その顛末を説明するため、ボクは急遽妖怪記者たちの前に立つことになった。


「なるほど、つまり.....」


「令息本人としてはどうお感じで?」


「稲羽様はどう反応されていたのか、詳しく教えていただけますかな!」


眼鏡をかけた鴉天狗の記者、長い舌でメモ帳をめくるぬらりひょんの記者、猫のように首をかしげる妖狐の記者......それぞれ異なる種族だが、皆同じ熱を持っていた。


好奇と「ネタ」への飢え。


「......ボクの見解では、河川の氾濫に関しては確かに干渉によるものでした。ただ、それがどこから、誰によって放たれたのかは現時点では断定できません」


できるだけ冷静に、静かに、丁寧に。


この声が震えたりしたら、彼らはすぐに嗅ぎつける。


令息の弱さを。


だからボクは目を隠す前髪の下で、息を整えながら話し続けた。


「稲羽様は......いえ、稲羽家に影響はありませんでした。......彼女は、とても、強い方です」


ふと、記者たちが一瞬だけ沈黙した。


その刹那、誰かのペン先が小さく紙を破いた音がして、ボクはようやく、記者会見の終わりを感じた。


「お時間をいただき、ありがとうございました。これ以上の情報は、後日屋敷より正式に発表いたします」


深く一礼し、背筋を伸ばして振り返る。


拍手も、喝采もない。


ただ、無音と、好奇の熱だけが背中を焼いてくる。


それでも、ボクは令息としての役目を、きちんと果たしたはずだ。


 ◇ ◇ ◇


「......うぅ」


部屋の扉を閉めた途端、ボクの肩から力が抜ける。


膝が震えて、思わずドアの前でその場にへたり込んだ。


怖かった......こわかった......!!


ぬらりひょんの記者さんの目、ぜったい見えてたよね、ボクの震え......!


うぅ、狐の記者さん、尾っぽふりふりしながら質問してくるの、ずるいよぅ......ボク、答えづらくて仕方なかったよぅ......!


「ぅ、うぇ......っ........い、稲羽様......!」


そう。


ボクの幼馴染......あの凛とした令嬢。


稲羽様や一部の従者以外にはこんな情けない姿、絶対見せられない。


だって、昔からずっと一緒だったから。


お飯事でも、庭の隠れん坊でも、剣の稽古でも。


全部、全部彼女のほうが上手だった。


それでも、ボクなりに彼女の隣を歩きたくて。


必死で勉強して、礼儀作法も学んで......それなのに。


「......洗脳、未遂......」


婚約が決まった数年前に起きた洗脳未遂事件。


あの日、確かに"声"が聞こえたんだ。


甘く、柔らかで、ボクの中の「何か」を撫でるような。


気づけば足が動いていた。


瞳が虚ろになっていた。


意識が溶けて、彼女を忘れそうになっていた。


その時、彼女がボクの手を掴んでくれた。


まっすぐな瞳で、言ってくれた。


『駄目。貴方はアタシの夫なのだから。』


......そんなの、もう、惚れ直すしかないじゃないか......


「はぁああああぁぁぁっっ......稲羽様ぁぁ......っっ......」


ボクはふわふわの枕に顔を埋め、掛け布団を頭まで被り、叫び声にならない悲鳴を枕に押しつける。


「なんでボク......こんなにヘタレなんだろ......令息なのに......えっ、ボクこれから屋敷守れるの......?やだ、怖い......!」


そして最近、立て続けに起きている不可解な事件により、両家の屋敷の防衛陣が再調整されることになった。


ということは.....


