07 視える悪役令嬢は、少年と出会う
その旅は、退屈なものになるはずだった。
父の命で、わたくしは王都から北東の端、〈大陸のゴミ捨て場〉ガウル近郊への視察に随行することになった。それは、もう十年も前のことだ。幼いながらも、次代を継ぐ令嬢としての振る舞いを覚えさせるためだという。名目は立派でも、要は空気のように座っているだけの荷物だった。
獣道のような山道を馬車で進み、苔に覆われた旧鉱村を見下ろす崖の上。風に舞う土煙と、いがらっぽい空気の中で、わたくしは父たちの視察を離れ、ふと一人、森の方へと歩を進めていた。
──視たくない未来ばかりだったから。
あの屋敷の中にいる大人たち。この国の軍人や貴族。未来はどれも、わたくしの心を濁らせるものばかり。裏切り、蹂躙、破綻、そして――死。わたくしはそれらを見たくなくて、ほんのひととき逃げたのだ。
小さな森の中、木洩れ日の斜面に差し掛かったところで、足を取られ、膝から倒れた。湿った地面に手をついた瞬間、強い風が吹いた。
「大丈夫か?」
声がした。ふと顔を上げると、そこにいたのは一人の少年だった。
黒髪に、煤けたような上衣。剣の柄のようなものが背から覗いていて、その瞳は、真っ直ぐにわたくしを見ていた。そして、何より恐ろしいことに──彼の未来が、何ひとつ、視えなかった。
その少年には、どのような未来もなかった。わたくしの瞳にどのような未来も映し出さなかった。無数の糸が絡むような映像も、選択肢の残影もない。まるで、“未来の時間に存在していない”かのように。その魂だけが、撓みなく、この現在時のみに純粋に存在しているかのようだった。
「怪我してるじゃねえか。動くな」
彼はしゃがんで、わたくしの手を取り、湿った泥を拭ってくれた。指先は荒れていたが、その手は不思議と優しかった。
「……あなた、名を?」
「俺か? 俺はアッシュ。アッシュ・グエン・ローリー。お前は?」
「オリビア……オリビア・ミル……」
私が言いかけた瞬間、背後から何人もの気配が現れた。……家族。そう、たぶん、彼の家族たちに思えた。
「探してたんだぞ、アッシュ!」
「もうすぐ陽が落ちるよ。早く帰らないと、またパパンとマリンに叱られる」
赤髪の少年と金髪の少女。けれどわたくしは、そのどの声にも耳を貸さなかった。彼らの未来は視えた。けれど、わたくしが視ていたのは、ただ一人。
アッシュ・グエン・ローリー。
視えないという異常。それは、わたくしにとって初めてで、唯一の希望だったのかもしれない。