< 十九 > 紫電一閃
(いつの間にか.......夢の記憶に浸っていた.......そうだ!戦い......誰が......誰が戦況を繋いでいる.......?まさか....風切か?)
ようやく片目が開く。
霞んだ視界に、光のようなものが交錯するのが見えた。
何かの奔流が、黒煙の中を引き裂くように走っている。
その中心に、確かに風切がいた。
「そこを退け、風切。」
黒い影の中から声が響いた。
それは獣のように低く、聞くだけで全身を蝕むような邪気を孕んでいた。
「退かない。」
風切が言った。
息がかなり荒い。
黒い液体が口元から流れている。
「俺が退けば、村丸は死ぬ。....それだけの話だ」
「では死ね」
その瞬間、風切が羽を広げ、最後の力で巨大な風の障壁を展開した。
空気が震え、大地が抉れるほどの圧が弾ける。
だがそれでも、相手の攻撃は止まらない。
(やめろ....!動け、俺!このままじゃ....)
必死に体に力を入れる。
だが、動けない。
指一本動かせない。
だが、心は焦りと怒りと、どうしようもない無力感で焼かれていた。
(風切は....死ぬつもりだ。あいつは....!)
視界がぐらつく。
風切の姿がぼやけていく。
だが、確かに見えた。
まるで......それは盾だった。
「....村丸。聞こえてるんだろ。頼む......速く援護してくれ....」
(....っ!)
その声に、村丸の中で何かが切れた。
魂の奥から力が湧き上がる。
痛みと共に。
(立て....立て....!あいつは、誰の為にあの怪物を食い止めていると思っている....!)
その瞬間、村丸は体を跳ね起こした。
足元がぐらつく。
それでも、視界が定まらなくても、前に進んだ。
叫びと同時に、村丸は刀を振るった。
"寝子"が振り返るより早く、村丸の刀が顎を捉えた。
乾いた音が響いた。
黒影が吹き飛び、地に叩きつけられる。
地面が抉れ、煙が舞い上がった。
風切がゆっくりと顔を上げた。
その目に、村丸の姿が映る。
「....起きたか。遅ぇよ」
村丸は無言でうなずいた。
風切の体はもう限界だった。
それでも、彼は笑った。
(....馬鹿野郎。なんで、そこまで....)
「お帰り。」
風切はそう言うと村丸の後ろに回った。
(逃げる速度速いな......。)
そんな事は置いておいて筆談で寝子に話しかけた。
村丸は静かに、しかし殺気を滲ませて文字を記した。
『......まずはお前を潰す。カスが。』
だが、村丸の目にはもう迷いはなかった。
以前の彼とは、もはや違う。
音もなく跳躍し、書棚の上に降り立ち、寝子との距離を一気に詰める。
床に散らばった文庫本が、彼の速度に驚いたように宙を舞う。
(「もっと速く。重心を落とせ。踏み込みは捻りで殺せ。力で押すな、流せ」。)
それは父の声だった。
幼き日の、あの夏の稽古。
それを心の中で言い聞かせながら戦う事にしたのだ。
(「速さは"意志"で生まれる。迷うな。信じろ。先に動いたほうが勝つ」。)
その心は、怒りと覚悟で満ちていた。
(風切が守った、この命の存在を証明しなきゃいけねぇ)
寝子の尾が逆立ち、指先が鈍く光る。
反射的に村丸は距離を取る。
(やっと....牙を出したか。猫。)
その瞬間、村丸の口元がわずかに笑った。
追い詰める。
だが殺さない。
心を砕き、魂を縛れ。
(「力は使うな。見抜け。心の芯を」。)
村丸の足が床を蹴る。
瞬間移動のごとき踏破。
寝子が後ずさる。
が、足がもつれて転倒した。
肩で息をしながら、それでも立ち上がろうとする。
「な、何が起きているんだ.....?」
それは哀しみに満ちた問いだった。
その刀が振り下ろされる寸前、寝子の体が反射的に動く。
(いい目になったな、寝子.....いや.....怨霊か。)
刀が鋭く寝子の肩を掠め、寝子がよろけながらも反撃の構えを取る。
猫目堂書房の天井が一部崩れ、月の光が差し込んだ。
村丸の姿がその光の中に浮かぶ。
まるで影のように、そして風のように。
その目には、燃えるような決意があった。
「面白い。覚醒したか。」
(風切。父上。見ててください。.......もう、迷わない。誰一人。どんな罪を犯したとしても........この状況の寝子を放っておけば被害が広がるのは確実......だとすれば......殺すしかない。寝子も......まとめて.......)
