< 十 > 鬼の刺客
祝・十話突破
「彼らは、法に背き、非合法な手段で......だが、弱き者を救うために動く。お前が今、追われ者として振る舞わねばならないのなら、その立場を逆手に取ってみるのも一手だ。水面下で動きつつ、重荷を背負う人々に寄り添い、悪を断つ。誰にも見えず、誰にも触れられず、霧のように現れては消える。その生き様は、常識を逸脱し、狂気と紙一重だが......それこそが、真の正義を貫く道とされることもある」
風切の声は抑揚を抑えたまま、しかしそこには揺るぎない確信があった。
村丸はその言葉を咀嚼しながら、また一口、焼き鳥を噛みしめる。
(そんなこと、してもいいのだろうか.....)
口の中から零れ落ちる肉汁が、決断の余韻をほのかに鈍らせる。
「かつてこの妖世に居た義賊は.......表では平凡な商人に身を潜め、夜になると、貴族の屋敷に忍び込み、搾取された小民から奪った銀子を取り戻していたという。だが、その行為は明らかに窃盗であり、どう転んでも処刑される身だった。しかし彼は言った。『夜の闇は人の弱さを映す鏡。ならば、その鏡すらも叩き割ってしまえばいい』と」
風切は一呼吸置き、村丸の目をじっと見た。
「そういう奴らはみな、法律という檻を嘲笑い、人の魂を縛る枷を引きちぎってきた。そして......無法者の烙印を押されることで、世間から完全に隔絶される。それでも、誰かのために血を流す。その痛みを上等の贖罪とし、血の匂いを信念の証とする。......村丸、お前にもできる。刀に宿る妖しき怨念を利用して、真に守るべき人々を庇護する。そのためなら、村丸という『名』を正義の象徴に変えてみせるのも難しくはないかもな。」
村丸はゆっくりと、深く息を吐いた。
夜風が頬を撫で、胃の奥からわずかな温かさが広がっていく。
だが、風切が示すその道は、救いと破滅が紙一重で交錯する峻険な山道のようでもあった。
「しかし、その義賊もまた、狂気を孕んでいる。真の正義とは何か。人の命を切り捨てる刃が、果たして救済の道標となり得るのか。だが、お前が望むなら......お前が自らの意志で、刀を振るうなら、その刃は悪を断つ剣として輝くだろう。そうなった時......お前はもう、ただのお尋ね者ではなくなる。」
風切の言葉は静謐な夜の帳にしみ込み、焼き鳥の香気と混じり合いながら、村丸の胸に確かな道筋を刻んだ。
遠く、妖世の闇がざわめき、人々の悲鳴と嘆息がこだまする。
だが、その闇を縫うように、ひとすじの光が呼び覚まされようとしている。
(成程な。.......この刃をただ斬るための物ではなく、誰かを守るための物として振るうべきなのだ)
英雄義賊としての第一歩。
それは、自分自身の傷と向き合い、妖刀の怨念を受け止め、なお光を求める意志を抱くことだった。
彼の心には夜明けの兆しが確かに生まれていた。
(.....涼しい。)
会計を済ませて、二人は外に出ると夜の街に涼風が吹き抜けた。
居酒屋の木製の扉を開け、村丸と風切は互いに息を潜めるように外へ出た。
店内の喧騒が遠のくと、二人は思わず顔を見合わせ、肩越しにひと息つく。
月明かりに照らされた石畳が、かすかに白銀を帯びている。
「......さーて、酒呑んで気分も良くなったし.....妖世を一望できる穴場にでも連れて行ってやろうか?」
その時だった、
二人の足音が響く細い路地の先、提灯の薄明かりが揺らめく。
和装に大きな角が二本生えた男.....外道丸が、村丸の背中を叩いた。
(っ......!この男.....!この鬼の男.....完全に姿を消していたな.....!!全く気付かなかった......!)
