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村正 ~剣豪Mの英雄義賊剣譚~  作者: I嬢
猫目堂書房ノ編
21/90

< 十七 > 代用品の代用品

風切から受け取った刀。


それは重い。


だが、それ以上に痛い。


この刀に刻まれてきた本物の戦いが、握るだけで骨に染みた。


「ふむ。面白い」


寝子が静かに言った。


「人間風情が、剣など握ってどうする?見よう見まねか?」


村丸は答えなかった。


代わりに、踏み込んだ。


刀を引き、構え、斬る。


風を裂いた音が、わずかに空間を揺らす。


寝子はそれを、ただ一歩下がって避けた。


鋭くもあったその一撃は、空を斬ったまま、床にたたらを踏む。


「悪くない。だがそれだけか?」


村丸の背中がぞくりとした。


次の瞬間、爪が迫る。


村丸は腕を交差して受ける。


風切の刀の峰で受け流したが、衝撃で身体が数メートル吹き飛ばされた。


(ぐ........ああっ........!)


壁に叩きつけられ、肺から空気が逃げる。


だが立ち上がる。


立たねばならなかった。


(........武家の者として恥が無いようにせねば......。)


村丸の祖は、武士の家系だった。


表向きは代々、書を嗜む文官として名を残していたが、遡れば血筋には剣豪も幕臣もいる。


幼い頃、家に伝わる古文書や抜刀の型を学んだことがある。


浮浪者のように江戸を散歩し始めては刀を極める機会からは遠ざかっていたが、記憶には残っていた。


『風切の代わりに来た』


村丸は刀を握ったまま、筆談で話す。


「貴様じゃ足りないな。風切も寄越せ。」


(風切はもう戻らない。あいつの意志は継いだ。)


村丸は柄に手を添える。


寝子が一瞬微笑んだ。


その口元は柔らかいが、爪先からは黒煙のような気配が立ち上っている。


棚に置かれた本が、一冊、また一冊と風にめくられる。


刹那、空気が裂けた。


寝子の気配が、圧縮された霊圧として空間を満たした。


周囲の時間が歪む。


窓の外では鴉が空中で固まり、時計の針が逆回りを始める。


村丸は動いた。


だが、切先が届いた瞬間には、寝子はもうそこにいなかった。


「遅い。」


頭上。


声と共に爪が迫る。


寝子となった腕がしなるように伸び、村丸の背を裂く。


避ける暇などなかった。


刃を反転させ、斬撃を受け流す形で地を転がる。


「........なるほど。風切の剣筋と違う。でも、硬すぎる。融通が利かない」


(黙りやがれ。)


村丸は唾を吐き、地を蹴った。


「なあ、村丸。なんでそこまでして戦うの?風切がそんなに価値のあるやつだったのかい?まあ俺的にはそうは思わないけどなぁ......?」


村丸は何も答えない。


だが、寝子の口元は笑っていた。


その刹那、店内のすべてが変貌した。


天井から垂れる紙が裂け、床板がひとりでに軋む。


積まれた書が一斉に開かれ、ページから文字が這い出る。


黒い墨が蛇のように空中を走り、村丸の体を絡め取った。


「ここは書房.....俺の古本屋だ。空間ごと、ね。」


動けない。


霊気と妖気が重力を歪めている。


気を抜けば、ただの肉塊になると村丸は分かっていた。


(........くそっ........!)


「ふふふ......っ.......いやぁ、人間をいたぶるのは楽しいな。.....このまま食ってやろうか.....?」


喉の奥で笑い声が転がる。


猫のような、男のような、女の怨霊のような。


いや、そのすべてだった。


村丸は必死に立とうとする。


だが、膝が砕けた。


骨のように折れたのではない。


意志ごと、砕かれた。


すると追い打ちをかけるかのように、床に積まれた本、棚に並ぶ古書、天井の梁に吊された冊子までもが震え始める。


目を見開いた村丸が見たのは、墨の飛沫が空中を這い回り、紙の束が獣のように形を変えている異様な光景だった。


「これはね、本の怨念だ。売れずに積まれ、読まれもせずに朽ちた物語たちの怒り。言葉にされることを待ち続けて、捨てられた声たち。」


寝子の指がひとつ、宙を描く。


するとそれに呼応するように、数十冊、いや数百冊の本が一斉に宙へ舞い上がる。


背表紙がざわざわと震え、頁が獰猛な獣のように開かれて本が襲い掛かってくる。


村丸は咄嗟に刀を構える。


だが、これは刃で斬るべき相手ではない。


紙の一片が皮膚に触れるだけで、火傷のような痕を残していく。


妖力を帯びた文字が皮膚に焼き付き、まるで体そのものが書物の一頁にされているかのようだった。


(なんだこれ.....!この古本屋全体が......寝子アイツの思うままって事か......!まさに......本が移動する古本屋......!)


