離れ離れの二人
しばらくして、リセルは学園時代からの友人の男の子、ウディからレストランで食事をしたいと言われた。いつも友人たち数人が一緒なので、リセルはそう思って出かけたら、ウディ一人だった。
護衛はついていたが、キーナンではない。
「どうしたの? みんな一緒じゃないの?」
「今日は君に大事な話があって」
「なに?」
ウディはおもむろに胸のポケットから、小さな箱を取り出し、その小箱を開けた。
中には金のブレスレットが入っていた。
「学校を卒業したら、僕と結婚しよう」
リセルはとても驚いた。そんな気持ちを小指の先ほども思っていなかったからだ。
「ごめん、私、ウディとはずっと友達でいたい」
「約束だけでも......」
「無理だな」
キーナンの声が響いた。
「俺とリセルは結婚の約束をしている」
そう言うとキーナンは座っているリセルの後ろからそっと腕を回して肩を抱いた。
「リセル、たかが護衛と結婚するのか?」
「たかが護衛? ウディはそんな考えを持つ人だった? あのね。立場は関係ないわ。キーナンがキーナンだから好きになったの。ウディにもいずれそう言う人が現れるわ。またみんなで会いましょう」
リセルはそう言って席を立った。
キーナンは、リセルの言葉に緩んでしまいそうな頬を引き締めて、リセルをエスコートした。
少し気持ちが落ち着いた馬車の中でリセルは聞いた。
「どうして私がウディと会うと分かったの?」
「こういうことには勘が働くんだ」
「私達はまだ結婚の約束していないわよね?」
「今日これから会長に頼むつもりだ。それから、このネックレスだが、給料を貯めて買った。身に着けて欲しい」
そう言って上着のポケットから取り出したのはキーナンの瞳と同じ色の小さなエメラルドが美しい銀に彩られたネックレスだった。
「きれい! 大切にするわ」
「それともう一つ話さなければならないことがあるんだ。実は俺は......」
「この国の第六皇子、キーナン・ルロイ・オルトン殿下よね?」
「え、どうしてそれを」
「キーナンは何処から見ても高位の貴族の息子だわ。高位の貴族で奥さんが四人いるのは陛下だけ。絵姿が知られているのは第三皇子までだから確信はなかったけれど、名前は第六皇子と同じだから。でも、キーナンが言うまで知らないふりをしていようと思ったの」
「そうか。俺は陛下からどんな道に進んでもいいと言われているから、リセルとの結婚に障害はないと思う」
「そうだといいけれど。とりあえずは母さまね」
二人が笑い合って手を取るのは、このあと長い間お預けになる。
屋敷に着いて、玄関を入った広間で執事から
「奥様が、お二人を執務室でお待ちです」
と告げられた。
顔を見合わせた二人は執務室に急いだ。
執務室に入るなり、キーナンが言った。
「会長、リセルさんと結婚させてください」
「その話はあとで。まずはこちらの話を聞いて頂戴。先程、陛下から署名入りの書簡が届いたわ。キーナンを即刻、皇室に戻すようにって」
「え、まさか」
「私の情報によると、西方諸国連合の一つであるレクア王国のローレン王女との縁談が持ち上がっているようだわね」
「うそだろ」
「いずれにしても陛下はあなたを試そうとしているように感じるわ。なぜか知らないけれど」
唇を噛んだまま一点を見つめるキーナンにジーナはさらに言った。
「だから、二人の婚約は保留。できればリセルの傷の浅いうちに別れて欲しいと思っている」
「それは、できない! リセルは私の『運命の人』なんです」
ジーナは深いため息を吐きながら言った。
「仕方がないわね......。今から十分間、私は席を外すわ。その間二人で納得する答えを見つけて頂戴」
ジーナが執務室を出て行ってすぐにキーナンはリセルの前に跪いた。
「リセル、愛している。陛下を説得して必ず迎えに来るから。明日かもしれないし数年かかるかもしれない。待っていてくれないか?」
「......分かったわ。ただし期限を設ける。待つのは私が十八歳で学校を卒業するまでよ」
「それでいい。それから君の男友達の大半は君と結婚したがっているから気をつけろ」
「私の家が大きな商会だから?」
「それもある。でも何よりリセルが魅力的だから」
キーナンはそう言って立ち上がり、リセルを思いきり抱き締めた。
そしてどちらからともなく自然にキスを交わし、お互いのぬくもりを確かめるようにまた抱き合った。