裃の裾まですっと伸びた白衣には、金糸での歯車等が刺繍されている。
外道丸は、どこか寂しげと思えるほどに冷静だった。
「......村丸殿と風切か」
外道丸は声を潜め、口元にわずかに微笑を浮かべた。
だが、その声は冷たく、まるで氷を踏み砕くかのような硬質な響きを含んでいる。
「......ああ。そうだが?"最強(笑)与力"の外道丸さんよぉ。」
風切は振り返らずに片眉を上げた。
逆境に慣れているはずの風切の態度には、焦りの色が混じっている。
(......与力......?ということは......この鬼の男は......)
「ずっと会いたかったぞ、村丸殿......」
外道丸の口角が、ほんの少しだけ歪む。
灯りの橙色が彼の頬骨を際立たせ、その歪んだ笑みがまるで夜叉のように歪んで見える。
その瞬間、風切の顔がわずかに引きつる。
「......ど、どういうつもりだ。」
声が震え、包みがほんの少し揺れた。
「つもり?いや、ただ楽しく追いかけっこでもしたかっただけだ」
外道丸はふわりと笑い、刀の柄に触れた。
白銀の鞘が月光を受けて煌りと光る。
だが、その輝きはどこか残酷で、冷たい。
(追いかけっこ、ね......)
村丸の目が細くなる。
その瞬間、外道丸に激情がほとばしった。
普段の静謐な佇まいは消え去り、代わりに狂気と好戦心をまとった顔がそこにあった。
「お尋ね者を見つけたら、どうするか......知ってるだろ?」
外道丸の声は低く、切り迫る。
左右にひらりと裃を翻し、ゆるやかな構えを作る。
宵闇に紛れたその動きは、まるで狩人が獲物を狙う一瞬のようだ。
「ああ、分かっている。それでも......俺たちは、逃げるだけだ。今は、な!」
そして二人は互いに視線を交わし、暗黙の了解を取り交わす。
(追手を振り切るには運と技量が必要になりそうだな。それだけこいつは強い。初対面でもそれをヒシヒシと感じられる。)
そして、二人が逃げ出そうと足を踏み出したその瞬間、外道丸は牙を剥いて甲高い声を上げる。
「待てぇぇぇぇっ!!!」
その叫びと共に、外道丸は二人めがけて疾走を始めた。
その声を聞いた妖や人間達は驚いているようだが、何が起きているのかは理解できなかったようだ。
「今の声は.....?」
「なんだか怖くなってきたわね.....」
「外道丸様の声では?」
「誰かお尋ね者を追っていたりするのか?」
月影の下、外道丸のシルエットが長く伸びる。
その動きはまさに狼が逃げる小鹿を狙う狩りのようで、不可避の恐怖を孕んでいた。
「行くぞ、村丸!......ッチ!コイツはかなりの妖力の持ち主だ!すぐに見抜かれちまった.....!なのに何故俺らの居場所が分かったんだよ?!」
風切が村丸の肩を軽く叩き、二人は並んで石畳を駆け出した。
背後からは、狂気に満ちた外道丸の笑い声がこだまする。
「逃がさねぇぞ!!テメェら!!二人まとめて牢獄行きにしてやるわ!!」
夜風に乗って響く外道丸の声は、まるで夜鬼の咆哮のように荒々しい。
そして二人の逃避行が始まった。
石畳の道はくねくねと曲がりくねり、低い塀や細い路地が迷路のように続いている。
風切は後ろを振り返りもせず、脚を最大限に伸ばしながら疾走する。
その身に宿るのは、ただひたすら生き延びようとする意思のみ。
村丸は風切のすぐ後ろ。
視線は一本道よりも、夜明けの可能性を探ることに向いていた。
村丸は途中で呼吸が乱れ、足元がふらつきそうになる。
だが、その度に風切が支え、背中を押してくれた。
そして村丸は細い路地を見つけると急いで筆を走らせる。
『......風切、こっちだ!』
風切は村丸の声に応え、急な右折をする。
