< 九 > 英雄の義賊
すると風切はふっと口角を上げた。
表情はいつものおどけた調子に戻っていたが、その目の奥にはどこか鋭い光が宿っていた。
「なあ、村丸。........俺たち、意外と似てるかもな」
不意に向けられたその言葉に、村丸はわずかに眉をひそめて首を傾げた。
(似てる.....?)
「追われてるんだよ、どっちもな。奉行所に」
風切は軽い調子で笑いながらそう言ったが、その内容はまったく軽くなかった。
「お前はあれだろ、あの村正って妖刀のせいで、無実なのにお尋ね者扱いされちまってる。冤罪ってやつだ。刀が人斬りを求めて暴走する、って噂が広まれば........まぁ、疑いは晴れねぇわな」
村丸の胸が、じくりと痛んだ。図星だった。
彼自身は人を斬っていない。
けれど、自分の手であの刀を握り、鞘から抜いたことは確かだ。
どれだけ否定しても、それを見た者が「違う」と信じてくれる保証などどこにもない。
「で、俺はっていうと.....ちょっとやらかしちまってな.......」
村丸は静かに風切を見つめながら、心の中で思った。
(違うようで........似ている、か)
どちらも奉行所に追われているという「現実」から逃れられない。
世間がどう見るかではなく、自分が何をしてきたかが問題なのだと、村丸は改めて実感した。
(俺たちは、罪の色が違うだけで、同じ闇の中を歩いてるのかもしれない)
風切はにやりと笑い、唐突に話題を切り替えるように叫んだ。
「よし、今夜はお尋ね者同士の杯だな!気にすんな村丸、俺は罪人の中じゃわりとマシな部類だぜ!」
『それは褒められることなのか........?』
「いや、知らん!!」
そう叫んで笑い転げる風切に、村丸はつい、小さく笑みを浮かべてしまった。
どうしようもなく軽薄で、どうしようもなく底知れない。
だが、だからこそ今の自分には、この男の存在が心強くもあった。
追われていても、失っても、歩みを止めない男、風切。
追われる身だからこそ、せめて今だけは笑って生きてやろう。
そんな気持ちが胸の奥で、ひっそりと湧き上がっていた。
すると座敷の空気がほんの少し緩んだその時、店の奥から香ばしい匂いがふわりと流れてきた。
焦げた醤油の香りに混じって、脂が炭火に落ちてはぱちぱちと音を立てる。
すぐに、それは明らかに「食欲」という名の感情へと昇華して、村丸の腹の奥をくすぐった。
「おうおう、来た来た!」
風切が目を輝かせて身を乗り出した。
茨鬼丸が丁寧に差し出したのは、木の盆に並べられた何本もの焼き鳥だった。
湯気を立て、きつね色に焼かれたそれらは、ひと目で分かるほどに艶やかで、まるで照明を浴びた宝石のように輝いている。
「こちら、炭火焼きの特製盛り合わせになります!もも、皮、ねぎま、つくね、レバー、砂肝.......全て秘伝のタレで仕上げております!」
茨鬼丸が微笑みながら説明すると、風切は「おう、ありがとな!」と陽気に返し、片手で勢いよく一本を掴んだ。
「よーし、村丸。食え!食わなきゃ始まらねぇぞ!」
村丸は目の前の焼き鳥を見つめた。
串に刺された肉はどれもふっくらとした厚みがあり、ほんの少し焦げ目のついた皮の部分がキラリと光る。
タレは艶やかに絡みつき、炭の香ばしさが鼻孔を突き抜ける。
(........なんだ、これは。匂いだけで........胃が鳴る........)
村丸は生まれてこの方、焼き鳥というものに縁がなかったのだ。
村丸はおそるおそる、一本の串を手に取った。
それはねぎまと呼ばれたものらしく、ジューシーな鶏肉の間に、炙られた葱が挟まっていた。
肉はしっかりと火が通っているが、固くはない。
串を傾け、そっと口元に運び、一口、噛む。
ジュワッ。
噛んだ瞬間、肉の中から熱い肉汁が弾けた。
炭火で封じ込められた旨味が口いっぱいに広がり、甘辛いタレが舌に絡みつく。
焦げた部分の香ばしさと葱の瑞々しい食感が絶妙に混ざり合い、喉奥へと押し寄せてきた。
(........美味い........これは........こんなものが........!)
目を見開いたまま、村丸は言葉もなく次の一口を頬張る。
食卓では決して出ることのないこの味に、彼の舌は驚きと歓喜で満たされていた。
頭の奥で何かが崩れ、ほぐれていくような感覚すらある。
「どうだ、村丸。すげぇだろ?これが焼き鳥ってやつよ。妖世のうまいもんランキングなら、俺の中じゃ五指に入るな!」
風切は嬉しそうにモモ肉を頬張る。
(........これが........こんなに........)
