< 幕間 > 猫目堂書房の一日
2025/08/03
幕間のイラストを書き始めます!(不定期)
みてみんから見てください!
(本当は挿絵のつもりでしたが、下手なので小説家になろうでは公開しません。村正で検索したら出ると思います。)
https://mitemin.net
◇ ◇ ◇
小生の名は、二十桜寝子。
猫目堂書房、っていう少々風変わりな古書店の店主をしている。
最も、書店といっても本を売るってより、本が住んでいるとでも言ったほうが正確かもしれない。
妖世でやってるからか、ここの蔵書たちは割と勝手気ままに動き回る。
中には夜中に勝手に積み上がってたり、棚の奥に逃げ込んだりする本もいる。
そういう手のかかる本たちとつきあっていくには、普通の人間の暮らしの感覚じゃちょっと足りない。
けどまぁ、小生は元々猫又だからね。
気ままで、のんびりしていて、ちょっとだけ長く生きすぎてる。
最近は腰が悪くなってきたけど、尻尾はまだふさふさしてるし、毛並みだって悪くない。
そんな小生の一日は、薄明の時間から始まる。
朝日が差し込むその前に、天井の梁の上で寝そべっていた小生は、鼻先にほこりを感じてくしゃみをひとつ。
ふぁっ......とあくびをしながら、四肢をぐいーっと伸ばして、梁から軽やかに床へと飛び降りる。
今日も猫目堂は変わらず古くて、静かで、ちょっとだけくたびれてる。
「......うーん、よく寝た」
小生はぼさぼさの頭をかきながら、ぐるりと店内を見回す。
書架では、古文書の巻物が何かに巻き込まれたようにきゅうきゅう言ってる。
よしよし、今直すからね。
小生は書架を整理してから膝をぽきりと鳴らし、歩き出す。
足音がきしむたび、どこかの本がぴくりと動く。
中には、音に敏感なやつもいるからね。
あんまりどたばたすると逃げられてしまう。
棚をすこしだけ直して、崩れそうな山を支えるように配置を替えて、小生はようやく厨房へと向かう。
厨房といっても、店の奥にある掘っ立て台所だ。
火鉢と薬缶、それから少しばかりの乾物と、お気に入りの猫舌湯呑。
「さて、茶でも淹れるかな。」
年季の入った湯呑を片手に、小生は火鉢に炭をくべて、薬缶をかける。
灰を撫でて形を整えるのが、猫目堂の朝の儀式だ。これをしないと一日が始まった気がしない。
ちょっと焦げた炭の匂いと、湿った紙の香りと、遠くで誰かが焚いてる線香の甘い香りが、ゆらりと混ざる。
これが小生にとっての朝の匂いだ。
妖世の朝は、現世の朝とちょっと違って、空が青くなる前に薄紫の帳がかかるんだ。
小生は湯を茶筒に注ぎながら、ふと、外の様子を気にする。
縁側に座ると、そこにはまだ薄い朝靄が立ちこめていた。
庭には名も知らぬ山野草が佇んでいて、足元を灰猫がすり抜けていく。
「おはようさん」
声をかけると、猫はちらりと振り返り、「にゃ」と短く鳴いてどこかへ行った。
あれは常連の野良猫だ。
名前はつけていない。
小生のことを店の奴くらいに思ってるんじゃないかな。
そして茶をひとすすりする。
こうして、ゆっくりと湯を啜っている時間こそが、小生にとっての朝なのだ。急ぐ必要なんて、何一つない。
「さて......帳簿でもつけようかな。」
小生は湯呑を置いて、書架の隅に置いてある帳簿の前に座る。
とはいえ、帳簿といってもまともな売り上げなんて、ほとんどない。
読んで寝ていった者、借りっぱなしで返さない者、いつの間にか棚から消えていた本、逆にいつの間にか増えていた巻物。
そんな不確かな出入りを、なんとなく記していくだけの作業だ。
記憶を頼りに、のらりくらりと筆を走らせる。
本を貸すというより、出ていったのを見送るって感覚に近い。
たまに帰ってきた本は、すこし汚れていたり、逆に何かの記憶を孕んでいたりする。
そんな変化を感じ取るのも、小生の楽しみのひとつだ。
「......あ、また腰が......」
ぐきっという音とともに、小生はその場でへたり込んだ。
あいたたたた。
妖も人も、起きてくるにはまだ少し早い。
◇ ◇ ◇
昼下がりの光は、どうしてこんなに眠気を誘うんだろうね。