細い路地はほとんど人影がなく、瓦屋根の隙間に浮かぶ月影だけが二人を見守っているかのようだ。
だが、外道丸もまた、ただの人間ではない。
追走の中で距離を詰め、、二人の背後を俊敏に飛び越える。
風切はそんな外道丸に驚き、「ちょっ......!」と声を上げつつ、なんとか体勢を崩さずに走り抜ける。
「おい村丸、お前も無理をするな!」
風切の声は必死だ。
だが、村丸はただ頷くだけで、再び前へと進み出す。
逃げ場は.......そう、土蔵の並ぶ裏通り。
人目を逃れるなら格好の隠れ場所だ。
風切と村丸は土蔵の影に身を潜め、呼吸を潜める。
月明かりが細長い影を作り、二人の身体をほのかに照らす。
静寂の中、一瞬の鼓動が夜を震わせる。
「......来るか?」
風切が声を潜め、耳を澄ませる。
返ってきたのは、かすかな石畳を踏む音だけ。
だが、その音は確実に近づいていた。
村丸は小さく頷き、背中に汗を感じながらも目を閉じる。
ここで息を止めれば、外道丸には見つからない。
彼らはそう信じた。
しかし、次の瞬間。
「......逃げられると思うなよ......!」
外道丸の声が、土蔵の隙間から覗く暗がりにまるで滴るように聞こえた。
冷たく、そして何より執拗で、二人の背筋を凍らせる。
すると風切の様子に異変が出始めた。
『おい......風切、大丈夫か?』
村丸が筆談で問いかけると、風切は片目を閉じて、まるで酔っ払いのように口元を緩めた。
「ん〜〜......なんか、眠ぃ......」
(眠いって......そんな場合か!)
風切はふらりと足を止め、石畳の端にある木箱に腰をかけようとするが、そのまま尻もちをつく。
「ぬぁあ......だって......店の酒、うまかったから.......あれは.......妙に......まろやかで......脳を......溶かしちまうくらいに.......」
彼の言葉は徐々に間延びし、まるで遠くから響くようになる。
「まさか......あの酒......睡眠薬......!」
風切は悔しそうに目をこすりながら、地面に横たわる。
瞼はまるで鉛のように重く、開けようとしてもまた閉じる。
「だ、駄目だ......ねるぜ......ちょっとだけ......」
(寝るな阿呆!!)
村丸が肩を揺さぶるが、風切はふにゃふにゃと笑って頷くのみ。
「んふふ......ししょー......」
まるで赤子のような寝言を残し、風切はとうとう完全に沈黙した。
背後では、外道丸の靴音がだんだんと近づいてくる。
(くそっ......!!)
村丸は風切を肩に担ぎ、ふらつきながらも再び走り出す。
逃げなければ。
それがどれほど重かろうと、背負ってでも。
風切が眠っているなら、自分が目を覚ましているしかない。
<村正逸話#11>
外道丸は、妖世の中でも強力な妖怪の一柱であり、妖世の中でもかなりの規模を誇る、奉行所の中でも最強の与力です。
一見すると理知的で紳士的な口調を使い、酒をこよなく愛する飄々とした冷静な鬼の男です。
しかし、その反面では、とんでもなく強い正義心を持っており、お尋ね者を見つけたら見敵必殺(※1)(サーチアンドデストロイ)のような狂気の精神を持っています。
その為、少々思い込みが激しく先走りするところがあるようです。
ちなみに、村丸の容姿については生き残った鎌鼬の証言によって知りました。
しかし、それでもすぐに場所を特定するのは不可能なはず。
何故、外道丸が二人をすぐに見つけられたのか......
それは、とある人物の密告によって見つけることが出来たのだ__(幕間に続く)
ー 補足 ー
(※1)敵を見たら必ず殺す、の意味。