「なんだ?お前、まさか焼き鳥食うの初めてか?」
『ああ........こういう料理は........食べたことがない。こんなに味が、層のように、重なって.......』
「はははっ!そりゃ良かった!世の中、上も下もねぇよ。うまいもんはうまい。魂が喜ぶ味に、身分も格式も関係ねぇ!」
そう言いながら風切は皮の焼き鳥を豪快に噛みちぎった。
ぱりぱりとした音が座敷に響き、彼は鼻に皺を寄せながら満足そうにうなった。
「このパリパリの皮!これがまた、タレとの相性バツグンなんだよな~。じゅうっと広がる脂の旨味に、甘辛いタレが追っかけてくる........もうこれだけで酒が三杯いけるって話だ!」
(........こんなにも、心がほどけるような食べ物が、あったのか........)
村丸は既にねぎまを食べ終え、今はレバーをそっと串から外しながら、口に運ぶ。
柔らかく、それでいて芯のある濃厚な味。
苦味と甘味が共存する、初めての味わい。
(俺は........どれほど狭い世界にいたのだろう)
味覚ではなく、もっと根本的な意味で。
村丸の中にある“当たり前”が、この焼き鳥一つで崩されていく。
上も下もない、と言った風切の言葉が、今ならわかる気がした。
「な、いい店だろ?俺の行きつけの店ってやつだ!だが今日は格別だ!お前と食ってるからな!」
『........妙に馴れ馴れしいな』
すると風切はもう一本、つくねを掴んで口に放り込んだ。
団子状のそれは軟骨が混じっていて、コリコリとした食感が楽しい。
噛むごとに甘みとコクがじわじわと染み出し、たれの香ばしさと一体となる。
「ん~っ、これこれ!この味がたまんねぇんだよなあ!なんだか生きてる感じがしてさ!」
村丸は、その言葉を聞いてふと視線を落とした。
手にした焼き鳥の串。
口に運び、噛む。
(........生きてる........か)
現実が、いまだに信じられないほどにあたたかい。
もしかすると、この妖世は死後の世界ではなく、もう一つの生の始まりなのではないか。
そんな想いすらよぎる。
その夜、村丸の中に確かに何かが灯った。
焼き鳥の炭火に似た、ささやかで確かな温もりが、胸の奥で静かに燃えていた。
居酒屋の奥座敷は、まるで異世界の寄り合い所のようだった。
柱の節目には酔いどれ侍がぶつけたと思しき傷が無数に走り、畳には昨夜のこぼれ酒がそのまま染み込み、ほんのりと発酵しはじめている。
壁に貼られた短冊には、時代錯誤にも川柳やらほろ酔い俳句やらが貼り重ねられ、「酔いどれ契約書」とでも呼びたくなるほどの混沌。
本来ならば落ち着くはずの奥座敷も、今日に限っては何とも言えぬ猥雑さが満ちていた。
そんな空間の中央に、黒漆の徳利をぽつんと茨鬼丸は置いた。
「どうぞ~!こちらが妖盃酒です!!」
風切は茨鬼丸が置いたと同時に手を伸ばしては徳利を傾けて盃に注いでは盃にある酒を一気飲みした。
そして風切が盃と徳利を一旦置くと、酒の香りがふわりと立ちのぼった。
古びた障子越しの夕映えが、居酒屋の欄間に映り込み、また静寂を装っている。
「村丸。お前はこれから、どうしたいんだ?」
風切の問いかけは、いつもの軽口にも似ていた。
しかし、その目は真剣だ。
夜鳥の羽のように黒光りする長髪を揺らし、村丸の答えを求めている。
村丸は焼き鳥の串を置くと、また筆談を始めた。
『やはり......江戸に、戻りたい。』
その声はか細く、しかしまっすぐだった。
江戸。
かつての故郷。
かつての自分。
だが今は江戸でも妖世でも罪人と呼ばれ、追われる身。
村丸自身、その言葉を飲み込む。
風切の頬がかすかに揺れた。
焼き鳥の串を再び手に取ると、ひと息に齧る。
パリッと弾ける皮と、ふわりと広がる肉汁。
だが、その音も匂いも彼の問いかけへの答えを和らげはしない。
「どうして、江戸なんだ?」
『未練が残っている。』
目を伏せたまま、思いを紡ぐ。
その声には掠れた悲しみと、ほんの僅かな希望が混じっていた。
風切は黙ってその言葉を受け止める。
店内にただ、酒を酌み交わす音だけが響く。
「.......馬鹿だな、お前は。」
軽く鼻で笑いながら、風切は再び徳利を傾けた。
嘲笑めいた声だが、その奥には無言の共感がある。
「江戸に戻って、どうやって生き延びるつもりだ?奉行所の手配書は、お前の顔写真そのものだぞ。手錠がなくたって、刃は喉元へ一直線だ」
村丸は、窓外の鈴虫の声に耳を澄ませるように目を閉じた。そして、ゆっくり目を開くと、風切を見返した。
『知ってる。だけど、俺は帰りたい。未練を果たしてないから。』
「......ふぅん。」
風切は、興味が無さそうに相槌を打った。
「そういえば酒飲まないのか?この酒マジでいいぞ?」
(酒はあまり好きでは......)