息は荒く、指先が微かに震えている。
覚醒はしている。
だが、その力を制御しきれていない。
体が追いついていないのだ。
(速い。力もある....でも、重い。動きが、雑だ。)
村丸は小さく舌打ちをした。
寝子は目の前、距離にして六歩。
だが、その六歩が果てしなく遠く感じた。
向かい合う寝子は、汗を額ににじませ、肩で息をしている。
猫耳はピクリとも動かず、全神経を村丸に向けていた。
「........本当に、変わったな。....こんなふうに追い詰めてくるなんて思わなかった」
村丸は返事をしなかった。
寝子の言葉は、責めているようでいて、どこか嬉しそうでもあった。
(....躊躇うな。迷えば遅れる。)
だが心は、逆に迷いを増していた。
あの日、父に言われた。
この力をどう使うか。
どこまで踏み込むか。
躊躇いがある限り、技は鈍る。
村丸は一歩を踏み出した。
床がギシリと軋む。
寝子の体が微かに揺れた。
反射的に退こうとする.......その先を読んで、村丸は斜め上から飛び込む。
だが、着地が雑だった。
右足が滑り、勢いを殺しきれずにバランスを崩す。
(まずい......!)
そこで寝子が好機とばかりに飛び退いた。
本棚を蹴って高く跳躍し、上段から爪を振り下ろす。
村丸は反射的に刀を上げて防御。
だが受け止めた瞬間、強い衝撃が腕に伝わった。
鈍い音が響く。
村丸が後ろへ吹き飛ばされ、本棚に背中を打ちつける。
紙の雪崩が音を立てて崩れ落ちる。
寝子は着地した瞬間、追撃に入った。
鋭く絞られた猫の動き。
迷いがない。
対して村丸は、崩れた紙の中から半身を起こし、強引に身を翻す。
体勢を崩したまま刀を振る。
体勢が甘い。
「....っ!」
寝子が横に飛び退く。
本棚が一瞬遅れて、少し砕けた。
威力だけはある。
制御できていないだけで、今の一撃でもまともに当たれば骨は砕ける。
村丸は床に手をつき、立ち上がる。
息が切れていた。
まだ呼吸がしっかり合っていない。
だが目の奥には、消えない灯火があった。
「なんでそこまでして、俺を......?風切の命を背負ったから?それだけ?」
寝子の問いに村丸は首を横に振った。
そして村丸は再び跳び込む。
今度は直線ではなく、半円を描くように寝子の周囲を駆け回る。
足の運びが雑で、時折寝子が飛ばしてくる紙くずに滑りながらも、それでもスピードはある。
寝子が追いつけない。
圧倒するわけじゃない。
ただ確実に余裕を奪っていく。
間合いが崩れ、呼吸が乱れ、焦りが滲む。
それでも寝子は爪を振るう。
獣のように本能的に、目を閉じながら。
村丸の袖が裂けた。
肩に浅く傷が入る。
だが止まらない。
(痛みは気づきの代償だ。止まるな。)
真正面から再び跳び込む。
寝子が咄嗟に防御の構えを取る。
その瞬間、村丸の体が崩れた。
いや、崩れたのではない。
捻ったのだ。
父から教わった、未熟ながらも唯一自分の体に染み込んでいた重心ずらし。
右肘から放たれたその一撃は、寝子の肩を掠めて........吹き飛ばした。
書棚を二つなぎ倒し、寝子の体が巻き込まれるように崩れ落ちた。
息が止まったような静寂。
紙の山から、寝子がゆっくりと這い出してくる。
服は破れ、片目は腫れ、尻尾は地面に引きずられていた。
だが、それでも立ち上がろうとする。
村丸もまた、足を引きずりながら前へと進んだ。
その足取りはぎこちなく、どこか危うい。
だが、確実だった。
猫目堂書房の中に、本の落ちる音さえ響かない。
月明かりが斜めに差し込むその空間に、二人の影だけが残されていた。
村丸は、拳を掲げたまま一歩を踏み出す。息は荒く、血が口の端から滴っている。
寝子は、崩れた紙の山からゆっくりと立ち上がっていた。
肩は大きく揺れ、足は震え、額から垂れた血が目元を赤く染めていた。
だがその目だけは、まだ死んでいなかった。
「まだ動けるなら........本気で来い」
「....本気で?」
寝子がクスリと笑った。
その笑みは、どこか痛々しい。諦めたようでいて、まだ何かを捨てきれていない笑顔。
「じゃあ.......後悔するなよ?」
その瞬間、寝子の姿が消えた。
風も音もなかった。ただ、一気に視界から消えたのだ。
(速い!)