村丸は咄嗟に逃げようとするが、足元を束ねるように巻き付く書簡。


古文書の帯が鞭のように巻き付き、体を締め上げる。


視界の端で見えたのは、辞典のような重い本が一直線に飛んできたことだった。


(ッ、くそ........離れろ........!)


叫びながらも村丸は反撃する。


だが、斬っても斬っても本は再生する。


斬り捨てたページが空中で再結合し、また新たな獣として向かってくる。


それはまるで無限増殖しているかのようだった。


すると一冊の詩集が村丸の顔面に叩きつけられる。


開かれたページに書かれた意味不明な文字が、脳に直接焼き付いてくる。


言葉が、棘になって精神を削ってくる。


それでも、立たなきゃならない。


そんな意志も、本の洪水にかき消されていく。


「風切の代わり?はっ。無理だ。彼は最初から俺に勝てないとわかってた。それでも来た。それでも倒れた。貴様はその代用品の代用品だ。」


村丸の体がぐらりと揺れる。


(まだ........やれる........。)


必死にそう思い込む。


だが。


「甘いな」


寝子が笑った。


影のように跳躍し、村丸の背後に回る。


(しまっ......!)


反応が遅れた。


避けようとした瞬間、爪が右の肩口を抉った。


(くっ........!)


深い。


血が滲み、感覚が鈍る。


村丸はよろけながら距離を取る。


だが、寝子は悠然と歩み寄ってくる。


「刀剣は........触れたことがあるだけでは、使えない。戦場では、生き残るために千度、万度、斬り合いを経験しないといけない。」


村丸は刀を構え直した。


肩から血が滴る。


村丸は必死にもう一度、踏み込む。


だが動きが読まれていた。


次の瞬間、寝子の脚が低く振り抜かれ、村丸の足元を払った。


(........下!)


体勢を崩した村丸が崩れ落ちるように倒れる。


すかさず爪が振るわれる。


反射的に刀を掲げて防ぐ。


火花。


甲高い音が村丸の耳元で響いた。


しかし耐えきれなかった。


手首が痺れ、刀が落ちた。


(あっ.....!)


そのまま胸倉を掴まれ、宙に浮かされた。


寝子の目が、至近距離に迫る。


「お前には........殺気がない。剣は技ではない。殺意が先にある」


寝子が囁く。


「戦ったことのない者の刀は、ただの鉄だ」


そう。


村丸は、戦ったことがなかった。


刀を抜き、命を賭けて、肉体で敵と斬り合う。


そんな戦場に、彼は一度も立ったことがなかった。


(俺は........)


意識が、ゆらぎ始める。


呼吸ができない。


胸元を締め上げられ、視界が霞む。


(あぁ........ダメだ)


刀は、手の中にない。


風切の代わりを務める資格すら、今の自分にはない。


(何も........できない........)


足が地を離れたまま、村丸の瞳がゆっくりと閉じられた。


力が抜け、身体が垂れ下がる。


戦いは、まだ続く。


だがその時、不意に村丸の意識がどこかへ滑った。


思い出したのだ。


あれは、風切が藤代の怨霊と屋根裏部屋でやり合っていた時のこと。


激しい音、床板を叩くような衝撃が、扉越しに伝わってきていた。


自分は、最初こそ緊張して階段に腰掛けて耳をすませていた。


だが、かなりの疲労が溜まっていた。


その為......つい、階段の途中で背中を壁に預け、目を閉じてしまった。


気がつけば、仮眠に落ちていたのだ。


 ◇ ◇ ◇ 


夜のようでいて、夜ではない。


空は曖昧に曇っている。


月も星もないのに、何かがぼんやりと辺りを照らしている。


その光は鈍く湿っていて、濡れた布のように視界を覆っていた。


音はなかった。


風もなかった。


村丸は、そこで立っていた。


自分が立っている、という感覚だけが確かにあった。


けれど、地面があるのかも、足があるのかも、よくわからなかった。


ただ、ここにいるということだけが、一つの輪郭として存在していた。


(ここは......どこだ?)