「お化け系妖怪......く、来るかも......」


怖い。


怖すぎる。


いつからだろう、令嬢以外の妖怪が怖くなったのは。


「ううう、ああいうの、ぜったい来ちゃ駄目......っ」


だけど。


そんなボクを見捨てずに隣に立ってくれる彼女の姿が、何度も思い浮かぶ。


『貴方の"弱さ"を知ってるから、アタシは支えたいと思ってる。』


それでも、こんなオドオドで頼りないボクに、彼女が言ってくれるんだ。


だったらせめてこの屋敷では、ボクなりに彼女を支える側に立ちたい。


「ううう......が、がんばるもん......」


涙目で決意し、布団から顔を出す。


窓の外には、薄曇りの空。


もうすぐ夜が来る。


屋敷の中は静かで、廊下からは従者の足音も聞こえない。


だから、今が一番安全な時間だ。


「い、稲羽様......ボク、がんばるよ......。少しずつでいいから......ちゃんと、守れる令息になるから......!」


拳をぎゅっと握る。


その手は少し震えていたけれど、それでもボクは布団から出て、部屋の外へと一歩を踏み出す。


でもすぐに引き返した。


妖怪が怖いから。


 ◇ ◇ ◇


大人しくしなきゃ。


あたたかな陽の光が窓越しに差し込む応接間。


アタシは兎耳をピンと立てて会見に臨むとしよう。


机には取材用の巻物や筆が整然と並び、その向こうには妖怪新聞の記者たちが揃って座っていた。


見慣れた光景。


呆れるほど見慣れた光景だ。


羽音を立てぬよう翼を畳んだ天狗、着物の裾を水で濡らしながらも平然と笑う河童、そして人の形をしていても目が金色に光る女郎蜘蛛の女。


どれも癖の強い連中だ。


だけどアタシは背筋をすっと伸ばし、口元にかすかな微笑みを浮かべた。


「申し訳ありません。......姉の失踪については、まだ詳しいことは分かりませんの。」


声の調子を低く、落ち着かせる。


柔らかな物腰にはっきりとした発音。


それは母に仕込まれた"貴族の令嬢”の声だ。


こういう時、少しでも感情を見せると記者たちは獲物の匂いを嗅ぎ取ってしまう。


全く。


何で妖怪達は勘がいいのかしら。


垢嘗が巻物をくるくると回しながら首を傾げた。


「目撃者の証言では、令嬢様の姉君は屋敷を出られたきり......夜明け前には姿が消えていたとか。」


「ええ、確かに。あの日の夜は少し冷えていました。姉は薄着で、外套も持っていなかったのです......」


自分の膝の上で、手をきゅっと重ねる。


悲しみをこらえているように見えるポーズ。


でも.....泣いたって、姉は帰ってこない。


内心ではもうこんな芝居は何百回もやってきたと笑いたくなる。


彼らは互いに目配せをし、巻物にさらさらと記録を書きつける。


筆の音だけが響く静かな間。


やがて河童が、少しだけ同情するような目を向けてきた。


「家族の中で、残っている女性は......」


アタシは小さく息を吸い、落ち着いた声で答えた。


「......今は"私"だけですわ。」


その瞬間、空気が少し重くなるのが分かった。


誰もが、そこに含まれる意味を察したのだろう。


身内の女はもうアタシだけ。


父は現世に出張、姉妹も居ない、兄弟も、母も居ない。


正に女に関しては呪われた一族だ。


いいなぁ。


私も現世に行ってみたいなぁ。


昔、ばあやに綺麗な所だって聞いた。


でも、父さんは「危険だから」の一点張り。


連絡は途絶えていないけれど、父さんは帰ってこれないらしい。


だからは血筋も、この屋敷の名も、アタシ一人に懸かっているということだ。


どれだけ従者が居ようが血筋を継ぐことは出来ない。


記者たちは礼儀正しく頭を下げ、取材の礼を述べてから帰っていった。


玄関先で下足番が扉を閉め、外の喧騒が遠ざかる。


 ◇ ◇ ◇


ふぅっっ......やっと行った!


アタシは座布団に座って、着物の裾を気にもせずに足を組む。


つま先で畳をこすりながら、肩をぐるぐる回す。


あーもう、貴族の令嬢って本当、肩こるわね!!全く!


"悲しみをこらえてます”って顔、何分やったと思ってるのよ......


あの鴉天狗のジジイ、絶対記事でアタシを"儚げ”とか書くつもりでしょ。


やだやだ。


湯呑に残った緑茶をぐいっと飲み干す。


お行儀悪いって?


うるさいわね。


今はアタシの部屋じゃないけど、記者がいない時点でアタシの空間みたいなもんよ。


姉さんがいなくなってから、もう何日?


いや、数えてないわけじゃないけど。


でも......正直言って数えたくもない。


あの夜のことは、今でも頭から離れない。


月明かりに照らされた庭園で姉さんを見た。


あれが、最後の背中。


「......あの時、追いかければよかった」


口に出しても、すぐに後悔する。


追いかけたら、アタシまでいなくなってたかもしれない。


もしくは"消されてた"気がする。


姉さんの部屋は今もそのまま残してある。


机の上には開きかけの手紙、読みかけの小説。


そして何より、姉さんが大切にしていた引き出しの奥に隠された硝子細工の兎。


「姉さん、どこに行ったのよ......」


誰に聞いても、返事なんか返ってこない。


屋敷の使用人も、護衛も、みんな「分かりません」の一点張りだ。


ふざけないでほしい。


あんなに目立つ人間が、煙みたいに消えるわけないじゃない。


アタシは立ち上がって、縁側に繋がる襖を開けた。


庭園の奥、姉さんが消えたあの辺りを見下ろす。


あの夜は.....薄く霧が立ち込めてた。


そう、アタシは知ってる。


だってアタシも感じたから。


胸の奥に、ぞわっと這い上がるような寒気。


背後で誰かが笑っているような気配。


「姉さん......置いていったでしょ、アタシのこと。」


口元が自然と吊り上がる。


強がって笑ってないと、何かに飲み込まれそうになるから。


身内の女はもうアタシだけ。


だから、泣いてる暇なんてないのよ。


表向きはおしとやかな令嬢?


そんなのは本で言えば表紙みたいなもんだ。


姉さんに関して誰も調べる事をしないのならば、自分で調べる女だ。


姉さんを.....そして、あの夜の真相を。

<村正逸話#29>


令嬢(稲羽) ↪ 令息(白間)


幼い頃から令息の穏やかさと優しさを知っており、「頼りない人間令息」と茶化すこともあるが、それは愛情の裏返し。


本当は危うさ故に守ってやりたいと強く思っている。


令息が人前で真面目に振る舞う姿も好きだが、屋敷に戻ったときの臆病でオドオドした様子も「めちゃくちゃ可愛いし国宝級の尊さ」と感じている。


ただし、恋心を直接言葉にするのは絶対に負けた気がするので、素直に口には出さない。


令息(白間) ↪ 令嬢(稲羽)


幼馴染として長い時間を共に過ごし、令嬢の強気でおてんばな性格も、表向きのおしとやかな態度も、全て受け入れている様子。


一方で、自分が彼女を守るには力不足だと思い込んでいる為、最近の事件も相まって距離を置きがち。


恋心をはっきり自覚しているが、「こんな自分じゃ迷惑になるかもしれない」と思っているため、あと一歩を踏み出せない。


結論:政略結婚だが、現在は両片思い状態。

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