お昼ご飯は、昨日から炊いていた芋粥と、鰹節をまぶした焼き味噌。
あとはご近所の狸婆さんからもらった山菜のおひたし。
素材のほとんどが妖世産だけど、腹に入ってしまえばみな同じだ。
特にこの粥の香りがたまらない。
味噌と一緒に食べると、あったまるというより、とろける。
ふぅーっ、と湯呑を傾けて、最後の番茶を啜る。昼の帳簿つけも終えた。
椅子の背にぐでんと寄りかかって、天井の梁を見上げる。
薄く差し込む日差しが、ほこりを照らしてふわふわと踊っていた。
あぁ......これはもう......そういうことだろう。
「......寝るか」
誰に言うでもなく、ぽつりとつぶやく。
ちょっとだけ寝るだけさ、ほんの十五分。
そう言い聞かせながら、小生は棚の横にあるお気に入りの座布団に体を投げ出す。
このくたびれた感じがちょうどいいんだ。
「ふあぁ......おやすみ......世界......」
まぶたがゆっくり閉じていく。
◇ ◇ ◇
がしゃぁん。
「!?」
突然、耳元で大きな物音がした。
びくっと目を開けると、天井が揺れてる気がする。
否、たぶん現実だ。音の方を向こうと首を動かすと......何かが......何かがこっちに迫ってきた。
「寝子さぁんっ!!!いましたぁ!!!」
ぎゅうっ。
「おおおおおおぉいぃぃっ!?」
その声とともに、全体重をかけた抱きつき攻撃が小生の腹部に直撃する。
酸素が全部抜ける感覚だ。
畳に押し倒され、ぐええと情けない声が漏れる。
見上げれば、そこにはひとりの少女。
長い黒髪に、うっすら妖の気配を帯びた肌。
大きな瞳は、どこか焦点が合っていないような、それでいてこちらを逃がさないような粘っこい視線。
「寝子さんの寝顔、すごく可愛かったぁ......!」
「ぅぇ、あ、あの、苦し......くはないけど......いや、やっぱ苦しいかな......っ」
彼女の名前は......。
いや、ちょっと待って。
紹介する前に、状況を整理させて。
まず、小生は寝ていた。
平和に、猫又らしく、昼寝していた。
そこに、彼女が勝手に店の奥まで来て、小生の昼寝を襲撃したわけだ。
「......起きてる寝子さんも、寝てる寝子さんも、どっちも可愛いって......ずるいです......ずるすぎます......!」
そう、彼女はこう見えても人間である。
彼女は妖怪に異常なまでの愛情を抱いている、危険な嗜好の持ち主だ。
「でも、でも......今日はちゃんとお昼ごろに来たんですよ?朝は我慢したの、偉いでしょ?」
「う、うん......こ、こわ......かわいいけど、ちょっとこわ......」
彼女はときどき、ちょっとだけ目が光る。
比喩じゃない。
興奮すると、ほんとに、うっすら光るのだ。あれは人間の目じゃない。
「......で、今日は何のご用で?」
「えっ、用がないと来ちゃいけないんですか?」
「いや、そりゃそうだけど......あの、本屋だからね。うち......」
「じゃあ、用をつくってきます!」
「いや、やめてそれ怖いやつっ! こじつけて来るパターンのやつだよね!?」
昼の猫目堂は、静かどころかもはや戦場だ。
小生は、ほんとうに、ただ昼寝をしていただけなのに。
今日もまた、猫目堂は平和なのか平和じゃないのか、わからない一日を過ごしていく。
◇ ◇ ◇
そしてようやく、夜が訪れた。
それはつまり......彼女が帰ったということである。
「ふう......」
長いため息をひとつ、畳に吐き出す。
昼間に襲来したのは熱烈な妖怪愛好家の人間、れとろ。
彼女はどうやら満足してくれたらしく、帰り際には「今日は我慢しますけど、今度は泊まってもいいですか?」などと恐ろしいことを言いながら、猫目堂の門を名残惜しげに出ていった。
「我慢って、何を我慢してたんだろうね......」
あれこれ想像すると、毛が逆立つのでやめた。
とにもかくにも、静けさが戻ってきたのだ。
店の外では風が草木をさわさわと揺らし、遠くで烏の鳴き声が聞こえる。
灯をともし、障子を閉めて、ようやく小生の夜が始まる。
夜の猫目堂は、本当にいい。