次の瞬間、村丸の右側から強烈な衝撃が走る。視界が跳ね、壁がぐしゃりと歪む。肩を蹴り上げられた。
姿が、どこにもない。
(上か.......!)
上段から爪が振り下ろされる。村丸が腕で防いだ瞬間、爪が布を裂き、皮膚を浅く抉る。
「ッ!」
村丸が跳び退くと、寝子はすでに反対側に着地していた。
(あれは....術じゃない。その場その場の衝動そのものだ)
村丸は肩を落としたまま、息を整える。
寝子の体からは湯気のような妖気が立ち上っていた。
抑え込んでいた力が、枷を外されたように暴れ出している。
村丸はゆっくりと構えを取る。
(寝子......やはりお前.......今まで出していた力は全て余裕からの行動だったか。)
寝子が低く唸った。
「愚かだ。本当に。」
その声と同時に、床が波打つ。板張りだった床が、本の背表紙で埋め尽くされてゆく。本が床を覆い、まるで海面のように村丸の足元を揺らした。
だが、彼の足は沈まない。
村正が静かに震え、微かな血色を帯びていた。その波動が足元の本を弾き飛ばし、村丸の進むべき道を照らしていた。
「おや?」
寝子の声が少しだけ驚きを含んだ。
本棚が揺れた。左右から、巨大な書架がギィギィと音を立てて動き出す。まるで怪物の顎のように、村丸を両側から挟み潰そうと迫る。
だが、その瞬間......村丸の姿がかき消えた。
刹那の気配の揺れ。風が走り、村丸のいた場所にあった本棚同士が、轟音と共に激突した。だが彼はもう、そこにはいなかった。
「.......消えた。」
すると、本がざわめいた。
大量の本が、渦を巻くように彼を襲う。
本の海が爆ぜ、背表紙が鱗のように重なり、獰猛な龍の姿となって天井へと飛翔する。
黒い紙龍がうねる。
ページの断末魔が耳を裂き、言葉にならぬ古語が叫ばれる。
しかし、村丸はその全てを受け流すように斬った。
斬って、逸らし、避け、叩き落とす。
ただ正確に、本の群れの中心を断ち切る。
本の海の波頭が跳ね、寝子の顔が浮かんだ。
次の瞬間には天井から吊るされた古書の束が、村丸の背を狙って落ちる。
しかし、それすら村丸は察していた。
村正が光を走らせ、空中の束を裂いた。紙が舞う。真っ黒なインクが血のように飛び散り、文字が空間に貼りついて、呻いた。
「怖いの?」
寝子の声が、再び囁く。
「人を喰らった本の怨念。人を欺いた契約書。生きたまま綴られた日記。……お前は、それを斬っている。」
(.......知るか。)
寝子の力もまた、暴走に近い。
計算などない。
研ぎ澄まされた本能が、体を突き動かしている。
だからこそ、読めない。
(それが.....何処か面白く感じてしまう自分が居る......)
