2話 悪魔のような神の笑顔
得物を持ちなおかつ体格差がある敵と戦闘になった場合どうするか?
私は前世界で上官から逃げろと教わったし、部下には逃げろと教えてきた。
だが自身がそういう状況に陥った際、逃げたことはただの一度も無い。
静かに戦闘態勢へ移行し、コニーの舎弟である青年を分析する。
なぜ逃げなかったのか、理由は単純だ。一度もそういう状況に陥ったことなどなかったからだ。
「舎弟君、私は別に好き好んであなたと戦う気は無いの。刃物も怖くって仕方がないし」
「到底刃物に怯える眼には見えないがな。戦う気が無いというのなら拳を下ろしたらどうだ」
舎弟は下着姿の女が相手でも隙を見せる様子はなかった。
どんな相手でも細心の注意を払い油断をしない戦士の鏡。私は彼をそう評価するとともに、やはり本能に従って逃げるべきだったと後悔が止まらない。
だが優秀かどうかは疑問だ。何をどう見たら怯える眼には見えないとか言えるのか。彼の眼は節穴ではなかろうか? 言い様によっては下着姿の女をどう調理するか余念がない変態の鏡とか評価し直してやってもいいんだぞ。
そんな私の心情を悟られるわけにはいかない。勘違いをしているのなら利用するべきなのだから。
「下ろすわけないじゃない、何されるか分からないもの」
「先に姉貴に手ェ出した奴の言い分がそれか?」
ごもっともな意見でぐうの音も出ない。
私がかつて治安維持部隊のエースでなかったら心に大きな傷を負っていたかもしれない。
ほんと、治安維持部隊のエースで良かった。
だが正直何を言われようと、彼がいかに油断も隙もなかろうと私には勝算があった。
「自信があるのは良いことだけど、あなたが一体誰を相手にしているのか考えた方が良いと思うの」
「何を言ってる……? ただの変質者だろうが」
相手の防御を崩すにはきっかけが必要だ。
物事を一点でしか見ていない者にはほんの少し周りを見せてあげればいい。
「ただの変質者相手にあなたの尊敬する”姉貴”は気絶するほど恐怖を感じるかしら?」
「それは……」
「そもそも私が本気で拳一つで戦うわけないじゃない」
相手の根幹を突き、ハッタリを混ぜながら私は少しづつ強者を演じる。
構えを解き、少し右掌を握り開くだけで相手の緊張を誘う。
私のことを何も知らない今この一瞬だからこそ通用する手を一切惜しまない。
「どうしたの? 手、力み過ぎじゃない?」
私の一言で舎弟は一度も私から外さなかった目線を剣を握る両手に落とした。
「っなぁッ!?」
一瞬で舎弟との距離を詰めた私は彼の背後に回り込み右膝を踏み抜いた。
態勢を崩した舎弟は身体を支えるため片手を地に付き、見失った私を補足しようと体を捻る。
「それは悪手。勝ちに行くなら引くことを覚えなきゃ」
「かはっ……!」
私の放った回し蹴りが彼の鼻先を直撃すると、辛うじて握っていた剣を地面に突き立て耐えようとする。
優位に立てるはずの男女の体格差もこうなっては意味をなさなかった。
剣を離さなかったことを偉いと褒めるか馬鹿だと貶すかは人によるだろうが、今の私はそれを貶すだろう。
伸びきった肘に踵を落とし彼の腕を折った私は、剣を引き抜き彼の首筋に刃を添わせた。
「転移者って珍しいんでしょう。戦った感想を聞きたいんだけどいいかしら?」
▽ ▲ ▽ ▲ ▽ ▲
すっかり怯えきってしまった舎弟と共に待つこと数時間。
目を覚ましたコリーは舎弟の大怪我に慌てふためき、私を見て二度目の失神をしかけた。
「コリー、とりあえず彼の怪我治してあげて。気を失うならその後にしてもらっていい?」
「どんな戦い方したらノックスが一方的に負けるのよ……やっぱり転移者って悪魔なのね」
数時間の間一言も喋らなくなった彼の名はノックスと言うらしい。
コニーはノックスに治癒魔法を掛けること数回。私が与えたダメージが多すぎたのか、治癒魔法の性能が低いのかは分からないが治療を終えたコニーの額には汗が浮かんでいた。
私と違い治安維持部隊のエースでなかった彼は心に大きな傷を負ってしまったのか、骨折した腕が治った安心感からか、コニーの無い胸に飛び込みおんおんと泣きわめき始める。
なんとも居心地の悪い状況の中、コニーの冷ややかで恨みの籠った視線に多少の罪悪感を感じつつも、命のやり取りで手心を加えてあげたことに感謝してほしいと思う私は意見を飲み込み最低限の言い訳をした。
「正直勝てるとは思ってなかったからさ、ちょっと本気で戦わせてもらいました、はい」
