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そこには葵斗よりも小さな人影が佇んでいた。
暗闇と間違えてしまいそうなほど真っ黒なコートをかぶっていて、インクをぶちまけた柄が全身に広がっていた。
地面に光が反射して顔を綺麗に映し出す。
その人物は可愛らしくもどこか儚げな少女だった。ぷるんとした卵肌に幼い顔つき、澄んだ瞳は透明なブルーに塗られている。さらさらと艶のある髪の毛は一本一本丁寧に手入れされており枝毛やダメージは全く見当たらない。絹のように白く染められた髪は、手を伸ばして触れようものならあっさりこぼれ落ちてしまうだろう。
異性と出会う機会はあれど、恋愛感情を抱くことなく過ごしてきた葵斗にとって初めてその姿に惹きつけられ見入っていた。一目惚れと言ってもいい。
不安でいっぱいだった葵斗の心は、彼女への興味で埋め尽くされた。
こんな夜の深い時間に殺風景な場所でなにをしているんだろうとか、この子は誰なんだろうとか、話しかけても大丈夫だろうか。とか様々な思いが浮かぶ。
鼓動が聞こえ身体が皮張り胸が苦しくなっていく。葵斗自身にはこの現象がなんなのかわからなかったが、緊張していたのは間違いなかった。
「あ、あの〜」
葵斗は彼女に声をかけようとした時、あることに気づいた。
柔らかそうな潤った肌に赤黒い液体がこびりついていた。所々、こすれた後があるそれはよく観察すればデザインだと思い込んでいた服の模様も同じものだと直感的に判断できる。
袖にはべったりとはりつき顔を拭き取った形跡が見受けられた。葵斗はこの色の水を知っている。疑いようもなく血そのものだった。
「キミ! 怪我してるんじゃ? ひどい出血だ。はやく病院に行かなきゃ!」
「………………」
声をかけても彼女はその場からピクリとも動かず反応がみられない。返事も一切なかった。
心配になった葵斗は駆け足でそばに駆け寄った。
と、彼女の左手に何かが握られていた。鏡のように葵斗の顔をぼんやりと捉え、金属製の刃に持ち手が取り付けられている。鋭く綺麗に研がれた刃は人間の肉などいとも簡単に切り裂いてしまうだろう。
「え、なんでナイフなんか持ってるの? 危ないからそんなもの持ち歩いちゃ……」
そこまで言って、葵斗は喋るのをやめた。
血のついた服、ぽたぽたと滴が落ちている刃物、まるで痛そうな気配がない少女、切断された生首……葵斗の妄想に過ぎないかもしれない。それでも、状況を整理してみるとどうしても拭いきれない仮説が目の前に示されている。
「変なこと聞くけど、人を殺したりしてないよね?なんて」
彼女はなにも話さない。ただ葵斗の方を見つめているだけだ。
「ごめんよ? 怒ってるよね。こんなこと聞いて」
葵斗は表情が変わらない彼女に対して取り繕う。彼女がなにを考えているのかさっぱりだが、葵斗に良い印象を抱いているわけがなかった。突然、見ず知らずの他人に犯罪者扱いされても腹が立つだけで本物なら尚更なはず。
とんでもない悪手をやらかした葵斗のひたいに冷や汗がにじむ。
「えっと、何か喋ってくれると嬉しいな〜あはは……」
困り果てた葵斗は頭をぽりぽりかいてどうにか誤魔化そうとする。葵斗があたふたしているとそれに応えるように無表情のままの少女がゆっくり葵斗に近づき始めた。手に持ったナイフをギラつかせながら一歩一歩確実に間合いを詰めてくる。
「うわぁぁぁぁぁ!! こ、殺される!」
葵斗のかなり失礼すぎる問いにやっと反応を示した彼女の行動に葵斗は叫び声をあげて反対側に素早く振り向くとものすごい勢いで走って逃げ出した。
しかし、今更投げ切れるはずもなく葵斗はあっさり追いつかれてしまった。
「ひっ!ひぃぃぃ。ごめんなさい!俺が悪かった!だからやめてください!」
完全に彼女を殺人者だと思い込んでいる葵斗は怯えながら必死に懇願する。先程まで危機感が微塵もないばかりか、初対面の相手に突っ込んだ質問をしていた姿とは打って変わってひどく滑稽で無様だった。
そんな葵斗を哀れむように冷ややかな目をした彼女はナイフを葵斗の目の前に突き出し、一言二言ぼそぼそと呟いた。パニックに陥っていた葵斗には聞き取れるはずもなく、ただただ嗚咽を漏らす。
葵斗の口からまともな言葉が出てくるのを諦めたのか彼女は素早く手を振りかざす。
その景色を最後に葵斗の意識はぷつんと途切れ目の前が真っ白になった。