村丸は咄嗟に右膝を突き上げる。
それは寝子の腹に直撃した。
体が弾けるように吹き飛び、背中から書棚に突っ込む。
本が雪崩のように崩れ、寝子の姿が見えなくなる。
埃がゆらゆらと空中に漂う。
村丸は拳を握ったまま、動かずにいた。
(終わったか....?)
次の瞬間、何かが軋む音。
書棚の下から、ゆっくりと寝子が立ち上がってきた。
足元はふらつき、右腕は脱力して下がっている。
口元から血が垂れていた。
それでも立つ。
(まだか......!......なら........!)
最後の一撃。
拙くても、荒くても、制御できなくても。
村丸は迎え撃つように、一歩を踏み出した。
村丸の息が荒くなっていた。
目の前には、倒れかけながらもなお立ち向かってくる寝子の姿があった。
いや、もうそれは「寝子」ではなかった。
目は濁り、唇は真っ黒に染まり、声ももう人のものではない。
動きだけは鋭く、そして不気味に滑らかだった。
(....もう限界だ。だけど、やらなきゃならねえ)
村丸は拳をゆっくりと開いた。
代わりに、腰に差した刀を握る。
これを使わなければ"猫目堂書房の店主の二十桜寝子"は救えない。
その瞬間、寝子の体が跳躍した。
この怨霊から寝子を解放するには、急所である首を斬るしかない。
それに気づいた村丸はまっすぐに喉を狙う。
紫の光が村丸の髪の毛の色と共に一瞬揺らめいて光る.......。
紫電一閃。
風のような動きで刀を抜き、一瞬の斬撃が闇を切り裂いた。
音すら追いつかない。
村丸の姿が寝子の背後に移った。
寝子の体がふわりと宙に浮いたように見えた。
次の瞬間、首が落ちた。
パサリと、本の上に転がる寝子の頭部。
その顔は、恐怖でも怒りでもなく、どこか安堵のような表情を浮かべていた。
だが、血は流れなかった。
切断面から噴き出したのは......黒い粒子だった。
それは煙のようにふわふわと舞い上がり、蠢くように空中を渦巻いた。
怨霊だった。
無数の小さな目と口を持つ、黒い塊が空気中に逃げようとする。
しかし、村丸の刀が光を放ち、その粒子を封じるようにさらに斬りつけた。
ビリビリと音を立て、黒い粒子は悲鳴のような声を上げながら、塵となって消えていった。
そして、部屋が静かになった。
寝子の頸の切断面から、鈍い音を立てて黒い液体が噴き出した。
まるで溜まっていたものすべてが、解き放たれたかのように。
それはゆっくりと床に広がっていく。
それは血ではなかった。
水でも油でもない。
腐臭を放ち、ねっとりと重く、そして生き物のように蠢いていた。
村丸は一歩下がる。
村丸は刀を鞘に納め、ゆっくりと膝をついた。
猫目堂書房の空気が、ようやく落ち着きを取り戻していた。
床に広がる黒い液体は次第に蒸発し、あとにはわずかな焦げ跡のような痕だけが残された。
その真ん中に、頸を切られた寝子の体が、まるで人形のように横たわっていた。
<村正逸話#21>
実際には寝子が藤代の怨霊に乗っ取られて藤代の怨霊に身体を操作されたわけではなく、"藤代の怨霊が取り付いたことで眠っていた猫又としての本能が活性化したから"です。
つまり、猫又としての本能によって寝子は操られていたということです。
寝子の第三の目に関しては、寝子の肉体が怨霊に乗っ取られ、猫又としての本領がまだ完全に発揮しきれてなかった状態だった為、第三の目の狂気の力が本来よりも弱く、そもそも村丸も出来るだけ第三の目を見ないように動いていた為、第三の目に精神を狂わされそうになったのは最初だけです。
つまり、第三の目は効果を知らなければただの初見殺しになります。