パン、パンと手をたたく音がしてジーナが再び執務室に来た。
「はい、二人ともそこまでよ。キーナンはこれから仕事の整理をして、寮に帰って荷物をまとめて、明日の朝一番で皇宮に戻るのよ。馬車は手配するわ」
「はい、ありがとうございます。ではリセルのことよろしくお願いします」
キーナンはジーナに深く頭を下げた後、リセルに向かって
「信じていてくれ」と言って、ジーナの執務室を後にした。
「リセル、大丈夫?」
俯いているリセルの肩にそっと手を置いて、ジーナは優しく言った。
リセルは顔を上げて
「母さま。私、商会の事、もっと勉強するわ。服飾についてももっと学ぶ。いずれ服飾部門のトップになる」
「それは楽しみね」
「キーナンを待つ間にすることがたくさんあるの」
そう言ったものの、リセルはその夜からしばらくはキーナンから貰ったネックレスを握りしめ、泣きながら眠ることになった。
さて、次の日、皇宮の一角でキーナンは父親である皇帝のオールディン・ウォルシュと対面している。
一通りの挨拶が終わった後、オールディンが口を開いた。
「さっそく本題だが、お前にレクア王国のローレン王女との縁談が来ている。上の三人はすでに結婚、あるいは婚約者がいるし、その次の二人はどこで何をしているものやら分からないからな。お前に白羽の矢が立った。年もお前の二つ下でちょうどいい」
「お断りしてください」
「断ると? 少なくともレクア王国の公爵くらいにはなれるぞ」
「興味ありませんし、私には心に決めた人がいます」
「誰だ?」
「ハインズ商会のリセル嬢です。彼女は私の『運命の人』です。彼女以外の人と結婚する気はありません」
「ほう、なるほど......。そうだ! 良いことを思いついたぞ。これから私が言う二つのことをクリアしたら、結婚を認めよう」
「二つの事?」
「まずは、四か月後にある剣技大会で優勝すること。そしてたった今からリセル嬢とその家族との接触を一年間絶つこと。手紙ももちろん駄目だ。違反した場合は、そうだな永遠に一緒になれないと思え。そしてレクア王国へ行くんだな。もし彼女が『運命の人』だと言うのなら乗り越えられるだろうさ」
「分かりました。それをクリアしたら、私に永遠の自由を下さい」
「大きく出たな。まあいいだろう。ただし継承権の放棄は認めない」
「それは、仕方がないです。いずれにしても私が父上の跡を継ぐことなんてあり得ないのですから」
「ははは、そうかな?」
その後、オールディンは騎士団長を呼んだ。
「ハインズ商会の娘に護衛を派遣してくれ。年齢も近く、見目麗しいやつを選べ」
「分かりました。ご令嬢の年齢はお分かりですか?」
「たぶん、十六歳かそんなもんだろう」
(見目麗しくて、年齢が近い者。そうだ、クリスにしよう。彼女は優秀なんだが、どうも男社会で肩肘を張りすぎて、見ている方が辛い。ここは少し騎士団を離れて心機一転した方が良いだろう)
「では、十九歳のクリス・ヘイルという者にします」
「ああ」
クリスは男女どちらともとれる名前だからオールディンも気に留めなかった。
オールディンは見目麗しい男の騎士をリセルに付けて、『運命の人』の真偽を確かめてみたかったのだが、この騎士団長との行き違いが、リセルにとっては無二の親友を得、チェイスにとっては生涯の伴侶を得ることになった。
キーナンからまったく連絡のない日々が続いた。リセルはある程度は予想していたが、辛くないと言えば嘘になる。時折、ジーナからキーナンは皇室の総務の仕事をしていて忙しいらしいとか、王女との婚約はまだ成立していないとか、剣技大会で優勝したとか聞くと少し安心した。
それにクリスが来てくれた。クリスは素敵だ。上背もあるし姿勢も綺麗だ。黒髪を上にきちんと結わえ、顔立ちも凛として美しい。クリスをモデルに男女どちらでも着られる服を作るのが楽しい。
あの南の国の踊り子たちが着ていた伸び縮みする生地を少し手に入れて、上下をそれで作り、それだけでは体の線が見えすぎるので、膝上の袖なし襟なしでワンピース風の上着を着せ、スリットを両脇に深く入れた女騎士の服を試作した。
「動きやすい」とクリスに絶賛された。
「需要が少ないから、商売にはならないわね」
「そうか? この動きやすさは、革命的だと思うぞ」
クリスの言う通り、数年先にはこの生地を使った服がハインズ商会をさらに盛り立てることになる。