しかし、不安は全くなかった。


それは奇妙なことだった。


普通なら、目覚めたはずの場所で何もかもが見慣れず、音もなく、空気も感じられず、ただそこに「存在している」しかない状況に、恐怖や混乱が湧き上がるはずだ。


だが村丸は、それを感じなかった。


代わりにあったのは、妙な納得感だった。


これは夢だ。


そう思った瞬間、少しだけ安堵した。


夢ならば仕方ない。


夢だから空気がない。


夢だから感覚が希薄だ。


夢だから孤独も、怖くない。


そう思ったところで、ふと、誰かがいる気がした。


視線を動かすというよりも、意識の焦点を変える感覚。


そこに、「何か」があると気づいた。


黒い影。


距離感が全くわからない。


遠いようで、近い。


巨大にも見えるし、小さくも見える。


簡潔に言えば、様々な物同士の境界が曖昧だった。


村丸はそれを、目で見ているのではなかった。


内側で感じていた。影は「こちらを見ている」。


目は見えないのに、確かに自分を見つめる視線を感じた。


(誰だ?)


するとその影が、ゆっくりと形を変え始めた。


煙のように揺らぎ、まとまり、少しずつ「人間の輪郭」になっていく。


短い髪、引き締まった身体......。


そこに立っていたのは、「村丸の姿をした何か」だった。


息を飲んだ。


ここまでの無感覚が嘘のように、胸が強く打った。


喉がきつく締まり、背中を冷たい何かが這った。


目の前にいるのは、自分自身だった。


だが、それは自分ではなかった。


顔が同じ。髪型も、背格好も、着ている服も。細部まで村丸だった。


だが、その眼だけが違っていた。


深すぎた。


底が見えない井戸のようだった。


まばたきひとつせず、こちらを見つめるその眼は、なぜか「感情」がなかった。


ただ、静かに、そこにあった。


(お前は......俺じゃない)


思考が言葉にならず、ただ頭の奥で浮かび上がる。


「そうだな」


村丸の心を読んだように、"それ"が言った。


声は低く、音のようでいて音でなかった。骨に響くような感覚。


言葉というよりも、存在が語りかけてくるような響きだった。


「俺は、お前であり.....お前ではない」


村丸は一歩後ずさった。


足が動いた感覚はないのに、距離が開いた気がした。


だが"それ"は、全く動じなかった。


微動だにせず、こちらを見つめ続けている。


「名前を、知っているか?」


村丸は息を呑む。問いかけの意味がすぐに分からなかった。


(名前......?)


「俺の名前だ。」


その口は笑っていなかったが、どこか愉しげだった。


言葉の奥に、わずかに歪んだ音が混じっていた。


それは痛みだったのか、哀しみだったのか、それとも嗤いだったのか。


『......誰だ、お前は。』


その筆談に対して影はゆっくりと、片腕を上げた。


指が伸びる。


指の先が、自分を指している。


「俺は.....斬るために生まれ、血を啜って生きてきた、業深き刀よ。俺を握った瞬間から、キサマの運命はもう定まってる。斬るか、狂うか。あるいはその両方か......それすらも、俺の気分次第だ。聞け、小僧。俺の名は"村正"だ。」


その言葉を聞いた瞬間、全てが変わったような気がした。

<村正逸話#19>


寝子は猫又としての妖術とは別に、「猫目堂書房そのものを自在に操る力」を持っています。


この力は、まるで本屋そのものが生きているかのように機能する物で、彼の意思ひとつで棚の位置が変わったり、階段が消えたり、本の並びが意味を持つ暗号のようになったりします。


勿論、本や文献単体を操って物理的に一つ一つ操ることもできます。


時には「常連しかたどり着けない隠し部屋」や、「読む者を試す迷宮のような書庫」さえも出現することがあります。


この力は「妖術」とは異なり、猫目堂書房と寝子が長い年月をかけて築いた"結びつき"によって発現している為、他者が取得することは不可能とされています。


ただし、妖術と同じで妖力は消費します。


その消費する量は.......

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