村丸は首を振って断る。
その様子を見て風切は少しだけ残念そうな顔をしたが、急に話題を変えて村丸に話して居なかった自分の"罪"について話し始めた。
「さて。どうして俺が奉行所に追われているのか、気にならないか?」
(別にどっちでもいいが.....まあ聞いておこうかな。)
「おい村丸。今どっちでもいいとか思ってただろ。まあいいや。説明してやるよ。」
夜気にぽつぽつと浮かぶ行灯が、遠い物語の幕開けを告げている。
丸みを帯びた視線が戻ると、ふっと笑みを含んだ声が漏れた。
「俺が犯した罪は......盗み、さ。十日前、山奥の商人の蔵に忍び込み、小判を三箱、頂いて来たんだ。」
村丸の頬に、わずかな疑念の影が走る。
(........盗み、か)
「まあ、盗賊そのものなんだが.......」
風切は一度言葉を切ってから得意げに胸を張る。
「その金はな、全部貧しい奴らにやったのさ!」
軽妙なやりとりを交わしながらも、ふたりの間にはどこか張りつめた空気がある。
(こんなやり取りをしているのに周囲にはバレない......これもこの紐の効力か......?)
そして風切は声をひそめた。
「にもかかわらず、奉行所は許してくれなかった。法とは、強者を守る歯車。弱者に手を差し伸べた俺の行為は、歯止めを狂わせる暴挙と見なされたんだ。実は俺、最初の方は指名手配されていなかったんだが.....とある物を盗むのに失敗して追われる羽目になっちまった。.....くっそ.....あんなヘマしないと思っていたんだがな......」
その瞬間だけ、居酒屋の喧騒が遠ざかる。
提灯の灯りが揺れるたび、風切の影が長く伸びた。
「........それで?」
村丸はさらに矮卓に近づき、声を落とす。
『お前が犯した罪は、確かに法の外。それでも、その動機が他者のためだったんだろう?』
風切は一瞬だけ息を呑み、そしてふっと笑った。
「お前は相変わらず真面目だな。そうだよ。その通りさ。」
ここが妖の世界だというのに、笑い声は現世の居酒屋そのものだった。
その時、風切の破天荒さ、村丸の冷静さが絶妙に混ざり合い、奥座敷はかけがえのないひとときを刻んでいった。
赤い提灯が揺れるたび、まるで二人の絆を祝福するかのように、薄暗い影が踊り出すのだった。
村丸は串から一本の焼き鳥を取り、軽く塩気の残る皮を口に放り込んだ。
炭火の香ばしさが舌の上でふわりと広がり、夜気に溶けていく。
ほのかな甘みと焦げのほろ苦さが混ざり合い、思わず目を伏せた。
炎に照らされた風切の横顔が、揺れる炎影とともに言葉なき問いを投げかけているようだった。
これからどう在るべきなのか。
村丸の胸中には、江戸での追憶と、妖世に落ちてからの軌跡が渦巻いていた。
あの夜、誰よりも大勢の命を奪ったのは自分ではなく、村正という妖刀の意思だった。
しかし、外界から見れば、ただの人斬り野郎でしかない。
するともう一度、串をつまみ、黙って咀嚼する。
「........村丸。お前にひとつ、話してやろう。罪を犯した者が妖世で生きる方法だ。」
突然の風切の声に、村丸はハッと目を見開いた。
闇に透けるその瞳は、どこか遠い場所を見据えているようで、彼の頬にはほのかな笑みが浮かんでいた。
「それは.......義賊。あるいは、暗夜の英雄たち......いわゆる英雄義賊と呼ばれる存在......罪を犯してでも人の為になることをし続ける者の事だ。お前がこの妖世で過ごす道は......恐らくこの道しかない。」
風切は、改めて村丸を見つめた。
真剣に。
<村正逸話#10>
焼き鳥は、平安時代頃から食べられていると言われています。
当初は、野鳥(!?)を串に刺して焼いたものが始まりで、江戸時代には「焼き鳥」という名称が文献に登場しているらしいのですが、実際に焼き鳥の形に近くなり、たくさんの人々が食べるようになったのは多分大正時代くらいだと思います。
(大正時代では鶏肉を使った料理が高級料理から大衆料理へと変化したため)
江戸時代は神社の参道でスズメ(?!)の焼き鳥屋が名物になったり、現在の焼き鳥の原形となるような鶏を串に刺した調理法が記された文献が登場したりしました。
なお、村丸が今まで焼き鳥の存在を知らないのは鶏肉を食べる文化が無かったからなのでしょうね。
こんな時間なのに焼き鳥の描写書いてたらお腹減って来ました。