他には、国内外の殆どの生地は見ただけで、種類や特色、その産地、出来上がるまでの過程などを覚えるようにした。
母のジーナは閃きの人だが、リセルは(母さまのようにはなれないから私は努力しなくちゃ)と思っている。
ドレスの作り方も師匠のメイベルについて一から勉強している。
商会の経理の手伝いも始めた。
「クリス、忙しいせいかこの頃キーナンの事あまり思い出さなくなった」
「いい傾向じゃない。このまま忘れなよ。私がずっと守ってあげるよ」
「いや、それはちょっと。兄さんと仲違いしたくないし」
「ん? どういう意味だ?」
「そのうち分かるよ」
一方、キーナンの方はローレン王女の攻勢に辟易している。
二週間ほど前から、この国に来ているが、暇さえあればキーナンの執務室に入り浸り
「気が散るから出て行ってくれないか。他にも働いている人がいるんだ」
と言ってもどこ吹く風だ。
王女は優雅にソファに座ってお茶を飲みながらいつも同じことを言う。
「そんなに私のことが気になるの? 嬉しいわ。早く婚約してくださればいいのに」
「陛下に任せているし、私には意中の人がいる」
「あら、だって私と結婚したらあなたは公爵になれるのよ。それに我が国は銀鉱山があるから贅沢のし放題よ。その人は愛妾にでもすればいいわ」
「冗談でもそんなことを言うな」
「あら、怖いわね。でもそこも素敵よ。部屋に呼んでくださればいつでも行くのに」
そう言っては、キーナンの傍らに行き腕を撫でていく。
キーナンの部屋は母親の離宮にあるから、さすがにそこまでは押しかけては来ないが安心は禁物なので鍵は必ずかけて寝ている。
とくにキーナンが剣技会で優勝してからは、酷い。ピンク色の靄もますます濃くなっている。
だが、キーナンは彼女の言うことに違和感を覚えた。
(おかしい。ハインズ商会の情報網ではレクアの銀はもう産出量が殆どないはずだ。王族の散財でレクア王国の負債もどんどん大きくなっている。王女は何も知らされていないのか?
父上は何を考えている。縁談の返事を引き延ばしているのはなぜだ? 考えたくはないが仮にこの王女と俺が結婚したらレクア王国はお金を我が国に無心してくるはずだ。そのためにレクアはこちらに縁談を申し入れたのだ。とすれば父上にとってはレクアを手に入れるチャンスではないのか? ただ俺が王家を乗っ取るにしても、時間と費用がかかるし確実性はない。まあどこかでそれも仕方がないとは思っているのだろう。だが父上のことだ。もっと手っ取り早い方法を考えているはずだ。
戦争で無理やりレクアを傘下に治めれば西方諸国の反感を買うから、それはない。
銀鉱山のないレクア王国の魅力はなんだ? もちろん、レクアを手に入れれば西方諸国連合の力を削ぐことはできる。他には? 港か? 最近は船も大きくなってレクア王国の小さな港を避ける傾向にある。だが、レクアにはもう大きい港を作る国力がない。したがって交易船は周囲の国に向かっている。我が国にとってもレクア王家に金をむしり取られるよりは港を大きくするために金をかけた方がずっといい。西にある大陸との交易を活発化し、西方諸国を制圧する足掛かりにすることもできる。
だとしたら、俺の役目はなんだ? ......多分ただの道化だな~。ああ、リセルに会いたい)
それから二週間ほどして、ローレン王女はやっとレクアに帰ってくれた。
「次に来るときは婚約式ね」という怖ろしい言葉を残して。
そして平穏な日がしばらく続いた。そんな時、回廊の反対側で話している騎士たちの声が耳に入って来た。
「クリスもハインズ商会のリセル嬢と上手くやっているようだな」
「随分と仲がいいと聞いているぞ」
「ここにいるより良かったかもしれないな」
「ああ」
キーナンはそのまま騎士団長のもとに駆け付けた。
「クリスって誰ですか?」
「ん?」
「ハインズ商会に行っているとか」
「ああ、あいつの事か。陛下に頼まれて派遣したが居場所を見つけたようだ。もうこちらには帰ってこないかもしれないな。ずっとリセル嬢の護衛をしたいと言っているらしい」
「ですから、どんなやつです?」
「腕も立つし、見目もいい。男でないのが残念だ」
「は? 男ではない?」
「ああ、女騎士だ」
その途端、キーナンは騎士団長に抱きついた。
「大好きです。団長」
「気持ち悪いな」