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11 視える悪役令嬢は、残響を聴く

誰もいないはずの学院の中庭に、麗しい音が響いていた。


それは誰かが奏でる弦の調べ。昼下がりの光を透かすような、繊細で、どこか哀しみを孕んだ旋律だった。音楽室ではない。講堂でもない。風に揺れる蔦の影の、その奥に、人の気配を避けるようにひっそりと。


わたくしは、誰にも気づかれぬように音のほうへと歩を進めた。

この学院ではわたくしの姿は、常に視線を集める。侮蔑と、畏怖と、うわべだけの礼儀を一手に引き受ける「悪役令嬢」には、静謐な時間など与えられはしない。


だからこそ、今この一瞬だけは、赦された気がしたのだ。目を伏せたまま、石造りの回廊を抜け、音に導かれるまま、木々の影へと歩いていく。


──誰も、いなかった。


音の主はいない。ただ、風に揺れる藤棚の下、誰かが置き忘れた楽器だけがぽつりと置かれている。糸のように張りつめていた旋律はすでに止み、わたくしはひとつ、深く息を吐いた。


「……らしくもない」


思わず、そう呟く。


音に誘われてしまった。ありふれた少女のように、ただ胸を打たれて。優雅な悪役令嬢は、そんな感傷に浸るものではない。けれど、あの旋律に、誰かを思い出してしまった。


──わたくしは、未来の可能性のすべてを視る。


だからこそ、ほんのわずかな音の揺らぎに、選ばれなかった未来の残響を拾ってしまうことがある。この旋律も、そうだったのかもしれない。


あの人のことを思い出す。

ほんの少し、言葉を交わしただけの、あの未来の視えない少年のことを。


私はただ、彼という存在だけを希望に、ここまで歩いてきた。


自分の未来が視えない、ということが、どれほど恐ろしいことか。

誰かに肯定された記憶がなければ、私という存在は、きっともう壊れていた。彼という存在自体が、わたくしを見つめたあのまっすぐな瞳が、何故だかわたくしを深く肯定しているような気がした。


あの瞳があったから、わたくしは、まだ仮面を被っていられた。悪役の振る舞いも、誰かを切り捨てる言葉も、この道の果てに彼がいると信じられる限りは続けてこられた。


なぜわたくしは、この道の果てに、彼がいると信じているのだろう? 暗闇の先に、彼という美しい空白があるのだと、こうも疑いもなく信じているのだろう? なぜいつまでも夢見る少女のままでいられるのだろう? それは、わたくしにもわからなかった。


風が吹き抜ける。

誰にも見られずに済んだ。


わたくしはまた、何もなかったように学院の廊下へと戻っていく。悪役令嬢の仮面をきつく結び直しながら。仮面の下は、いつかもう一度、あの無音の旋律を奏でてくれる()が現れるのだと信じて疑わない無垢な少女のあどけない素顔のままで。

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