「姉貴、オレ、あいつ、怖い」
「よしよし、アタシのこと守ってくれようとしたんだよね、偉いぞ」
もう、謝った方が早いなと思った。
私とコニーより倍は大きい男が慰められている状況に私の罪悪感は限界を迎えたのだ。
「失神させたのも怪我させたのも私が悪かったわよ……ごめん」
大人になると素直に謝れないと言うがその通りだ。
しばらく泣いたノックスが泣き疲れて寝てしまった頃、ようやく私への返事がコニーから返ってくる。
「アタシも急に悪魔とか言って騒いだのがいけなかったわ、ごめん。ノックスもまぁ忘れっぽいから許してくれるわよ」
人間とりあえず謝ってみるものである。
一度はパーティーを組み、物乞いも共にした仲なのだ。友情は意外と壊れないのかもしれない。
「と、ところでラクレットが転移者ってホントなの?」
前言撤回。
コニーの手めっちゃ震えてた。ノックスの手を掴んでごまかしているけど、友情とかがある訳じゃない私のこと怖がってるだけだわ。
私はなるべく穏やかな口調で返事をすることにした。
「ホントだよ。あと前世界の記憶持ちなのもホント。ひとつ教えて欲しいんだけどさ、なんで転移者が悪魔なんて呼ばれてるの?」
コニーの問いに答えつつ、私も笑顔で質問をしてみるがコニーは目を合わせてはくれない。
よほど転移者の存在は恐ろしく伝わっているのだろう。
「昔この世界に一人の転移者がやって来たの。各国が戦争をしたり、魔族が介入して来て混乱が広がったりしたんだけど、転移者が全部解決してくれたの」
コニーの語り始めた転移者はまさに絵に描いたような英雄だった。
数年で争いを収めた転移者はこの世界の救世主に違いない。
「でもある日、世界を揺るがす大災害が起きたの。転移者が今まで解決してきた争いの種は全部一つの所に封印されていてしまってあるだけだった」
「世界中の数年分が全部そこに……?」
「そう。ありとあらゆる悪意や正義、原因の根本やなにやらまでを詰め込み過ぎた結果、封印が限界を迎えてしまった」
それらがすべて解き放たれた結果、世界の半数の生物が死に絶えたという。
コニーを含むこの世界の原住民は転移者にすべての責任があるわけでは無いと理解していても恨むしかなかったのだと。
「そんな時、神様がお告げをくれたのよ。失われたものは転移者の故郷から補填するって」
私はその言葉に絶句した。
「その時神様は言ったのよ、これからこの世界は原住民であるアタシ達と異世界からの転生者で暮らしていく事になるって」
私はなおも彼女の話に耳を傾ける。
「転生者の中には前世界の記憶を持ったまま産まれてくる人も居るけれど安心してほしいって」
話の続きを聞きたいが聞きたくない。聞いてしまったら戻れなくなる。
「でもね、転移者も少なからず居るんだって。転移者は前世界を捨てきれなかった者達でこの世界の文明や暮らしを壊す恐れがある危険な思想の持ち主だって」
「神様はその転生者をどうしろって……?」
私はこの時なぜ神から散々やめておけと言われた転移を選んでしまったのかと、そのうえどうせなら性別を変えたいし見た目も変えたいと要望を出すだけ出した記憶を思い出していた。
「記憶持ちの転移者はこの世界の敵である、悪魔である。見つけたら即座に殺せって」
コニーの説明に今度は私が震える番だった。
正体がばれた瞬間、この世界に味方がいないという事実に。
私の軽率な身バレのせいでコニーとノックスを恐怖の底に叩き落してしまった事実に。
「コニー、一つ約束をしよう」
「それは契約って意味?」
「コニーがその方が安心できるなら契約という意味でとらえて良いよ」
私は怯えるコニーの手に自分の手を重ねた。
数日前、神とのチュートリアルを終えた私はこの地に降り立った時ワクワクしていた。
数時間前、冒険者ギルドでコニーとパーティーを組んだ時ドキドキしていた。
それが今はどうだ、怒りで心が震えている。
何が文明や暮らしを壊す恐れがある世界の敵だ。
「私は神の言うような世界の敵にはならない。信じられなくなったら私が転移者であると世間にバラしていい」
「それまでは言わないで欲しいっていうの?」
「既にコニーもノックスも傷つけた後だから本当ならこんな約束取り付けられる筈もないんだけどね」
私は笑顔でコニーを見つめた。
しっかりと翡翠の様な綺麗な瞳で見つめ返してくれるのは彼女なりの答えなのだろう。
彼女の瞳の中に映る私は神と同じ姿をしていた。