昼間のざわざわした気配が引いていき、本たちも少しずつ静かになる。
巻物は息を潜め、重い書は寝息のような低音を漏らし、妖草紙は棚にぴたりと身を寄せる。
小生は厨房に入り、今夜の茶を準備する。
火鉢の炭は、昼間のものを少し足せば、もう一度あたたまる。
薬缶に井戸水を汲んで、音を立てて沸かす。
茶葉は夜香の茶。
夜にしか咲かない妖樹の葉を干したもので、仄かに月の香りがする。
これをひと摘み、急須に落として、湯を注ぐ。
蒸らす時間は三十数えたくらいがちょうどいい。
湯呑に茶を注ぐと、ゆらりとした蒸気が立ちのぼる。
その香りに、小生は自然と目を細める。
「うん、悪くない夜だ」
湯呑を片手に、小生は店の中央の読書席に腰を下ろす。
「さて、今日は......どれを読もうか」
小生は背後の棚に手を伸ばし、一冊の装丁本を引き抜いた。
これは百年前に仕入れた「古事記」。
妖世ではない世界で書かれた本だ。
ページを開くと、紙のにおいがふわりと香る。
黄ばんだ紙面に、墨で書かれた文字。
旧字体の多い文体だが、読むには問題ない。
ぱら、ぱら、と頁をめくる音だけが、店内に響く。
小生は茶を啜りながら、ゆるゆると読み進める。
小生が読んでいる章の内容は、須佐之男命が巨大な八つの頭と八つの尾を持つ大蛇「八岐大蛇」を退治する話。
彼は高天原(天界)を追放され、出雲の国に降りる。
そこで、櫛名田比売という美しい娘とその両親に出会い、彼女が八岐大蛇に生贄として捧げられる運命にあることを知り、彼は彼女を助けるため、八岐大蛇を酔わせようと考えて、強い酒を用意し、それを8つの桶に入れて待ち伏せしたのだ。
そして酒に夢中になった八岐大蛇が油断したところを、彼が一気に斬りかかり、討伐。
最後に、八岐大蛇の尾の中から草薙剣が現れる....と言った話だ。
小生はそこまで読み終わると栞を挟んで本を閉じて立ち上がった。
「さて......掃除でもするかな」
猫目堂の店主である以上、書物の管理は大事な仕事だ。
この世界では、妖力の乱れで本が変質することもあるから、清めの作業が欠かせない。
埃が溜まればカビも生えるし、虫もつく。
小生は箒を手に取り、そっと掃き始める。
ときどき本がぴくっと動くけど、「ちょっとだけ我慢してね」と声をかけると、大人しくなってくれる。
本たちのご機嫌取りって難しいよね......まるで猫みたいだ。
我ながら見事な自虐である。
掃除の途中、書棚の陰から、小さな木箱を見つけた。
これは......先月仕入れたばかりの、未整理の文献だ。
小生はそれをいくつか手に取り、題名を読む。
「枕草子」「源氏物語」「平家物語」......どれも妖世では書かれていない本で、面白そうな題名だ。
こういうのを見ると、つい読みたくなってしまう。
......が、今夜は我慢。
せっかく静かな時間が訪れたのだ。慌てる必要はない。
箱を丁寧に包み直し、帳場の横に並べる。
「よし、これで終わりかな」
掃除道具を仕舞い、灯を落とす前に、もう一度だけ読書席に座る。
ふぅ、と小さく息を吐く。
こういう時間が、小生は好きだ。
騒がしい客も、面倒くさい蔵書たちも。
全部まとめて猫目堂だ。
そして小生は、そんな猫目堂の、ちょっと気ままで、少しばかり長生きな店主。
腰は少し痛いけれど、まだまだ元気だ。
今夜もまた、良い本と、良い茶と、静かな時間がある。
小生の名は寝子。
猫又で、本屋で、そして夜を味わう、ただの読書好きの妖。
おやすみ、猫目堂。
また、明日もいい一日でありますように。
<村正逸話#18>
猫目堂書房に突撃してきたれとろ(生前名不明、寝子が名前をつけた)は、元気で現代風に言えばヤンデレ気質な少女です。
妖怪や怪談に興味津々で、妖怪に対して強い興味と好意を抱いており、同族の人間には全くと言っていい程興味を示しません。
服装は昭和レトロなセーラー服や袴スカート風になっていますが、一応現代に生きていました(現在は故人)。
尚、妖怪は男女問わずに大好きな様子です。
そして、猫目堂書房の近くをうろついていた猫は妖世の貴族の令嬢の愛猫らしい......?




